第22話 適材適所
自然豊かな予約制のバーベキュー場では、焼き料理を楽しむ人々が、各々ゆっくりと食事を楽しんでいた。
石井家とお向かいさんも、合同バーベキュー、通称ご近所友達肉祭りを始める。
シャルはきれいな服しか持参していなかったので――もっとも持っている服は大抵ハイブランドなのだが――樹里に長袖のTシャツを借りていた。下は、これも樹里のジャージをはいている。ウエストが細すぎるため、目いっぱい紐を絞っていた。丈はちょうどだったのが、頭半分ほども身長差のある樹里には参った。夏用といえども暑いのに長袖長ズボンなのは、虫刺されと日焼けを用心してのことだ。これは樹里の過保護によるものだった。樹里自身は半袖にハーフパンツだ。車から降りて、虫よけスプレーを思い切り吹き付ける。
「こほっ、こほ」
「あ、ごめん。後ろにいたんだねシャル」
「姉ちゃん、早く虫よけをこっちに寄越せよ。いま刺されたらどうすんだよ」
「はいはい、姉ちゃんがやってあげようか」
「余計なことすんな」
「ねえ、こいつってば普段は私にやらせるんだよ。今日はシャルがいるから遠慮してんだろ、ねえねえ、どうなのかなあ」
「ほら、あんたたちふざけてないでいくよ。肉争奪戦に参加しないつもり?」
「肉と夏、最高だな。俺は今日このために生まれてきたんだ」
樹里のお父さんなのだった。
「樹里のパパ、今日のため。つまり『お向かいさん』と『かみさん』は特別なもの。『かみさん』は『神様』を親しくしたもの、違いますか? 日本の神様、とても寛容。こころあたたかいです」
「この外人さん、頭いいのか抜けているのか分からないね」
「シャルは心の清い純度100の天然少女だから」
食欲に支配された石井家面々は、手軽に着火剤で火を起こした。頃合いになったら肉を並べていく。色とりどりの野菜は、肉を囲むように網へ並んだ。シャルがその彩りを眺めて楽しんでいると、じきに肉の焼き加減がよくなり、石井家は周囲に配慮して、静かに歓声を上げた。
「焼き上がりを待っていました、お肉さま! おじさん、早く食べて。おじさんファーストなんだから、おじさんが食べなきゃ始まらないよ」
「どれ。うん、うまいぞ」
「解禁、やった!」
「いやあ、いつもすみませんね」
樹里のお父さんが冷たい烏龍茶をあおりながら言う。
「本当はビールといきたいところですけど、場内の飲酒禁止とは、時代も変わりましたね」
子供と妻が肉に食らいついているのを見守り、自分もトングで皿に肉と野菜を乗せる。
「すみませんのは、お互いさまです。うちには子供がいませんからね、大勢でやるのはいいものです」
「今度はこちらから誘います。あと今回もうちが材料費8割ということで」
お向かいのおじさんもソフトドリンクを手にした。
「乾杯」
その会話の間、シャルは『かみさん』と今日のスペシャルを準備していた。糸で縛った肩ロースブロックと、ゴロゴロした野菜を調味料で煮込み始める。
「シャル、何をしてるの」
「チャーシュー、つくります。チャーシューは煮込んだお肉?」
「チャーシューだって? なにそれ最高。おばさん、本当にありがとう」
「シャーロットちゃんが味の決め手の調味料を混ぜたのよ。絶対においしいから楽しみにしていなさい」
「あのレシピ、チャーシューでしたか?」
「そうよ、大丈夫。ちゃんと味見したからね。さあ、シャーロットちゃんも食べにいって」
「は、はい……」
「心配しないで、シャル。みんな自分の食欲に染まって、誰も人のことなんか見ないから」
「シャーロットちゃん、こっちおいで」
樹里のお母さんだ。
「はいこれ、お皿。あんたはええと、見た目通りの食べる量かな、それとも痩せの大食い?」
「小さいお肉、ほしいです」
シャルが指を指したのは、親指の先ほどの可愛い肉だった。
「あはは、こりゃ欠片の処理をしなくて済む。いいよ、欠片がいいなら好きなだけ食べな。これはこれでおいしいよね、カリカリして」
シャルの皿にトングでカリカリ肉が乗せられると、金網が少しきれいになった。
「はい、お箸。使えるかな」
「おはし、大丈夫です」
肉は本当に欠片だったので、シャルの1口にちょうどよかった。
「どう、シャル?」
「ふふ、樹里のおにぎりと同じ味」
「だってうちの焼き肉も、おばさん直伝のタレだもん。なんとかソルティって、また言う?」
「言わない。とてもおいしい。あたたかい」
「シャーロットちゃん、熱かった? 火からあげたばかりだからね」
「お肉盛ったし、野菜も取って、少し座ろうか。シャル」
「うん」
樹里とシャルは、場の中心から少しだけ離れたところにキャンピングチェアを並べた。
「ゆっくり食べなね」
シャルは自分のペースで食べ進めた。
「私、たくさんの人と食べて、嫌な思いをしないのは初めて。みんな優しい。それに」
「それに? なんでも言って」
「心の距離感、親切だと思う。『お向かいさん』と『かみさん』、私に適した作業を与えてくれた。樹里のママ、私に見た目通りの少食なのか、痩せっぽちの大食いなのか聞いてくれた。私を尊重してくれた、だから……」
「うん」
「嬉しいと、思った。そうしたら、みんなにも喜んでほしいと思った」
シャルの目に涙の膜が張る。
「泣いて……泣いてごめんなさい樹里。いま笑顔できない。胸が高鳴って、笑顔できない」
「大丈夫、シャル。ね? 嬉しい涙なんでしょ。そうだ涙をこぼさない、いい方法があるんだよ。おいしいものを食べること。なんでか知らないけど、食べると涙が止まるんだよね。騙されたと思って続きを食べてみな」
シャルは肉と野菜を頬張った。彼女にしては豪快に。
「とってもおいしい」
「ほら、涙止まった気がするでしょ」
「止まった。でも喉が痛いよ?」
「それがシャルの涙です。いっぱい食べて、消化してしまいなさい」
シャルの滲んだ視界に、バーベキュー場に集まるたくさんの家族や、石井家とお向かいさんの平和な食事光景が見える。『かみさん』は出来上がったチャーシューを切り分けて、配っているところだった。シャルと樹里のところにも来て、皿に肉を置いていく。涙を見られたくない亜麻色がうつむいていても、何も言わなかった。
シャルの胃は小さいが、時間をかければそれなりに食べることは食べられるのだった。チャーシューの塊を残すと思い、それを食べようと待機していた樹里は、シャルに言った。
「なんだ、ほぼ完食じゃない」
「わたし、食べれた。お腹いっぱいになるの初めて。いつもママが時間を決めて、お皿を下げていたから」
「じゃあ今度から、まだ食べているから駄目って言ってみな」
「うん、勇気があったら」
シャルの長い長い1皿の間に、バーベキューは片付けに入りそうだった。
「家に着く頃には日が暮れるから、そうしたら花火をやるよ。派手なのはできないけどね。冗談を抜きに、できないけどね」
シャルはそわそわしていた。
「どうしたの」
「片付けのお手伝い、しなくちゃ」
「いいよ、来るときはしたんだし。弟にも働かせよう、父さんにもね。シャルは涙目だから少し落ち着きな」
「う、うん」
「こら、目を擦らないの。赤くなっちゃうでしょ」
シャルは上を向き、深く深呼吸をした。
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