第21話 顔合わせ
翌日の朝、シャーロットは樹里の家族との顔合わせのために、支度をしていた。
「とりあえず2、3日泊まりなよ。それで宿題もやり始めちゃおう。私、シャルのために少し進めてあるんだ。分からないところがあったら見てあげる。漢文が苦手だって言ってたよね」
「ありがとう樹里」
歯ブラシを裸のまま持って答える。
「シャル。それ、キャップかケースはないの? ないのなら途中のドラッグストアで旅行用のを買いなよ」
「そういうものなの? 初めて知った」
「友達、いなかったんだもんね。大丈夫だよ、少しずつジンセイを取り戻していこう」
シャルはスズランの花を見た。
「どうしたの」
「ママに、この子のお世話を頼まなくちゃ」
樹里にはまだ深い意味のわからないスズラン。それは今日も可憐に佇んでいた。
「この子、1週間くらいで駄目になってしまうの。ずっと長持ちすればいいのに」
「儚いんだね」
「樹里、洗面用具と着替えだけでいいのかな。それならもう終わったよ」
「よし、じゃあ行こうか」
シャルの服は、彼女らしく首元の詰まった長袖ブラウスに、下はシャーリーがはいていたようなフレアスカートに見えるショートパンツだった。それは彼女にとてもよく似合っていた。
「シャル……髪を撫でてもいい?」
樹里は堪らず聞いてしまう。
「うん」
柔らかな巻き毛に指を差し込む。なめらかで細い感触。いつの間にか撫でるだけでなく抱え込んでいた。シャルが樹里を見上げる。間近な2人の顔。唇同士が、そっと重なった。
「ごめん、つい」
「いいの。大丈夫」
シャルは頬を赤くしていた。
「怖くなかった。樹里だけ、好き」
「もう、この子は本当に、もう」
「行こう、樹里のお家。どんな感じかな」
「畳って知ってる?」
「わからない」
「まずはそこからだね。うちは古くさい1軒家。きっとびっくりするよ、私がシャルの住んでいるマンションにびっくりしたのと逆方向にね」
駅まではベイリー氏の運転する車で送ってもらった。氏は運転がとても上手だった。夫人より、さらに安定感がある。なにより高級車が異様に似合っていた。その車内で樹里は昨晩の非礼を詫びた。冷静になってみると、確かに樹里は他人の家族関係に口を出しすぎたのだ。氏は謝罪を受け入れ、また自らも反省したことを告げた。シャーロットにも、大声を出して済まなかったと。
盆休みの電車内はとても空いていた。窓から抜けるような青空と入道雲が見える。樹里の家は、駅から徒歩15分だという。途中にあるドラッグストアへ寄って、ふたりは石井家に着いた。
「ただいま」
「おかえり。あら、本当に外人さん」
「よろしくお願いします」
シャルはお辞儀をした。『ありがとうございます』と同時に習った、日本のお辞儀。
「礼儀正しい子! いらっしゃい。何もないところだから遠慮しないでね」
樹里の家の玄関には、様々な靴が散乱しているのだった。男の子の靴も。
「弟がいるんだよ。どうせ居間に転がってゲームしているだけだから気にしないで」
樹里の言うとおり、テレビのある大きな部屋に男の子がいた。
「こんにちは」
シャルが声をかけると、男の子は驚いてゲーム機を落とした。
「なに、姉ちゃんの友達? びびった」
「そう、シャーロットっていうの。可愛いでしょ」
「知らねえよ。俺、ゲームがいいところだから」
「こいつ照れているな?」
弟はそっぽを向いて、ゲームの続きを始めた。
「シャル、私の部屋で宿題をやろう」
「うん」
1軒家の2階にある樹里の部屋は板材のフローリングではなく、和室だった。
「シャル、これが畳だよ。廊下でスリッパを脱いで」
樹里は部屋の中央の空間に、折りたたみ式のテーブルを出した。
「ここで2人並べてテキスト開きたいんだけど、シャルは畳に直接座るの大丈夫かな。つらかったら言って。私の学習机を貸すから。小学生のときのままだから、小さいけど」
畳はシャルにとって不思議な香りがした。樹里は、あぐらを組んで座った。シャルもそれに倣う。股を大きく広げるのは少しだけ恥ずかしかった。
「わああ、シャル。あなたは正座とか横座りとかして」
「セイザ? ヨコスワリ?」
「やっぱりシャルは学習机を使おうか」
「セイザ、教えて。星の『星座』なら知ってる。きっと素敵なことでしょう?」
「ううむ、まあいいか」
おそらくすぐに足が痺れてやめるだろう。さっきは、あぐらに驚いてしまったが、よく思い出してみると海外ドラマであぐらをかく女の子は珍しくなかった。
「ねえ、あんたたち」
「きゃっ」
「ああゴメンね、シャーロットちゃん。お向かいさんと予約してたバーベキュー、もちろん行くよね」
「行く! 忘れてたよ。やった、やった! バーベキュー」
樹里は小躍りした。
「シャル、宿題なんてしてる場合じゃない。肉……もとい、仕込みと積み込みの手伝いにいかなくちゃ」
「樹里、昨日もお肉食べた……きゃあ」
手首をつかまれたシャルは、拉致されるように樹里と家を飛び出した。
『お向かいさん』はとても親しみやすく、かつワイルドな夫婦だった。樹里に連れられたシャルを見ても動じず、参加者1名追加、と言っただけで、女の子2人にバーベキューの道具を持たせた。
「越境してバーベキューのできる河川敷まで運ぶんだ。ワゴンの荷台に積んでくれ」
樹里には山ほど、シャルには控えめな荷物が手渡される。
「さすがおじさん、配慮をありがとう」
「おめえは男と一緒だから」
「うっさいな。シャル、おいで」
「う、うん」
シャルは無造作に渡された金網の束に苦戦していた。持てるのだが歩こうとすると、ばらけそうになってしまう。
「嬢ちゃん頑張れ。コツだ、コツ」
お向かいのおじさんは、いったんシャルの荷物をまとめ直してやり、高い位置に保持した。
「そら、いけ。今のうちだ」
シャルは早足で荷台に向かった。先に積み終わっていた樹里が待っていてくれて手伝う。
「大丈夫。あのおじさんはいい人だから。バーベキューの準備、頑張ろう?」
「う、うん」
樹里は荷物の山のところに戻り、シャルもついていった。
「お嬢ちゃんは、料理ができるか?」
「はい、少しだけ」
「じゃあ、かみさんのほうを手伝ってくれ。台所にいる」
樹里と離れるのを不安に思ったシャルだったが、人のよさそうな『お向かいさん』だから大丈夫だと自分に言い聞かせた。樹里も大丈夫だと言っていた。お向かいさん宅の駐車場の奥にある玄関へ恐る恐る入ってみる。
「すみません。かみさん、いますか?」
「ははは、かみさんはワイフのことだ。おーい、そっちに1人やるから使ってやってくれ」
「はーい」
家の中から声がする。
「上がって。いま手が離せないから」
「おじゃまします」
声がしたほうへ進むと、女性が1人、肉の塊に糸を巻いていた。
「はじめまして。シャーロット、いいます。おてつだい、きました」
シャルは緊張して片言に戻っていた。
「こんにちは、シャーロット。さっそく手伝ってもらいたいの。まず手を洗ってからポリ手袋をつけて。ここを押さえていて」
「はい」
お向かいの『かみさん』は手早くタコ糸を巻き付け終えると、シャーロットを見た。
「あら、本当に外人さん? ええと、どうしようかな。これに使う調味料を混ぜてほしいんだけど」
「レシピ、ありますか。にほんご、よめます。書けます」
「ナイス。読み書きできるなら最高。じゃあ、使うもの全部用意するから、このメモ通りに混ぜて。早口だったかな、大丈夫?」
「だいじょうぶです」
日常的に料理の手伝いをし、学校での自分の昼食も用意していたシャルは、手際よく合わせ調味料を作っていった。
「ありがとう、助かるわ」
「どう、いたしまして」
樹里とママ以外からの、ありがとう。シャルは嬉しかった。
(私は中学生時代に信じられなくなったありがとうを、だんだん好きになってきている)
「包丁は使える?」
「はい」
「じゃあ野菜を切りましょう」
2人でピーマンや玉ねぎを切っていると、積み込みが終わった樹里も台所に入ってきた。
「おばさん、こっちは何を手伝う? シャル、大丈夫だったかな」
「いい子よ。手つきもちゃんとしてるし、あんたと大違い。冷蔵庫のスイカを運ぶ用意をしていて。保冷剤とクーラーボックス」
「ちぇ、また力仕事?」
「そのほうが性に合うでしょ」
「へーい」
バーベキューの準備は、もうすぐ終わりだった。窓から外を見れば、抜けるような青が家家を切り取っていた。どこからか、早い入浴の匂いがする。今日はこの地区のお祭りもあるのだった。
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