第20話 提案

 シャーロットの部屋はスズランの香りで満ちていた。

 部屋の明かりをつけたシャルはベッドに座り、樹里はスズランの花をそっとつついた。

「スズランが好きな理由を聞いてもいい?」

「まだ、だめ。私の秘密だから」

「そっか。じゃあいいよ。話してもいいと思えたら教えて」

「うん」

 樹里はシャルの隣に座った。

「シャーリーは元気? さっき色んなことがあったね。私、初めてのお家なのに失礼なこといっぱい言っちゃった」

「わたし、シャリーのことよく知らないの。みんなわたしのことは見てるだけ。ドリーのことだけ知ってる。意地悪だから」

「シャーロットの中ってどうなっちゃってるの」

「ううん。ええと……」

 シャルは身振り手振りで何かを表現しようと試みたが、すぐに諦めた。

「ちゃんと説明できたら、わたしは普通の子と同じになれると思う」

 シャルが遠くを見たとき、ほとんど空っぽのお腹が鳴った。

「ちゃんと食べられてなかったからね」

「パパとママのお話って長いのかな。樹里、シャワー浴びる? わたしは次でいいよ。樹里はゲスト」

「ごめん、結構お腹いっぱいだからもう少し休みたいかも」

「そう?」

 シャルは小首をかしげ、丸い大きな瞳で樹里を見た。

「えっと、私いまどんな表情してるかな。シャルが怖がる変態みたいな顔をしていないよね」

「ちょっと怖い顔。『よくじょう』している」

「変な気持ちで好きなわけじゃないんだよ、変な気持ちだけど。違う、あの」

「よくじょうしている人には、こう」

 シャルが樹里の肩にもたれ、手をスキニーパンツに包まれた健康的な太ももへ置いた。頭を首へ擦りよせ、青白い手は腿と腿の間を目指した。

「男の人だったら、ここが変わってくる。ドリーがよくしていた」

「シャーロット? 大胆すぎです。ドリーのことを本当によく知ってるんだね」

 樹里はシャルの手を握って、腿から離した。頭はそのままにしておく。可愛い重みが幸せだ。樹里も自分の頭を軽くシャルに預けた。このままずっとこうしていたい。ふたりで浸っていると、ドアがノックされた。

「いいよ」

 現れたのは夫人だった。密接に寄り添う少女らを見て一瞬怯む。だがすぐに気を取り直した。

「あなたたちに話があるの。来なさい」

「ママ、何のお話?」

「大事な話です」

 シャーロットと樹里は目を見合わせた。


 リビングルームのソファーには、ベイリー氏が神経質な顔をして座っていた。夫人が間を少し開けて、隣にかける。

「あなたたちも対面に座りなさい。お話を始めます」

 緊張し、不安になったシャルが、樹里に片手を伸ばす。ベリーショートの女の子は、力強くそれを握った。夫人が見ている。樹里は気を張った。

「まずは私から話そう。シャーロット、我々は中東には行かない。ひとまず帰国する。それからお前が望むなら、ビザを再取得して日本へ入国しなさい」

「どうして帰国するのパパ、ママ」

「あなたと樹里は、一緒にいるべきだわ。あなたは樹里によって補完される人格を持っているように考えられる。樹里、ここからはあなたへの話。シャーロットのホストファミリーになれる環境はあるかしら。経済的支援は惜しみなくします。ただ、他人を家に入れるのは大変なことだわ。あなたのご家族は、留学生についてどんな感覚を持っているかしら」

「私の家は……」

 どうだろう。父母ともに豪快で、交友関係も広い。その分、子供に関してはやや放任だが、愛に飢えたことはない。

「そういえば今夜こちらに泊まらせて頂くという連絡をしていませんでした。いま通話していいですか。そのとき、ホストになれるか聞きます」

「ええ、そうしてくれるとありがたいわ」

 樹里はサマーカーディガンのポケットからスマートフォンを取り出し、さっそく電話をかけた。数コールで相手に繋がる。

「あ、母さん? ごめんって、いま友達の家。うん、泊まらせてもらうから。それでね、聞きたいことがあるんだけど、留学生を受け入れる気ないかな。 はあ? 本気だって」

 樹里はシャルと繋いだ手をぶらぶらと動かした。

「うん、ここにいる。今度、なんなら明日にでも連れて行くよ、あちらの都合が悪くなければ。顔見せ、顔見せ。大丈夫、大人しい女の子。うん。分かった」

「樹里……」

「シャル、そんな顔しないで。感触は悪くない。あの、ベイリーさんたちご夫妻も来ますか? 母がそこだけ気にしていました。理由は単純、家の片付けが大変だからです。私の家はベイリーさんのところみたいにモデルハウスのようではありませんので」

「もっとラフに考えてくれればいいわ。何もゲストとして扱えなんていうんじゃないもの」

「そうだ。私も留学経験はある、寝る場所があればいい。あとは娘が自分でやる。できればの話だがね。重ねていうと、ゲストではない。気楽に考えてくれたまえ」

「シャーロット、これはあなたへの大事な確認です。私たちから離れて、樹里と日本で暮らし、勉強できる?」

 シャルはうつむいた。

「シャル、怖いならお父さんお母さんと一緒にいるといいよ。私はこの話がとても嬉しいけど、シャルがどうしたいのかが1番大事」

 沈黙が流れる。ベイリー夫妻は、娘が自分で決断できないのであれば、また違う計画を立てるつもりでいた。しかし――。

「留学する。私は、シャーロットは、樹里といたい」

「いいだろう、そうしなさい」

 自己を『シャーロット』と名乗り、宣言したシャルは、少し成長した顔をしていた。

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