第5話 ひとりぼっちの高校生活
シャルは私立高校に上がっていた。
現在通学している高校を選んだのは、決められた制服がないという、ただそれだけの理由だった。彼女にとって、制服の集団は『いないいないおばけ』になっていた。中学校生活は結局、仲のよい友達を作らず、表面的な付き合いだけで最後までを迎えた。卒業式、女の子たちは珍しくシャルをも囲んで泣いた。ひとりが泣いたら、10人が泣いた。10人が泣けば、30人が。亜麻色の少女が周りにさほど興味を持っていないことを悟ると、みんな彼女を無視した。無視して、かたまりになって泣いた。
人形のようなシャルは、高校でも周囲の無頓着さの中で過ごしていた。なにも意地悪をして無視をされているのではない。誰もが、自分の青春に忙しいのだ。部活、趣味、おしゃれ。なにより恋愛の話に、男女とも多くの関心を寄せた。それで、無口に過ぎるシャルは、輪から外れたのだ。彼女のか細い声が聞けるのは、授業中に教師から指示を出されたときだけで、昼食もひとりぼっちでとっていた。
これらのことはベイリー夫妻には何も話していない。
(私も、いないいないおばけと同じ。なにもなかったことにしている)
シャルは心の中で自分をあざ笑った。少女が寂しい昼食を終えて、教室に戻ってくる。すぐに明るく人気の高い女子生徒が、声を掛けてきた。雰囲気が一気に華やぐ。
「ベイリーさん? ううん、シャーロット。なんか会いたい人がいるって」
示されたドアを見ると、ひとりの男子生徒が、シャルをじっと見ていた。
「ほら、すぐに行ってみなよ」
女子生徒はいきなり馴れ馴れしくシャルの薄い肩を叩いた。そのまま男子生徒のところへ押していく。その生徒は緊張しているようだった。野球部なのだろうか。短く刈られた坊主頭が、中学時代の『男の子』を思い出させる。男子はシャルを見つめたまま、しばし固まった。
「あ、あの!」
すっかり声変わりした低音が裏返っている。そのまま再び沈黙してしまう彼に、小柄な亜麻色の少女は助け舟を出さなかった。もはや顔も見ていない。うつむくシャルに、男子生徒は続きを告げた。
「今日の放課後、昇降口横の木の下で、少しお時間いいですか」
「……」
「すぐ終わらせますから。お願いします! 帰りのホームルームのあとに、待っています」
男子生徒が腰を90度に折って、手を真っ直ぐに少女に向けて伸ばした。深いお辞儀に、求められる握手。なにか重要な話なのだろう。シャルは肯定のうなずきを返した。周囲から拍手が巻き起こる。男子生徒は顔を上げて、ひとつのステージを終わらせた顔をしていた。少女には意味が分からない。分からなかった。
みんな、なにがそんなに毎日楽しいのだろう。私は、シャーロットは――。
友達ができないまま、季節は夏になっていた。
放課後がきた。シャルは約束どおり、昇降口横の木の下に行った。男子生徒が、背をピンと伸ばし、手のひらになにかを指で書いては、飲み込む仕草をしている。周囲は部活動や、帰宅する生徒などの騒々しさにあふれていた。少女は近づいて声をかけた。男子生徒が驚いて、飛び上がる。
「ベイリーさん! 待っていました。来てくれてありがとうございます」
ありがとう。また、ありがとうございますという言葉が出てきた。シャルにとって、あまりいい思い出のない言葉。素敵な言葉だと、習ったのに。
シャルは、うなずくことだけで応えた。
「ベイリーさんは、いまお付き合いしている人はいますか」
付き合う。交際のことか。
「誰もいません」
男子生徒はガッツポーズをし、その勢いのままに、シャルの両肩を軽くつかんだ。小さめの身体が引っ張られる。
「じゃあ俺と、友達からでいいので、付き合ってください!」
シャルは、男から肩をつかまれたことに、嫌な感じがした。そして、小さな声でやめてと頼んだ。声は小さすぎて、周囲の人声や騒音に紛れて届かない。少女の足が震え始めたとき、放課後の喧騒を破って、誰か女子生徒の厳しい指摘が飛んだ。
「ねえその子、嫌がっているんじゃない?」
「え? あっ……」
男子生徒がシャルの様子を見て、慌てて手を離し、距離をとった。
「すみません! そんなつもりじゃ……いえ、本当にいきなりすみませんでした。忘れてくれて、大丈夫なので」
男子生徒は何度も謝りながら、走って校舎に消えた。声を発した、髪をベリーショートにした女子生徒が、シャルを見ている。長身で片腕を腰にあてていて、片側に重心を傾けた立姿勢は、ボーイッシュな感じがした。
「大丈夫、ベイリーさん?」
「どうして私の名前、知っていますか」
「どうしてって、同じクラスじゃない」
女子生徒は呆れたようだった。低めの声が、ため息をはらんでいる。
「すみません、わたしはあなたのことを、知らない」
「じゃあ覚えてよ、この機会に。私は樹里。石井樹里。漢字の説明、いる?」
樹里はシャルに向かって近づき始めた。歩き方も颯爽としている。横に立つと、シャルより頭半分近く、背が高いのだった。服装が自由なこの学校で、彼女は制服のようなものを着ていた。半袖のブラウスは、首元のリボンタイがゆるめられ、中に着ているTシャツが少し目に入る。下は男子のようなスラックスだった。魅力的なウエストからのラインが、長く靴の爪先まで伸びていた。シャルは自分の服を見下ろした。襟の詰まったトップスに、スカートのようなフレアワイドパンツ。中には10分丈のレギンスをはいていた。どこにも隙がない。校内には樹里のように、制服を毎日の着るものとして定めている生徒も多数いた。主に交流が派手で、性格の明るい層が制服を着ていた。
「また、うつむいちゃった。本当に大丈夫?」
「はい、大丈夫です……」
「具合悪いって、顔に書いてあるよ」
「こういう顔なんです」
シャルの物言いに、樹里は大笑いした。
「生まれてこのかた、怯えて沈んだ顔をしているの? かわいそう」
「かわいそうじゃ、ない」
「わかっているよ、ごめんね。ベイリーさん可愛いから、からかいたくなる」
「可愛い?」
「そうだよ、知らないの? ベイリーさんは可愛いって有名だよ。友達になりたがっている人もいる。でもベイリーさんの纏っているものが、人をはねつけるんだよ。さっきの男子だって、ベイリーさんが可愛いから、恋を明かしたんだね。だって知らない生徒でしょ」
「はい」
本当に唐突な告白だった。会話もしたことがない人に、恋心を抱く気持ちがシャルには分からない。
しかし樹里も、いや樹里こそ、シャルに関心を抱いたひとりだったのだ。彼女は入学式で、シャルの儚い雰囲気と髪の色、そして息をのむような、はちみつ色に惹かれた。この場は樹里にとってチャンスといえた。
「いつもひとりでいるから、つけこまれるんだよ。私がベイリーさんと一緒にいる。それはいけないこと?」
シャーロットは樹里の黒い瞳を見つめた。その黒色は、傾いた陽を受けて、琥珀色に澄んでいた。
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