【前編】己の尾を噛む蛇
錬金術が目指す理想の一つ――不老不死には十の象徴がある。
己の尾を噛む蛇
黄を纏い囁く王
天に乗り歩む屍
命の輪を廻る鳳
貴き血を啜る鬼
狂い都で呼ぶ竜
深き淵を覗く主
星の知を食む蛙
赫き地に咲く花
世の理を呑む蛇
いずれもが数多の王によって求められし不老不死の源泉。
元来、ボクたち錬金術師は王にそれを献上するために在った。
それも全て昔の話。
今はもう、幻想の笑い噺――
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Gate9
己の尾を噛む蛇
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「ウィルッ!!」
両手が咄嗟に印を結び、彼の力無い肉体を受け止めるべく大地から水が沸き立つ。
頭上の橋にも届きそうな高い水の塊が優しくウィルを包み込むと、ゆっくりと地面に広がってその身体を下ろしてくれた。
彼の身体には腹と左胸の下あたりに二つの刺し傷があり、既にかなりの血が失われている。
このまま黙って見ていれば、あと数十分ともたずに死ぬことは明白だった。
「そんな……ボクのせいで……!」
ウィルとハロウィはボクを信じて命を預けてくれた。
その結果に「まさか本当に死ぬとは思っていなかった」なんて僅かでも考えた自分に腹が立つ。
「ボクが……ボクがお前を助けなきゃ……!」
ウィルの血液に術を通わせ、これ以上血が失われるのを防ぐ。
そのあまりの出血量にボクは自分の血の気が引いていくのを感じた。
――こんな時にまで! いい加減にしろよこのポンコツ!
込み上げる吐き気を押し殺し、手の先へと意識を集中させる。
その時、頭上から風を切る音が迫ってきた。
「あっ……!」
瞳が捉えたのは――肩から生やした棺の全てから銀で作られた骸骨が伸び、無数の剣を振り上げる異形の姿だった。
その血走った視線に射貫かれ、ボクの呼吸が止まる。
「よく守った――強き少女!」
その刹那高らかな声と共に現れた赤き衣は翻り、金属音の轟きを響かせて先生を打ち払った。
ハリエッタ・“ビブリオティカ”・アーミテイジ。
王国が誇る至高の頭脳の一角がボクたちのために剣を振るっている。
「ど、どどどうちてぇー!?」
「色々とワケ有りでね。心配せずとも今は少年少女の味方さ!」
その左手からはウィルのアゾット剣に似た、黄緑に輝く巨大な曲刀が握られている。
「バルザイの
アーミテイジは自身のアゾット剣を頭上に放り投げると、そのまま両手を強く合わせる。
「
アーミテイジはその内側に不思議な赤い光を投げ込むと、アゾット銀がみるみるうちに金色へと染まっていく。
錬り出された黄金は人の形を成し、巨大な巨人像となって彼女の後ろに膝を着いて降誕した。
広義の意味ではない真の錬金術。ボクの知らない領域がそこにある。
「
「少年を殺しに来てあげたのさ。私では不満かい?」
「いいえ。オレを殺せるのは、師匠しかいませんよ」
「安心したまえ。約束通り――少年と一緒に私も死んであげるから」
アーミテイジは慈しみに満ちた表情でそう告げると、錬成陣を刻んでいたバルザイの
瞬間、彼女の背後にあった黄金の巨人の手には全く同じ形状の刃が握られ、全く同じポーズで攻撃に移っていた。
最早刀と呼ぶには巨大過ぎる金属塊が宙を割き、先生の身体を真っ二つにせんと叩き込まれる。
術者の身体を何十倍にも拡大した複写体が術者の動きをそっくりそのまま真似るというのは見た目以上に驚異的なことだ。
同じ動きに見えても実際には何倍にも速く、破壊力も強大なものとなる。
それに巨大な刃の重量も乗るのだから、如何に最強の錬天術師と言えども真正面から受けきれる一撃ではない。
故に、先生は刃の上に乗った。
魔眼エウレカ。その眼光はこの万象を捉えうる。
「見えていますよ、師匠」
そして先生は踵を着けた刃の腹を猛然と走り始めた。
アーミテイジは彼を振り払おうと縦一文字に刃を捌くが、先生は頭上が地面になろうとお構い無しに刃の上を進み、腕にまで到達する。
間合いを詰められることをよしとしないアーミテイジは剣を振るいながら器用に印を結ぶと――
「
自分の左腕に炎を放った。
というのも、エウレカには相手の術の構築式を読み取り、その術が自分に使用可能なものであれば術のコピーを逆位相でぶつけて相殺してしまうことが可能だからだ。
故にエウレカを攻略するには、エウレカ保有者が苦手とする元素の術で攻撃を行う必要がある。
だが、得意な筈の
「
――『錬金術』というものはアゾット銀に封じた固有の『悪魔』が持つ意志によって発現するものだからね」
先生は炎上したまま地面に叩きつけられ、死んだように動かない。
骸同然の彼に追い討ちをかけるべく、アーミテイジは剣を構えると
何度も何度も振り下ろされる轟音がサンダルシアの静寂を揺らす。
最早、勝負はついていた。
一方のボクはいまだにウィルの延命に苦戦している。
出血を止めることはできたが、根本的に傷を治す術がボクには無かった。
今更ながらにホーエンハイムの娘らしく医療の道を志すべきだったと後悔する。
そう、ホーエンハイムの娘。
テオフラストゥス・“パラケルスス”・ホーエンハイムと言えば、錬金術師で知らぬ者はいない。
アゾット剣の開発者。エリクサーを酌みし者。錬水術の権威。医療の神。大戦の大英雄。
この世に生を受けた時から、ボクはアーカシャ・ホーエンハイムではなく“ホーエンハイムの娘”だった。
ボク自身も、偉大な父を誰よりも尊敬し、彼の娘であることを誇りに思っていた。
そう、あの日までは。
ボクが初めて死に対し異常なまでの恐怖を抱くようになったのは、実の兄に殺されかけたのが原因だ。
わけも分からないまま首を絞められる中で、兄はボクにこう言った。
「父さんの後を継ぐのは俺だ! お前なんかが……お前がいるせいで……死ねっ! 死ねよっ!」
その後どうやって助かったのかは、ボクにも分からない。
それは全てを憶えていられるボクにとって、自分の人生で唯一の僅かな空白。
そして、ボクは理解してしまったのだ。死というのは永遠の忘却。自分という存在が二度と思い出せない空白へと変わることなのだと。
その日以来、ボクにとって死を避けることが生きる上での全てになった。
血を見るのすらまともにできなくなったボクは医療の道を早々に捨てた。
父親と同じアガトダイモン寮に入る夢は消え、宇宙に遍く真理を探究するトリスメギストス寮を希望した。
そして、シヲ・“ブラックチェンバー”・リヒトハウゼンの下で学ぶべく、彼を教授にする計画へと加担した。
彼が、不老不死の秘術を知っていると耳にしたからだ。
ああ、死にたくない。
その気持ちは今この瞬間だって変わらない。
誰かが命を保証してくれるのなら、ボクは傷付いたお前であっても差し出してしまうのかもしれない。
そんなボクが今こうやってお前の手を握っているのは……きっとほんの少しだけお前のことが好きになってしまったからだ。
始まりは、他の人間と何一つ変わり無かった。
信じさせて、利用して、捨てる。幾らだって替えの利く便利な消耗品。
お前もその一つ。只のストックに過ぎなかったお前が今までのそれと違うと気付いたのは、お前の生き方が理解できなかったからだ。
この世界から消える定めより懸命に遠ざかろうとするボクの正面から歩いてきたお前は、この世界から居なくなることだけを目指していた。
ボクが踏み台にしなくたって、きっとお前はそのうち奈落の底へと落ちて行ってしまっただろう。
その恐ろしさを誰よりも知っていたから、手を握らずにはいられなかった。
お前の手の温かさに触れると、自分が温かいもののように感じた。傍に居てやらなくてはと思った。目を離すと死なせてしまいそうで怖かった。お前の声が聞こえると、まだ生きていると知れて嬉しかった。
只死にたくなかっただけのボクが生きるこの世界で、お前の声が止んでしまうのがとても寂しくなったんだ。
――だからね。もう少しだけボクの我儘を聞いてください。
目を覚ましたら、いつもみたいに思いっきり褒めてくださいよ。
そのためだったら――ボクはもう少しだけ頑張れます。
「ボクは――ホーエンハイムの娘ですから!!」
慣れた印を結び、己の意志を全て目の前のウィルへと注ぐ。
ボクにはお前の傷を治してやれる術は無い。
だったら。どうせ治らないのなら、完全に破壊して一から作り直してしまえばいい。
「
この世の万物を分解することができるとされる紅蓮の霊薬。その奔流は周囲の闇を紅く照らして天を衝く。
発見したのはボクの父だ。
父親から錬金術を教わったことは只の一度も無かったが、父が記した三十にものぼる錬金書の中身は
自分一人の手で執り行うのはこれが初めてだったが、その仕上がりに一切の不出来は無かった。
「始まりまで溶け――魂の鋳型にて再び集え!」
昇っていた激流は地上からウィルの肉体を完全に消し去り、紅き光塵の渦となって雷光をふりまきながら大地へと再び注がれる。
やがて分解されたウィルの肉体が足首から再構築され始めた時、背後から鈍い苦悶の声が上がった。
「少年……どうして……!」
アーミテイジの首を片手で締め上げ、紅く照らされた夜空に屹立していたのは彼女に止めをさされたはずの先生だった。
「どうして、ですか」
悲し気な顔で俯いていた先生の額に青い炎の冠が灯っていく。
彼はその瞳に狂気を。口元に笑みを浮かべた。
「貴女は見ていませんでしたからね。オレがどうやってこの国の英雄になったのかを」
そして、無数の剣が一斉にアーミテイジの身体を貫いた。
アーミテイジは最期に何かを言おうと口を開いたが、弛緩した身体は最早言葉を紡げず掠れた吐息だけを漏らす。
鮮血の軌跡を描いて振り抜かれた剣は彼女の身体を遠心力と共に解放し、闇夜の暗がりに残酷な水音だけが響いた。
「今日は良い夜だ……数多の死に巡り合える」
先生は歓喜に震えながら呟くと、眼下のボクへとその狂乱を向ける。
「安心しろ。オマエの死はオレが忘れない。オレの記憶の中で永遠の存在となるがいい!」
「――嘘だ」
昂っていた彼の瞳に、ボクは初めて不快の色が浮かぶのを見た。
「……なんだと?」
「先生は憶えているんですか? 死にゆく者の全てを。その肌の色どりを。髪の本数を。空模様の遍く形象を」
「やめろ。何を……何を言っている……?」
「全てを憶えることのなんたるかも知らないくせに。先生の語る死は全て上澄みだけです。幾つの情報を積み上げたって、そこに在るのは必死に具体化された抽象であって本質じゃない。先生は――誰一人の死だって憶えてなんかいない」
「やめろ……! オマエ風情が死の何たるかを語るな……! 知った風な口をきくな……!」
「知っていますよ」
先生の顔にひびが奔った気がした。
「不死を謳う先生とは違って、ボクの歩む先にはまだ死がありますから」
誰よりも死が怖いアーカーシャ・ホーエンハイムが吐いたとびっきりの強がりだ。
「違う……違う……違う……! オレは死を理解した! 死を学んだ! あの日の死は、オレが死を学ぶためにあったものだ! そうでなければ、彼等は何のために死んだというんだ!!」
先生は壊れたように絶叫すると、衝動のままに剣を振り下ろした。
もう恐怖で身体が動かない。ただ目の前に迫る死を待つことしかボクにはできない。
それでも、ボクが試みた生まれて初めての格好悪い強がりは決して無駄なんかじゃなかった。
「――人は何かのために死んだりなんてしねぇ」
紅い柱から伸びた真っ白な刃が、血に濡れた凶刃を受け止めてくれる。
「人は何かのために生きるんだ。死に意味を求めるのは前に歩き続けることを諦めようとするお前自身の弱さだよ」
そう告げて紅い世界の中から戻ってきたウィルの背中からは、白く長い一本の尾が伸びていた。
彼は牙の並んだ口を開くと、自分の尾の先へ躊躇無く牙を噛み立てる。
額に輝く金色の双角は伸びて互いに一つとなり、黄金の冠となってその頭上に座す。
かつての王は、不死を司る第一の象徴をそう呼んだ。
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