【後編】己の尾を噛む蛇

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 Gate:Emethゲートエメス

 -IMMORT ALCHEMISTイモウト・アルケミスト-

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 見渡す限り真っ赤な世界の中で俺は目を覚ました。

 浮遊感だけがある世界。自分の肉体が感じられなくて、この赤い世界そのものが自分の身体になってしまったんじゃないかと錯覚する。 

 眼下にある肉体は指一つ動かせず、ひたすら祈る形で身体を丸めていた。

 暫くして俺はその身体が俺ではなくアキであることに気付く。

 彼女を包み込んでいるせいか、次第にアキの内から流れ出る思念が波紋となって俺へと入り込んできた。


 少女が震える身体で訴えかけてきたのは、俺が知らなかった過去。

 偉大な父への想慕、信じていた家族に向けられた刃、その強靭が刻み付けた心を抉る深い傷。


 そして、彼女が抱えるあまりにも巨大な恐怖と、それに抗うための不老不死というたった一縷の希望。


 俺がいとも簡単に捨ててしまおうとしたこの世界へ、焦がれる程に狂う程に向けられる執着を俺は初めて知る。


「アキは……俺のために手を握ってくれたのか」


 その手はこの世界と交われない俺にとって、いつだって頼もしい命綱だった。

 命綱で首を吊ってしまいそうなまでに死に急ぐ俺を、彼女は自分自身の魂へそうするように決して離しはしなかったんだ。


 アキ、俺にとってお前はこの世界で初めてできた帰るべき場所だったよ。

 旅立つことばかり考えていた俺たちに、戻りたいと思わせてくれた。また会いたいと感じさせてくれた。

 アキはこの世界に、俺たちの居場所をくれた。


 始まりは、他の人間と何一つ変わり無かった。

 自分たちには関係の無いもの。相手が俺たちと関わって泣くか笑うかなんて全く興味は無くて、自分の目的に近付けるのならどんな人間だって構わないと思っていた。

 それを変えてくれたのは、アキと一緒に居る時間が生まれて初めて純粋に楽しいと感じたからだ。


 只出ていきたかっただけの俺が生きるこの世界で、アキの声が遠ざかるのがとても寂しくなったんだ。


「だからもう泣くなよ」


 俺は赤い世界の外側へと存在しない手を伸ばす。


「アキが笑ってないと、俺はもう満足できないようにされちまったんだぜ」


 そして、伸ばした右手の握る刃が確かに何かを受け止めた。


 赤い境界の向こう側から何かが問いかけてくる。


「――キミはオレと同じだ! 居場所の無いこの世界から死んで解放される理由が欲しくて罪を重ねてきたんだろう!?」

「俺はもう気付いたぜ。――人は何かのために死んだりなんてしねぇ」


 答えにもう迷いは無い。


「人は何かのために生きるんだ。死に意味を求めるのは前に歩き続けることを諦めようとするお前自身の弱さだよ」


 視界が広がる。そこに、俺を見上げるアキが居る。


「ただいま。アキ」

「全部聞こえてるんですよ……バカ……!」


 いつも通り口の悪いアキの顔は真っ赤で、とても可愛らしかった。


「何故だ……限りある命のくせに、何度殺してもオレの前に立ちはだかりやがって……!」


 シヲは初めて会った時の凛とした美貌が別人だったように暗い感情で表情を歪め、背中に無数の屍を従える姿は最早人間には見えない。

 にもかかわらず、目の前の現実に手を震わせる様子は哀れみさえ感じる程弱々しかった。


「俺には手を引いて引き戻してくれる人がいる。お前が思ってるよりずっと強いんだよ。人間は」

「分かった風な口をきくな! オマエとてARMSの力で生き延びているだけに過ぎん。その思い上がりをオレが化け物の先輩として身体に刻み付けてやろう……!」


 シヲはぎこちなく笑みを浮かべて冷静さを取り戻すと、肩に担ぐ屍たちが掲げる剣を扇状に広げて臨戦態勢へと移行する。


錬天レンテン――空虚戦線ヴァニタスフロント


 彼の身体を中心に世界が真っ白に染まっていき、強烈な風と冷気が周囲をなめ尽くす。

 それは永遠なる知恵の円形劇場ラボラトリオにも似ていたが、どうやら異世界に飛ばされたわけではないらしい。

 周囲の地形は変わっていないし、俺たちが空へと落ちることもないからだ。

 俺は反射的に賢者の意志ウィルオウィスプでアキごと身を守っていた。


「此処は現世に降誕させたオレの世界――これより先はオレの一挙手一投足が作戦であり、火力であり、殲滅となる。我等第一分隊ファーストスクアッドの力を――ブレイズベルの伝説を知るといい」


 シヲが両手を合わせると、空中の水分が冷え固まって瞬く間に氷の剣が形成されていく。


死の舞踏ラ・ダンザ・マカブル


 無数の剣は彼が腕を広げると同時に弾幕と化し、吹雪と共に進軍してきた。

 俺はハロウィを構えると、ユーゴ―の聖徒会執行委員エクゼキューターを破った時の感覚を思い出す。


「――ぜあ!」


 速さに全力を割いた剣戟で刃の先を的確に砕き、絶え間ない攻撃の中に活路を探す。

 氷の剣に攻撃を任せる後方では、シヲが背中に展開していた棺桶を両手へと装着しているのが見えた。

 内部に格納された銀の骸骨は両手の剣を棺桶の先から突き出し、あたかも巨大な砲筒にさえ見える。


死を忘れるなメメント・モリ――光陰矢の如しテンプスフギト


 シヲの両手には二個一対の棺桶が装着され、残る八つの棺桶からは銀の屍が天へと剣を差し出す。

 そして不意に煌々と周囲を照らす光の奔流が天を割って降り注いだかと思うと、繁茂する十六の切っ先はその輝きを刀身へと取り込み始めたのだ。

 滞留する雷光を身に纏ったシヲは巨大な棺桶を此方に向ける。


 刹那、俺の肩が青白い射線に貫かれて弾け飛んだ。


「なにぃッ……!?」


 焦げ臭い香りが漂い、肩口から血が噴き出す。

 あまりの速度に賢者の意志ウィルオウィスプを纏った俺でも何が起こったのかを理解することさえできなかった。


 だが、冷静に状況を俯瞰していたアキがはっと口を開く。


「お前! これは電磁砲レールガンですよ!」

「レール……? 三行で説明してくれ!」

「超莫大な電力で電磁力を発生させて!

 電磁加速で超速くなった弾丸を!

 相手のゴールにシューッ! 超エキサイティン!!」

「なんか知らんがあの雷で加速した弾丸を撃ち出してるってことか!」


 あんなものを何発も食らったらたまったものではない。

 俺はアキを抱き抱えると、射線の通らない橋の下へと身を滑らせる。


「先生は錬天術レンテンジュツで発生させた雷のエネルギーをアゾット剣に吸収し、骸骨が持っている二本の剣を電極レールに見立てて氷の弾丸を高速投射しているんです!」


 アキは肩の傷を治療しながら詳しい原理を説明してくれた。


「最もそんな構築式を組み上げるなんて気が狂う程精密な作業が必要なんですけどね……!

 最強クラスの錬風術レンプウジュツ錬天術レンテンジュツがあって初めて可能になる技ですよ、お前!」


 そうしている間にもシヲは背後について砲口を俺たちに向けてくる。


「やべぇ……何か対策はないのか……!」


 賢者の意志ウィルオウィスプによる高速移動でも避けきれない速度。

 おまけにシヲの錬天術レンテンジュツによってもたらされるユーゴ―以上の機動力が相まって照準から逃れることさえさせてもらえそうにない。

 俺にできるのは、せめて致命傷を避けるための努力だった。


「――光陰矢の如しテンプスフギト


 再び砲火が噴き上がる寸前、俺は背中から伸びる尻尾を伸ばして前進へと螺旋状に巻き付ける。

 額を目掛けて正確に射出されていた氷の弾丸は尻尾に阻まれ、その白い金属で出来た肉を撥ね飛ばして抉る程度に留まった。

 それを見てシヲは冷静に次の一発を準備する。


「これじゃ時間稼ぎにしかならねえか……」


 飛び上がって橋の上に着地すると、アキがどうにも腑に落ちないと言いたげな顔をしている。


「何か思いついたか?」

「いえ、正直あれは反則だと思います」

「こっちが殴ったり跳んだり水出したりしてる中で一人だけやってることが複雑すぎるからな……そりゃ対処法も思い浮かばねえか……!」

「ですが気になることがあるんです。お前、先生が撃ち出してるのは確かに氷の弾丸ですか?」


 俺は自分の尻尾を見る。

 そこには既に溶け始めている氷の破片がざっくりと突き刺さっていた。


「間違いねえ! それがどうかしたか?」

「だとしたら、電磁砲レールガンの弾丸に使えるのはおかしいんですよ。あれだけの電流を流す手前発生する熱も尋常じゃない筈ですし、空気抵抗だってあります。それがお前に突き刺さる程の強度を持って飛んでくるなんてやっぱりおかしいです」


 確かに、氷はそんなことに使える程頑丈なものではないと俺も認識している。

 アキは真剣な表情で俺を見つめると、何かを託すようにこう言った。


「もう一度……ボクにお前の命を預けてくれませんか? 先生と対面してあの技を受けて欲しいんです」


 受けきるのに失敗すれば、命は無いだろう。


「任せとけ。特等席で見させてやる!」


 信じる相棒の提案に、異論などあろう筈も無かった。


 橋のど真ん中に陣取り、シヲを待ち受けるべく腰を落とす。

 下から登ってきたシヲはその様子を見て鼻を鳴らした。


「そう何度も偶然が続くと思うか? この能力はオマエ程度の術者に攻略できるものではない」

「やってみなきゃ分かんねえだろ。俺とハロウィの力を甘く見んじゃねーよ!」


 そうは言ってもこれ以上打つ手が無いのも事実だ。

 俺にとって戦闘とは錬丹術で飛び回りながら相手の隙を伺うというのが精々最大限の工夫で、アキのように術同士の相性を考えたりユーゴ―みたく自分の術に合った戦い方を考案するのは真似事も及ばない所である。

 だったらせめて何も講じずに学ぼうと、俺は思った。

 普段は身を守ることに向けている意志の力を排し、これから飛んでくるであろうシヲの敵意を全て受け止める。


「終わりだ――光陰矢の如しテンプスフギト!」


 シヲが無防備な俺に致命の弾丸を射かけた時、――俺の目に確かな異変が起きた。

 見えるのだ。砲口から放たれた氷の粒。その周囲を奔る電流の発光。そして、それらすべてを構築する不思議な記号の羅列が。

 その文字列は弾丸よりも速く俺の下へと吸い込まれる様に届き――

 俺の手の内で円環を成した。


 俺はその円を砲口に、目の前の射線へと狙いを定める。


「……光陰矢の如しテンプスフギト


 視界が再び鮮明になった時、交差する俺とシヲの視線の先で氷の粒同士がぶつかり合って地面に跳ねた。

 相対するシヲはその光景に目を大きく見開き、目に見えて困惑する。


「馬鹿な……今のはオレの術を……?」


 それは傍に居るアキも同様だった。


「コピーしちゃったんですか……!?」


 二人は何が起きたのか分からないといった顔だが、今の俺にはよく分かる。

 これは俺が初めから持っていた力。師匠とアキが教えてくれた俺自身のオリジナル。


「俺が持っている力は他人の願いを叶えることだ。腕贄として生まれて、俺とお前に定められた他人の願いの受け皿になるという運命。その具現化。初めて自分がそういうものだと知らされた時、俺は自分って存在が信じられなくなりそうだった。

 自分の意志とか、心の支えにしてきたものとかが本当は自分のものじゃなくて他人に植え付けられたものだとしたら、俺なんて本当は何処にもいないんじゃないかって思ったんだ」


 それこそ、もう死んで自由になりたいなどと思ってしまう程に。


「でもそうじゃなかった。師匠はちゃんと育ててくれたんだ。幾ら他人の意志が入り込んでこようが、決して失われることの無い俺自身の強い意志を」


 俺の身体の中で渦巻き、外界を遮断していた意志。それが今は俺の芯となって地に着く足を支えてくれる。


「俺は俺に与えられた運命という呪いを自分自身の在り方として昇華した――自分の強固な意志を器にして関わり合う全ての人間の願いを受け入れ、自分が歩む道を切り開くための剣に変える力。それが俺の賢者の意志ウィルオウィスプだ!」


 そして何より、俺とハロウィに初めて人と交わることを教えてくれたものがある。

 師匠から貰った目が、今はこれまでにない程強く輝いていた。


「その目……か……!」


 魔眼の放つ眼光でシヲを捉えた俺はハロウィを手に一瞬で懐へと潜り込む。

 シヲが背後の剣を下げて迎撃の体勢に入るよりも速く、振り上げた刃が彼の身体へ袈裟斬りに食い込んだ。


 ――だが、ハロウィがシヲを切り裂くことは無く、渾身の一閃は敵の体表で止まってしまう。


「くく……ふははははは! 所詮これがオマエの限界だ! 不死身のオレを倒すことなどできはしないんだよ!」


「いえ、そうでもありませんよ」


 俺の背後で腕を組んだアキがドヤ顔でそう告げる。


「ずっと不思議でした。先生にはボクの死して万胎の霊髄液アルカヘストもアーミテイジの錬金術も通じなかった。如何に先生が防御に優れた錬風術レンプウジュツの使い手とはいえ、あのレベルの術を完全に無効化するなんて不可能なんです。

 ただし、術を打ち消すのではなく術を受けても耐えられる状態へと物理的に変化することなら不可能じゃない。そう、絶対零度とかね」


 絶対零度。そのフレーズにシヲの勝ち誇った顔が強張る。


「凍結した物体は変化が緩やかになります。冷凍保存なんかもその応用ですよね。

 特に摂氏−273.15 °C:絶対零度と呼ばれる温度になると原子レベルの粒子振動さえも止まり、物質の変化は完全に停止する。完全な絶対零度であれば外部からのエネルギーも一切作用することは適わないとされています。ですが、原理さえ分かってしまえば――」


 アキが背中についた手から彼女の願いが流れ込んでくる。

 俺は無意識の内に自分の尻尾を噛み、その願いを受け入れた。

 瞬間、ハロウィから賢者の意志ウィルオウィスプと混ざって紅い稲妻と化した死して万胎の霊髄液アルカヘストほとばしり、刃を介してシヲの肉体へと流れ込む。

 冷えきった彼の肉体に熱が戻り、凝結した水分が解放され蒸気となって霧散していく。


「馬鹿なッ……! オレの……オレの不死身がッ……!」


「――ご視聴ありがとうございました」


 アキ渾身のキメ台詞と共にシヲの身体が切り裂かれ、鮮血がブレイズベルの空に弧を描いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る