【後編】天に乗り歩む屍
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Gate:Emethゲートエメス
-IMMORT ALCHEMISTイモウト・アルケミスト-
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空を見上げると、また雪が降っていた。
ブレイズベルの空は白く、エレナショナル大橋の下を満たす大河には薄氷が張っている。
俺が息を吐くと、白くて軽いものが空へと昇っていった。
空と雪が白いのはきっとこのせいなんだろうな、なんて俺は思いを馳せる。
「そんな所でぼーっとしてると風邪引くよ」
背後からサクサクと軍靴が積雪を砕く音と共に、壮年の男の声がする。
振り返ると、よく知った金髪の男が雪に濡れた眼鏡を拭きながらそこに立っていた。
くたびれた白衣を身に纏い、身体からは煙草の臭いが漂ってくる。
「雪が好きなのかい? シヲ」
「別に。他にすることも無いからこうしてただけだ」
「ややっ! そりゃ羨ましいな。オジサンはどうにもやらないといけない仕事が多くてね。うんざりして抜け出してきちまった」
「……またステラに叱られるぞ」
レミュエルという名の彼は俺の分隊に数か月前配属されてきた伍長で、名目上は俺の部下に当たる。
それでもこうやってタメ口で話しているのは彼が年上ということと、それ以上に元々軍の人間ではないというところが大きかった。
「手、真っ赤じゃないか。痛くないのかい?」
「ん……ああ。昔からみんなが言う『痛み』ってのが俺には無いんだ。軍のお医者さんは生まれつきの病気だって言ってた」
「そいつは難儀だなぁ。オジサンも一応は医者だが、そっちの分野は専門外だ」
「別にいいよ。痛みなんて無い方がいいだろ。この前リリパットのやつが階段から転げ落ちたのをすごく痛がってたけど、床中を転げ回ってまるで見ていられなかった。あんな目にあう痛みなんてものの方がよっぽど人間にとっての病気だと俺は思うな」
「そりゃ言い得て妙だな。だけど知ってるか? 痛みっていうのは人間が生きていく上で必要なものなんだぞ」
「へえ。じゃあ戦場でどうやって役に立つんだ?」
「簡単だ。痛い目に合う前にさっさと逃げちまおうって思える」
この男は一事が万事こんな調子だった。
軍の偉い人に聞かれでもしたらこっぴどく叱られるに違いない。
俺はレミュエルのことが嫌いというわけではなかったが、こんな軍人にはならないようにしようと心に決めていた。
「そういえば、今日はアーミテイジ中尉が来てくださるそうだ。なんでも大事な発表があるそうだよ」
「師匠!? 師匠が来てくれるのか!?」
「そうだとも。だからそろそろ兵舎に戻らないか? そんな真っ赤な手で握手したら中尉の手が冷えてしまうよ」
「戻る! 久しぶりだなぁ! また錬金術教えてくれるのかな?」
「……それはどうだろうなぁ」
レミュエルのはぐらかすような言い方が少し気になったが、俺はおよそ一か月ぶりに会える師匠のことが嬉しくてそれどころではなかった。
兵舎は橋の下に穴を掘って作られており、俺たちはエレベーターに乗って地下へと降りる。
扉が開くと、既に集まっていた仲間たちの姿が見えた。
「あ、やーっと戻ってきた! レミュエルさん、サボってばっかりだと困るんですからもー!」
オレンジの髪をした若い白衣の女が早速レミュエルに詰め寄っている。
俺から見た彼女はレミュエルの世話役みたいなもので、いつもああやって仕事をサボる彼を探してそこらを駆けずり回っていた。
「まあまあステラ。結果的にシヲを連れて帰ってきたからいいじゃないか」
「そうゆうのはラピュータさんたちに任せなさいっていつも言ってるでしょもー! アーミテイジ准教授が戻ってくる前にアルバスちゃんたちが採ってくれたデータまとめとかないとまたどやされちゃいますよ!」
ステラがレミュエルを奥の書斎へと引っ立てていき、すれ違いで奥からやって来た女性が俺の姿を見つける。
「あ、シヲ。帰ってきたんだ」
彼女は白衣の代わりに俺と同じく軍服を纏っており、俺の顔を見て優しく微笑んでくれる。
「聞いたぜラピュータ。師匠が戻ってくるんだって?」
「また師匠なんて言って。一応上官なんだから、本当はそんな呼び方じゃ駄目なんだよ」
「いいんだよ。俺と師匠は特別なんだから」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか少年」
少しハスキーで特徴的な声に振り返ると、いつの間にか帰ってきていた師匠がそこに立っていた。
女にも関わらずその身長は兵舎に居る誰よりも高く、豊かで長い黄緑の髪と鍛え抜かれた身体は自分と違う生き物のように美しい。
軍服の上から白衣を纏った彼女は悠然と近付いてくると、すっと屈んで俺の頬にキスをしてくれる。
「少年、また大きくなったんじゃないか? 男子三日会わざればというやつだね」
「一か月振りですよ師匠。また錬金術の修行つけてくださいよ!」
「ふふん、ところが今回はそうもいかないのだよ、少年」
師匠は近付けていた顔を離すと、ぱんぱんとよく通る拍手を鳴らす。
「
その音を合図に兵舎の至る所から兵卒たちが飛び出し、俺たちの居るホールへと集まってきた。
白衣を着た大人たちの中には妙に険しい顔をした人もいる。
俺を合わせて総勢十一名。それが俺の預かる
師匠は俺たちをぐるりと見渡すと、ゆっくりと口を開く。
「つい先程――此処から南東部のゴルドカスタ要塞防衛戦にて
結果、ゴルドカスタ要塞は壊滅。敵戦力の巨大生物兵器:カミは依然健在のまま、サンダルシア城下に進撃している。
これを受けてイェンドゥルピリーの総督府はこのエルナショナル大橋を最終防衛線とし、全兵力を挙げての総力戦を行う運びになった。
――その一番槍として、遂にARMSの使用許可が上から下りたよ」
俺は、思わず口角が上がった。
「つまり……俺たちの出番ってことですよね」
師匠は俺に視線を向けると、ふっと笑った。
「その通りだよ少年。敵の到着予定時刻は今から十二時間後。我々は間にあるグラバット山を攻撃開始ラインとし、分隊支援の下でARMSによる敵性存在の殲滅を試みる。その間にエズラ少将が率いる
その言葉を聞いた途端、兵舎全体が静まり返る。
俺にはその沈黙の意味が分からなかった。
やがて、レミュエルがゆっくりと口を開く。
「……分隊支援のみ、ですか」
「ああ。それがARMSの運用を認可する最低限の条件だそうだ」
「それは我々に死ねと言っているのと同義ですよ。師団規模でも侵攻を食い止められなかった化け物相手にたったの一個分隊で何ができるというんです?」
「只の一個分隊ではないよ。これはARMSという一つのシステム。そして君たち分隊員はARMSという兵器を正常に運用するための付属部品だ。そんなことはこの任務に就く前から説明したと思うけどね」
「……でも、こんなのARMS諸共私たちを捨て石にするようなものじゃないですか!」
ステラも悲鳴に近い声を上げる。
師匠は悲壮感に包まれた兵舎を一瞥した後、俺の方を見た。
「少年、君もそう思うかい?」
「思いません。俺が敵を殺せば誰も死なずに済む。前線が壊滅したのは、
「シヲ、そんな言い方――」
レミュエルが声を張り上げると、無言で前に進み出たラピュータが手でそれを制止する。
「我々ラピュータ班は分隊長と同じ考えです。味方にこれ以上の被害を出さず、任務を遂行することが我々
師匠はその言葉に頷くと、白衣を着た隊員たちに身体を向ける。
「もしこの中で逃げ出したい者がいるのなら、私はそれを咎めない。正式な手続きを踏んで除隊を許可しよう」
そして彼女は俺の頭に綺麗な手をそっと置いた。
「少年が死ぬ時は私も一緒に死んであげるよ。不満かい?」
「俺は死ぬのなんてなんとも思いませんよ。足手纏いになる気は更々ありませんけどね」
その様子を見ていたレミュエルは、大袈裟に金髪を掻いた。
「あのねぇ……そんなのを見せられたら我々も引くに引けないでしょうが! 大体我々研究員のメンテナンスも無しでどうやってシヲを行かせろっていうんです。自分の作品には最後まで手をかけるのが錬金術師というものでしょう」
他の研究員たちもやれやれといった様子で頷くと、揃って俺に敬礼を向けた。
「我々レミュエル班も作戦に参加しますよ。准教授にまで死なれちゃこれまでの苦労が水の泡ですからね」
この時の俺は、彼等のした決断の重さなどまるで理解していなかった。
自分には力があって、選ばれた存在で、特別なもので。それについてくるのが当たり前だと思ってさえいた。
だって俺は知らなかったんだ。痛みを。その先にある死を。
配置が完了して、俺たちの視界に漸くカミの姿が映った時。
ラピュータは生まれて初めて俺の前で泣いた。
「そんな……あんなのだって聞いてない……!」
俺たちが山の頂上から見たのは、この世に浮かび上がってきた地獄だったんだ。
見覚えのある街並みが、ブレイズベルの真っ白な空が、全て業火の輝きをひっくり返したような漆黒の火柱に飲まれている。
カミと呼ばれたその存在はグラバットの山へと掴みかからんばかりに巨大で、大量の触腕に覆われた醜怪な身体の中心に鎮座する濁った緑色の目玉が俺を見つめていた。
最初に死んだのはステラだった。
突如怪物が咆哮したかと思うと、その目玉から涙のように漆黒の炎が溢れ出す。
その散り端は火炎弾となって降り注ぎ、目の前で絶叫するステラに影を落としたかと思うと一瞬で彼女の全身をミンチへと変えたのだ。
それが俺の生まれて初めて目にした死というものだった。
「は……? おい、大丈夫かよステラ」
「シヲッ! 助けて! このままじゃ皆死んじゃうよ!」
耳元で半狂乱になったラピュータの声がする。
俺がそうしている間にも、そこら中で仲間たちが黒い炎に押し潰されて次々と死んでいた。
「落ち着けって。射程距離に入るまでここで待てって命令だろ」
「命令!? そんなのどうだっていいじゃない! 皆死んじゃうんだよ!?」
「大丈夫だって。ちゃんと兵舎まで持って帰れば師匠が治してくれる。俺がこの前爆弾で足をやられた時だって――」
「それはあんたが化け物だからッ!!」
彼女は涙を流しながら叫ぶと、俺から目を離してレミュエルの下へと走っていく。
レミュエルは潰れたステラを見下ろして呆然としていた。
「レミュエルさん、撤退しましょう! こんなのはもう作戦じゃありません!」
「……そうだな。君たちは早く下山するといい」
「何言ってるんですか! レミュエルさんも逃げないと!」
「オジサンは行かないよ。オジサンが下山したら誰がシヲのメンテナンスをするんだ? オジサンとステラちゃんにしかできないっていうのに」
ラピュータはぐっと唇を噛むと、そのまま走って去っていく。
「おいおい、自分から言い出しといてなんだよ……」
俺が呟いた刹那、視界の中で黒い炎を頭から浴びてラピュータはぺちゃんこに潰れた。
彼女の背骨が真っ二つに折れて、見覚えのある形状が歪なものへと変わった瞬間を直視した俺は言いようのない不快感を覚える。
「ったく……大丈夫かよラピュータ」
俺が彼女に駆け寄ろうとした時、手でそれを遮ったのはレミュエルだった。
「よせ。彼女はもう死んでる。何をしたって意味は無いよ」
「死んだってちゃんと回収してやれば治せるだろ。まだ敵が射程に入るまで時間があるじゃないか」
「治らないよ。シヲ、人間はね、死んだらそこで終わりなんだ。今朝みたいに話をすることはもう二度とできないんだよ」
「何言ってんだよ。まだそこに居るんだから話なんていくらでもできるだろ」
「……もうそこには居ないんだよ。そこにあるのは人間じゃない。魂を失った屍だ」
「話せない……? 屍ってなんなんだよ……!」
俺の質問に、レミュエルは震える声で答えてくれた。
「自分の意志を……失ったものだ……!」
刹那、俺たちの頭上に巨大な闇の塊が降り注いでくる。
俺がその存在に気付くよりも早く、レミュエルは印を結んで俺の身体を吹き飛ばしていた。
地面に落ちる影が、此方を見るレミュエルの姿が遠くなっていく。
そして、彼はこう言ったのだ。
「死を……忘れるな」
暗幕が下りる。
そこから先のことは、もうあまり覚えていない。
少なくとも、俺が知っている誰かが死ぬことはもうなかった。既に皆死んでいたから。
皆が死んだのは、死を知らなかった俺のせいだ。
だから死を忘れるな。
死を忘れるな。
シヲ、ワスレルナ――
瞼を開けると、
そこにはあの頃と同じで美しいままの師匠が剣を振り被っていた。
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