【前編】天に乗り歩む屍
ミスカトニック大学。その教授という地位。
錬金術の世界の頂点に君臨する存在を、俺はよく知らなかった。
だから甘く見てしまったのだ。
自分も同じ錬金術師になれば勝てる相手に違いないと。
認識を改めろ。
自分の無知に胡坐をかくな。
目の前で起こる全てに対し、万端の覚悟で臨め。
急げよ。目の前に死が迫ってくる。
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Gate8
天に乗り歩む屍
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シヲがその両手を大きく開くと、彼の身体を中心にして周囲の景色が揺らいでいく。
得体の知れない何かに世界が飲み込まれていく光景は、この世の終わりにも感じられた。
「こんなのも……錬金術だってのかよ!」
俺は迫りくる固有並行世界に対し両手を突き出す今の自分にできるあらん限りの精神的抵抗を指へと込める。
「――
黄緑の炎は指に纏われて巨大な爪の形を成し、俺たちを飲み込まんとする地獄の入口へと食い込んだ。
包み込まれた全身が足場の所在も分からない天空に投げ出され、恐怖で気が狂いそうになる。
「死んで……たまるかよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
左右に切り開いた爪の痕から黄緑の炎が蒼穹へと広がり、あっと言う間にまやかしの地獄を灰燼へと変えていく。
そして、俺たちは何事も無かったかのように橋の下で立っていた。
シヲは無言で、しかし信じられないという表情で俺たちを見る。
「どうだシヲ……破ってやったぜお前の切り札!」
「超すごいということはハッキリ言って否めませんよ! どういう原理なんですかこの術……」
「俺が知るかよ。そういうのはアキの得意分野だろ」
「ま、しゃらくさい原理なんて無い方がお前らしいっちゃお前らしいですけどね」
二人でわちゃわちゃと喜んでいると、シヲはふっと口元を綻ばせる。
「ARMSの意志と腕贄の意志を同調させることで、生身でありながらARMSの持つ強大な意志の力を行使できるのか……それも腕贄の意志を保ったままで。腕贄とARMSが仲良しこよしとは、反吐が出る存在だな」
シヲは何やら分かったような口を叩いている。
その様子を確認したアキは、はっと何かに気付いた。
「あの目……まさか噂に聞く
魔眼。そのフレーズには俺も聞き覚えがある。
ユーゴ―もナントカという魔眼を使っていたからだ。そう思えば、ユーゴ―のオレンジに輝く目とシヲの赤い目はどこか似ていた。
「魔眼というのは天の属性における奥義の一つですよ。“天の意志を見る者”や“世界法則の観測者”なんて呼ばれたりもします。その本質は構築式の可視化で、物質を構築している情報という本来ならば形の無いものを視認し、理解することが可能なんです。
お前、ボクが買ってやった
「おう。何なら今も持ってるぜ」
「いいです。あれは自分の錬成圏外で発生した構築式を視覚化するための道具なんですよ。真っ当な術師であれば自分の錬成圏内に存在する構築式であれば視覚化することが可能なんですが、
魔眼っていうのはそれのハイブリッド強化版で、射程は視界に入るもの全て。射程も範囲も理論上制限がないんです」
「理屈はなんとなく分かったけどよ、構築式が見えるってそんなにすごいことなのか?」
「魔眼の質にも依りますが――先生の持つ魔眼エウレカは超ヤバいですよ、お前。こっちの持ってる術は一度見られたらあらゆるスペックを暴かれちゃうと思ってください」
アキはそう言うと、胸の前で素早く印を組み上げる。
「但し――この術ならば話は別です!」
天地を返した三角の印から放たれた鉄砲水がシヲを叩き、巨大な水飛沫を上げる。
「相手が自分の使った術と同じ元素の術を使えればエウレカで読み取った構築式を逆算して無効化してしまうことが可能ですが、先生は水の元素を苦手としてます。ならばボクの独壇場ってワケですよ!」
得意げにアキが言い放った刹那、突如として巨大な何かが水飛沫を切り裂いて空中へと飛び上がる。
それはシヲが肩に背負った分厚く巨大な鋼鉄の翼だった。
「――
「アゾット剣……!」
アキは歯噛みし、無傷のシヲを見上げる。
「あれもアゾット剣だってのか? 何でもアリだな……」
「お前のだってまともなのは見た目だけでしょ!」
「俺のはアゾット剣なんかじゃねーよ! ハロウィだ!」
「ハッハロウィッ!?」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ俺たちをシヲは空気の上に立って見下ろしながら、美しい手捌きで印を結ぶ。
「
目も眩む閃光が周囲を照らしたかと思うと、それに紛れて無数の火球が散弾式に発射される。
その一発一発がかつてアキの放った
「どわあああっ!」
躱し切れないと判断した俺は
俺は呻き声を上げながら地面を転がり、なんとか体制を立て直す。
「アキ、無事か!?」
周囲を黒煙に塞がれながら叫ぶと、大量の水が熱と煙を洗い流してくれる。
「誰に物言ってんですか。お前みたいな無様は晒してませんよ!」
相変わらずの憎まれ口だが、この状況にあっては頼もしいの一言に尽きる。
二人ともやり過ごせたのは僥倖だが、どうやらシヲは褒めてくれそうにないみたいだ。
見上げた先では既に印を結び終わっており、大気に彼の意志が満ちる。
「
俺たちを叩いたのは、落雷だった。
攻撃を受けたことに気付くよりも早く、焼かれた地面が焦げ臭い蒸気を放つ。
俺は全身に激しい痛みを感じながらも、自身の表皮が焼かれたわけではないことに安堵する。
そして一瞬遅れてアキのことが脳裏を駆け巡った。
「アキッ!?」
すぐ傍ではアキが
そのまま膝から崩れ落ちた彼女を、俺は咄嗟に両手で支えた。
「やられた……ボクの
「おいっ! しっかりしろよ!」
身を寄せ合う俺たちの頭上で、シヲは渇いた笑い声を上げる。
「苦しませずに殺してやろうと思ったが、少し急ぎ過ぎたか。威力が不十分だったな」
「お前……自分を慕ってる生徒にこんなことしてなんとも思わねえのか!」
「生憎、死を理解しようとしない者に受けさせる講義は無いものでな。お前も死を忘れるな。このオレの講義を受けたいのなら」
「願い下げだぜ……三流講師が!」
俺は思いっきり息を吸い込むと、シヲの立っている上空目掛けて思いっきり黄緑に輝く炎を噴きつけた。
当然だが、この炎に温度なんてものは無い。そんなことをしたら真っ先に俺が焼け死んでしまうからだ。だから浴びたって精々眩しく感じる程度だろう。
だが、それだけの効果があれば俺たちは身を隠すことができた。
「なんとまあ贅沢な使い方だな……」
シヲは赤い目を光らせて周囲の様子を探っている。
だが、すぐには見つからないだろう。
俺たちが逃げ込んだのは、ブレイズベル河の中だった。
アキがシヲの持っている術は大量の水で無力化できると言っていたのを思い出したのだ。
彼がアキの撃ち当てた水をわざわざ切りはらって逃れていたのも俺の判断を後押しした。
アキが窒息死しないように彼女の身体を
突発的な作業だったが上手くいったようで、アキも弱々しくだが呼吸をしてくれていた。
「おにい、これからどうするの……?」
「悔しいけど一旦逃げるしかねえ……アキを死なせないことが最優先だ」
「ちょっと……なに弱気なことを言ってんですか」
きょとんとする俺の前で、アキが突然息を吹き返す。
その身体からは先程まであった傷が綺麗さっぱり消え去っており、俺は一瞬幻でも見たのかと思った。
アキは自分の身体を見ると、置かれている状況に気付いたらしい。
「成程……お前の能力が少し理解出来てきました」
「能力って、この炎のことか?」
「ええ。それは炎と言うよりお前たちの意志そのものですけどね。要は
尤も、意志の力が濃すぎるせいで炎みたいに光ってますけどね。超異常ということはハッキリ言って否めません」
「人を変なヤツみたいに言うなよ……」
「ツッコみませんよ。お前の能力はズバリ、他人の願いを叶える力です。先生のエウレカによる分析とボクの実体験で確信に至りました。
お前は他人が発する意志の力を取り込んで自分の意志として出力しているんですよ。それがお前の持つ意志の力と相まって願いを叶えると表現してもハッキリ言って否めない程に強力な術になっているんです」
俺はその説明を聞いて師匠の言っていたことを思い出した。
『私が
それがそのまま俺の能力になっているということか。
「待てよ、俺は自分の願いだってこの力でポンポン実現してるぜ? 今だってそうだ」
「お前の意志じゃありませんよ。居るじゃないですか。お前の傍に、誰よりもお前の意志を理解しててお前のことを思っている人が」
「……ハロウィ!」
「ンへへ……ばれちった!」
ハロウィの声が俺の脳内で照れくさそうにこだまする。
「お前とハロウィの意志はアゾット剣を抜刀したことで限りなく一つに近い状態に同調しているようです。それによってお前の意志がハロウィの意志となり、お前の能力によって実現しているという仕掛けなんですよ、お前」
「つまりは兄妹の愛の力ってわけか……!」
「やーン! おにいったらぁ! 愛してンじぇ……」
「フッ、俺もだ妹よ……」
「やってる場合ですか! とにかく、これでボクたちにも勝機が出てきましたよ。お前たち兄妹の力、ボクに預けてくれませんか?」
俺たちは一も二も無く頷いた。
「当り前だ。最初っからそのつもりだぜ!」
「あい!」
水面を割き、俺はアキを抱えたまま水上へと飛び上がる。
その姿を捉えたシヲは、意外そうな顔を浮かべた。
「ほう……逃げたんじゃなかったのか」
「生憎と巻ける尻尾が無いんでな!」
叫びながら俺は息を吸い込むと、シヲに向かって再び
それも今度は一固まりではなく、数個の火の玉に分けてだ。
目晦ましにもならないそれに対しシヲは怪訝な顔をする。
「……フン」
対策としてシヲが選んだのは
それも普通のものではない。あまりの強力さに、俺は一瞬彼が巨大な水晶玉に包まれたのかと錯覚した。
内部に固有の並行世界を作り出せる程の
案の定、意志の防壁に阻まれ押し退けられていく
「いきますよ……
アキが俺の背中に手をついて高らかに詠唱すると、シヲの周囲にあった全ての光球が炸裂する。
そして、真っ赤な瀑布がその場の全てを一瞬にして飲み込んだ。
「
ありとあらゆる物質を飲み込み分子レベルにまで分解する……殺しはしないまでもそのアゾット剣ごと無力化させてもらいますよ、先生!」
血の如き赤い水が剣はおろかあらゆる術まで崩壊させ、純粋な状態へと帰す。
その洗礼にシヲが溺れている頭上で、俺は拳を振り被った。
「歯ァ……食い縛れッ!!」
空中で発火した身体は拳を矢じりに光の矢と化し、流星の如くシヲの身体を貫く。
――筈だった。
突然腹部に生じた違和感。
俺はぎこちなく震える身体を丸め、なんとか自分の腹を見る。
そこには、しわがれた腕に握られた細身の刃が深々と突き刺さり、黒いインナーに温かい染みを作っていた。
俺は喀血し、そのまま視界が滲んでいく。
「ああ……随分と久し振りだな。――
最後に聞こえたのは、遠くなっていくシヲの声だった。
「死を忘れるな――オレたちが、
シヲの双肩に背負われた無数の翼。
あれは、悪魔の翼なんかじゃなかった。全て棺だったんだ。
彼の背に負われし棺から起き上がった十体の屍たち。その全てが双刀のアゾット剣を天高く掲げていた。
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