【後編】これはNTRですか?

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 Gate:Emethゲートエメス

 -IMMORT ALCHEMISTイモウト・アルケミスト-

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「ふーん、酷い所だねこりゃ」


 突然現れた黄緑色の髪をした長身の女は開口一番そう言った。


「少年少女だけで住んでるのかい? お母さんは?」


 彼女は自分に知る権利があると言わんばかりに尋ねてくる。


「……もういない。扉を開けてこの世界から出なくちゃ、母さんには会えない」

「へぇ。誰かがそう言ったのかな?」


 出会ったその瞬間から、俺は彼女が気にくわなかった。

 それは多分、とても綺麗だったからだ。

 埃に塗れ、痩せこけた俺とは違って身体は美しい衣服で包まれ、胸だって信じられないぐらいに大きい。

 俺は生まれて初めて自分と誰かを比べ、自分自身を惨めに感じたのだと思う。

 だから、彼女の質問には答えなかった。


「やれやれ。美人は子供に嫌われる、なんて言うけど本当だね。……ところで、その目はどうしたんだい?」


 俺の右目が塞がったのは、その少し前。

 ハロウィを家に置いて一人で外へ出かけた日に、野犬に襲われて大怪我を負った時の傷だ。

 あの日は確か、月の明るい夜だった。


「……犬に、やられた」


 答えたのは、意地に近い感情だ。

 こうなったのは仕方のないことだと言い訳するようなもの。

 とにかく俺は生まれて初めて会った母さん以外の人間、美しいものに負けたくなかった。


「やっぱりあいつらか……うん、始末しておいてよかった」


 彼女はよく分からないことを呟くと、その綺麗な顔を思いっきり近付けてくる。


「ねえ少年。私の目、好きかい?」


 ますます意味が分からない。俺とハロウィはお互いが知っているもののことしか話してこなかったから、尚更だ。


「好きって言うのはね、欲しいってこと。嫌いって言うのはね、要らないってこと」


 彼女はまるで宝物でも見せるように、自分の透き通った眼球を俺に見せてくれる。

 思えば、それは俺が生まれて初めて抱いた「欲しい」という気持ち。自分には無いものに対する渇望だった。


「……好き」

「うん、いいよ」


 正直、彼女がどうしてそうしたのかは今でも分からない。

 俺の額に自分の温かいおでこをくっつけたかと思うと、塞がっていた右目の内側が感じたことの無い熱さに襲われた。


「あ゛っ……!」

「動いちゃ駄目。私を信じて」


 熱に耐える俺を彼女は力強く抱きしめると、柔らかな身体で俺を包み込んでくれる。

 どのぐらいの間そうしていただろう。

 熱さが収まった頃には俺の右目は開くようになっていて、

 彼女の右目からは真っ赤な血が涙のように流れていた。


「どう? 私からのプレゼントだ」


 その痛々しい血が美しいと感じてしまう程ににこやかな笑顔で彼女はそう言った。


「その目……どうして……!」

「これで少年とおそろいだね。あ、でも今はちゃんと両目があるのか。――じゃあ、こっちがお揃いだ!」


 彼女が指さした残った左目に映っていたのは、黄緑色に輝く俺の右目。

 新しい目は俺の代わりに感情を表してくれるかの如く、止めどない涙を流していた。


 そこからだ。俺たちと彼女の共同生活が始まったのは。


「……母さん、食べられそうなものあったぞ」


 当時の俺にとっては自分とハロウィ以外のものは母さんしかいなかったから、俺は彼女をそう呼んだ。

 彼女は白い眼帯を着けながら不思議そうな目で俺を見る。


「少年、私は少年のお母さんじゃないよ。少年が言ったんじゃないか、母さんにはもう会えないって」

「……じゃあ、何て呼べばいい」

「そうだね、それじゃあ師匠ってのはどうかな。言ってみな」

「……ししょー?」

「んー! 少年はかわいいんだから!」


 師匠はとても物知りだった。ものの呼び方や使い方、俺が聞けば何でも答えてくれる。

 だから、俺は師匠に尋ねてみた。


「ハロウィのことは、本当は何て呼べばいいんだ」

「ハロウィ? 誰だいそれは」

「俺の隣に居る、このコ。小さい頃からずっと一緒だった」


 俺が指で示した空間を見て、師匠は眉根を寄せる。


「んー、そこに誰かいる? 私の目、普通よりもいろんなものが見える筈なんだけどなぁ」


 ハロウィが俺以外の誰にも、おそらく母さんにも見えていなかったことを知ったのはこの時だった。


「ハロウィは……男の子? それとも女の子?」

「男の子って何だ」

「うーんとね、少年に似ているなら男の子。私に似ているなら女の子だ」

「だったら……きっと女の子かな。師匠みたいにおっきくはないけど」

「思いっきり乳を見て言ったね少年……ンッ! だったら、ハロウィは少年の妹だよ。そして少年はお兄ちゃんだね」


 いもうと、と口ずさむ俺の横で、ハロウィが「おにい!」と俺のことを呼ぶ。


「だったらハロウィのことは妹って呼べばいいのか?」

「ううん、ちゃんとハロウィって呼んであげな。今までずっとそうだったんだろう?」


 師匠は窓の近くにあった椅子に腰を下ろすと、青く澄み渡る空を見つめていた。


「少年、この世界にはこうしなきゃいけないとか、こうした方がいいなんて正解は無いんだよ。

 ……いや、まだ見つかっていないと言うべきかな。私たち錬金術師はそれを追い求める生き物だからね」

「……錬金、術」


 一緒に暮らす中で師匠は少しずつ、俺に錬金術を教えてくれた。

 尤もそれは俗に言う錬金術とは違って錬丹術というよく分からないもの、そして修行という名の家事だったのだが。


「いいかい? 錬金術っていうのは台所から生まれたんだ。いい錬金術師になるにはいい料理人になることから。今日から毎日私が少年の料理の腕前を見てあげるよ」

「料理なんてやったこと無いんだけど……手本とか見せてくれねーの?」

「な、ななな生意気言うもんじゃないよ! 私の料理を知ってしまったら少年の成長の妨げになっちゃうでしょ。

 ほら、固定観念的なサムシングがエニシングしちゃってさ。料理には柔軟な発想が不可欠なんだよ少年」


 料理以外にも掃除、洗濯といった家事全般。

 その合間には座禅を組まされての精神修行、それに師匠との組手。


 修験者のような日々をこなし、数年が過ぎた頃には料理もすっかり現在と変わらぬ腕前になっていた。


「うーん、美味しい! この料理どうやって作ったの!?」

「庭で採れたオクラを塩茹でして味付けした牛肉で巻いてみた。暑いから清涼感のあるものがいいかなと思って」

「オクラねぇー! そっかぁ、肉と合うんだねぇー!」

「……師匠、なんかまた乳がデカくなったんじゃねぇ?」

「し、失礼な! レディに向かってそんなこと言っちゃ駄目だよ! これはその、少年の料理が美味しすぎるせいなんだから!」

「女は美味いものを食うと乳がデカくなるのか……」


 錬丹術の修行も順調で、この頃には自分の身体を頭の中で想像した通りに動かせるようになっていた。


「いいかい、錬丹術において一番大切なのは自分と外界とを切り離すことだ。

 東方では錬丹術のことを人間を極めるための術なんて言ってね。外界との接触を断つために山に籠って霞を食べるような修行をするんだよ」

「霞を食う? そんなのがどうして人間を極めることに繋がるんだよ」

「要は周りのものを一切己の中に入れなくなるってことさ。全てを己の中だけ――自己だけで完結させてしまうんだ」

「ふーん……なんだかバカみてぇな話だなぁ……」

「案外そうでもないさ。錬金術の目指すところは自己という存在の完成。世界という存在と自分自身を合一させることにある。

 錬金術のシンボルにも面白いものがあるんだよ。己の尾を噛む蛇っていってね」

「……自分の尻尾を食って生きてる蛇ってことか?」

「そう。このシンボルは古代において世界を表す絵画にも使われていたんだ。世界は己の尾を嚙む蛇に囲まれていて、その上に亀が一匹、またその上に象が三匹。一番上に半球状の世界が乗っかってるって具合にね」

「世界は象の上に乗っかってんのか……?」

「ふふ、いつかその目で確かめに行くといいよ。なにしろまだ誰も確かめたことなんて無いんだからね。

 己の尾を噛む蛇っていうのはこの世界の循環を表す記号であり、無限という概念――つまりは不老不死の象徴でもあるんだ」


 師匠とそうやって話している時間は本当に心地よくて。

 いつしか真っ赤だったハロウィの瞳は黄緑色に変わっていた。

 俺はその色が本当に好きだった。

 永遠に見ていたい。そんな風に思える程に。


 だけど、何にだって終わりはやってくる。

 俺にとって人生で二度目に経験した終わりは、師匠と二人で話した夜だった。


「少年、此処までよく頑張ったね」


 師匠はそう言って俺の髪をくしゃりと撫でた。

 その感触を指に刻み付けておくかのように。


「私はね、少年ならやり遂げてくれると信じているんだよ」


 師匠は本当に綺麗だ。その姿は今だって鮮明に思い出せる。

 それはきっと、あの言葉が一緒に綴ってあったから。


「ウィル。少年の名前はね、“意志”って意味なんだ。私が愛した少年の意志を――絶対誰にも奪わせないで」


 そう言って、師匠は俺の額にキスをした。


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 一度目の終わりは師匠が救い上げてくれた。

 二度目の終わりは進むべき道があった。

 三度目の終わりは――遂に足が止まってしまった。


「師匠にまた会えてよかったね」

「ああ。それだけでも此処まで来た甲斐があったよ」


 終わりが来る時には、いつだって二人ぼっちになる。

 今になって俺は漸く理解した。

 俺たちに必要なのは、二人だけで生きていくことだったんだ。

 自分たちだけで完結すること。

 そうすれば、もう終わらずに済む。何も失わずに済む。

 師匠が授けてくれた力はきっとそのためにあったんだな。


「……ありがとう、師匠」


 俺は立ち上がった。雨はもう止んでいる。


「行くの? おにい」

「ああ。もたもたしてたらアキが戻ってくるかもしれねえ。そうなる前に橋まで行こう」


 ハロウィは実体化を解き、窓へとよじ登る俺の後を浮遊してついてくる。

 伸ばした手が窓の淵にかかった時、彼女は不意に叫んだ。


「おにい! 外、すっごく嫌な気配がする!」


 その言葉の意味を理解した俺は窓へと飛び込み、錬丹術を発してできるだけ高く跳躍する。

 その眼下には、見知った巨大な体躯があった。


「ウィルバー・ウェイトリー! こんな所に隠れていたか!」


 ユーゴ―は俺たちを目視すると、胸の前で素早く印を結んだ。


錬天レンテン――トビ!」


 只の跳躍が彼の周囲に莫大な気流を巻き起こし、その身体を宙へと飛ばす。

 此方へ狙いを定めて接近してくる姿は人間ミサイルそのものだった。


「空飛ぶって……マジかよ!」

「どうやってあの高さから助かったのかは分からんが、今一度俺の手で叩き落してやろう!」


 俺の跳躍をあざ笑う速度で肉薄したユーゴ―が繰り出す拳に対しハロウィの腕が割って入り、空中で交差する。


「――ぐっ!」


 ユーゴ―の一撃は踏ん張る土台が無いとは思えない程重く、宣言通り俺たちは軌道を眼下の地面へと叩き直された。

 幸い高度は窓より少し高い程度。落ちても死ぬことは無いだろうが――


「安心したまえ。地面に着くより前に楽にしてやる」


 頭上で上体を振り被る彼の手には巨大な馬上槍:逆巻く廻天アンチテーゼが握られていた。


「さらばだ――弱き錬金術師よ!」


 その剛腕から放たれた穂先がゆっくりと迫ってくる。

 先程までの理解が追い付かない攻防は何だったのかと思わずにはいられなかった。

 いざ直面してみれば案外冷静なものなんだな。……これが死か。

 負けて死ぬというのは、思っていたよりも悔しくはなかった。


 「へっ……気持ちではお前なんかに負けてないってことだな」


 少し締まらない終わり方だが……これはこれで楽かもしれない。

 ああ。もう歩くのには疲れてしまった。


 目の前が、共に落ちるハロウィの長い髪で埋まる。

 俺はその身体を抱きしめようと両手を広げた。

 悪くない最期だ。心の中でそう呟く。


 だからハロウィにその手を振り払われた時、俺はびくりと身体が震えた。

 正確には振り払われたのではない。大きく広げた彼女の手が俺の手に当たったのだ。


「おにいは……おにいはあたしが守る!!」


 白く細い手が槍の穂先を掴み、肉を削られながらも必死に抑え込む。


「ハロウィ!?」

「おにいはいつだってあたしを守ってくれた! いつだってこンなあたしの居場所になってくれた!」


 その手が藻屑と化そうとも、彼女は決して手放そうとはしない。


「あたし、気付いたンだ! 自分の居場所さえあれば、いつだってそこが自由だってこと!!」


 ハロウィの手が崩壊し、回転する穂先がその身体を穿つ。

 その威力を浴びた俺たちは地面に叩き付けられ、勢い余って砕かれた床石の粉塵に飲まれた。


「……ふん、粋がってみせても所詮はこれが結果だ。力の無い者には何一つ成せはしない。それがこの世界の法則である」


 ユーゴ―は地面に降り立つと、仕留めた獲物の死体を確認すべく煙を掃う。


「違うぜ。この世界に定められた正解なんてねぇ」


 その先に奴は見ただろう。

 解けた眼帯の下から黄緑に光る俺の瞳。


「――おにい、確かめに行こう。あたしたちだけの正解を」


 そして、俺の手の中で一振りの剣となって輝くハロウィの姿を。

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