【後編】絶対にバレてはいけない図書館24時

死霊秘法書ネクロノミコン……なるほど、そういうことですか」


 アキは目を細めて呟くと、周囲を警戒する仕草を取る。


「お前、その名前は此処じゃ二度と出さないことですよ。

 そいつは禁書です。個人が保有しているだけで禁忌に触れる最悪の錬金書ですから」


 つまりは、それを求めることもまた禁忌と言って差し支えないだろう。


「……俺は捕まえなくてもいいのか?」

「何です、捕まえて欲しいんですか? 心配せずともお前がそれを手に入れたらその瞬間に捕まえてやりますよ」

「つまりそれまでは見逃してくれるってことか。ありがとな、アキ」


 礼を言うと、アキはそっぽを向いて歩きだした。


「別に。お前を捕まえてもボクに大したメリットはありませんから」


 その後ろについて歩いていると、彼女はおもむろに話し始めた。


「ボクの目的はトリスメギストス学派の教授を検挙して失脚させ、とある人物を教授の座へと就かせることです」


 あまりに突拍子の無いその内容に俺は目を丸くする。


「シヲ・“ブラックチェンバー”・リヒトハウゼンを知ってますか?」

「初耳だな」

「ふん、でしょうね。リヒトハウゼンは錬金大戦で活躍した英雄です。大戦時には年端もゆかぬ少年だったにも関わらず天才錬金術師として戦線に参加し、僅か一個分隊を率いて一個師団を壊滅させたと記録されています」

「分隊……? 師団……?」

「十人で一万人を叩き潰したということです。まさに一騎当千ってやつですね」

「そりゃすげえな……化け物だ」

「ボクは彼を尊敬している……だから教授になるための道を舗装してあげたいんです。アーミテイジが教授の座から退けば、トリスメギストス学派は彼を迎え入れざるをえませんから」

「詳しいことは分かんねえけど、ウチの師匠って嫌われてんだなぁ」

「学派同士の覇権争いってやつですよ。学派の強さは国家から支給される予算にも強く影響してくるそうですから。

 アーミテイジはかなりやり手の錬金術師ということもあって他の派閥からは疎まれているんです」


 アキが俺と手を組む気になったのはこれが理由だった。

 確かに、師匠と縁のある俺は一生徒が教授へと接触するには有力な手札になる可能性がある。


「お互い無事に目的を果たせるといいな」

「……ふふっ、本当に変わってますよね。お前って」


 言葉を交わしながらも俺たちは階段を上り、高層へと向かっていく。

 教授――特にハリエッタ・アーミテイジと会うのは簡単ではない。

 それは師匠の勤務する図書館が国家の最重要機密保管施設として機能しているからだとアキは言っていた。

 正規の学生ではない俺は勿論のこと、アキであっても特別な許可無しに会える相手ではない。


「ですから、これを借りてきたんです」


 アキが手に持っていたのは小さなカードキーだった。


「これは職員用のカードキーです。先日の請願書を使って聖徒会づてに借りることができました。これがあればエレベーターに乗って図書館最上部の管理職員が勤務するロビーまで行くことができます。

 後は受付でお前の名前を出してアーミテイジが応じてくれるかどうかですね。今とれる中で最も現実的な手段だと思います」


 あの日、聖徒会の男がこんな便利なものを寄越してくれたのは本当に都合が良かった。


「因みにあれがなかったらどうやって会いに行くつもりだったんだ?」

「そりゃお前……ハッキングするかお前に超暴れさせて引きずり出すかの二択ですよ」


 ありがとう。ゴリラっぽい人。


 階段を上り切った俺たちは大きな年鑑が並べられたフロアを通過する。

 年鑑とは言っても、全て巨大なタブレットなのだが。

 このフロアのみならず、図書館にある書物は全て紙ではなくタブレットに収めてあるらしかった。


「そりゃお前、紙の書物なんて火事でも起きたら一発でお陀仏ですからね。その昔、とある国家が所有していた図書館に火が放たれて重要な書類が全焼するなんて事件もあったそうですから」


 話しながら歩いていると、突き当りにエレベーターが見えてくる。

 今歩いているこの階が一般生徒でも立ち入り可能なフロアの最上階で、ここからはカードキーを持っている職員だけがエレベーターを使えるのだ。


「さ、行きますよ」


 アキがスキャナーにカードキーを通すと、電子音の後に自動で扉が開く。

 エレベーターへ乗り込んだ後は最上階へ向かうボタンを押すだけで、想像していたよりもずっとスムーズだった。

 尤も、これも全てアキと出会ったお陰だろう。


 ものの数十秒もすると、エレベーターはあっさりと最上階についてしまった。

 アキは開いたドアから外に出ると、目の前にあった受付へと歩いていく。

 受付の中にはやる気の無さそうな悪魔っぽいパーカーの美人が座っており、アキに気付くと黒いマスクをずらしてピアスの付いた口元を露出させた。


「……学生か。此処に何の用だ?」

「聖徒会の許可を貰って来ました。アーミテイジ教授との面会を希望します。

 ……ウィルバー・ウェイトリーが来ているとお伝えください」


 受付の女性は聖徒会からの紹介状を見ると立ち上がり、奥の部屋へと入っていく。


「オヒョッ……アキぃ、女が居たぞ……! なんだか緊張してきやがるな……!」

「ボクも女なんですが。……此処は大人の場所ですからね。取って食われるような感覚はボクも理解できますよ」


 こんな時はアキの涼しい顔が頼もしい。

 アキの言うこともそうだが、俺にとってはこれから会う相手が師匠であることも殊更に恐ろしかった。

 それはハロウィも同じで、今は俺の後ろに身を隠している。


「やあ、待たせたね少年少女。私をお探しかな?」


 受付の横にある通路からよく通る声がしたかと思うと、身長百八十はあろう長身の美女がハイヒールを鳴らしながら姿を見せる。

 短めに切りそろえた黄緑の髪、右目を覆う白い眼帯、真っ白なシャツの間から露出した腹にすっと浮かんだ腹筋。

 全てが居なくなったあの日のままだ。

 ただ一つ違うのは、肩から背中にかけられた深紅の衣。


「朗報だ! 私がトリスメギストス学派第三教授――ハリエッタ・“ビブリオティカ”・アーミテイジだよ。

 此処に少年少女が尋ねて来るとは珍しいね。このハリエッタに何か用かい?」


 師匠は丈の短い黒の革手袋で左耳に着けた鎖状のピアスを触り、じゃらりと音を鳴らす。

 その黄緑の目は吸い込まれそうな視線で俺を見つめており、無言のプレッシャーが俺の口内を乾かせる。


「……師匠。お久しぶりです」

「朗報だね! きちんと挨拶ができるようになったじゃないか少年。

 此処に来るのはもう一年か二年後だと思ってたよ。ハロウィは元気かな?」

「せんせぇ、ご無沙汰してますっ……!」


 ハロウィが俺の背後から顔を出しておずおずと挨拶すると、師匠は切れ長の目を細めて笑う。


「で、そこの少女は少年のガールフレンドかな?」

「そんなんじゃありません。ボクも貴女に用事があって来ましたが、先ずはウィルバーとの用事を済ませてからで結構です」

「ふーん、その感じだと少年と無関係ってわけでもなさそうだね。少年が此処へ来られたのは少女の手引きかな」


 師匠の顔は笑みを絶やさないが、それが額面通りのものばかりでないことを俺は知っている。


「師匠、俺は最終試験を果たすために此処へ来た。約束通り死霊秘法書ネクロノミコンの在り処を教えてもらうぜ」

「うん、したね。そんな約束! 取り敢えず立ち話もなんだし、みんな私の研究室に来なよ。少しはもてなしもできるからさ」


 食えない師匠の性格に若干振り回されながらも、俺たちはその後に従った。

 大学の職員たちにはそれぞれ個室が与えられており、長い廊下に数多くのドアが並んでいる様子は学生寮にも似ている。

 その中で師匠――教授の研究室は廊下の突き当りに扉が構えられており、その先には個人の個室にしてはあまりに広い空間が広がっていた。

 ガラス張りになった部屋の奥からは美しい学園の景色が広がっており、その中には旧サンダルシア城の時計塔も収められている。

 改めてこの場所があの図書館の最上階だと実感させられるのだった。


「少年少女、何か食べるかい?」


 師匠は備え付けのキッチンでハーブの香りがするお茶を淹れながら訪ねてくる。


「……晩飯近いし大丈夫だよ」

「そう言えば最近めっきり少年の作ったご飯を食べてないね。私はあれが大好きでさ!

 此処の食事も悪くないんだけど、少年の愛情籠ったそれと比べるとどうしても食べ劣りしてしまうというものだよ。違うかい?」

「そろそろ料理の一つも覚えないと料理の上手い旦那を見つけなきゃならなくなるぜ」

「本当だよまったく。私としては少年が婿に来てくれてもいいのだけれどね?」

「冗談じゃねー! 死ぬまであんたの世話係なんて御免だっての!」

「とほほ……小さい頃は大きくなったら師匠と結婚するなんて言ってくれてたのになぁ……」

「あ!? んなこと一回も言ってねーだろ!」

「うん、言ってないね」

「なんなんだよこの人は……」


 ハーブティーが机に並べられ、俺たちはそれを囲んでソファに腰を下ろした。


「さてと、少年は死霊秘法書ネクロノミコンを求めて来たんだったね」

「最終試験を達成したら手に入るって約束だっただろ。嘘だってのはナシだぜ師匠」

「朗報だね。死霊秘法書ネクロノミコンなら私が持っているよ。

 ときに少年、私はまだ少年がどうしてコレを求めるのかを聞いていなかったね」


 師匠はあからさまに勿体ぶっている。

 目標を目の前にして、それが俺の神経を逆撫でしてきた。


「……それがあんたに関係あるのかよ」

「あるともさ。死霊秘法書ネクロノミコンは禁書の一冊だ。個人が所有すること自体が禁忌となる。

 そんなものを手にして少年が大層なことでもやらかした場合には、責任を取るのは私なんだよ?」

「それを知っててよく約束なんてできたな、この野郎」

「あは、どうやらよっぽど厄介なことに使いたかったみたいだね。怖い怖い!」


 師匠はまるであどけない少女のように声を上げて笑った。


「言いなよ。どうせそれ以外に道はないんだからさ、少年」


 この場にはアキが居る。下手なことを口走れば師匠より先に俺が拘束されることになるだろう。


「――この世界の外へ出るためにその本が必要なんだ。俺たち兄妹が自由になるために!」


 だが、この答えなら問題は無い。


 その期待を待っていたのは部屋に満ちる不気味な静寂だった。

 師匠は瞳が縮んだかと思う程に目を見開いている。

 隣に居るアキも普段の自信に満ちた態度からは想像もつかない不安そうな顔で俺を見ていた。

 俺とハロウィだけが、理解して欲しい理想の渦の中にいる。


「な、なんだよ……何か俺がおかしいことでも言ったかよ!?」


 相対する師匠は立ち上がると、眼帯に塞がれていない俺の瞳を覗き込むように顔を近付けてくる。


「少年、それは本当に自分自身の願いなのかな?」

「当り前だろ! 他に誰が――」

「例えば。少年の母上、とかさ」


 母。母さん。その言葉に俺の呼吸が止まる。

 その要因を言葉にするならば、大切にしていた何かに一本の杭を打ち込まれたみたいな。

 師匠は小さく溜め息をつくと、胸の谷間から薄い小さなタブレットを取り出した。


「少年の言っていることは間違っていないよ。これはそう、確かにこの世界から抜け出すためのものだ。

 但し抜け出すのは少年ではない。少年の妹――この世界に眠るカミをカミの失われし世界へと解き放つための鍵なのさ」


 まるで全てを知っているかのように、師匠はそう言った。


「悲報だよ。少年は生贄の持つ呪縛などに負けず、自分の意志を貫き通せる器だと信じていたのに」

「何言ってんだ!? 勝手に喋ってんじゃねえよ! ――とにかくそいつを寄越しやがれ!」


 何が起こっているのか、俺にはもう分からない。

 だが、何が起こっていようが関係ない。邪魔するものがあるなら潜り抜ける。

 ――それが俺という人間なんだろう?


「錬丹術か――これも大した効果は無かったようだね」


 繰り出した拳は師匠の白く細い手にあっさりと流され、俺の身体は彼女が座っていたソファに突っ込む。

 俺は悔しさに血の味がする奥歯を噛みしめた。


「最初から……こうするつもりだったんだなッ……!」

「自分に都合のいい解釈ばかりするなよ少年。――少年は不合格だったのさ。私の課した最終試験にね」


「おにいに……酷いことするなァァァッ!!」


 絶叫したハロウィが腕を振り被って師匠に襲い掛かる。

 その腕を巨大な槍が貫き、彼女の身体を窓にまで吹き飛ばした。


 いつの間にか、入り口に人が集まってきていたのだ。


「グァァッ……!」

「ハロウィ!!」


 槍を放った男はその巨躯で小さな眼鏡をくいっと上げる。


「お前たち、聖徒会長の威光を使ってよもやこのような凶行を謀るとは……見損なったぞ!」


 ユーゴ―。俺とアキの二人がかりでどうにもならなかった軍人くずれを瞬殺した錬金術師。

 今最も敵にしたくない相手だった。

 ハロウィと分断させられ、最早俺に抵抗する術は無い。

 それを見計らったようにユーゴ―の背後から新たな人影が姿を現す。


 見たことの無いダークスーツの男だ。

 すらりとした体躯に肩から白衣を流し、更にその上からごつい黒のトレンチコートを羽織っている。

 その肩には巨大な盾が幾重にも重なって一個の棺桶状となった何かが二つ。

 男は睫毛の長い漆黒の瞳で地に伏す俺を見つめていた。


「シヲ……先生」


 彼の名を震える声で呼んだのは、今まで悲鳴一つ発さなかったアキだった。


「ご苦労だったな、アキ。君のお陰でアーミテイジ教授との約束を果たすことができた」

「――! ボクは――」


 咄嗟に立ち上がろうとしたアキをシヲは手で制する。


「それ以上は言わなくていい。心配せずとも、トリスメギストス学派教授陣に私の席は約束された。

 ――事が済んだ暁には君にも私の研究室員としての席を約束するよ」


 シヲの目がアキを捉えたその一瞬、俺は密かに足へ込めていた力でその場から跳躍する。


「往生際の悪い……まだ歯向かうか!」


 ユーゴ―がその場で迎撃の構えを取ったのは幸いだ。

 俺はハロウィの元まで身体を運ぶと、ぐったりとした身体を掴んでそのまま持ち上げる。


「何のつもりかは知らないが、この状況で俺に勝てるとでも――」

「知らねえのか。三十六計逃げるが勝ちってな」


 俺は彼らから目を背けると、そのまま目の前を塞ぐ窓へと拳を向けて突っ込んだ。

 気の入った鉄拳はガラスを粉砕し、俺たちの身体を夕闇の中へと投げ出していく。


「ハロウィ――俺たちは自由だ」


 そして、俺はゆっくりと目を瞑った。

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