【後編】アキのパーフェクトれんきん教室
「ふふ、なにボーッと見てるんですか。ボクの語りに惚れちゃいました?」
「な、何言ってんだ。色々と理解に時間がかかってんだよ。……取り敢えず、錬金術が本来この世界に存在する法則のせいで起こり得ない現象――可能性を引き出してくる技術だってことは理解した」
「いいですね。じゃあ次のステップに行きましょうか。お前、どうしてこの世界には錬金術を使える人間と使えない人間が分かれているのか考えたことはありますか?」
「どうしてって……錬金術を学んでないからじゃないのか? 俺みたいに」
「その通りです。じゃあ逆に、どうして学ぶだけで錬金術なんてものが使えるようになるんだと思います?」
――なるほど。確かに言われてみればというやつだ。勉強するだけで超能力が使えるようになるだなんて、それこそなんらかの原理が無ければおかしいじゃないか。
「答えは錬金術が一種の儀式であるからです。ボクたちは基本的に特別な能力をもっているわけじゃありません。知識を得て特別な儀式を正しく遂行することで、
「大いなる力……カミか!」
「聡いコですねお前は。大変好ましいですよ。印というのは特定のカミに対する契約なんです。この印を介してボクたち錬金術師は任意の可能性へとアクセスし、その強大な意志の力で法則を捻じ曲げて錬金術を行使するんです。
さて、じゃあそろそろお前もカミの何たるかが理解できたようですし、カミを信仰することが何故世界を崩壊させうるのか教えてあげましょう。まあ言葉にすれば簡単な理屈でして、カミというのは信仰されればされる程強大になってしまうんです。カミというのは概念――人々の共通認識や願いの塊ですから、そこへ大勢の人間が意識を向ければ膨れ上がるのは自明の理でしょう?」
俺は何かを信仰した経験が無かったからその辺りの感覚はよく分からないが、ミスカトニック大学が錬金術の総本山として語られ実際に国中の才能が集まる場所になっていることを考えれば共通認識が持つ力の強さは納得できた。
「特定のカミが信仰されて支配的な強さを手に入れれば、やがて普段は可能性を抑え込んでいる世界の法則を突き破ってこの世界に顕現しかねません。そうなれば既存の法則は崩壊し、この世界の構造そのものが変わってしまう恐れがあります。
それによって引き起こされる脅威は未知数――人類はおろか世界すら崩壊させかねないんですからね。三つの義務なんてあっと言う間に打ち崩されてしまう。だから王国はカミの信仰を厳しく取り締まり、時には蛮族国家との戦争さえ厭わないんですよ、お前」
この世界と錬金術を取り巻く事情が俺にも少しずつ理解できてきた。
ここで、俺の疑問は最初の質問に立ち返る。
「で、結局世界を作った錬金術云々の話はこの世界の歴史を語るための導入だったのか?」
「お、ちゃんと憶えてましたか。当然ですが今日の本題は錬金術の基本原理を学ぶことですよ。歴史のお勉強はついでに過ぎません。
まあ、これからの実演を見ればあるいはボクが言わんとする内容が理解できますよ」
アキはそう言うと、手の上で遊ばせている火の玉を目の前に構えて再び印を結び直す。
今度のは火の印を上下逆さまにして頂角が地面へと向く三角形だ。
「ボクが最も得意とする水の印です。
彼女の声に共鳴して火の玉は大気へと溶け出し、完全に透明になってしまう。
代わりに虚空から湧き出したのはバケツをひっくり返したような大量の水だった。
「
アキの綺麗な人差し指が再び三角形の内部で交わり、新たな印をその身で刻む。
「これが最後、土の印……
流れる水が空中で形を変え天へ伸びあがったかと思うと、先程まで液体だったそれは急速に白濁した固体となって宙に留まっていく。
そして物の数秒の内に、俺の目の前には大理石で出来た巨大な樹がコートにかかる空いっぱいに繁茂していたのだった。
「……マジかよ」
「個有法則の構築、エネルギーの発生、量子への干渉、そして物体の完成。このプロセスを概念化したものが風・火・水・土の四大元素であり、錬金術の基本原理です。これを身に付ければお前も立派な錬金術師になれますよ」
にっこりと笑ういつも通りなアキの笑顔が俺にはとても偉大なものに感じた。
「ここまで聞いて、何か気が付いたことはありますか?」
「……錬金術の原則。あれと同じだ。
「はい正解! ご褒美に頭を撫でてあげますね」
アキにいいコいいコされるのは満更でもなかったので、俺は大人しく頭を預けた。
彼女は優しい笑顔を俺に近付けて耳元でちゃりっとピアスを鳴らす。
「いいですか、錬金術に於いて最も効果的な上達法は誰かの成功を見てそれに倣うことです。印を結べば術に繋がる。その概念を信じることでボクたちは大いなる意思に近付けます。決して一人では練習しないことですよ」
「真似かぁ……真似するならアキが使ってたあの術がいいな。でっかい水の拳が出てくるやつ」
「
俺に言葉を返す傍らでアキはお尻のポケットからタブレットを取り出す。
「タブレット無しで使えるのは基本的に各元素の基本技――
「
「この前の例えを引用するならタブレットをCD、
なるほど、以前錬金術師の三つの義務について話した際に他の術師の技を真似るのがどうこうという話をしたが、術を真似るということは只見て所作を真似るといった単純な行為ではないということだ。
きちんと術を真似ようと思えばタブレットの内部に収められた構築式を見せて貰う必要がある。
それこそ特許料で食っていける錬金術師がいるのも納得である。
「そうだ、オリジナルの術がどれぐらい強力かお前に見せてあげますよ」
アキは不意にそう言うと、滑らかな手つきで風、火、水の順に印を組み上げる。
そして、右の拳を構えて腰を浅く落とした。
「
拳の動きに連動して錬り出された水の塊がすぐ傍にあった哀れな大理石へと打ち付けられる。
以前見た際には只勢いが強い水流――程度の感想だったが、実際に的へ接触させてみるとその破壊力は否が応でも実感できた。
先ず驚いたのはその音だ。白亜の幹に波濤がぶつかった瞬間、周囲に機関砲の乱射かと錯覚する爆音が鳴り渡る。
白く砕けた水飛沫には既に大理石の破片が混じっており、音の発生源がありありと見て取れた。
刹那、水の塊が湛える波紋が石肌へと広がったように真っ白な樹皮へ亀裂を生じさせると、次の一瞬には馬鹿でかい石塊は瓦礫となってその形を失い降り注いできた。
「お、おい! これヤバくないか!?」
「大丈夫ですよ。ボクから離れないでくださいね」
頭上を見据えるアキに釣られて視界を上げると、その先では巨大な大理石の塊が口に含んだラムネ菓子もかくやという勢いで水に溶けだしていく。
「これも水の元素が持つ力――粒子結合に干渉することによる物質の分解です。また勉強になっちゃいましたね、お前」
天井から降り注ぐ雨を浴びながらアキは日の光を含んで輝く水滴を薄紫の綺麗な髪から滴らせてはにかんだ。
すると、俺はコートの入り口から誰かが入って来るのに気付いた。
全身真っ黒なシルエット。背は高く、ある程度離れていても分かる程に大きな何かを双肩に担いでいる。
「アキ、此処に居たか」
声の主は男だった。死体のように光の無い瞳をした男で、顔立ちは中々に――というか男の俺でも魅入ってしまう程に整っている。
もう日射しが肌を焼き始める時期だというのに漆黒のスーツとごついトレンチコート、ぴっちりとした革手袋で全身を包んでおり、にもかかわらず汗一滴かいていないのが益々人間らしさを感じさせない。よくできたロボットを眺めているみたいだ。
「先生! こんな所にどうされたんです?」
「前に話した君との
先生と呼ばれた男はアキに一通の封筒を渡すと、不意に二人を眺めていた俺の方を見た。
俺はその視線に身体がびしっと固まる。
相手は恐らくミスカトニック大学の教員だ。学生相手と違って俺という異物に気付く危険性は充分にある。
濃く灰色みのある瞳の奥に隠れた虹彩でじっと俺を見つめる様子は獲物を値踏みするゾンビのようだと失礼にも連想する。
「……朝から熱心だな。学友に付き合ってやるのは殊勝だが、身体を壊さないように」
意外にも彼は優しい言葉を残すと、そのまま背を向けて去っていった。
「もーっ! どういう意味ですかそれぇ!」
アキはほっぺたを膨らませていたが、すぐに此方へと笑顔で振り返った。
「まあ先生の言うことも超尤もです。そろそろいい時間ですし朝食でも食べに行きましょうか」
「今日からアキは授業だもんな。俺も図書館に行って勉強しとくよ。アキに作ってもらった学生証のコピーがしっかり使えるのか試しとかないといけないしさ」
「そうですね。まあ入場自体は問題無いと思いますけど、関門になってくるのはお前が学園の生徒じゃないと怪しまれないかどうかですよ。図書館の上層部にはアーミテイジの研究室があって、その周囲にはアーミテイジ一派の教員が使う職員室も配置されているんです。
彼等は泊まり込みで研究していることも多い上に頻繁に図書館へと下りてきますから、お前が教員に鉢合わせる展開も少なくありません。それは必然的に顔馴染みの無いお前を怪しむ機会も増えるということです。ちゃんと気を付けないとダメですよ」
「きちんと大人しくできるって。ガキじゃねーんだからさ」
「どうですかねー。お前、好奇心が絡むと多少なり子供っぽい所ありますよ?」
談笑しながら階段を上がっていくと、食堂が見えてくる。
今朝は弁当を持参していたから空いている席を見つけて外で食べようという話になっていた。
「そうだ。折角ですし、展望スペースで食べません?」
「そんなのがあんのか……」
俺が周囲を見渡そうとすると、アキは食堂とはL字型に配置されたすぐ傍にある建物を指した。
「ここです。ミスカトニック大学って正門と校舎にかなり高低差があるでしょう? これはかつて校舎がサンダルシア城だった頃の名残で切り立った崖の上に建っているからなんですよ。
この展望スペースはその崖から空中に伸びるよう建設されていて、上空から崖の下に広がるブレイズベルの街が一望できるんです。これから暮らしていく街なんですから、こうやって見ておくのも悪くないでしょう?」
アキに先導されて俺とハロウィは展望スペースへと入っていく。
内部はカラフルな原色のソファやクッションが沢山並んでおり、奥へ進むと白くて清潔感のある広めの空間に円形の机と背の高い丸椅子が幾つも備え付けてあった。
何よりも目を引いたのは部屋の奥に透き通るガラス張りの壁で、朝の日射しが差し込むその場所からは既に地平線と空の境界線で白んだ輪郭に溶けていく街の一部が顔を覗かせている。
確かに綺麗だ。でも、どうして彼女は急にこんなものを見せたくなったのだろう。
俺にはその理由がまだ分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます