【前編】瞬間、手、繋いで    

 アキとの出会いより一夜。

 俺たちはエルナショナル大橋ターミナルにあるフェリー乗り場へとやって来ていた。

 普段通りスカジャン姿のオレに対し、アキはへそ出しの黒いクロップシャツにショートパンツを合わせた活動的な恰好である。

 かなり女の子らしい格好だと思うのだが、アキが着るとどうにもボーイッシュな印象が勝って綺麗な男の子に見えてしまう。

 彼女は首に下げたヘッドホンをかちゃりと鳴らし、自慢げに服を見せつける。


「どうですかお前。超惚れ惚れするでしょう?」


 アキは上機嫌だったので、大人しく頷いておいた。


 今日はアキの案内で学園の外へショッピングに行く予定になっている。

 彼女曰く、錬金術師として最低限の身嗜みを整えるのは学園で生き抜く上で必須であるらしい。


「具体的には何が必要なんだ? タブレットが必要なのは分かるけど」

試験管チューブ顕微鏡マクロスコープ、タブレットホルダー、それからアゾット剣ですかね。

 勿論一番大事なのはタブレットですが」


 アキの返答は早い。あらかじめ答えを全て脳内にメモしているのではないかと思う程だ。


「ええ、メモしてますよ。生まれてから見聞きしたことは全部ね」


 フェリーの巻き上げる湿った風を浴びながら彼女はさらっと答える。

 何かと理屈っぽいアキがこうやって突拍子の無い冗談を言うのには少し驚いた。


「あとは食材もたっぷり買い込まなくちゃいけません。お前の料理の腕は大したものですからね。

 今夜は歓迎パーティです。存分に腕を振るわせてあげますよ、お前」


 昨日何気なく作った夕飯は余程彼女の気に召したようで、食事のこととなるとアキは笑みが零れる程に機嫌が良かった。


「……それにしてもすごい河だなぁ。これってシティまで繋がってるんだろ?」

「少しは勉強したみたいですね。ブレイズベル河はシティに通じてブレイズベル国土を二分する大河です。

 第二次錬金大戦の時には南部の亜人国家であるシドニアの軍に対する最終防衛ラインとして機能したんですよ」

「あー、橋にも同じようなことが書いてあったな。その戦争に勝ってブレイズベルは周辺国家を全部属国にしちまったんだろ?」

「ええ。お前の故郷であるストラドブルクも元は亜人の国だったんですよ。

 尤も、住んでいたのはごく僅かな少数民族だけで今は絶滅してしまったそうですけどね」

「それで人間しかいなかったのか。俺たちは島から出たことなかったからよ、亜人なんて御伽噺の類だと思ってたぜ」

「本土でなら割と頻繁に会えますよ。昔と違って王家との血縁関係を結んだ亜人族は国民として扱われるようになっていますからね」


 亜人。人間よりも優れた上位存在――『カミ』なるものを信仰する人間の近縁種たち。

 俺がその存在を知ったのは昨日のことで、生まれながらに禁忌を背負っている存在なのだという。

「そのツノ、お前って亜人ですか?」という切り口から聞かされたので複雑な気持ちだったが。


「そういえば禁忌を背負ってるって事はさ、錬金術師にはなれねえの?」

「国民として認定を受けている種族の者ならなれますよ。彼等は国家に属すると同時に一族の信仰も放棄していますから。

 そのせいで未だに信仰を持ち続ける亜人種――所謂蛮族とは今でも諍いが残っているみたいですけどね」


 この世界にはまだまだ俺の知らない複雑な事情がある。

 無事錬金術師になれた暁には、そういったことも見聞きして回りたいと思った。


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 Gate3

 瞬間、手、繋いで                                                                   

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 俺たちはリガエタという駅で船を降りた。

 てっきりブレイズベル一の行政商業特区であるシティに行けるものだと思っていたが、アキが予定していたのはこのトゥーファングという街にあるショッピングモールだったそうだ。


「トゥーファングは学属三大特区の一つでして、南に続くティリング、イェンドゥルピリーと並んで最も多くの学園生を輩出しているエリート養成地というわけです。因みにボクはイェンドゥルピリー出身なんですよ、お前」


 そう説明するアキは実に鼻高々だった。


「なんで故郷じゃなくてこっちに来たんだ? 見知った土地の方が詳しいだろ」

「トゥーファングには超有名なタブレットショップがあるんですよ。国内で流通しているモデルの大半はそこで手に入ります。

 実はボクも今欲しいモデルがあるんですよね……へへ」

「……? お前もうタブレット持ってるんじゃないのかよ」

「持ってますが? 新しい型番が出たら取り敢えず買うのは超常識ですよね? 

 タブレットは錬金術師の要ですよ。優れた錬金術師たるならば最高のデバイスを模索するのは当然のことです」


 アキはタブレットのことになる途端に鼻息が荒くなる。

 どうやら単なるこだわり以上にタブレットというものに対して並ならぬ愛着があるようだった。


「まあ、良い物を選んでくれるってんなら助かるけどよ」


 買い物に対していまいちイメージの湧かないオレに対し、頭上を漂うハロウィは興奮を抑えきれずもにもにと暴れ回っている。


「おにいー! ショッピングモールだよおにい! いつの日か師匠の見せてくれた映画で見たショッピングモールに向かってるンだよあたしたち!」

「あー、死体が蘇って人間を食いに来るやつだろ? あれ怖かったよなぁ」

「今から手に汗握る防衛戦が始まるンだよね……? あたしはおにいと最後まで戦い抜く覚悟できてるから……!」

「俺たちが向かっているのは死地だった……?」


 ふと前を見ると、アキが動く死体でも見たような顔で此方を見ている。


「……何だよ」

「お前、頼みますから大衆のど真ん中で妹と喋らないでくださいね。傍から見たら独りで喋ってる超危ないヤツなんですから」

「んなことしたらハロウィが可哀想だろ。初めてのショッピングモールぐらい楽しませてやれよ」

「お前のお仲間扱いされちゃうボクは可哀想じゃないってんですかー!?」


 顔を近付けて詰め寄ってくるアキをよける俺の背後から、ハロウィがそっと手を握ってくる。


「おにい、ボクなら平気だよ。ちゃんと大人しくできるから」

「ハロウィ……お前大人になったな……!」


「ふーんだ! 子供なのはボクですよ、そーですよっ!」


 そうこうしている内に俺たちは目標のショッピングモール:トゥーファング・ビレッジへと辿り着く。

 そこは地面に埋め込まれた一個の客船のような形をした施設で、ベランダ状になった上階から内部の店舗が少し見てとれる。

 管制塔に見えるのは高層ビルで、鏡張りの壁が特徴的だった。


「平べったい部分がショッピングモールです。奥に見える高いのはオフィスビルですから、今回は入りませんよ」

「建物がでけぇなぁ……! この中全部店になってんのかよ!」

「そうですけど。ダンウィッチってそんなに超田舎なんですか?」

「駅よりデカい建物はねえぞ」

「説明が完璧すぎて腹立ってきますね……」


 オフィスビルの方まで歩いた先にある入り口から自動ドアを通って中に入ると、店内の冷房が俺たちを迎え入れる。

 暑い中を歩いてきた分この涼しさは格別の気持ち良さだった。


「よし、先ずは何処から行くんだ?」

「そりゃ勿論タブレットショップですよお前。タブレットがあればこの先の買い物も多少楽になりますからね。初めに手に入れて損はありません」

「本当に何でもできるんだな……」


 エスカレーターを使って二階に上がると、フロアの角に大きな赤い門構えが見えてくる。

 その奥は白い大理石の床であった店内とは雰囲気が変わって黒っぽい絨毯が敷かれており、何となく温かみが感じられるスペースが広がっていた。


 驚いたのは先に広がっていた光景だ。

 広い空間には床と似た色をした長方形の台が無数に並んでおり、その上に設置された白い板の上で大量の小さな板が透明な什器に支えられて並んでいる。

 その光景は最早店というイメージを越え、師匠に連れられて何度か見たことのある美術展を俺は想起した。


「おあああッ! これっ! これですよボクが求めていたものは!」


 アキは猛然と駆けだしていくと、一番手前にあった台を齧りつくように見つめ始める。

 それは美しいエメラルド色をした板で、その側面と背面を覆うように薄い銀の板で装飾が施されていた。


「すっげー……宝物みたいだな」

「タブレットの開発の祖であるバリヌス社の最新作ですよ。バリヌス社によって開発されたモデルは『エメラルド・タブレット』と呼ばれ、国内で最も優れた性能を持ったシリーズなんです」

「そういやタブレットって結局何なんだ? 俺には只の綺麗な板にしか見えないんだけど」

「お前でも分かりやすいように説明するなら、タブレットというのは現代の技術で機械化された錬金書のことですよ。

 そもそもお前錬金書が何か知ってますか?」

「今初めて聞いた」


 彼女はでしょうね、と肩を竦める。


「錬金書は錬金術師が己の体得した錬金術、その構築式を記しておくための書物です。

 いいですか? 錬金術というのは自分が発生させたい現象の構築式を理解し、それを世界の構築式に上書きすることで実現する技術のことなんですよ。その構築式を溜める……つまりは自分の使える技を記録しておくのが錬金書の役目というわけです」

「記録するって、文字とかにして書いとくのか? それじゃ普通の紙でもいいような気がするけど」

「そんなわけないでしょう。錬金書に求められる役割は『常にベストな術の発動を可能にすること』です。

 そうですね……CDを想像してみてください。CDをラジカセに入れれば音楽が流れますけど、極論を言うとそんなもの使わなくたって自分の口で歌えばその内容は再現可能ですよね?」

「ん……まあ少し乱暴だけどそうなるか」

「ですが実際にはCDに収録されているようなベストな音を出すことは容易じゃありません。楽器の演奏もしなくちゃいけませんし、静かなスタジオや喉の最高なコンディションだって必要ですからね。例え歌手でも四六時中最高の歌を奏でられるわけじゃないってことですよ」

「うん、確かにそうだ。つまり錬金書っていうのは自分にできるベストの状態の術を記録しておいて、いつでも再現可能にする装置ってことで合ってるか?」

「お前は賢い子ですね。飲み込みが早いやつは嫌いじゃありませんよ」


 アキに笑顔で褒められるとこっちも悪い気はしない。


「錬金術のファクターは意志の力です。昔はそれを特殊な記号で紙に記し、閲覧者をトランス状態にすることで再現していたんですが、錬金術が進んだ現代ではオリジナルのエメラルド・タブレット――世界最古の錬金書を作成した錬金術の王:ヘルメス・トリスメギストスが用いた技術を再現して自分の意志を直接金属内に記録することができるようになりました。それがタブレットなんですよ、お前」

「この板の性能が再現できる錬金術の質にも影響してくるってことだよな……そりゃ慎重に選ばねーと」

「本来なら自分の持つ術に最も合ったタブレットを選ぶのが大事ですが、今のお前はまだ術も使えないでしょう。その場合は汎用的なスペックの物を勧めますよ。

 タブレットには錬金術を記録するだけじゃなくて、情報化した通貨を入れて財布代わりにしたり通信能力会社が提供してるサービスを使って遠くにいる人間と通話したりもできますからね。配信とかも見れますし」


 アキの助言に従って目の前にあるタブレットのスペック表を見てみるが、素人の俺にはどれがいいのかいまいちよく分からない。


「仕方ないですね……ここは先輩としてボクが選んであげましょう」


 アキは一つ奥の台へ移動すると、飾り気のないエメラルド色の機体を手に取る。


「バリヌスの名品――羽化アルトゥスです」

「そんなにいいやつなのか?」

「この機体はですね、スペックこそ平凡ですが、持ち主の意志に呼応して見た目が変わっていくんですよ」


 彼女が機体を眺める目はとても穏やかで、自分がその機体に持つ思い出をなぞっているみたいに感じた。


「お前がこの先錬金術の高みを目指すのなら、今日買う機体はいずれ手放す時が来ることになります。ボクも今までに幾つものタブレットとお別れしてきましたから。

 でもその時にお前の意志がこのコをどんな色や形に変えたのか――それを見る楽しみがあったら、きっと別れが辛くないと思うんです」


 その顔を見て俺は、初めてのタブレットを選んでくれたのがアキでよかったと心の底から思った。


「約束するよ。俺、こいつをすんげー大事に使う。それでさ、お前のコレクションに並べられるぐらい綺麗な色に育ててやっから」


 少し恥ずかし混じりに宣言する俺をアキは目を大きく開けて見つめていると、突然ニヤニヤと笑って


「ま、精々楽しみにしてますよ、お前」


 と呟いて会計所まで歩いていった。

 ふと目線を下ろすと、値札には20万ベルズと刻まれていた。

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