【前編】お前が超バカということはハッキリ言って否めません

 迷信を信じる奴が超バカということはハッキリ言って否めません。

 この世に起こり得るあらゆる現象は全て超美しい法則によって支配されているからです。

 そこに智慧浅い古代人の妄想が入り込む余地など存在しません。

 トリスメギストスの後継者を志す者ならば誰もが頷くことですよね?


 あのトリスメギストス寮に空室があると聞いた時、ボクはその場で浮遊するにも勝る気持ちでした。

 それはもう、ヘルモントけいの吹かした泡の如くです。


 そんな千載一遇の好機を水の泡に帰す程の愚行がありますかって話ですよ。

 屋敷に住み着く綺麗好きで怒りっぽい妖精なんて下らない御伽噺のために!


 ですからね、ボクは二つ返事で了承したわけです。

 屋敷妖精の仕事場へ土足で踏み入ることに。

 そんなことで不幸に見舞われるなんて宇宙の法則が定めている筈がないんですから。


 ……

 …………そう思っていた時期が、ボクにもありました……。


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 Gate2

 お前が超バカということは

 ハッキリ言って否めません

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「あヒュッ…………」


 ボクの部屋に招かれざる訪問者が入ってきた時、情けないことに喉から出てきたのは割れた笛のような呼気に僅かな発声の乗ったものだけだった。

 鍵を閉めていなかったボクにも落ち度はあるし、何ならそのことは超後悔してるのだが、此処は本来立ち入り禁止の妖精の角部屋シルキィ・ルームだ。

 箒の代わりに包丁を持った狂気の妖精が凸してきたのかと思うではないか!


 だが、入ってきたのは見覚えのある顔だった。

 白い髪に右目の眼帯なんて目立つ風貌。髪の中から伸びる黄金の双角。

 名前は――ウィル。ボクは“中二病のヤギ”なんて名前の方が覚えやすかったけれど。

 さっき食堂で一飯の恩を施してあげたガキンチョだ。


「な、何でてめーがこんなとこにッ……!」

「それはこっちの台詞ですが!? 何のつもりですかお前!」


 問い質しつつも何となく察しはついた。

 ――お前確かタブレットを持ってないんですよね。

 おまけにウィルバーなんて聞いたことも無い名前。此処は名士揃いのミスカトニック大学だというのに。

 ――超怪しいです。お前絶対校内の人間じゃないですよね。

 それに、食堂に来る途中で視界の端に白衣を試着しているお前を捉えていた。

 証拠は充分。お前はこの学園に紛れ込んだ異端分子だ。

 目的は大方ボクの持っている学生身分証といったところだろうか。


「女だと思って甘く見たのが運の尽きでしたね、お前。目を付けたのが誰なのかたっぷりと教えてあげますよ」


 先ずは心を落ち着かせ、指を使って胸の前で三角形を結ぶ。

 両の親指を底辺に、中指・薬指・小指を二等辺、人差し指は重ね合わせて底辺に平行な分断線とする。

 錬金術に於ける初歩――風の印である。


錬風レンプウ――哲学の卵フラスコ!」


 この基本術は術者の結んだ印を中心に球状の結界を発生させ、外界の錬金術から術者を守護してくれるのだ。

 そして外部から切り離した空間は外界からの修正を受けない固有の領域――つまり術者が思うままに内部法則を書き換えることが可能になる。


 継ぎの印は重ね合わせていた人差し指を上げて二等辺へ統合。天高く噴き上がる炎を示す二等辺三角形。火の印。


錬火レンカ――神秘の炉バーンマ!」


 固有領域内に満ちるエネルギーを収束。それによって生み出される熱エネルギーの塊だ。

 ――大気中可燃物質を燃焼し火球へと錬成されたこれを見てお前も相当ビビッてますね。


「ま、待てって! 俺たちは危害を加える気なんて――」

「お前バカなんですか死にますか? こっちは殺る気満々ですが!」


 三角印の手前で留められていた火の玉が解放され、紅蓮の尾を引いて対象に注ぎ込まれる。

 ――生憎とボクの神秘の炉バーンマはそこらの術師とは威力が違うので。寮の外までぶっ飛んでくださいね。

 それでいて部屋の内装には一切の影響を及ぼさない完璧な調整。自分の腕前ながら惚れ惚れしてしまう。


 ボクの受難は本来ならそこで終わる筈だったのだが――


「っぶねぇなァ……!」


 爆炎が霧散した後の白煙が晴れて姿を現したのは、吹き飛ぶどころか傷一つ負っていない少年。

 そして彼の前で交差し盾となる二本の白く巨大な怪腕だった。


「俺じゃなかったら死んでたぞ!」

「お前でも殺すつもりで撃ったんですが……」


 目の前の光景に正直理解が追いつかない。

 虚空から物質を錬り出すなんて術、最低でも風、火、水を介して土の印まで結ばなければ不可能な芸当だ。

 工数にして四回。とても至近距離から放たれた神秘の炉バーンマに間に合うとは思えない。


「こ、こんなのボクのデータにありませんよ……!」


 まさかこんな名も知られない少年が自分以上の術師だとでもいうのか。


 少年は白い腕を従え、躊躇無く此方に近付いてくる。

 その怪腕が獲物を引き裂くべく頭上に振りかぶられた。


「――ヒッ!」


 眼前の恐怖から反射的に目を瞑る。

 …………

 ……

 だが、待っていたのは激痛ではなく間の抜けた沈黙だった。

 目を開けると、そこにはクローゼットから取り出したであろうボクの服を持った白い腕が映っている。


「へ……?」

「……早く着ろよ。その、悪かったな。覗いちまってよ」


 彼が自分の下着姿を気に掛けていることに気付いたボクは黙って差し出された服を着る。


「なんだ……俺は別にいいと思うぜ。女の服って可愛いもんな。着たくなる気持ちだって分からないでもねぇよ」


 急に喋り出した。何を言ってるんだこいつは。


「まあ似合ってんじゃねーか? アキ、男の割には顔綺麗だしよ」

「……は? ボクは女ですが……」

「あ、そ、そうだよな! 心は……女の子だもんな!」

「身体も女ですが!? 寧ろ心は美少年よりですしおすし!」


 声を荒げて反論すると、相手はボクの身体を頭の先から爪先まで――特に胸の辺りを注視する。


「……女……?」

「なんで盛大に疑問符付けてやがるんですか! ぶっ殺しますよ!」

「だってお前と話してても全然緊張しねぇし……」

「お前は女と話したら無条件に緊張するんですか!? 童貞ですかお前!?」


 童貞呼ばわりすると途端に苦虫を噛み潰したような顔をする。


「あ……なんかすみません。いい女紹介しましょうか?」

「余計なお世話だッ!」


 なんだか妙な雰囲気になってしまった。

 ここから殺し合い再開というわけにもいかないし、第一あの白い腕をどうにかするのは骨が折れそうだ。

 そんなことで引っ越し早々から悪目立ちするのは御免だった。


「こうしてお互い立ってるのも疲れますし、取り敢えず座って話しません? お前もボクに乱暴しに来たわけではないようですし」

「……分かった。絶対にこっちから手は出さねえよ」


 ウィルが腰を下ろすと、警戒心を解いたのか白い腕も霧散して消える。

 ボクは台所へ移動し、冷蔵庫から取り出したアイスティーをガラスのコップに注いだ。


「お前、何か食べますか? お菓子とか」

「俺は――え、ああ……悪い、妹が食いたいってよ」

「は、妹? 何を言ってんですかお前――」


 今この部屋にいるのはボクとウィルの二人だ。

 家にいる妹に持って帰るつもりだろうか。何にせよ、ウィルは何らかの手段を用いて遠方に居る妹たる人物とリアルタイムにコミュニケーションを取っている。

 となれば今回の行動を指示したのはその妹か。だとすればコイツのいまいち行動原理がハッキリしないことにも納得がいく。

 ――にしても部屋へ押し入った上に土産を要求するなんてコイツどれだけ図々しいんですかね?


「チョコレートビスケットしかありませんけど文句言わないでくださいね」


 冷やしてあったビスケットの袋を開け、陶器の皿にかろかろと散りばめてトレイに載せる。


「一先ず自己紹介でもしますか。その方が話も早く進むでしょうし」

「そっちからどーぞ」

「ボクはアーカーシャ・ホーエンハイム。は“三重に偉大なケルスストリスケルスス”です」

「二ツ名? 何だそりゃ」

「何って、ギルドに所属してる錬金術なら誰でも持ってるでしょう。

 錬金術師は己の知る真実を秘匿するものですよ。公式な場では二ツ名で呼び合うのが常識なんですが」

「知らねーよ。ギルドってのも今初めて聞いたしな」


 ――おめでとうございます。不信ポイント+100万点です。

 錬金術師を名乗るということはギルドに所属するのと同義ですよ?

 

「いや、そもそもです。お前本当に錬金術師ですか? 術師に必要なものが尽く欠落してますよね。

 正直クッソ怪しいです。超怪しいということはハッキリ言って否めません」

使俺が錬金術師なわけねーだろ。だからこうやって学びに来てんだぜ。錬金術の総本山ミスカトニック大学によ」

「は……? いやさっき使ってたじゃないですか。それもかなりハイレベルな――」


 懐疑の一声は少年が掲げた手によって掻き消される。

 いや、正確には手の先に握られたビスケット。その可愛らしい円形が虚空より現れた巨大な顎に削り食われたことによって。


「ひぃっ!?」

「おいハロウィ、頭だけ出して食うのやめろ!」


 ウィルが顎を𠮟りつけると喉も無い牙の塊の奥から細く空気を噴き出すような音が返ってくる。

 それは蛇の発声に酷似していた。

 間違い無い。はさっきの白い腕の持ち主だ。


「妹って……まさかそれのことですか……?」

「ああ。びっくりしただろ。俺の妹、宙に浮けるんだぜ」

「浮いてるというか……生えてますが……」

「ハロウィは生まれた時から透明なんだ。身体を持ってないから宙にも浮けるし扉だってすり抜けられる。

 俺が傍に居る時だけは身体を実体化させて鍵を開けたり物を食べたりできるんだよ。手と顔だけしか実体化はできねえんだけどな」

「どこぞのラスボスみたいな見た目になってますよ……。というかそれって錬金術ですよね」

「そうなのか? まあ強いて言うなら錬妹術レンマイジュツってとこだな!」


 ウィルは妹にビスケットをあげ終わると、その顎を撫でながら此方を見た。


「俺はウィルバー・ウェイトリー。こっちは妹のハロウィ・ウェイトリーだ。

 此処を訪れた目的は錬金術を学ぶってのもそうだが――そのために俺たちは師匠に課された最終試験ってやつを果たしに来たんだ」

「師匠? お前誰かに師事してるんですか」

「ハリエッタ・アーミテイジって女だ。俺たちにとっちゃ育ての親みたいなもんだな。錬金術のことは碌に教えてくれなかったけど」

「アーミテイジ……! 図書館の主ですか」

「お前――」

「アキ」

「……アキ、師匠のこと知ってんのか」

「当然です。ボクの知識量が超学園一ということはハッキリ言って否めませんから。

 まあアーミテイジ教授は学園生なら誰もが知ってますけどね」

「教授……! じゃあこの学園にいるってことか!」

「というかそんなことも知らずに此処へ来たんですか? 中々素っ頓狂な性格してますねお前」


 呆れた無鉄砲さだ。錬金術がどうこうという問題じゃない。

 彼にはこの世界そのものに関する知識が欠けているようにさえ思える。


「念のため聞いておきますが、生まれは何処です?」

「ストラドブルク島のダンウィッチって港町だ」


 ストラドブルク。一応王国領土内か。

 出身者に合ったのは初めてだ。人間は殆どおらず、元々は亜人種の住む地だったと本で読んだ記憶がある。


「一応他国のスパイではなさそうですね。アーミテイジはトリスメギストス学派の教授ですよ。今は図書館の管理責任者でもあります」

「それでか……師匠の置き手紙にミスカトニックの図書館を目指せって書いてあったのは」

「お前の師匠も中々無茶を言いますね。ミスカトニックの図書館といえば世界中から収集された希書や奇書、禁書まで揃った国家の重要機密ですよ。学園生であってもある階層以上に上がるには特別な資格が求められるんです。部外者が立ち入るなんて到底無理な話ですからね」


 置かれた現状をようやく理解したウィルは、師匠に対しぶつくさと悪態をついている。


「にしてもアキは物知りなんだな。だったらさ、これのことも何か分かるか?」


 ウィルは不意にそう切り出すと、自分の背嚢から布の塊を引っ張り出した。

 真っ黒な布地。そして背に刻まれた赤色のトリスメギストス紋。

 ボクは思わず背筋が震えた。


「お前……それを何処で手に入れたんです?」

「師匠が置いてったんだよ。最終試験の書かれた手紙と一緒に。もしかしたら何かの手掛かりなのかと思ってたんだけど、これ着てると何故か軍人に追いかけられるんだよな」


 当然だ。答えは余りにも明白だ。

 だがボクはそれを口にするか逡巡した。

 赤く爛れた紋章は烙印。黒く染まった布地は被った罪。

 黒衣とは、禁忌を犯した錬金術師の証なのだから。

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