11
「おれは、思った。
この事件の裏で、おれの家は何をしてたのか。おれの家は本当にカルヴァリーを潰したのか。そんで、」
ウィリアムは熱くなった目頭を抑え、続けた。
「どうやれば、ソフィアみたいに死ぬ奴がいなくなんのか。知らなくちゃなんねぇって」
そう言って彼は、今日会ったばかりの少女のために号泣した。アーネストは実感のない話に、ただ茫然とするだけだった。それでもぼんやりと頭の端では、エドガーへの弁明を考えていた。
「……ソフィア、」
アーネストは、もう誰のものでもない名を呼んだ。戸籍も存在しない、亡霊のような少女。実体が居なくなったところで、残るものは何もない。残るとしたら、人々の記憶の中に。
「──あら、呼んだかしら?」
鈴が鳴るようなアメリカ英語。その声は、窓の向こうからだった。アーネストが窓を開けてみれば、そこには黒い髪の──正真正銘、亡霊の少女が立っていた。暗い色の植木に交じって、その歯だけが白く輝いていた。
「ぁあああああ‼出たぁあああ‼」
ウィリアムは椅子から転げ落ち、窓から離れ、壁に後頭部をぶつけたところで静止する。アーネストも思わぬ再登場に、ぽっかりと口を開けていた。
「あっはは、ごめんなさいね、ウィリアムさん。騙してしまって」
ソフィアは朗らかに笑いながら、窓枠を乗り越えてベッドの傍に着地する。木靴ががつん、と音を立てる。無礼極まりない入り方だったが、この少女らしいといえばそうだ。彼女の象徴たるボーダーのポンチョを、そのときは何故か羽織っていなかった。
「私、アーネストさんにしかヒントを送ってなかったの。あのときアーネストさんが囚われたのは、本当に予想外で」
ソフィアはアーネストの病床から飛び降り、ウィリアムの元へ歩き、手を差し出す。アーネストは、その一場面を遠巻きに眺めた。アーネストは、ふと尋ねた。
「お前、上着はどうした」
ポンチョの下のジャケットを、アーネストは初めてきちんと見た。紺の布地に、金の刺繍。彼女の父親に初めて会った時も思ったが、彼女に似つかわしくない高貴さだった。
「木に引っ掛けて、破けたから捨てちゃった」
長いまつ毛を静かに伏せて、悲しそうに俯いた。毎日あれほど飽きずに着ていたものだ。失ったショックも相当だろう。そして、それほどまでにアーネストを探し求めていたのかと、アーネストは都合のいい解釈をした。
さて、とアーネストは追憶する。彼女はヒントとやらをこちらに与えただろうか、と。
遡って、矛盾点を見つける。本日初めての、探偵らしい業務だった。そしてそれは、すぐに見つかった。
たしか彼女は言っていた。
トリカブトは皮膚や粘液を介して吸収される、と。それが今回の推理の前提条件となる。
にもかかわらず彼女は、附子を手のひらに載せていた。話を聞くからに即効性のある附子ならば、載せた時点ですぐ吸収され、彼女の命を奪っていたことだろう。
つまり彼女は、その時点で暗に言っていたわけだ。瓶の中身は、附子ではないと。
「……お前のヒント、分かりづらすぎないか?」
ウィリアムの手を引っ張って、ソフィアはこちらに戻ってくる。
「分からないようにしたもの」
当然の因果を語るように、首を傾げて言った。一体なぜ、と胡乱な目線をアーネストが向ければ、彼女はそれに答えてくれる。
「だって君、私の死んだフリを本気で悲しむ演技、できる?」
すべてを知った上で、先程までのウィリアムのような反応ができるか、ということだ。答えは明白。言うまでもなかった。
「かといって、本気で悲しませるのは私の趣味じゃないし、何より馬鹿馬鹿しい」
と言い捨てたあたりで、ウィリアムは苦い表情を浮かべていた。ソフィアは続ける。
「私の死に拘泥して、逃げられないのはもってのほかよ。だから、全くもってヒントなし、ともいかない」
そこで考えついたのが、あの、アーネストにだけ伝わる婉曲なヒントだったわけだ。
死の瞬間、ソフィアにすべての意識が集中する。彼女が服用した猛毒についても同様だ。それに関する記憶を引き出す過程で、あの矛盾点が見つかることを狙ったのだろう。
結果、それは役に立たなかったが。
「私の誤算は、あちらがウィリアムさんの顔を知らなかったこと。知っていたら捕えられるのは間違いなく彼だったし、私のヒントも役に立ったんだけど」
心の底から惜しそうにして、唇を尖らせた。
「……おい、待てよ」
次に発言したのは、ソフィアの登場からずっと上の空だったウィリアムだった。彼はいつも通りの微笑みを引き攣らせて、会話へ割って入る。
「ソフィア──お前のあれは、全部演技だったとでも言うのかよ?」
彼の瞳には、人知を超えた才能への畏怖の念が見えた。アーネストが最初、あの怪しい男へ抱いたものとほぼ同値のものだ。
向けられた感情を理解しているのかいないのか、彼女は首を大きく縦に振った。
「演技は度胸、なんでもやってみることが大事ね。そんなに凄いことでもないわよ」
あれはお砂糖よ、と言いいながら、ポシェットからあの小瓶を取り出した。全ては飲まれておらず、瓶の底の方にはまだ白い粉が残っていた。
「……トリカブトの毒、飲んでみる?」
本気か冗談か分からない質問を投げて、議題をすり替えた。アーネストは全力で頭を振って、ウィリアムは「女の子が飲んだやつだから」と拒絶を示した。
「今更そんなことを言うの? あれほど私を子供扱いしておいて?」
それはまた崇高な騎士道ね、と、鼻で笑った。彼女はどうやら、子供として扱われることが何よりも気に食わないらしい。
彼女の機嫌を損ねると面倒だ。子供扱いは禁忌、そう肝に銘じた。ところがそこでアーネストは、「私、子供だもん」としらを切られたことを思い出す。アーネストは、不可解な女心に頭を抱えた。
「あ、そうそう。クルス家のことは片付けておいたから。安心して帰っていいわよ、ウィリアムさん」
あまりにも自然な物言いゆえに、その事実を飲み込まざるを得なかった。
アーネストが眠っている間に、何もかもが終わっていた。探偵としてのアーネストは、その胸の奥に波が立つのを感じた。
「……ベネディクト、あいつは護衛よりふさわしいポストがあると思うんだけど」
「奇遇だな、ぼくもだ」
ふたりは堂々たるソフィアを見て、そう漏らす。最後にアーネストは、友を欺くための詭弁を弄していった。
「参謀会議に参加できないかと、父上に打診してみるか」
もちろんそんな気はなかったし、これからも絶対にしないと誓って言える。ベネディクト一族の悪行に、ソフィアやエドガーを巻き込むだなんて許されない。ソフィアはそんな衷心を見透かして、「やったあ」とわざとらしく喜んだ。何も知らないウィリアムだけが、その光景を微笑ましそうに眺める。
「じゃあおれ、そろそろ行くな。ベネディクト、お大事に」
彼は壁にかけたコートを、殊更にもたつかせながら取り上げ、羽織る。じゃあな、とウィリアムは、夜闇に消えた。
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