「役に立つってこれのことかよ!」


 ウィリアムは、部屋の扉に打ちつけられた板を蹴りながら怒鳴る。


「いかにも」

「別にやぶさかでもねぇけどさ、もっとかっこいい役をさ、なあ!?」


 些か苛立ちを込めた蹴りを、古い造りのドアに食らわせる。それを静かに眺めていたソフィアが、ランタンの光を下から浴びて微笑んだ。


「役に立ってはいるわよ。安心なさい」

「そうだな」


 アーネストがソフィアの肩を持つと同時に、ドアが派手な音を立てて部屋の向こう側へ倒れ込んだ。煙幕のように上がる埃を見て、アーネストは故郷・ロンドンの霧を連想した。


「よしアップルトン、これで面倒ごとにぼくを巻き込んだ件は差し引きゼロだ」

「安い男だな、お前は!」


 友人料金だ、と言おうとしたが、埃の幕の向こうが見えたアーネストは、口を閉じた。


 棺桶が、大量の紙の海に溺れて一基。

 蓋は開いていて、胸には花束の包み紙と一枚の紙を抱えていた。


 異常な光景だった。この屋敷は、死者を弔う気がないらしい。


 ウィリアムがソフィアからランタンを受けとり、部屋を照らす。そしてアーネストとウィリアムは、揃ってその棺桶を覗いた。ミイラ化した男性の死体よりも、アーネストは先にそれを捉えた。


「『ウェスト・アップルトン社 契約書』か……」


 そう、やはりと言うべきか──日記の”彼ら”はアップルトン家を指していた。売り上げをかっさらっていった嫉妬に、一家を断絶させた復讐に、動き出したマーガレット・クルス。あの栞は、何らかの作用でウィリアムたちを地獄へ連れていくのだろう。


 契約の件を知っていたウィリアムの母親は言った、「その話はするな」と。その言葉の真意とは、その息子を復讐の大火から退けることだった。しかし何の因果か、いまのウィリアムは、その火柱の真ん中に立っていた。


 ウィリアムも全てを察したのか、言った。


「知らない方が良かったこともあんだな」


 そこで終わっていたならば、きっとウィリアムはアーネストの友人になっていなかっただろう。


「でもおれは──知らないままじゃ、終わらせたくないんだ」


 アーネストとウィリアムは、噛み合わないことばかりだ。神経質と鈍感、厳格と大雑把、慎重と向こう見ず。普段の趣味だって合わないが、その根幹の部分──独立したい、という感情は、見事に噛み合っていた。

 アーネストは棺の傍に積まれた紙の山から、一枚、駅馬車の切符を拾い上げた。


「ここに、サクラメントへ行った証拠がある」


 立ち上がるついでに、ちら、と棺の主の名を探る。やはり、と言うべきか。


「今ぼくたちは、ミスター・クルスに託されたんだ。この、文字通り腐敗したカルヴァリーの現状を暴くことを」


 アーネストはウィリアムに近づき、使用済みの切符を渡す。そのとき、ミスター・クルスの顔へ、ひらりとシクラメンの花弁が落ちた。


「イギリスの奴って、やっぱ詩的なこと言うんだな」


 切符を受け取ると、ウィリアムはそんなことを言った。優しく笑むウィリアムを前にして、アーネストは少しばかり恥ずかしくなった。


「……すまない、わかりにくかっただろうか」

「いいや、別に」


 ウィリアムは背を向けて、部屋の出口まで歩いていく。ランタンに照らされた彼の輪郭が、緑色に光っていた。

 アーネストは去ろうとする彼の背を追いかけようとして、ふと立ち止まる。足音がひとつ足りない。


「……ソフィア?」


 振り向くと、黒髪の少女は何も言わず佇んで見つめていた。じっと、何も言わず、夕日だけが差し込む部屋を。


 もう一度彼女の名を呼ぶと、今度は慌てて反応を返した。少し焦っているように見えたのは、気のせいか。


「どうした、何か?」


 アーネストが問えば、


「いいえ、何でも」


 そう返す少女なのだ、ソフィア・ファーディナンドは。行きましょう、とアーネストの腕に飛びついて、元気よく前へと足を踏み出した。


 そして、



「──あれが神、ねぇ」



 彼女にだけ聞こえる声で、呟いた。



 二階の廊下を渡り、階段を下りていく。もう驚かないぞ、とウィリアムは宣言していたが、一階に降りた時点で叫びあえなく未遂に終わった。安定性が増したランタンの光が、アーネストたちを出口まで導く。そして出口の重厚な扉を開いた先には、平穏な黄昏があった。


 しかし次の瞬間、



 ──ちりん、とドアベルが鳴った。



 それを嚆矢こうしに、目の前の安寧が崩れ落ちる。


 庭の生垣から、甲高く響く銃声。それはあやまたずアーネストの足首を貫き、くるぶしの骨を砕いた。


 撃たれた、と気づくより前に、痛みが足首から全身に走った。聴覚が吹き飛ぶ。声を出そうと喉を絞るが、叫べたかどうかは定かでない。狭まる視界の中、アーネストは、死角からたくさんの人間が飛び出してくるのを捉えた。


 ああ、──駄目だ。


 視界が大きく眩んだ。全身が後ろに倒れ込んでいく。赤いシクラメンの花弁が、視界を横切っていく。浮遊感が四肢を支配した瞬間、視覚が吹き飛んだ。

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