一行は、階段から見てひとつ手前の部屋へ入った。先程の部屋より広い部屋だ。


 今度の犠牲者は壮年の男女で、ティーカップを持って項垂れたまま息絶えていた。毒殺だ。これまでにない粘着質で風刺的な恐怖に、ランタンの光が彷徨うように動いた。


「夫婦で殺されたのね。妻が休憩を持ちかけて、一緒に毒入りの紅茶を飲んで死んだ──そんなところかしら。ずいぶんと器用な殺し方をするわね」


 ソフィアは顎に手を添えて、どこか感心するような口ぶりで言う。血ひとつ流れない残忍な風景は、どこか穏やかにも見えた。穏やかだからこそ、身に迫るものもあった。



 アーネストは隣の部屋に行こうとして、気づく。もう探索できる部屋はないと。奥にはもうひとつ部屋があったが、その扉には十字に板が打ち付けられていた。まるでこちらの侵入を阻害するように。

 アーネストはその事実を伝えようとしたが、寸前のところでウィリアムに遮られた。結局何も言わないまま、アーネストは部屋に入った。


 ウィリアムの叫び声が聞こえなかったのは、その部屋に死体がなかったからだ。


 部屋の中を見て、理路整然とした因果関係を脳内で結ぶ。部屋を満たすシノワズリの什器には、多少の生活感が残っていた。本棚にも、ベッドにも、床にも、どこを探しても血は見かけられない。アーネストは、死体を見たときよりも強い胸騒ぎを覚えた。


 アーネストが机に視線を移すと、そこには一冊の本が開かれたまま置いてあった。手に取ってみると、ずっしりとした重量感が腕にのしかかった。ページの一枚一枚が厚い。珍しながら、その本は羊皮紙で出来ていた。


 内容を軽く確認して、ほかの所を探索するふたりに声をかける。


「日記帳が見つかった」


 と、その一ページを開いて衒う。ソフィアの耳にそれが届くと、彼女はすぐさま振り返って駆け寄ってくる。背伸びして覗き込んだあと、アーネストの手元から日記を取り上げる。


 ソフィアは左のページをめくっていって、時系列を遡っていく。ウィリアムが「あいつ何してんだ?」とアーネストに訊いたあたりで、ソフィアは手を止めた。


 そして静かに語りだす。



 七月十四日


 また生産を抜かれた。ここは彼らの畑ではないのに、なぜこんなにも執拗に追い詰めるのか。あの人の葬儀に出す花もない。墓石に刻む鎮魂の呪文もない。生前好きだったシクラメンを供えるしかできなさそうだ。



 九月十八日


 家を彼らに売りつけようと提案なされた。さすがわが神、この家の地価なら少なからず経営に響くだろう。


 カルヴァリー商会は恒久に続く。神の助言が間違っているはずはないからだ。



 ソフィアが、「また?」と懐疑的に呟いた。同じような内容を思い出して辟易したのは、アーネストだけではなかったようだ。



 十一月二日


 決して売り払うなと伝えておいた馬が衰弱死していた。家はそれほどまでに困窮しているらしい。しかし明日、彼らとの誓約書にサインをするのだ。たちまちのうちこの状況を抜け出せるに決まっている。



 十一月十日


 職がなくなる、と使用人たちが反発した。しかし、もう仕方のないことなのだ。半年後にはこの家は売られる。この半年が勝負所なのだ。構っている暇はない。



 十一月十二日


 反発を鎮めようと、解雇を振りかざした。使用人たちは、緘口か辞職のどちらかを行った。何をしようと、家を売るという決意は揺るがないというのに。愚かだ。



 十一月二十日


 うるさいと思って起きてみれば、孫が死んでいた。なぜだ。なぜこんなことになった。神の助言が間違っているはずはないのに。



 十一月二十三日


 戸棚の奥から、附子が見つかった。そういうことだったのか。人間なんて信じられない。今残った召使いたちだって、何を考えているかわからない。だから、殺すのだって正義だ。



 十一月二十九日


 サクラメントも悪くない。


 先日市警が家を訪ねてきた。元使用人から訴えがあったらしい。少しばかりドルを握らせてみれば、市警はすぐさま去っていった。



 十二月一日


 先日のように、市警が屋敷を調べだしたら面倒だ。どこかの推理好きが勘違いしないかと、厩舎に馬の餌を置いてきた。ついでにあの附子も目立つところへ置いた。これで使用人が馬を殺したと思うだろう。



 日記の主の狙いは、ソフィアが厩舎で立てた仮定と酷似していた。どうやら相手は相当頭が回るらしい。


 ソフィアはページをめくった。


「最後のページよ」


 そう言うと、また淡々と読み上げだした。



 一月五日


 神が助言とともに、素晴らしい栞をくださった。これで彼らを瓦解させよとのことだ。


 しかし、トリカブトの栞とは。思えば私は、だいぶこいつに惑わされてきたようだ。



 二月十三日


 もう大丈夫だ。全て達成した。あとは神の導けるまま、私が高らかに笑う番が来る。



 ソフィアは、そこで日記を閉じた。


 部屋のしじまには、緊張感が走っていた。ウィリアムはそんな中でふと、呟いた。


「二月十三日……おれの家にこの栞が届いてた」


 言いながら取り出したのは、あのトリカブトの栞だ。彼の手に収められたそれは、どうやら日記の中の”彼ら”を瓦解させることが出来るらしい。


 日記の主と現実が今、密かにこの地でリンクした。送り主も住所も知れない贈り物──その封を開けてみれば、血塗られたナイフが入っていた。そんな状況だ。


 ウィリアムは日記の表紙に一瞥を渡す。


 表紙に描かれたエンブレムは、普通に生きていれば街の至る所で見かける――カルヴァリー商会のものだ。その紋章に描かれた花はちょうど、アーネストの手中の花と同じものだった。


 そして万年筆で刻まれた、持ち主の名は──『Margaret Cruz』。先日倒産を宣言した大商会、カルヴァリー商会の当主だ。彼はその名を見て、下がり眉の間をぐっと狭めた。


「……あー、ごめん、ベネディクト。ソフィアも。こんな面倒ごとに巻き込んで」


 彼は不甲斐なさそうにかぶりを振った。確かにこれは面倒そうだ、と、アーネストは黄昏色に染まる窓際を盗み見た。


 そしてひとつ、小さなため息を吐く。


In for a penny毒も食らわば, in for a pound皿まで……だ。仕方ない」


 アメリカ出身の彼には、ペニーよりセント、ポンドよりドルが良かっただろうか。いや──そんなことは、どうでもよかった。


「ここまできたら探偵として、カルヴァリー商会の闇を世間に披いてしまおうか」


 アーネストは自分の考えうる限り一番の悪人面を浮かべて、笑った。


 エドガーにはなんと言われるだろうか。危険な橋を渡ったことを咎められるか。あるいは、悪事を暴いたと称えられるか。どちらでもよかった。


「……ああ。それがいい」


 友の笑顔に彼は、ただの反抗期から抜け出した未来の片鱗を見た。


「それじゃあアップルトン。お前が役に立つというところを、ひとつぼくに見せてくれないか」


 そう言うと翻り、白いガウンは部屋を出た。

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