その後、ソフィアは暴挙に出た。


「おい、ソフィア──」


 ソフィアはアーネストの財布を掠め、入口手前で小銭をばら撒く。小銭が薄く積もった雪を貫き、永久を感じさせるほどに重い金属音が一帯に響き渡る。


「ベネディクト、小銭持つの嫌いなんじゃなかったかあ?」


 ウィリアムが水を得た魚のように生き生きと皮肉を投げてくる。それに応じる余裕もなく、アーネストは小銭をかき集めた。


「ソフィア、これはどういう」


 冷や汗でフランネルのシャツをしののに濡らしながら、アーネストは同じように小銭を拾う少女に訊く。


「ノックよ。待ち伏せされたら困るもの」


 幽霊屋敷で待ち伏せる人間はいないと思うが──確証がないので、アーネストは口を噤むことにした。


「これだけお金をちらつかせても出てこないってことは、この中に人はいないみたいね」


 ソフィアは泰然として、入口まで向かう。その背は小さいながらも、アーネストを導くのには十分だった。


 小銭を拾い終わったアーネストは、立ち上がってふと思う。ソフィア・ファーディナンドは今回、自ら探索と護衛を申し出た。しかしアーネストにはどうも彼女が──華奢で小柄なこの少女が、その役目を果たせるとは思えなかった。


 当初は何か考えがあるのだとみて参加を承諾したが、ここまできて未だその”考え”の片鱗も見えない。


 察するにいま一番危険なのはウィリアムだ。先の見えない災厄に、アーネストができることはひとつだった。

 守り抜く、という鋼の意思を、その胸の奧に固めること。


 公爵家のアーネストが死んだら、その死はきっとイギリス中に波紋をもたらす。父や兄は、悲しむだろうか。自らの死が彼らに隠蔽されてしまうのを、彼は何より恐れていた。不思議と死は怖くなかった。


「ベネディクト、どうした?」


 声に顔を上げる。ウィリアムが、扉の前で手招きをしていた。アーネストは言い訳がましく「なんでもない」と言って、彼らの方へ走った。



 アーネストがドアを閉めると、ちりん、と軽くドアベルが鳴った。


 屋敷の中は、ひどく荒涼としていた。闇の中から探り出せる範囲でも、扉に蜘蛛の巣、壁に穴、何者かの足跡を象った泥も撒かれていた。あまりの幽霊屋敷ぶりに、ウィリアムの顔から笑顔が消えた。


 ソフィアは小さく鼻を鳴らす。振り返り、そして、


「よかったわねウィリアムさん。死体があるみたいよ」


 と、嬉々として言った。彼女の視線の先に佇むウィリアムは、なにがだよ、と悲痛な叫びを上げた。


「馬には一切手をつけず、死体は放置……どんだけ殺意に満ちたやつなんだよ、そいつは」


 ウィリアムが重々しい雰囲気に耐えきれず、悪態をつく。確かに、言われてみればそうだ。一体どんな人間なのだろうか。ウィリアムの意図とは逆に、アーネストは関心を刺激されてしまった。


「それを探るのがぼくたちじゃないか」

「ベネディクト、お前までそんなこと言うのか……」


 ウィリアムは大袈裟な動きで頭を抱えた。アーネストは発言を特に気に留めず、ソフィアの後ろをついていく。


 陽が傾いてきて、屋敷に差し込む陽光もだいぶ弱まってきたように思える。一行がようやく一室のドアを開けた頃には、もう遠くのものは暗くくすんで見えなくなっていた。


 三人のうち最後尾に並び立っていたアーネストが、入り口上部の壁に掛けられていた札を読み上げる。


「ここはおそらく『DINING』──食堂だろう」


 見える範囲でわかるのは、この部屋にはたくさんの長机が並んでいる、ということぐらいだ。足音の響き方からして、だいぶ広い。ソフィアが足を進めると、かつん、と何かに爪先が当たったような音が聞こえてきた。


「アーネストさん!」

「どうした」


 妙に弾んだ声だった。いつもこうならすこしは可愛げがあったろうに。


「マッチ持ってる?」


 アーネストは、先程の音、ソフィアの態度、そしてこの問いかけで、それを何に使うのかを悟った。持っている、と応対しながら、腰のポケットからマッチを取り出し、前方に投げる。彼女は受け取れたようで、ありがとう、との返事が聞こえた。


「──よし」


 カラン、と金属音が鳴った。そのあとマッチを擦る音がして、そしてその部屋に光が戻る。


 三人の視界が拓けた。と同時に、目に入るものがある。最初にリアクションを取ったのは、ウィリアムだった。


「う……うわああ!! んだよこれ!!」


 恐怖に腰を抜かして、机のテーブルクロスに掴まる。しかしそれだけでは彼の全体重を支えきれるわけもなく、大きな音を立ててウィリアムは後ろ向きに転倒した。


 彼の視線の先──実情に即して言えば、三人の、だが──にあったのは、机に上半身が倒れ伏した女性の死体だった。完全に白骨化はしておらず、ところどころに蛆虫が湧いている。


「アップルトン、ぼくはお前の声のほうに驚いた」


 うるさいぞ、と窘めると逆に、うるせぇ、との答えが返ってきた。


「ふむ……死んだのは馬よりずっとあとね。ううん……時間がずれているとなると、えっと」


 ソフィアが、目を伏せて考え込んでいた。珍しいな、とアーネストが思ったのも束の間、ソフィアは独り言ちるように推理をする。


「使用人に扮した人物が侵入し、毒を盛ったかで馬を殺して……犯人探しに乗じて一家断絶……とか」


 やっと体を起こしたウィリアムが、感想を言う。


「へえ、ソフィア、お前意外と頭切れんだな。


 ベネディクトと今度推理勝負でもすれば──」


 ──まずい、そう思ったのはソフィアもアーネストも同じだった。


「っ、だ、なんて、おかしな妄想をするのね、アーネストさん!」

「あ、はは、そうだな、すまない……」


 父と違って下手な演技を打つソフィアに、アーネストはぎこちない動きで応じる。乾いた笑いをもたらすふたりの間には、流石にこれは無理だろう、という空気が流れていた。


 ウィリアムは情に篤いし、口だって堅い。いざとなれば全てを彼に披いてしまおう。アーネストはふとそう思ったが、


「なんだ、ベネディクトの考えか。あ、もしかして、馬小屋での態度もお前の仕込み?」


 それは杞憂だと分かった。ソフィアの想定した「鈍い人」のさらに上をいく発想に、アーネストは口角を引きつらせた。何事もなかったかのように、アーネストはウィリアムの質問を肯定する。「ふうん」とウィリアムは呟いて、そしてそれ以上の追求はしなかった。


「ウィリアムさん、嘘の俗説に惑わされて単位落としてそうね……」


 遠回しの皮肉に、彼は気づいていなかった。そんなことはないと思うんだが、と首を捻るのみだ。


「そうだな。この間も嘘の情報を流したが、なぜか高得点を取っていた」


 アーネストはウィリアムの発言に同意して、実情を吐露する。ウィリアムはばつが悪そうに目線を隅にやって、「まあ、去年もやったことだし」と情けない言葉を吐いた。謙遜でないのが悲しいところだ。


「嘘の情報、ってのには全く心当たりがないんだけどな」


 アーネストから受け取った情報を、調べもせず真実だと信じ込む純真さ。きっとそのとき疑っていたならば、ウィリアムは満点を取っていたことだろう。


 貴族には心底向いていない、が、人としてはそちらの方が正しいのだろう。ついでに、流した嘘の情報については枚挙にいとまがないので、アーネストは弁解を割愛することにした。


 ソフィアはアーネストを見上げ、


「結構えげつないことするのね……」


 と呟いていた。そのあとに呟いた「さすがベネディクト家」という賞賛が、ウィリアムの耳に届いていないことを願った。


 ランタンの光が女性の死体に向いていたため、ウィリアムは目をつぶったままアーネストとソフィアの間に割り込む。わかりやすく怖がっていた。


 揶揄って反応を楽しんでいるうちはいいが、戦力が減ってしまうとなるとこちらも都合か悪い。怖がらせるのもほどほどに、アーネストたちは食堂の奥に行軍していく。


 厨房に近づくにつれ、鼻を突くような酸っぱい匂いが強まってきた。意識を保っていないと、すぐにでも昼食を戻してしまいそうなほどの匂いだ。


「あらら、勿体ないわね」


 ソフィアがかわやを覗きこんで言う。


 食堂の奥には、既に腐った食料があった。それも大量に。ここでもまたシェフの男性の死体があり、ウィリアムは驚いていた。しかし今度は、立ったまま踏みとどまっている。


 戻りましょう、と、ランタンの光が揺れる。ソフィアとすれ違うとき、アーネストのそばでこう囁かれた。


 ──新しく仮説が立ったわ。


 一瞬の出来事だったが、アーネストに希望を与えるには十分だった。しかしそのあと聞いたところによると──その”仮説”というのは、ずいぶんと荒唐無稽なものだった。

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