アーネストは椅子に戻ってから、数分で概要を話し終えた。聞き手の黒髪は、真昼の陽が当たって、痛いくらいに輝いていた。


 ソフィア・ファーディナンドは、ゆっくりと瞼を上げた。烏貝のような瞳が、その目に映る好奇心が、アーネストを突き刺す。話が気に入ったようだ。

 アーネストはついで、紫の花が描かれた栞をソフィアに見せる。家に帰って品種を調べようと、ウィリアムから預かっていたのだ。


「この花に見覚えは」


 そうソフィアに尋ねた。自分が植物図鑑を引いて調べるよりも、彼女の知識から探り出した方が早いだろう──その仮定は虚しくもあり、正しくもあった。

 彼女はにんまりと笑ってから、


「綺麗なトリカブトね」


 と漏らした。あまりにさらりと口から出たものだから、アーネストは自分の無知を少しばかり恥じた。

 これは自分で調べたと言えるのだろうか。アーネストは同時に、きまりの悪い思いをした。


「ふむ、なるほど……」


 そして抱いたそのままの印象を、一言で言い表す。


「毒があるとは聞いていたが──こんなに美しい花だとは」


 栞の中では、房になったトリカブトに黄金の陽光が当たり、複雑な陰影を描いていた。それは物憂げな淑女の立ち姿のようで、とても猛毒を持つ花だとは思えない。


「毒があるのは根のほうよ。干すと、皮膚や粘膜から吸収される猛毒になるの」


 話を聞く限り、とてつもなく厄介な毒らしい、と分かった。そんな花がなぜウィリアムのもとに、ということは、きっとこれから分かることだろう。


 アーネストは懐へ栞を仕舞い、小さな協力者へ礼を述べた。


「しかしソフィア、お前探索へついて行きたい、と言ったな。……」


 アーネストは頭を抱えた。この調子だとすぐに自分がはりぼての探偵だと気付かれてしまいそうだ。やはりソフィアの参戦は拒絶しようか。そう思った矢先。


「その心配はないと思うわ」


 ソフィアが言った。声に漏れていたかと思って、心臓が飛び出しそうになった。


「ウィリアムさん、ずいぶんと鈍い人のようだから」


 その時アーネストは、そんなふうに話しただろうかと記憶を辿った。該当部分はない。


「栞に折れた跡があったわ。神経質か大雑把かといえば、後者でしょうね」


 ソフィアは語る。エドガーとはまた異なる切り口からの推理だ。エドガーが知識を武器にするなら、彼女は知恵。子供らしいと言えばそうだ。それは熟達した子供ではあるが。


「お家柄も当ててあげましょうか──産業資本家、それも大工場の」


 当たっていた。ウィリアムはいわゆる、「泥棒男爵」と言われるような家の息子だ。アーネストが正答を意味する沈黙を返すと、ソフィアは根拠を付け加える。


「大学に行くくらいのお金はあるけど、家庭教師を雇うほどでもない。貴族なら君みたいに、護衛を付けたいと思うでしょうね」


 金はあるが、護衛を付ける必要がある程度の知名度と名声、権力への慣れはない。つまり──と、そこまで連想させた。


「ああ、そうだ。あいつは西部一の大企業──ウェスト・アップルトン社の令息だ」


 その言葉を聞いて、ソフィアは満足げに微笑み、大層な家柄ね、と感想を述べた。

 エドガーなら話術で捲し立てて、結論までを全て語っていただろう。彼女のこれは、”聞かせる力”とでも言うべき技術だ。


 彼女は、最初の話に戻るわね、と言って、話したことを総括した。


「だからこそ……彼が鈍いからこそ、私を連れていきなさい」


 その眼光は、もはや少女のものではなかった。アーネストに、了承以外の選択肢はなかった。きっと彼女なら、うまく”頭脳”を隠す方法も考えてくれているのだろう。ここはアーネストの幸運と、ソフィアの知恵と、ウィリアムの蒙昧(もうまい)に賭けて。


「……承知した。──お前はやってくれるだろうという信頼のもとで」


 ソフィアは嬉しそうに笑った。先ほどまでの刺すような視線はそこにない。あったのは、好きなものが夕飯に出たときのような子供の笑みだ。



 バークリーに向かう蒸気船の乗客は、ソフィアとアーネストだけだった。ソフィアにとってそれは想定外のことだったようで、出てから数十分、ずっと不思議そうに口をへの字に曲げていた。


「君こそ、護衛は」


 会話が途切れたとき、彼女はついにそう訊いた。アーネストにとってだいぶ答えづらい質問だったので、回答までには少なからず時間を要した。


 どうすべきだろうか。まだ明かすには早いし、誤魔化したほうがよいだろうか。


 ──否、アーネストはその直前で思い出した。


 彼女はベネディクト家の業を知っている、と。


「ぼくに付いた家臣は、全員がベネディクト家に背いた者なんだ」


 彼女は特に反応を示さない。そこまでは察していたのだろう。家の話をしたがらないメイド、アメリカの食材のみを用いるコック。屋敷の主の歳に対して、使用人の年齢層はあまりにも上だ。探れる要素は他にもごろごろ落ちている。


「ぼくらを守って戦い、落命さえ厭わぬ騎士たちだけは、ベネディクト家に背かなかった──いや、言い方が悪いな。背けないんだ」


 アーネストは目を閉じて、それから少し、憎むべきことを思い出していた。自分でもわかるほど、眉間にしわが寄っている。蒸気船のタービンが、彼を宥めるように声高く鳴く。


「ベネディクト家の護衛は、イギリスを守ると誓った軍人の中から選ばれた人間なんだ。


 だから過去に反逆した護衛は、愛国者たちに処刑された──それから背くものはいない」


 ソフィアは、──あくまでアーネストの見たところによると、だが──反逆の象徴となったアーネストに憐憫の目線を送っていた。アーネストは、何も思わなかった。そんな目線は、慣れていた。


 ソフィアがこちらの肩に凭れかかり、掠れて小さな声で言った。


「まだ冬は終わらなさそう?」


 アーネストもあずかり知らぬ質問だった。


「……終わらない冬はないだろう」


 吐き出したmayに祈りを込めた。

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