14
「で! お父さん、結局記者になったのよ」
一月ほど経って、ソフィアがアーネストの書斎に入り浸るようになっていた。アーネストは文机にふたり分の紅茶を置いて、「良かったな」と感想を述べた。ソフィアは机の上に置いていた植物図鑑を退けて、紅茶を受け取った。
ソフィアは頬を膨らませて、反論する。
「良くないわよ! お父さんのあの演技力なら、役者さんとか、活動写真の男優さんにだってなれたわ!」
エドガーの就職理由を察しているアーネストからすると、その光景は微笑ましく思えた。
「いや……たぶん彼は、お前のために記者を選んだんだと思うぞ」
アーネストの推測を受けて、ソフィアはきょとんと口を開けて呆ける。まだ収まらぬ異常な寒気を誤魔化すため、アーネストは紅茶を流し込んだ。
「お前の誘拐記事は、新聞の隅に追いやられていたんだ。レイモンドの権力に押されて、な」
ここから先は、アーネストに都合のいい解釈だ。いちおう筋が通っているのが憎らしい。
「彼はきっと、貴族に怯まぬ新聞を作りたいのだろう。お前のような者が損をしないよう」
無論これはぼくの妄想だが、と言い訳しようとしたところ、ソフィアに遮られた。ティーカップに角砂糖を入れられるだけ入れたあと、ティースプーンでそれをかき混ぜながら。
「なんだか君とお父さん、似たもの同士ね」
カップの底で溶けずに残った砂糖を掬い、ソフィアはその小さな口に流し込んだ。アーネストは否定も肯定もしがたく思って、とりあえずそう判断するに至った理由を問うた。
「だって──君が”あの”ベネディクト家を好むわけないじゃない」
あまりの驚きで、アーネストの背筋に電撃が走ったような心地がした。
知っているのか、この少女は。自分の家の、残酷な秘密を。
恐ろしさのあまりアーネストが黙っていると、ソフィアはさらに核心を衝いたことを言う。
「今の家から独立するために、君はお父さんの依頼を受けたんじゃないかしら」
図星だった。別に受けた理由自体、別に後ろめたいものではない。いつか言おうとさえ思っていたことだ。
しかし、その理由がソフィアに洩れている、というのに、アーネストは畏怖を覚えたのだ。ベネディクト家の事情も、アーネストの野望も、全て筒抜け。人格の底までその黒い瞳で見透かされていると思うと、心に瑟々と波が立った。
「……ま、別になんだっていいけど。お父さんを利用する気なら、やめときなさいってだけね」
そんなつもりは全くないので、アーネストは「知っている」と答え、アールグレイで唇を温めた。
ティーカップを置き、アーネストは午前中に大学で出たレポートの課題を進める。「成人年齢の適齢期」──アーネストにとっては、興味深い主題だった。
それはソフィアにとってもそうだったようで、気づけば参考資料に目を輝かせるソフィアが目の前にいた。
「法学部?」
「ああ」
ソフィアに応答しながら、資料の論文を読み進めていく。ページを送るたび、彼女の質問は増えていった。単純に単語や言い回しの質問もあったし、調査方法やアンケートのまとめ方など、盲点を衝く質問も多かった。
答えにまごつくアーネストにもどかしさを覚えたのか、ソフィアは唐突に椅子から跳ね上がった。かたかたと机は揺れ、アールグレイが危うく零れそうになる。
彼女はそして、こんなことを宣言した。
「もういい! 私がアーネストさんの分まで調べる!」
アーネストの書斎に植物図鑑を戻し、また文机に戻るとアーネストの参考資料をひったくった。そしてソフィアはめくってあるページを全て元に戻し、表紙を見せる。
「午後はこの資料の疑問点を徹底的に洗い出すわ!」
アーネストの目の前まで資料を掲げ、ばさばさ音を立てて強調させた。アーネストは勢いに気圧されて、何も言えなくなっていた。
アーネストは椅子に掛けておいた白いガウンを引き上げて、去る姿勢をとった。ソフィアを邪魔してはならないと思ったからだ。
「まあ、お前がやりたいならぼくは何も言わないが……」
そうして部屋を出ようとしたアーネストの左腕を、ソフィアは掴んだ。
「何言ってるの。君もやるのよ」
真剣なソフィアに、アーネストは怯んだ。言いづらいことが喉奥でつっかかって、このまま流されてしまいそうになっていた。振り返り、ソフィアの小麦色に焼けた手へ触れる。
「いや、ソフィア、申し訳ないのだが」
何、と機嫌悪そうに聞き返される。雲行きが怪しい。
「午後からは友人との約束で、バークリー市まで出向くんだ。やるならひとりでやってくれ」
アーネストが考えうるソフィアの反応はみっつ。
ひとつ、「つまんない」と興味が途切れ、全く別の本を読みだす。ふたつ、「なんで言ってくれなかったの」と怒られる。みっつ、「友達なんていたの」と皮肉られる。
どれも平等にありえそうな有力候補だ。それでも確率は各々三十パーセントくらいで、残りの十パーセントはどうやっても予想しようがない。
選択肢は全てマイナスな感情が返ってきているが、プラスに受け取られることだって十分ありうる。
気分と関心で予測不可能な動きを見せる、それがソフィアという少女だ。
現に今も。
「なにそれ、楽しそう!」
その十パーセントを引き当てている。厄介だとは思いつつも、アーネストはその”事件”の概要を語らずにはいられなかった。
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