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「で! お父さん、結局記者になったのよ」


 一月ほど経って、ソフィアがアーネストの書斎に入り浸るようになっていた。アーネストは文机にふたり分の紅茶を置いて、「良かったな」と感想を述べた。ソフィアは机の上に置いていた植物図鑑を退けて、紅茶を受け取った。


 ソフィアは頬を膨らませて、反論する。


「良くないわよ! お父さんのあの演技力なら、役者さんとか、活動写真の男優さんにだってなれたわ!」


 エドガーの就職理由を察しているアーネストからすると、その光景は微笑ましく思えた。


「いや……たぶん彼は、お前のために記者を選んだんだと思うぞ」


 アーネストの推測を受けて、ソフィアはきょとんと口を開けて呆ける。まだ収まらぬ異常な寒気を誤魔化すため、アーネストは紅茶を流し込んだ。


「お前の誘拐記事は、新聞の隅に追いやられていたんだ。レイモンドの権力に押されて、な」


 ここから先は、アーネストに都合のいい解釈だ。いちおう筋が通っているのが憎らしい。


「彼はきっと、貴族に怯まぬ新聞を作りたいのだろう。お前のような者が損をしないよう」


 無論これはぼくの妄想だが、と言い訳しようとしたところ、ソフィアに遮られた。ティーカップに角砂糖を入れられるだけ入れたあと、ティースプーンでそれをかき混ぜながら。


「なんだか君とお父さん、似たもの同士ね」


 カップの底で溶けずに残った砂糖を掬い、ソフィアはその小さな口に流し込んだ。アーネストは否定も肯定もしがたく思って、とりあえずそう判断するに至った理由を問うた。


「だって──君が”あの”ベネディクト家を好むわけないじゃない」


 あまりの驚きで、アーネストの背筋に電撃が走ったような心地がした。


 知っているのか、この少女は。自分の家の、残酷な秘密を。


 恐ろしさのあまりアーネストが黙っていると、ソフィアはさらに核心を衝いたことを言う。


「今の家から独立するために、君はお父さんの依頼を受けたんじゃないかしら」


 図星だった。別に受けた理由自体、別に後ろめたいものではない。いつか言おうとさえ思っていたことだ。


 しかし、その理由がソフィアに洩れている、というのに、アーネストは畏怖を覚えたのだ。ベネディクト家の事情も、アーネストの野望も、全て筒抜け。人格の底までその黒い瞳で見透かされていると思うと、心に瑟々と波が立った。


「……ま、別になんだっていいけど。お父さんを利用する気なら、やめときなさいってだけね」


 そんなつもりは全くないので、アーネストは「知っている」と答え、アールグレイで唇を温めた。


 ティーカップを置き、アーネストは午前中に大学で出たレポートの課題を進める。「成人年齢の適齢期」──アーネストにとっては、興味深い主題だった。


 それはソフィアにとってもそうだったようで、気づけば参考資料に目を輝かせるソフィアが目の前にいた。


「法学部?」

「ああ」


 ソフィアに応答しながら、資料の論文を読み進めていく。ページを送るたび、彼女の質問は増えていった。単純に単語や言い回しの質問もあったし、調査方法やアンケートのまとめ方など、盲点を衝く質問も多かった。


 答えにまごつくアーネストにもどかしさを覚えたのか、ソフィアは唐突に椅子から跳ね上がった。かたかたと机は揺れ、アールグレイが危うく零れそうになる。


 彼女はそして、こんなことを宣言した。


「もういい! 私がアーネストさんの分まで調べる!」


 アーネストの書斎に植物図鑑を戻し、また文机に戻るとアーネストの参考資料をひったくった。そしてソフィアはめくってあるページを全て元に戻し、表紙を見せる。


「午後はこの資料の疑問点を徹底的に洗い出すわ!」


 アーネストの目の前まで資料を掲げ、ばさばさ音を立てて強調させた。アーネストは勢いに気圧されて、何も言えなくなっていた。

 アーネストは椅子に掛けておいた白いガウンを引き上げて、去る姿勢をとった。ソフィアを邪魔してはならないと思ったからだ。


「まあ、お前がやりたいならぼくは何も言わないが……」


 そうして部屋を出ようとしたアーネストの左腕を、ソフィアは掴んだ。


「何言ってるの。君もやるのよ」


 真剣なソフィアに、アーネストは怯んだ。言いづらいことが喉奥でつっかかって、このまま流されてしまいそうになっていた。振り返り、ソフィアの小麦色に焼けた手へ触れる。


「いや、ソフィア、申し訳ないのだが」


 何、と機嫌悪そうに聞き返される。雲行きが怪しい。


「午後からは友人との約束で、バークリー市まで出向くんだ。やるならひとりでやってくれ」


 アーネストが考えうるソフィアの反応はみっつ。


 ひとつ、「つまんない」と興味が途切れ、全く別の本を読みだす。ふたつ、「なんで言ってくれなかったの」と怒られる。みっつ、「友達なんていたの」と皮肉られる。


 どれも平等にありえそうな有力候補だ。それでも確率は各々三十パーセントくらいで、残りの十パーセントはどうやっても予想しようがない。


 選択肢は全てマイナスな感情が返ってきているが、プラスに受け取られることだって十分ありうる。

 気分と関心で予測不可能な動きを見せる、それがソフィアという少女だ。


 現に今も。


「なにそれ、楽しそう!」


 その十パーセントを引き当てている。厄介だとは思いつつも、アーネストはその”事件”の概要を語らずにはいられなかった。 

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