12
その日のうちに市警が現場へ立ち入り、レイモンドは連行された。現場にいたアーネストや誘拐された被害者も、事情聴取で市警へ連行された。
はずだったのだが。
「ぼくは誘拐された者の一人──ソフィアを追って事件解決に踏み出した」
取り調べで彼女の名を口にしたとたん、警官が不思議そうな表情を浮かべた。
「ソフィア?」
「ああ。十二月六日にカリフォルニアのマーセドで失踪した……」
警官は振り返り、記録を行うもう一人の警官に確認を取った。アーネストにはそのざわめきの理由がわからず、黙って趨勢を見ることしかできなかった。
「被害者名簿には”ソフィア”という人間はなかったが。君、何か思い違いをしているんじゃないか」
アーネストは、警官の言葉の意味がわからなかった。現場にいた、と主張を貫くアーネストの様子を見て、警官は確認のため席を外した。
しばらくは、記録の警官とアーネストの間に気まずい沈黙が流れた。空気に耐えきれずなにか世間話をしようかとアーネストが思った折に、ノック音が響いた。
先程の警官が入室し、そのままの流れで席に着いた。両手に抱えていた書類を机に叩きつけ、端を均す。そして、徐々に口を開く。
「犯人も、十二月六日に"ソフィア・ファーディナンド"という人物を攫ったと自供したが、」
警官は俯いて、喉元につっかかった言葉を口にしようとする。咳払いを契機に、ようやく続きを話しだす。
「現場や被害者名簿には、そんな人物はいなかった。新聞社やマーセドの役所にも問い合わせたが、そんな人物は確認されなかった」
声こそ出さなかったが、アーネストは心臓も止まるような衝撃を覚えた。
ソフィアが、存在しない事件に取り組んだ動機を失ったことにより、アーネストの心底にはぽっかりと穴が空いた。その穴を埋めるため、「そんなわけあるか」と叫びたいような気がした。
警官はおかしな現実に困惑し、頭を抱えた。アーネストもアーネストで、瞼の裏に染みついた黒髪の少女の影を疑っていた。
警官はしかし、ため息をついて、
「……まあいい、君も動転していたのだろう。それでは質問を続ける──」
市警を出たアーネストを迎えたのは、黒髪の少女だった。
「事情聴取お疲れ様、アーネストさん」
ソフィアはそう言って、皮肉っぽい視線を送って笑う。胸元まで伸びた濡れ羽色の髪が、黄昏の陽にきらめく。
「お前……エドガーの娘の」
取り調べ室で存在を否定された亡霊が、ラスベガスの道に影を落としていた。ソフィアは肯定を返し、遅すぎる自己紹介をした。
「私はソフィア・ファーディナンド。今年で十二歳になるわ」
ソフィアは、青と白のボーダーに編まれたポンチョを翻す。そのポンチョは獅子のたてがみの要領で、ソフィアの存在感をより強めていた。
「アーネストさんに聞きたいことも、話したいことも、山ほどあるの」
そうか、彼女は事の顛末をまるで知らないのか。どこか人混みを離れてふたりで話せる場所はないか、相談を持ちかける前にソフィアは要求をぶつけてきた。
「あそこの喫茶店で、とかどうかしら」
彼女が指した先の喫茶店の窓から、アイスクリームの撹拌機らしきものが見えた。案外子供っぽい一面もあるのだと、アーネストは認識を改めた。どうもそれまでの彼女は、無害であることの呈出に、頑是ない振る舞いを心がけているようにしか見えなかったのだから。
口が立つからか、この親子は自然な流れで自分が得をする方に持っていくのがうまい。いつまでも人の優位に立てないアーネストからすれば、至極羨ましい話だった。
アーネストは見舞い金のつもりで、その提案を呑んだ。彼女はうわあい、と作り物めいた歓声を上げ、アーネストの腕に抱きつく。妙なのに懐かれてしまった。
アーネストは、エドガーと出会ってからいままでを語った。ソフィアはその話を、案の定強請られたアイスクリームを頬張りながら聞く。ソフィアは相槌より、極寒の中アイスクリームを食べる苦行の方に気を取られていた。
アーネストが話し終えると同時に、ソフィアの容器が空になる。そして一言。
「災難だったわね」
心の底から気の毒そうな顔だった。きっとエドガーのことを言っているのだろう。
アーネストは激しく首を縦に振って、大変だった、と疲労を込めて言った。この疲労の半分は、エドガーの漫言への相槌が原因だ。適当なことばかり言うし、向こう見ずなことも多い。ある程度そうしてあの男への不満を放出してから、
「……だが、能力に関しては高く評価している」
と、総括した。つまらなそうに聞いていたソフィアは、途端に嬉しさを表情に滲ませた。
「ならよかった」
そしてソフィアは、彼女の「話したいこと」に入る。懐かしくて、でもどこか悲しい何かを、その黒真珠の瞳に映して。
「お父さんは、ずっとひとりだったのよ」
どうもそれは、現実味のない話だった。あの社交的で明るいエドガーの為人からして、周囲から人が大勢集まってきそうなものだが。
「お父さんは……ある事情があって、このアメリカ大陸を転々としてるの。仕事も日雇いの、奴隷がやるようなのを選んで」
それならば「ひとり」は納得のいく話だ。だが、エドガーのような人間をそこまで追い詰めた「事情」とやらが気になってしまう気持ちも少しばかりあった。
「ひとり」のエドガーと共に生きてきたソフィアは、黒百合の蕾がほころぶように笑った。
「だから私、お父さんがもうひとりじゃないのが、とっても嬉しいの」
声を上げるような、偽りの喜びでなく。その言葉だけは、ソフィアから漏れた本当の喜びだった。
「でもぼくは、この事件の代弁をするだけの”顔役”だから……」
解決した今、エドガーと共にいる理由はない。言外に告げると、ソフィアは「知ってる」と言い切った。
「でも……ちょっとだけ、ひとりじゃないお父さんがいたってだけで嬉しいの」
ソフィアは、健気に笑った。そのひたむきさに感動しそうになったアーネストだったが。
──ちょっと待て。
この親子が、そんな利害度外視の献身をするタイプでないのは、散々わかった話だろう。
違ったら彼女への相当な聊爾になりうるが──何かしら裏がありそうだ。その線を常に傍らに置いておいて思考をしようと、アーネストは決意した。とりあえず、「そうか」という合いの手だけでその場を流した。
アーネストはストレートティーを唇の間から少しだけ差し込んで、話題を変えた。彼にとっての本題に入ったのだ。
「話は変わるが……お前、先程の事情聴取を受けなかったのは何故だ」
アーネストがその単語を口にすると、ソフィアは初めて嘘の味を知った子供のように首を傾げた。わざとらしい動きだった。エドガーのそばで生きてきたならば、嘘は飽きるほど口にしてきただろうに。
アーネストは咳払いをして、
「いや……本質に踏み込んでしまうが──」
はっきりと、言い放つ。
「お前が書類上存在しないのは、何故だ」
ソフィアは、あら、と感動詞を投げた。稚い顔立ちに、驚きの色は見えなかった。ここまで予想通りなのだろう。きっと、アーネストを市警の出口で迎えたときから。
「知らないわよ。私、子供だもの」
肝心なときだけ子供になってしらを切る。エドガーもソフィアも、ハリウッドかなにかに出たほうが有意義な人生を歩めるのではないか。自然すぎる嘘を見て、アーネストは思った。
「知りたいのなら、お父さんに訊いて」
アーネストには、アイスクリーム分のセントを空費したという喪失感だけが残った。
「あいつ……お前の父は、きっとのらりくらりと躱すだろうな」
無茶だ、あの男から個人情報を聞きだせだなんて。口の中に香るアールグレイの香りが、喉の奥でほろ苦く味を変える。
「アーネストさん、口下手そうだもんね」
エドガーが口達者すぎるのか、アーネストが口下手なのか、それともその両方か。アーネストの預かり知らぬ真実だったが、いずれにせよエドガーを相手にするには練度が浅い。
──いやもう一度ちょっと待て、アーネスト・ベネディクト。
アーネストは、エドガーとの初対面を思い出す。なにか、忘れていることがある。
そうだ、この”顔役”を引き受ける報酬は。
閃いたアーネストは、いつもより大きい一口で紅茶を飲む。そして、タイルの模様ばかり見ていた碧眼を再びソフィアの方へ戻す。
「時にソフィア。エドガーは今どこにいる」
突然舵を切ったアーネストに、彼女は困惑の色を浮かべた。
「ここの近くのホテルで寝てるけど……」
そういえば彼は、昨夜をここまでの運転で潰していた。そんな相手を起こしてしまうのは忍びないが、あいにくアーネストは翌日カリフォルニアで感謝状の授与が控えている。起きるのを待っている暇はない。
「いやなに、まだ報酬を貰っていなかったからな」
アーネストは最後の一口ののどごしを楽しんだあと、ソフィアを連れて席を立った。
子供に金の話をするなんて無粋だと思い、報酬の件は伏せてソフィアに話をしていた。が、よく考えれば金だけとは言われていない。唯一事情を知らないソフィアが、小さな口を丸く開けっ放しにしていた。
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