11

「マッキントッシュ……フォーチュン伯爵の家名だな」


 逆光で相手の顔は見えないが、きっと愉悦に歪んだ顔をしているのだろうと、アーネストは思っていた。相手はシルエットの中でシルクハットを直し、また芝居がかった動きでこちらに語りかける。


「ああ、まさしく。よく知っているね。さあ、君の名を問おうじゃないか」


 アーネストは、大きな声を出す準備をした。エドガーが託したニッパーの意味を、ようやく理解したからだ。


「ぼくは、アーネスト」


 指先で、鎖と手錠を探る。鎖と手錠の接合部分さえ切ってしまえば、全身の自由がいっせいに戻ってくる。頑健な鎖は切れそうにないが、手錠の鎖は軽いアルミ製のものだ。アーネストなら、ニッパーで楽に切れるだろう。


 ニッパーの刃を、手錠の鎖に押し当てる。ばちん、という音を悟られぬよう、声量を上げる。


「アーネスト・ベネディクト、誇り高きベネディクト家の末席に座するものだ!」


 壊れた金属の輪が、床に落ちてちゃりん、と鳴った。しかし、どうやらレイモンドはそれを気にしている場合ではないようだ。


「手の込んだ嘘も度が過ぎるとボロが出るぞ! あのベネディクト家が、オンニシェント公爵が、こんな砂漠にいるはずがない!」


 アーネストは、ついに席を立った。円卓や警護の者からは驚きの声が微かに上がったが、誰もアーネストを妨げようとはしない。

 レイモンドには、忠誠心を貫く家臣も、臨機応変に対応できる用心棒もいないようだ。人望のない男だ。


「オンニシェント公爵は父の話だ。ぼくには関係ない」


 アーネストは、レイモンドの方へ歩く。暗がりの中階を足裏で探り、一段一段登っていく。

 頂上へ着いた頃には目が慣れて、レイモンドの輪郭がはっきりと浮かび上がった。


 齢は、二十歳と少しばかりか。元々はブロンドだったのだろう髪が、成人するにつれて色素が濃くなり、今ではすっかり焦げ茶色だ。プライドの高そうな鷲鼻と黒いベストが、いかにもヒールの役回りを強調させている。


 彼は何気取りなのか大きな玉座に腰かけて、ふんぞり返っていた。


「ぼくは、腐敗した貴族社会から抜け出したいだけの男だ。それ以上でもそれ以下でもない」


 レイモンドの爪先を、思い切り踏みつける。そして耳元で、静かな怒りを込めて言った。


「……公爵になることもない」


 そしてアーネストは、レイモンドの手を引いて彼を立ち上がらせた。レイモンドの太いタイを引っ張り、手のひらで円卓を指し示した。


「ぼくは『愚者』らしいからな。貴様に問おう」


 レイモンドのせいで面倒事に巻き込まれたが、レイモンドのおかげでエドガーという標にすべき男と出会えた。


 そう考えるとこの経験は悪いものでもなかったが、客観的にはあまりにも自己中心的で汚い手だ。青少年という弱者を巻き込む根性も、アーネストは嫌いだった。


「一体何故、こんなことをした?」


 タイが締まって、レイモンドは呻き声をかすかに上げる。しかしそんな状況においても、レイモンドは饒舌に動機を語る。


 ぽつり、と、鍾乳洞に落ちる雫のごとく単語を漏らした。


「神、」


 神。反芻してからアーネストは、「は?」と苛立ちを込めて聞き返す。言っている意味がわからない。


「神に……神にこの寒さをお止めいただきたかったんだ」


 レイモンドの、曖昧な灰色の瞳孔が開く。高らかに彼は笑った。アーネストがその狂気に満ちた表情を見ると、奔走的な怖気が脊椎を走る。


「イエスも、十二と一から始まった。


 そう──神に相応しきは、世界の概念を理解する高い知能と、新しい世界を受け入れる純粋さを持った青年たちだ!」


 つまり彼は、この異常気候を人間の手に余る事態だと考えたらしい。世間知らずのアーネストが見ても、確かにこの寒気は異常な影響を各地に与えている。


 そこで彼は現人神を創り出し、事態の収束を目指した、と。


 子供の落書きのように、徹夜明けに見る白昼夢のように、荒唐無稽で無秩序な願望だと思った。そのめちゃくちゃな願いを、本当に叶うと思って遂行してしまったから、レイモンドは誘拐犯に堕ちたのだろう。


「はっ、くだらん」


 アーネストは思い切って、そう口にした。こんなに遠回りさせられた原因が、この程度とは。

 アーネストならまだ巻き込まれただけだからいい。あんなに切り札集めに奔走して、推理して、車を走らせたエドガーの無念といったら。


 アーネストの言葉に逆上して、ついにレイモンドはタイを掴む手を払った。重心がぶれた身体は一度前のめりになるが、一ステップでなんとかバランスをとる。

 そして、鼓膜が裂けそうなほどの声で言った。


「お前に何がわかるんだ!」


 上位者に手は出せまいと我慢していたものが、彼の中で弾けたようだ。そこから先の行動は早かった。


 彼は懐からリボルバーを取りだし、ソーサーグリップでアーネストのこめかみに当てた。冷たい金属の感触に、アーネストは怯む。


「口外しないと誓え。逃げるなら撃つ」


 彼は思考が短絡的なきらいがあったが、ここまで行動的な人間だとは思わなかった。焦りが、思考力を奪う。それが狙いなのだろうが、この瞬間のアーネストは、まんまとそれに引っかかっていた。


 身分が割れている以上、口外すれば身辺に危害が及ぶかもしれない。ならばここで起きたことは全て忘れ、闇の中に葬るしか手はないのかもしれない。


 それが、"大人"の対応ならば。


 承知した、を言うカンマ一秒前。


 銃声が轟き、爆風がアーネストの横を駆けた。


 背後で、レイモンドの手を離れた拳銃が落ちる音がした。アーネストはその奇妙な一連の流れのわけを、その場の誰よりも早く理解した。


 倉庫の扉が開き、白飛びするほどの光が飛び込んだ。二度三度瞬くと、ようやく彼の輪郭が浮かび上がった。


「誘拐した奴を全員解放しろ」


 人生経験を積んだ者のみが許される、厚みのある低い声。給水を終えたエドガーが、遅ればせながら推参してきたのだ。


「あと、そっちのブロンドの坊ちゃん。そいつも離してくれなきゃ、……いやあ、はは、困っちまうなぁ」


 アーネストには、その「困っちまうな」の意味がわかった。「アーネストを取り戻せなくて困る」のではなく、「レイモンドを殺さなくてはいけなくなって困る」のだ。


 あからさまに敵意を見せつけるエドガーに面食らうと同時に、この男の発言の行間まで読めるようになってしまった自分に辟易した。


「そうだアーネストくん。撃ち込んじまったから銃は動かねぇが、鈍器としてなら使えると思うぜ。マガジンの方で、鳩尾でも殴打すりゃ……」


 楽しそうな声音のエドガーとは対照的に、レイモンドはかなり焦っているようだった。圧倒的にこちらの有利。力量差は歴然だった。


「わかった! 私が悪かった! 人質を解放しよう!」


 いよいよ命の危険を感じたのか、レイモンドは護衛の人間に対して解放の指示を出した。するとレイモンドのやり方に不満を持っていた者も多かったのか、こぞって臣下たちは円卓の青少年を解放していく。


 解放された青少年の反応は、さまざまだった。レイモンドに罵倒を吐きつける者。文句を言う者。鼻で笑う者。いつの間に目を覚ましたのだろうか、ダイアナもステージ上のレイモンドを見て、苦笑いを浮かべていた。


 現場保存のためか、エドガーは円卓全体に現場待機を命じる。その中でひとりだけ、席を立つ少女がいた。制止の声は聞こえない。彼女の周りだけ、スポットライトで照らされているようだった。彼女は木の靴でステージを登り、レイモンドの正面まで来た。


 黒い髪に、黒い瞳。闇の中でも浮きたつ知的な双眸に、アーネストは見覚えがあった。


 ソフィア・ファーディナンド。小さな躯体に反し、彼女の表情は覇王か武神に似ていた。


「あなた、人望がないみたいね」


 わざわざ罵倒しにきたのか、と思えば、


「ここにいる間、ずうっと退屈だったわ。出される本はすぐ読み切っちゃったし、あ、あとベットは硬かったし!」


 重ねて文句を言い、そして、


「福利厚生もちゃんとしていないから、部下に愛想つかされちゃうんじゃないかしら」


 もう一度罵倒し、嘲笑を浴びせた。フルコースだった。わざわざ目の前で言うために、ステージ上まで上がったのだろうか。彼女の外見は全く似ていないが、そういうふてぶてしいところや意地の悪いところには、エドガーの血を感じた。


 レイモンドは、怒りや失望で何も言えなくなっていた。よろよろと玉座に身を預けたのを見て、ソフィアはつま先の向きを変えた。アーネストの方へ、その木製のつま先を向ける。


「君……アーネストさん、だったかしら。事情はわからないけれど……お父さんがごめんなさいね」


 まったくだ、と言いたかったが、本人の前なのでやめた。当たり障りなく、社交辞令程度に首を振るだけに留めることにする。


「このレイモンドって男を市警にぶち込んだら、ちょっとお話しましょうよ」


 言いながら、ソフィアはだんだんと距離を詰めてきた。念押しの「ね?」を言うころには、手を握られ首を傾げられていた。すこし、いやなかなか、いやかなり気乗りしない提案だったが、有無を言わさぬ雰囲気にアーネストは思わず頷いた。


 わあい、と無邪気に喜ぶ姿は完全に十そこらの少女だが、……なんというか。エドガーの娘だからか、それさえも嘘っぽく見えてしまった。


「アーネストさん、市警の方を呼んでちょうだい。現行犯ならすぐに捕まるでしょう」


 口元はたおやかに笑っていたが、鋭い眼光には有無を言わさぬ迫力があった。アーネストは操られたマリオネットのように、その指示の遂行に動きだす。


 アーネストが見たときには、すでにエドガーは消えていた。エドガーの愛車もない。ラスベガスを歩く群衆を見ても、エドガーらしき人物は見えない。


 そういえば──初めて会ったとき、「昔警察と色々あった」と言っていた。彼にとって、警察とは天敵のようなものなのかもしれない。今更言えたことではないが、なぜあんな男と組んでしまったのか──そんな後悔がどこかにあった。

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