10

 タイヤから伝わる激しい振動で、目を覚ました。吹雪はもう顔に当たらない。代わりに、雪に濡れたガウンをさらに冷ますような冷気が突き刺さる。


「いいとこで起きたな。ラスベガスだ」


 広がるのは、一面の乾いた砂漠だった。東の空が、紫色に光っている。エドガーは馬車が車で時間がかかるからと、蒸気自動車に給水ができるオアシスを探していた。


 静まり返った朝の街。ふと遠く後方から、がたん、という馬車の車輪の音がした。エドガーと同時に、その音の方を向く。

 黒く高級な造りの馬車──キャリッジが、四頭の馬に引かれて走っていた。御者がいいのか、スピードがかなり出ている。


 馬車に刻まれた紋章に、アーネストはぼんやりと見覚えがあった。どこのものかは、思い出せそうになかった。


「エドガー、あれか」


 アーネストのとっさの問いに、エドガーは頷く。追いかけよう、と視線で指示を送るが、エドガーはその提案を却下した。


「水がねぇ。俺は後で行くから、あんたはあれを追ってくれ」


 そう言って、アーネストに手払いをした。躊躇いはあったが、自分一人いたところで、この男の助けにはならないだろう。承知した、と言い残して、アーネストは朝の砂漠を駆けた。


 ふと思い出して、アーネストは懐の重量感を探る。エドガーに貰ったニッパー。作戦で使うと言っていたが、本当だろうか。


 いやでもあの男のことだから、ふざけて準備するとなれば、もっと馬鹿馬鹿しいものを渡してくるだろう。ニッパーなんて中途半端なものじゃ、きっと彼の悪戯心は満たされない。つまり、このニッパーにはなにか意味がある、とアーネストは推察し、右手に握った。



 一心不乱に、馬車が残したわだちを走って追う。アーネストの息が切れたころ、同時にその轍も途切れた。


 顔を上げる。


 そこには、古くなったレンガ造りの倉庫がそびえていた。正面にある鉄扉には、真鍮の南京錠がかかっている。先程まで追っていた馬車を探すため、辺りを見回そうとしたとき。


 ──背後に突然現れた殺意に、身の毛がよだつ。銃か何かを、突きつけられている。


「ここに何をしにきた」


 後ろの男は、登場からノータイムで問いかけてきた。なにか上手い返しはないか、こちらが優位になるような交渉に引き込めるような。


 いや──そんなことが狙ってできるのは、あの男くらいのものだ。アーネストは正直に言うことにした。


「……誘拐事件の解決に来た」


 アーネストの答えを聞いて、空気がざわめいた。何かが背後から近づいてきている──と気づいたときには遅かった。


 後ろから羽交い締めにされ、アーネストは両腕の自由が利かなくなっていた。そしてもう一人の人間が来ると、左手に手錠をかけた。右手に左手を近づけ、右手にも手錠をかけた。


 全く訳が分からないうちに、アーネストは両腕を拘束されていた。ニッパーはなぜか後ろめたいような気がして、咄嗟にジャケットの外ポケットにねじ込んだ。


「お前がこの場所を突き止めたのか」


 いや、エドガーが──と言いかけたのを、アーネストは口先で留める。自分が顔役をやっているのは、二人だけの秘密だ。外の人間に対してアーネストは、貫徹して「名探偵」の仮面を被っていなくてはならない。


「ああ、ぼくが突き止めた。骨が折れたな」


 でも実際、ダイアナの居場所を推理したのはアーネストだから、一から十まで嘘ではない。


 現実味のある嘘をつくコツは、真実を混ぜること──自分は、エドガーのその教えに則ったにすぎない。そう暗示をかけて、嘯く罪悪感を麻痺させる。


 アーネストの言葉を承け、男たちは手錠に鎖を繋ぐ。


 どういうことだ、とアーネストは叫ぶ。後ろの男が、アーネストの後頭部に銃を押し当てた。


「お前が十三人目だ。ここまで来た人間なら、察しはつくだろう?」


 アーネストは、十三人目の意味はおろか、なぜ今身体の自由を奪われているのかすらもわからなかった。


 落ち着け、ここははったりで通すんだ。アーネストは自分にそう呼びかけ、「まあ、なんとなくの域を出ないが」と返事を投げる。


 アーネストの返事を聞いて、男たちは手錠についた鎖を引く。後ろには銃。抵抗のしようもない。アーネストは素直に、導かれた方向へ歩く。


 倉庫の扉が開けられる。薄暗い世界が広がる。


 倉庫の正面には、大きな円卓があった。


 そしてその奥には、ひとつの人影が見える。


「円卓……?」


 先程の「十三人目」という発言と、目の前の風景とが繋がる。昔メイドに読み聞かせられた、「アーサー王伝説」という本を思い出した。


 たしかアーサー王の円卓には、キリストと使徒を模して十三の席があった。しかし十三人目の席は呪われ、常に空席になっていた。裏切り者──「イスカリオテのユダ」の席だったからだ。


 つまり、十三人目のアーネストは──その空席を、埋める人間なのではないか。そこまで思考が至ると、アーネストは事件全体の思惑を悟った。


 犯人が、事件現場に大アルカナを落としていった意味は。

 円卓の向こうの人影が語りかける。


「ようこそ、十三人目の天才──『愚者』」


 切り札を追い、この場を突き止められるほどの頭脳を見つけだすためだ。そうなると、設えられた「裏切り者」の席が相応しく思えてきた。


「さあ、円卓へ」


 奥の人物が言うと、鎖を引かれて円卓の席へと座らされた。円卓の脚に、鎖を取り付けられる。

 座りながら、かろうじて円卓に並んだ面々は見られる。その中から、昏睡したダイアナの顔と、どこかで見たことのある幼い少女の顔を認めた。


 彼女の名前を思い出す前に、奥の人物が話しだす。


「名はなんという」


 随分と偉そうな口ぶりだった。アーネストは頭にきて、反駁した。


「相手の名前を先に聞くのが、貴族の礼節なのか」


 アーネストの反語的なそれを承けると、奥の人物は笑った。男のようにも、女のようにも聞こえる声だ。


「すまないね。確かにそうだ。


 私はレイモンド・マッキントッシュ。貴族の端くれさ」


 マッキントッシュ──どこかで聞いたことがある。そうだあの、馬車に刻まれた家紋。あれはたしか、マッキントッシュ家のものではなかったか。


 彼の発言が本当で、本物のマッキントッシュ家の人間となると──少々面倒なことになる。マッキントッシュ家とアーネストのベネディクト家は、古くから軍事面で協力関係にあるからだ。


 友好関係にある家の評判を意図的に落としたとなれば、大人の対応ができなかったアーネストは詰られる。たとえ相手が百悪かったとしても。ベネディクト家は、そういう家だった。


 そんな非情な現実を目の当たりにした途端、アーネストの中で何かがぷつんと切れた。


 あまりにも、くだらない。そんな社会構造も、それを気にして懊悩する自分も。呆れ、怒り、羞恥、そんなものが混じり合った気分だった。


 アーネストはこのとき初めて、「ベネディクト家」から逃げる覚悟を決めた。ベネディクト家のアーネストでなく、アーネスト・ベネディクトとして生きる覚悟を。



 ぼくは、ぼくの信じる道を歩んでやる。

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