セントジョージアに着いた頃には、太陽が西の方に傾き始めていた。それでも依然として寒いこの国は、一体どういうつもりなのだろうか。


 怪しさ満点のエドガーを足に、アーネストは聞き込みを行った。エドガーの指示通りに、「生き別れのきょうだいを追っている」と嘘をついて人々を巡る。

 特徴を言い終えると、人々が決まって口にする名があった。


「『若きアスクレピオス』を探してるのか」


 おそらく次の被害者はその人だろうと、ふたりは目星をつけていた。



「若きアスクレピオス」こと、ダイアナ・サビク──彼女は、セントジョージアの南端で病院を営んでいるそうだ。歳はアーネストと同じか少し下くらいなのにもかかわらず、卓越した医学の知識と技術を持っているらしい。


「頭文字、居住地ともに合致。人物像も当てはまってる。


 ……よしアーネストくん、この嬢ちゃんのとこに行くぜ」


 エドガーはそう言うと、蒸気機関を蒸かしはじめた。


「まさか、いまから?」


 アーネストの背後では、今にも太陽が地平に沈もうとしている。いくら神の名を冠していても門前払いされるのでは、との懸念が浮かぶ。


 エドガーは、明るい笑いを零した。


「そこをなんとかするのが、顔役の役割だ」


 十中八九面倒事だろうな、と悟り、嘆息した。


 間もなく日は沈み、ダイアナの家に着くころには街の輪郭は闇にぼやけていた。


「いいかアーネストくん。ダイアナちゃんの病院に駆け込んで、──」


 エドガーが耳打ちで作戦を伝える。ダイアナの同情を惹いて警戒心を削ぎ、事件の概要を話す、といった筋だ。


「……でも、これだと色々と問題が、」

「お?貴族だから平民に助けは求められねぇってか?」


 エドガーは全てを見透かした上でそう言っていた。食えない相手だ。


「いや……ぼくではなくて、あなたが……」


 彼の作った台本の中で、彼は完全なるヒールになっていた。


 それでいいのか、と問いかけたつもりだったが、「俺とあんたじゃ身分が全然違う」と言われてしまった。まるで、貴族全体に何かしらの因縁があるかのように。


「……まあいい、やってみよう」


 車から降りて、ダイアナの家の前まで走る。



 息を、深く吸った。



 違う魂を入れたつもりで、叫ぶ。


「夜分遅くにすみません! 開けてください!」


 幾度も診療所の扉を叩き、助けを懇願する。今まで通りの人生を送っていたなら、決してできなかった体験だ。脈拍数は跳ね上がり、顔に熱が集まる。


 なぜ、恥じているのか。

 平民でも、恥じる行為なのだろうか。

 もし、そうでないのなら──自分は無意識下で、この地位に甘えていたということになる。


 だから、エドガーにあんなことを言われてしまうのだろうか。

 そう考えていると、叩いていた扉が開いた。すかさず拳を下ろし、出てくる人間を待った。


「どうしました!」


 アーネストの目の前に現れたのは、ひとりの少女だった。アーネストより二十センチほど背が低く、だいたい十五歳ほどに見えた。暗い金髪を一纏めにして編んでいて、気弱そうな印象を受ける。


「っ、追われているんです、匿ってください!」


 何に、とも訊かず、彼女はアーネストを中へ引き込む。背中で扉を閉めたあと、その向こうで「どこ行きやがった」とエドガーの声が駆け抜ける。


 エドガーが出した計画は、「エドガーから逃げ延びること」を口実に、ダイアナへ接触する──といったものだ。彼はアーネストが聞き出したわずかな情報を基に、「ダイアナはどういう行動をするか」を読んだ。こうしてアーネストが診療所へ入れたのも、偏に彼のおかげだ。


 安心したように、肺に溜めた空気を吐き出す。演技は下手なほうだったが、突然のことで目の前の彼女には疑われていない。彼女は落ち着きを取り戻すためか、ロイド式の眼鏡を上品な所作で上げた。


「ありがとう、ございます……申し訳ありません、もう診療時間も終わっているのに」


 ひょっとしたら、アメリカに移り住んで初めて丁寧な語調を使った瞬間かもしれない。それほど、周りに貴族が少ないのだ。


「いえ……お怪我はありませんか」


 目の前の少女は、口元に慈悲深い笑みを浮かべた。女神はきっとこんな声なのだろう、と思うほど、暖かくて優しい声だった。


「あ、はい、大丈夫です」


 アーネストが言うと、沈黙が流れた。きっとその少女は、優しい性格がゆえに、事情を訊きたくても訊けないのだろう。

 事情を伝えるていでダイアナに警戒を促す、というのが今回の作戦の肝だ。自分から話しださないといけない、とすぐさま悟った。


 私の名をアーネストと申します、と慣れない口調で自己紹介をする。そこから、本題へと切り込んでいく。


「実は私、ある事件を追っていまして」


 アーネストが口を開くと、少女は徐に相槌を打つ。


「近頃近隣の州で発生している誘拐事件、ご存知でしょうか」


 少女は至って素朴な動作でかぶりを振った。アーネストもエドガーに会う前は知らなかったのだから、当然のことだ。


 アーネストは事件の概要を正直に話すとともに、「自分は連れ去られた妹を追っている」と嘘を交えた。


 現実味のある嘘をつくコツは、真実を混ぜること、とはエドガーの教えだ。それに、これで聞き込みの噂が少女に流れてきても辻褄が合う。


「それで……この誘拐事件に法則性を見つけた私は、次に誘拐されるであろう方に訪問し、その核心へと迫ろうとしたのです」


 これは本当の話だ。次に言うのは肉付けのための嘘。このままの流れで、言えばいいだけ。真実だと暗示しながら、口に出す。


「しかし犯人の仲間と見られる男に勘づかれ──口封じのため殺されそうになったところを、あなたに助けてもらった、ということです」


 犯人の仲間がそんな容易に出てきたら、こんな苦労はいらない。アーネストは心中で悪態をついた。


 そこまでで、エドガーの台本は終わり。筋道立てられた嘘を吐く必要はなくなった。アーネストは、元の正直者に戻ったのだ。


「次の被害者として候補に上がっているのは……『若きアスクレピオス』こと、ダイアナ・サビクさん。彼女をご存知でしょうか」


 ご存知に決まってる、とエドガーのツッコミが聞こえた気がした。彼女はこの街の有名人で、そうでなくともここは彼女が働く病院だ。知らないわけがない。


 アーネストの言葉に、少女は顎をはね上げる。丸いメガネの奥で、灰色の瞳が驚いて見開かれた。


「私……っ!」


 ご存知どころの話ではなかった。


 彼女が、『若きアスクレピオス』ことダイアナ・サビク。目の前の、この平凡な少女が。にわかには信じがたかったが、反応からするにそうなのだろう。


 そういえば"あの"エドガーも──多少の胡散臭さはあれど、ほかはそこらの酒場にでもいそうな外見だ。静かな川の水は深く流れる、とはこういうことなのだろうか。


「アーネストさん?」


 眼鏡を戻したダイアナに呼びかけられて、はっとした。


「ああいえ……あなたがダイアナさんなら話はお早い。私に、協力していただけませんか」


 アーネストが提案すると、ダイアナは強く頷き、「私で良ければ」と添えた。


 ここまでアーネストが見てきて──彼女はどうやら、純粋すぎるところがあるようだ。それは十分な長所だが、ときに短所にもなりうる。


 半刻前初めて会った男の依頼を、よく内容を訊きもせず請けるとは。昨朝エドガーと長々交渉していた自分が、なんだか恥ずかしくなってきた。


「ダイアナさんを拐かしにきた犯人を、私は捕らえたいのです。言い方は悪いですが……囮役をやっていただきたく」


 アーネストの頼みを、彼女は毅然として受けいれた。彼女は純粋すぎるが、しかし、全てを受諾する大きな受け皿を持っている。強く、聡明な人だ。アーネストはなぜかまた、顔に血が集まるのを感じた。


「承知しました。犯人捕縛に協力できるのなら幸甚です」


 彼女は嬉しそうに笑うが、なにか言いたげに唇が動く。ええと、と、言い淀むので、アーネストは発言を促した。


「いつ、私が攫われるのか、見当はついているのでしょうか」


 彼女に、痛いところを突かれた。誘拐される日の法則、というのは一番大きな懸案で、障壁だ。というのに、今の今まで、すっかり頭から抜けていた。


 だいぶ手の込んだ計画からして、きっと攫う日にも法則性があるはず。しかしいくら頭を捻っても、法則性なんて見つかりそうにもなかった。


 ダイアナの視線は、そんなアーネストたちの全てを見抜いていたようだ。


「……それが、わからないのです」


 もしかしたら、先何週間もかかるかもしれない。時間がかかればかかるほど、誘拐現場に出会す確率も低くなる。非効率的だ、と呆れられてしまうのも頷ける。


 しかしやはり彼女は、「若きアスクレピオス」だった。


「私も、推理してみます。アーネストさんのためにも、私のためにも」


 あまりに清らかな魂に、アーネストは心を打たれた。その一方、彼女の瞳の奥で、好奇心の炎が燃えているのも見えた。


 その感情は、もはや「若きアスクレピオス」のそれではない。生々しい少女の感情だ。アーネストの目には、お高くまとまった聖人気取りの人間より、よほど魅力的に映った。


 誘拐犯、センスいいな、と不謹慎ながらそう思ってしまうほど、彼女はすばらしい人格を持っていた。


 彼女が「ひとりで考えてみたいんです」と言ったため、事件の筋をメモに書いて渡すことにした。そのとき、アーネストが胸ポケットから出した万年筆を、なぜかダイアナは凝視していた。

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