個別エピソード 空母・信濃

 信濃は港でぼんやりと自分の艦装を見上げる。

 第二次世界大戦時の艦長には『未完成の空母・信濃』と呼ばれ、艦の完成には専門の技術員だけではたりずに女子挺身隊まで駆り出され進水式には事故も起こった自分という存在。

「妾は……」

 信濃は呟こうとしてやめる。人の気配を感じたからだ。

 信濃がそちらを見ると呑気に手を振りながら笹栗がやってきた。

「信濃さん、どうかしたんですか?」

「いや……とくに……理由は……」

 そう言いながら信濃は少し言いよどむが、気になって仕方ないうえに、那智などに見つかったら笹栗が怒られると思って口を開く。

「そなた……何故……パンツ一枚……?」

 そう、笹栗は何故かパンツ一枚であった。

 信濃とて普通の女性ではなく艦嬢と呼ばれる存在ではあるが、一応、女性としての感性はある。そのために笹栗の恰好にどこか気恥ずかしい気持ちもある。

 信濃の言葉に笹栗は自分の恰好を見直し、信濃を見つめる。

「信濃さんはこの恰好が自分の趣味だと思いますか?」

「思い……たくは……ない……ですが……」

「その通りです。自分が半裸なのには深い理由があるのです」

 笹栗の真剣な表情に信濃の顔も自然と引き締まる。

 だが、はたからみたらその光景は半裸の男が銀髪着物美女に言い寄っている姿で簡潔に言って通報案件であった。

 だが、笹栗にとって幸いなことに通報する人物もいないので会話が続く。

「対馬基地の他の軍人と麻雀をしまして」

「……それで?」

「え?」

「……え?」

 笹栗の問い返しに信濃も首を傾げる。どう考えても説明になっていなかったからだ。

 笹栗も説明不足に気づいたのか説明を続ける。

「基本的に日本海軍内では物品や金銭を賭けた賭け事は禁止です」

 笹栗の言葉に信濃も頷く。それは説明を受けたからだ。

「なので基本的に日本海軍で賭け事をやると脱衣になります」

「……なぜ?」

「脱ぐことに理由が必要ですか?」

 笹栗の言葉が信濃にはやっぱり理解不能であったが、『まぁ……現代人には……普通なのやもしれぬ……』と思って深く追求することをやめた。

 そして笹栗も半裸の状態のまま信濃の隣に立って信濃の艦装を見上げる。

「大きいですねぇ」

「……そなたが見ているのは……妾の胸では……?」

 着崩しているために信濃の巨乳は北半球が見えてしまっている。笹栗も艦装を見ているようにみせかけて視線はばっちり信濃の北半球を見つめていた。

 信濃の言葉に笹栗は自分の頭をぴしゃりと叩く。

「これは失礼。ですがそんな御立派様を見せつけられては日本男児たるもの視線がいくのは仕方ないことなのです」

 日本の一般男性が聞いたら黙って殴ることを平然と言い放つ笹栗。信濃も世間知らずのために『そのような……ものですか……』と納得してしまう。

 改めて笹栗は信濃の艦装を見上げる。

 大和型を母体とした航空母艦・信濃。竣工から十日で沈没してしまった不運艦。そして沈没した時には当時の天皇に『惜しいことをした』とまで言われ、沈没を聞いた技術者達は海軍の終焉を実感したとまで言われている。

 その艦歴から信濃は自分に自信がない。『最強の空母』と建造されながらも、実態は未完成の状態で沈没した不運艦。

「そなたは……」

 信濃の言葉に笹栗は信濃のほうを見る。そこには侮蔑などの負の感情は一切なかった。

 その視線から逃げるように信濃は顔を逸らしつつ、言葉を続ける。

「そなたは……妾が……愚かだと……思いませんか……?」

 信濃の言葉に笹栗は言葉を返さずに信濃の言葉を待つ。信濃もたどたどしく言葉を続ける。

「妾の建造は……莫大な予算と……物資と……人員が……投入されました……しかし……妾は……それに答えることもなく……たった……たった十日で……まともに戦うこともできず……沈没しました……」

 戦えなかった。

 戦うために生み出されたのに、戦うことすらできなかった。

 それが信濃にとっての大きな心の傷。

 しばらくの無言の空間。信濃はただ地面を見ており、笹栗は信濃の艦装を眺めている。

 そして笹栗が口を開く。

「信濃さん」

 その言葉に信濃が笹栗を見ると、笹栗は笑っていた。

「良かったですねぇ」

「……え?」

 思いもがけない言葉に信濃も思わず問い返す。笹栗は笑ったまま言葉を続ける。

「自分の士官学校の同期にエリートイケメンの小西って奴がいるんですよ。最初の頃はまぁ鼻もちならない奴でした。『自分はエリート、他の奴はカス』みたいな感じだったんですよ」

 信濃はその言葉に少し驚く。小西という軍人を笹栗艦隊の艦嬢達はよく知っている。頻繁に笹栗と連絡をとっては煽り合いや罵詈雑言を飛ばし合っている。そこに『鼻もちならないエリート』という印象はない。

 信濃の視線の意図に気づいたのか笹栗は快活に笑う。

「あまりにつまらない奴だったんで、俺と加藤で麻雀ではめてやったんですよ。全裸にまで剥いてやって諦めればいいのにあいつ諦めなかったんですよ。で、その時にあいつが言った言葉が妙に気に入ったんです」

「……小西少尉は……なんと……?」

 信濃の言葉に笹栗は信濃を指さす。

「『生きている限りは負けじゃない。取り返せる!』。アホですよねぇ。あいつの考えでは生きている限りは負けてないんです。ですが、それって真理じゃないですか?」

「生きている……限り……負けじゃ……ない……」

 信濃の言葉に笹栗は頷く。

「信濃さん、貴女は確かに第二次世界大戦の時には何もできずに沈没しました。ですが、貴女はまたこうやって戦場に帰ってきた。艦嬢という立場で。先の作戦でも貴女は自分の艦隊の勝利に大いに貢献してくれました」

 そう言いながら笹栗は信濃の両手を握る。

「貴女はこうして『今』を生きています。それは先の敗北を取り返せるということです。自分が断言しましょう」

 そして笹栗は信濃の両手を力強く握る。

「今度は勝ちましょう。生きて、レイン・クロインを倒して、そして今度は世界に名だたる武勲艦として『信濃』の名前を歴史に刻みましょう」

「……妾に……できるでしょうか……」

 その言葉に笹栗は優しく微笑む。

「大丈夫、そのために自分がいます。一緒に……いえ、自分と信濃さんだけでなく、三笠さん、千歳さん、那智さん、矢矧さん、浜風と一緒に勝ち残りましょう」

 笹栗の言葉は真剣であった。だから信濃の心にも染み渡る。

 前回は負けた。

 ならば今回勝てばいい。

 笹栗はそう言っているだけだ。

 だが、信濃にはその言葉が嬉しかった。

「そなたに……勝利を……」

「ええ、一緒に勝ちましょう」

 信濃の言葉に笹栗は笑顔で答える。それは提督と艦嬢の心の交流であった。


 さて、ここで終わればいい話で終わったであろうが、いまいちど笹栗の恰好を思い出していただきたい。

 賭け麻雀で負けて半裸の男が銀髪着物美女の両手を握っている。

「提督は何をしているぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「ぐぼっはぁ!」

 三笠の飛び蹴りに『ぎゃあ』とかではなく、まじもんの悲鳴をあげて地面を転がる笹栗。

 そう、はたから見たら不審者が不埒な真似をしようとしているようにしか見えないのである。

「信濃! 大丈夫か⁉ このケダモノに何もされてはおらぬか⁉」

「み、三笠様……」

 信濃を庇いながら安否を確認する三笠。その姿は娘を心配する母親のようでもあった。

「て、提督! 貴様という男は!」

「三笠さん! 違います! 冤罪です!」

「何が冤罪か! 半裸で信濃の両手を握って言い寄っていたではないか!」

「あながち間違っていないのが困る!」

 結果的に笹栗は一日独房に放り込まれることとなった。

 しかし、この日以降、信濃が少し前向きになったのも事実である。

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