第33話 愛してるに決まってる

 八歳のあの日。誕生日パーティー。挨拶してくる様々な人達。誰もが私を祝う、幸せな空間。

 そして、彼が――私の前に跪いた。


「カイト・ウォリックと申します。アナスタシア姫」


 白銀の髪がさらさらと揺れて、空色の瞳に私が映ってる。

 私は彼を知っている。だってこの世界は漫画の世界だから。

 そんな事、ありはしないのに。


 世界が揺れて、ガラガラと私の足場が崩れて行く。

 この世界は存在しない。全て私の妄想だ。私はここにいないし、ここで生きてない。ここにいる全ての人は私が作り出した幻想。みんな、紛い物だ。


 気持ちが深く深く沈んでいく最中――何かが、暗闇に飛び込んで来た。


「アナ!」


 真っ黒な飛竜に乗っている、私より少し年上ぐらいの男の子。

 その子は私の前で飛竜から飛び降りると、私をぎゅうと抱きしめた。


「だれ……」


 こんな子、知らない。こんな子はあの漫画に出て来なかった。一体だれ?


「俺だ、アナ。わかんねぇか?」

「わかんない……だれ、」


 真っ黒の髪に、きらきらとした金色の瞳。全然知らない男の子だ。でも何故か、見覚えがあるような……。


「レイヴンだ。レイヴン・バッキンガムだ」

「レイ、ヴン……」


 その瞬間、男の子が大人になり、私の知っている人物へと変わる。

 レイヴン・バッキンガム。彼のことは知っている。漫画の登場人物だ。


 何だ、やっぱり私の妄想なんじゃないか。

 だってレイヴンが私の事を抱きしめるはずがない。レイヴンが好きなのは、千鳥なんだから……。


「……やっぱり、まがいもの……」


 そう呟いた瞬間、レイヴンがまた私をきつく抱きしめた。


「聞こえるか?」

「へ……」


 そして、私に優しく話しかける。

 何が、そう聞こうとした時、とくとくと、優しい音が聞こえた。それは、私を抱きしめているレイヴンの胸からで。


「偽物なんかじゃねぇ。俺は生きてる」

「いきてる……」


 とくとくと鳴る心臓の音。暖かい体。その全てが、彼が今ここで生きている証明だった。


「忘れちまったか? あの時も、こうやってアナの事を抱きしめて……その思い出も全部、偽物だったって言うのか? お前はお前で、俺も俺だ。ちゃんとここで生きてる」


 レイヴンの金色の瞳に真っ直ぐに見つめられて、その瞬間、全ての事を思い出した。


 ここは過去でもなんでもない。私はウォルフス伯爵に捕えられていて、薬と催眠術のせいであの頃を思い出してるだけだ。

 そして、ここは妄想の世界でも、ただの漫画の世界でもない。

 ここは現実で、私はここで生きている。私のかけがえのない居場所だ。


「生きてる……ここが、私の居場所……」

「そうだアナ! お前の居場所はここにある。だから、戻ってきてくれ……!」

「レイヴン、私……」


 差し出された手に触れる。暖かい手。この手が何度も私を救ってくれた。

 ぎゅっと握って笑いかければ、レイヴンも笑って私の手を握り返してくれた。そのまま辺りが光に包まれて――。


「アナ!」


 気付いた時には、目の前いっぱいにレイヴンの顔があった。


「レイヴン」

「良かった……! アナ、本当に良かった……!」


 レイヴンはほとんど泣いているような顔をしていて、折角のイケメンが台無しだ。

 右手で私の手をぎゅっと握ったまま、左手で私の意識がある事を確かめるように頬を包んでいる。


「アナが帰ってこなかったらどうしようかと……! どこも痛いとこないか? 苦しくないか?」


 眉を下げて私を心配するレイヴン。

 私は手を伸ばして、レイヴンと同じように片手で彼の頬を包んだ。


「アナ?」

「レイヴン、」


 何度もレイヴンから触れられて来たけど、こうやって私から触れるのは、あの頃、怪我をしたレイヴンの手を握って以来だ。

 レイヴンからはいっぱいその手から想いを伝えて貰った。今度は私の手から、レイヴンへ気持ちが伝わればいい。


 驚いた顔で私を見ているレイヴンを真っ直ぐ見つめ、私は口を開いた。


「私、貴方が好き」

「…………え?」


 たっぷりの間を置いた後、レイヴンは何を言われたのか理解していないように一言だけ言葉を発した。

 聞こえていなかったかと、私はもう一度口を開く。


「貴方が好きよ、レイヴ、むぐっ」

「わああああああ!」


 言い終わらないうちにレイヴンは私の口を手で塞ぐと、真っ赤な顔で突然叫んだ。


「っんで急にそんな……! いや嬉しいんだが、これ以上ないほど嬉しいんだがっ!」


 レイヴンは見た事ないほど顔を赤くして、あわあわとうろたえている。

 それは良いんだけど、喋れないから口を塞がないで欲しい。


「もごむぐもご」

「あっ、わりぃ」


 口を塞がれたまま喋れば、レイヴンはすぐに手を離してくれた。なので私は喋りたかったことをもう一度言う。


「すき、もぐ」

「うわああああ! 止めてくれ! 心臓が! もたねぇ!」


 レイヴンはもう一度私の口を塞ぎ、自分の胸を押さえる。真っ赤になった顔は中々治らず、なんだかレイヴンの反応が面白くなってきた。

 にやにやしてるのが分かったのだろう。レイヴンはじとりと私を見る。


「アナ、俺で遊んでるだろ……」

「ふふっ」

「たくっ……」


 レイヴンは悪態をつきながらも、優しい顔で口を塞ぐ手を離してくれた。だから私はその手をとってぎゅっと握る。


「レイヴンは、私の事どう思ってる?」


 自分の気持ちを伝えるのは怖いことだ。だって相手は自分と違う気持ちかも知れない。

 そうだと思って、私は自分の気持ちからもずっと逃げてきた。


 でも今は、この気持ちは抑えられないし、抑えたくない。

 例えレイヴンが違う気持ちだったとしても、私はここで生きているのだから、一瞬一瞬、悔いのない選択をしたいのだ。


「んなの、」


 レイヴンの返事をドキドキしながら待つ。レイヴンはにっと笑うと、まだあまり動けない私の体を抱き上げた。


「愛してるに決まってる」


 私もよ、レイヴン。

 返事の代わりに、お互い顔を寄せる。唇が触れ合おうとしたその時。


「うんんっ!」


 突然の咳払いに、レイヴンの顔から離れそちらを向く。そこには険しい顔をしたウィスがいた。


「ウィス! 無事だったのね!」

「ええ、姫様もご無事で何よりです」


 にこりと微笑むウィス。服は汚れているし、顔には涙の痕がついている。

 きっと私の意識が戻っていないときに泣いたのだろう。泣き虫で優しいウィス。また会えて本当に良かった。


「こいつがファルコンを呼んで来てくれたんだ」


 私を腕に抱いたまま、レイヴンが説明してくれた。


 どうやらウィスは一時は捕まったものの、そこから脱出。私を助け出そうとしているところで、レイヴンと会ったらしい。

 そこでレイヴンは私を助けに、ウィスは助けを呼びに行ったという事だった。


「そうだったのね……ありがとう、ウィス」

「勿体ないお言葉です、姫様。ささ、そんな奴の腕になんていないで、動けないのなら私が抱きあげます」


 ウィスは恭しく礼をしながらも、レイヴンから私を取り上げようと手を伸ばす。だがレイヴンはそれを避けると、ふんと鼻を鳴らした。


「悪いな執事、アナは俺のだ」

「それがどうかしましたか? 私は姫様のものですので関係ありません」


 お互いが一歩を引かずバチバチと火花を散らす。

 いい加減下ろしてもらおうかと思ったところで、呆れた声がかけられた。

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