第32話 その動機
「何故カイト・ウォリックを見て貴方がそんな表情をするのか、皆目見当もつきませんでしたが……そんなことはどうでも良かった。それよりも、純白で綺麗なものが深い闇へと落ちる瞬間を初めてこの目で見て、その美しさに体が震えた」
当時を思い出しているのだろう、伯爵は自身を抱きしめ身震いする。
「彼が立ち去った後も、貴方は表面上取り繕ってはいたものの、心はそこにはなかった。まるで心がここじゃないどこかへ行ってしまったかのように、貴方は生きていたが、生きていなかった」
まさかここまで誰かに分析されているとは、夢にも思わなかった。
しかもそれがことごとくあたっているのだから、やはり伯爵は侮れない。
「まるで人形のようでしたよ」
言われた言葉に、当時の自分が思い起こされる。
私も思っていた。まるで人形のようだと。
私はそんな自分を嫌悪していたが、伯爵は全くの逆だったらしい。
「それから私の頭は貴方の事ばかりでした。白い肌。きらきらと光る金髪。桜色の唇に……大きな暗い瞳」
伯爵は言葉とともに私の肌を触り、髪を撫で、唇に触れ、最後に顔を両手で持ち上げた。
無理矢理上げさせられた目に映るのは、伯爵の昂揚とした顔だ。その目は暗く、底が見ないように感じて恐ろしい。
これと同じような瞳を私もしていたというのだろうか?
「貴方をずっと見ていたいと思った。我慢が出来なくて、一度王に用があると嘘をついて王城まで行った事もあるんですよ。こっそり貴方の部屋を覗きに行ったら、貴方はまだ暗い瞳を湛えたままだった」
伯爵は私の顔から手を離し、ステンドグラスに目をやる。淡い光が部屋へと入ってきていて、こんな時なのに綺麗だと思った。
「椅子に座り、ずっと外を見ていた……いや、あれは見てはいなかった。人形がただそこにあるだけのような、空虚があった。私は打ち震えましたよ……まだあの時の貴方がそこにいると思った」
伯爵はハッと思い出した顔をすると、嬉しそうにステンドグラスから私に目を移した。
「ああ、ここのエントランスの絵、ご覧になりましたか? あれは貴方を思って描かせたものなんですよ。綺麗だったでしょう?」
美術館に入った時に目を奪われたあの絵。まさかあれが私を描いていたものだったとは……。
確かに、あの絵を見て美しいと思った。伯爵には私があんな風に見えていたのだろう。
でもあの頃の私の心の内はあんなに綺麗なものではなかった。もっとどす黒く、鬱々としていて、この世界の全てを否定していたのだから。
でもそれが、伯爵の言う美しさなのだ。
「そう、綺麗だった。あの時の貴方は正に芸術品のようだった。それなのに……」
伯爵は悲しげに目を伏せて私を見た。
「貴方はものの半年もしないうちに変わってしまった。元のただ幸せなだけの少女でもない。空虚な人形でもない。強い意志を持つ、王女になってしまった」
それは私や他の者にしてみたら良い事だったのだ。だが伯爵は胸を押さえ、それは悲しげに私に思いを訴える。
「私の悲しみがわかりますか? もうあの時の貴方に二度と会えないなんて、私は考えられなかった」
伯爵は私の前に跪き、恭しく手を取る。
「貴方は確かに美しい。ですがその大きな瞳の奥にある、暗いものをもう一度見たいのです」
そして懇願するように額に私の手の甲を当てた。
「だからずっと考えていました。貴方を取り戻すにはどうしたらいいのかを。そうして月日を過ごしていたら……アニスが現れました」
アニス。飛行船で私の給仕をしていたメイド。
彼女が牢で言った通り、最初から彼女は関わっていたようだ。
「アニスは母親が病弱で家が貧しく、金を必要としていた。ただそれだけならどこにでもいるメイドの一人ですが……彼女は薬草や薬に随分詳しかったのです。どうやら母親のために勉強しているようでした」
アニスは牢で私を助けてくれようとした。家族の為に伯爵に協力したものの、私を陥れる事に耐えられなかったのだろう。
伯爵は彼女の優しさにつけこんだのだ。
「それを知った時、運命だと思いました。これで貴方が手に入る、と……」
伯爵は立ち上がると、懐から注射器と小さな瓶を取り出した。
「そこからは早かった。貴方の為にこの美術館を建設し、アニスに金と引き替えに様々な薬を作らせました。飛行船で貴方の意識がなくなったのも、城で半狂乱になったのも、その薬のせいです」
伯爵は話しながら注射器で瓶に入った液体を吸い上げていく。
「そして御しやすそうな賊を探し、サティバに目をつけた。私は貴方を手に入れるために少々催眠術の研究をしておりましてね、これが薬と大変相性がいいんですよ」
注射器に薬を入れ終えると、瓶を捨て、注射器を持ち直す。
「酒場で酒を煽るサティバの隣に座り、彼の酒に薬を混ぜる。意識が混濁して朦朧としてる時に私に逆らうなと擦りこめば、後は簡単です。サティバは私の言う通りに仲間を動かし、私は彼が動きやすいよう飛行船の護衛を増やし、空路の警備を減らすだけで良い。彼は捕まった今も私の名前を出していないようですね。貴方を捕らえることは失敗したものの、良い出来でしたよ」
にこりと笑い、注射器を持って私へと近付く。
私は慌てて立ち上がろうとしたが――出来なかった。足に力が入らず、全く動けないのだ。
「何……? なんで……!」
それどころか、いつの間にか腕も動かせない。体が酷く重いのだ。
混乱する私を見て伯爵は笑う。
「やはり、気付きませんでしたか。この部屋には香が焚いてあるんですよ」
伯爵が目で指し示す先を見れば、入口近くの棚に確かにお香が置いてあった。ほとんど匂いを感じなかったせいで、全く気がつかなかった。
「この部屋に入った時点で、貴方は私の手の内なんです」
くつくつと笑う伯爵は私の顎をとると、うっとりと顔を見つめ囁く。
「ああ、美しい……もうすぐで貴方は私のものだ……」
「……そんなの、死んでもごめんよ」
「御冗談を。死ぬ事さえ、私の意のままになるのですよ」
楽しそうに笑う伯爵を睨みつけるが、彼は気にも留めず私の目を手で塞ぐ。真っ暗になった視界に伯爵の声が囁かれた。
「さぁ、意識を沈めて下さい。八歳のあの時を思い出して……」
お香に含まれる薬のせいだろう。体も重く、意識も朦朧として来た。伯爵の声が頭に響いて、私の意識は遠くなっていき――あの頃へと戻った。
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