第34話 事件の終幕

「おいお前ら、こんなときに一体何をしているんだ」

「カイト!」

「姫、よくお戻りになりました」


 ふわりと微笑み、カイトは私の手をとる。

 カイトにも随分心配をかけたことだろう。


「来てくれてありがとう。それにしても、王都からここまでどうやって……」


 先ほどのレイヴンの話によれば、ウィスが出立したのはそこまで前ではないはずだ。それなのにどうやってここに……?


「実はウィスティリアと会う前からこちらの領地に着いていたんですよ。姫を襲った黒幕はウォルフス伯爵だと情報が入りまして」


 その話に私はピンときた。きっとそれはリードに違いない。

 彼は一番最初から伯爵の事を不審に思っていたから、きっと感づいてファルコンに連絡しておいてくれたのだろう。


 レイヴンを見れば、彼も私と同じように考えたらしい。誇らしげに笑った。


「美術館が怪しいと突きとめたのは千鳥の力です。それで向かっている道中ウィスティリアに会って、すぐにこちらへ」

「アナっ! 無事でよかった!」


 カイトの後ろから千鳥が飛び出して来る。私のために風を読む力まで使ってくれるなんて、とても嬉しい。


「千鳥……心配かけたわね。ありがとう」


 泣きじゃくる千鳥の頭を優しく撫でれば、良かったと言って千鳥はまた泣いた。

 みんなに会えて、みんなが無事で、本当に良かった。


 そうして再会を喜んでいたところで、気の抜けたオウルの声がした。


「おいおい、無事を喜ぶのはいいが、そろそろこっちも気にしてくれや」


 見ればオウルや他のファルコンに取り押さえられたウォルフス伯爵がいる。彼は苦々しい顔で私を見ていた。


「レイヴン、私を下ろして」

「けどよ……」

「いいの、立つ事ぐらいは出来るわ」

「……わかった」


 レイヴンは伯爵の前までくると、私をその腕から下ろす。

 私はしっかりと自分の足で立って、伯爵と対峙した。


「……終わる時は呆気ないものね、ウォルフス伯爵」

「そこのカラスに隙を突かれましてね、やられましたよ」


 伯爵はレイヴンを見て自嘲気味に笑う。

 辺りにはステンドグラスの欠片が散乱していて、窓が大きく破られている。きっとレイヴンはそこから乗り込んで来たんだろう。


「本当に残念ですよ、王女。あの薬を投与出来ていたら、貴方はあの頃に戻っていたというのに」


 伯爵の目線の先には、落ちた注射器がある。

 きっとあれを体に入れられていたら、私は戻ってこられなかったのだろう。間一髪、レイヴンの方が早かったということだ。


「あの頃の貴方は本当に美しかった……底の見えない闇の中にいるような、深く、儚く、瞬きの間に消えてしまいそうな危うさ……その貴方を、取り戻したかった」


 伯爵は私を見つめる。でもそれは、私を通して別のところを見ているようだった。

 それはきっと、昔の私なのだろう。昔の私ももしかしたら、今の伯爵と同じような目をしていたのかも知れない。

 そこにいるのに、心は別の方を向いている。


 でも私は私の事を真っ直ぐに見てくれるみんなのおかげで救われた。だから伯爵も、そうであれば良いと思う。


「私はあの頃に戻りたいなんて思わない」

「……ええ、そうでしょうね」


 伯爵は諦めたように渇いた笑いを零した。私はそんな伯爵を真っ直ぐに見つめる。


「でも、あの頃の私を否定もしない」

「王女……?」


 伯爵が驚いた顔で私を見た。そう、その目は遠くではなく、私を見ている。


「あの時の私がいたから、今の私がいる。伯爵はあの時の私がいなくなったから取り戻すというけれど、あの時の私はここにいるの」


 私は伯爵の頬に触れた。この暖かさが、伯爵に伝わればいい。

 私のせいで、あの頃に囚われてしまった伯爵。私はここで生きているし、伯爵もそうなのだと伝えたい。


「私は私よ。今も昔もね」


 伯爵の目が大きく見開かれる。その瞳にはしっかりと私が映っていて、触れている伯爵の頬も私の熱が伝わったようにじんわりと暖かい気がした。


「言いたい事はそれだけよ。後はしっかり罪を償って頂戴」


 これで多分、伯爵ももうこんな事をしようとは思わないだろう。

 オウルによって部屋から連れだされる伯爵の背中を見送っていると、彼がピタリと立ち止まった。


「アナスタシア王女、」


 私を呼び、こちらを振り返る。


「やはり、貴方は美しい」


 そう言って微笑んだ伯爵の顔は、今まで見たどの伯爵の笑顔とも違うものだった。


 伯爵が部屋から連れ出されると、レイヴンは私の横で拗ねた声を出す。


「……良いのかよ、あんなに優しくしちまって」

「あら、嫉妬?」

「わりぃかよっ! ……もしかして、アナが言ってた心に決めた人ってあいつかっ!」

「違うわよ」


 レイヴンの的外れな推理に溜息をつく。じゃあ誰なんだとうるさいレイヴンの手をとって、彼を見つめた。


「貴方の事よ、レイヴン」

「……は? なんっ、どういう……!」


 レイヴンは一瞬呆けた顔をした後、信じられないというように驚いた。


「私が好きなのは、子供の時に出会った傷だらけの、城の庭に迷い込んだ男の子よ」

「それって、」

「……あの時会った貴方はまだ子供で……だからレイヴンとあの子が同一人物だって気付かなかったの」

「忘れてたわけじゃなかったんだな……」


 レイヴンがそう思うのも無理はない。私はずっとレイヴンと思い出のあの子が別人だと思っていたから、そんな素振りを見せていなかったのだ。


 ……いや、別人だと思おうとしていた、かな。

 同一人物だと認めていれば、自分の好きな人が、別の人を好きになる可能性も信じることになる。

 それは、辛いから。だから分からない振りをしていたんだ。


「忘れる訳がないじゃない……私を救ってくれた、私の初恋の人との大事な思い出なんだから」


 でもさっき、レイヴンが闇の中に私を救いに来てくれた時、私は逃げないと決めたのだ。そう思ったら、後は自分の感情に従うだけだった。


「ずっとあの子が好きだった。でもこうして会えて、私はまた貴方に恋をしたの」


 最初に飛行船でレイヴンに会った時、凄く驚いた。だって起きたらイケメンに膝枕されてるんだもの、そりゃ驚く。

 でも凄くかっこよくて、優しくて、あの子の面影があって懐かしくて……もしかしたらこの時から好きになっていたのかも知れない。


 抱き締められたり、喧嘩したり、ドキドキしたり。

 四日間という短い間にレイヴンと出会う度に、私はレイヴンをどんどん好きになっていった。


「ずっと貴方が、貴方だけが好きよ、レイヴン」


 ありったけの気持ちを込めてレイヴンに伝える。 

 彼の大きく見開かれた金色の瞳にはみるみる涙が溜まっていった。


「もう、何で泣くの?」

「わりぃ……こんな、すげぇ嬉しくて……ほんとに、待っててくれたんだな、」


 ほろりと落ちる涙を笑いながら拭う。

 全く、私の周りには泣き虫な男の人が多いんだから。


 レイヴンはぐいっと腕で涙を拭うと、私を真っ直ぐに見つめた。

 きらきらと光る、太陽のような暖かな瞳。いつだって私を救ってくれるこの瞳が、この人が、堪らなく愛おしい。


「俺も、ずっとアナだけを想ってた。昔から、最初からずっと、アナが好きだ」


 レイヴンに抱きしめられて、私も抱きしめ返す。

 とくとくと聞こえるレイヴンの心臓の音に、昔を思い出して頬が緩む。


 私は生きてる。この世界に生まれて、みんなと会えてよかった。レイヴンと出会えて、本当に良かった――。

 暖かな体に抱きしめられながら、私は幸福な気持ちで目を閉じたのだった。

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