第29話 贖罪
「誰だ」
レイヴンの鋭い声に相手の歩みがピタリと止まる。
「ベイン・ウォルフスか……?」
「……違います」
聞こえてきた声にレイヴンは驚きの表情を見せる。
それは低い伯爵の声などではなく、軽やかな、高い声。
「女……?」
女性の声だったからだ。
その声の主は、また歩みを再開しこちらに近付いてくる。
「おいっ! 止まれ!」
「……そちらにいらっしゃるのはアナスタシア様ですよね? 私の顔を見ればわかって下さるはずです」
「アナが……?」
知り合いなのかと驚きながらレイヴンが私を見るが、こちらからでは顔を見る事が出来ないため分からない。
でも、この声はどこかで聞いたような……。
レイヴンに銃口を向けられたまま、足音はコツコツと近付いてくる。そしてその足音が私の目の前で止まった時、私は驚きで目を見開いた。
「貴方、あの時の……!」
「……アナスタシア様」
そこにいたのは、伯爵の飛行船で私の給仕をしていたメイドだった。
「伯爵がここに連れて来ていたのは貴方だったの? 何故貴方が……!」
飛行船で私の体調を気遣ってくれた、優しいメイド。それなのに鉄格子の中に私がいることに驚きの一つも見せず、彼女は冷静に口を開いた。
「アナスタシア様に薬を盛ったのは、全て私だからです」
「そんな……」
「なっ……!」
彼女は突きつけられた銃にひるむことなく自分の犯行を告げた。そして悲しげに目を伏せる。
「……私は許されない事をしました。罰せられるのも覚悟しています。でも今は……」
彼女はポケットから鍵を出すと、なんと鉄格子の扉の鍵を開けた。そして決心したように真っ直ぐに私を見つめる。
「アナスタシア様、お逃げ下さい」
「え……?」
「この通路の先の突き当たりの壁は隠し扉になっていて、外に通じる階段があります。そこから逃げて下さい」
彼女は手際良く錠前を外し、鉄格子の扉を大きく開く。
「すぐにベイン様がここにやってきます。ですからお早く」
「……アナ、行こう」
レイヴンはまだ彼女の事を信じ切っていないようだったが、鉄格子が開かれたことで銃を下ろし私へと手を伸ばす。
でも私はまだ動けないでいた。彼女が私を襲う理由が分からず、頭が理解出来ないのだ。
それに、私に薬を盛ったのが彼女だとして、どうして助けるような真似を……。
「貴方、どうして……」
それだけようやく口にしたが、彼女は私が言いたい事を理解してくれたようだった。私を見つめ申し訳なさ気に呟く。
「……せめてもの、償いです」
「ではその償い、私にやって頂こうか」
聞こえた声に息をのむ。その瞬間、銃声が響いた。
「きゃあ!」
突然の音に咄嗟に耳を塞ぐ。撃たれたと思ったが、どこも痛くない。
――ほっとしたその時、鉄格子の入り口に立っていたレイヴンが、膝から崩れ落ちた。
「レイヴン……?」
何が起きたのかわからなかった。確かめるように名前を呼べば、レイヴンは私を見た。
「っ……アナ、」
荒い息、浮かぶ汗と苦しそうな顔。まさかっ!
「レイヴン!」
慌てて駆け寄りその体を支える。
「レイヴン! レイヴン!」
名前を呼ぶが、苦しそうにするばかりで明確な返事は得られない。
やっぱり撃たれたのでは、と怪我の箇所を探そうとしたところで――楽しげなきさえする低い声が耳に入った。
「大当たり。これで中々射撃は得意なんですよ」
「ウォルフス伯爵……!」
暗い通路から現れたウォルフス伯爵は、私達に銃口を向けながらにこにこと笑っている。
「貴方、なんて事を!」
「落ち着いて下さい、アナスタシア王女。血は出ていないでしょう?」
はっとしてレイヴンの体を見るが、確かにどこからも血は出ていないし、レイヴンを支える私も、床も至って普通だ。
どういうことだと伯爵を向けば、彼は笑って、持っている銃を軽く振ってみせた。
「麻酔銃ですよ。この男は有名人ですからね、今すぐ殺すと死体の処理が少々面倒でして」
「麻酔銃……」
それにしては、レイヴンの様子がおかしい。意識は朦朧とし始めているようだけど、どこか苦しそうにも見える。
伯爵も同じことを思ったのだろう。ふむ、と呟いた後、笑い混じりに声を出した。
「ああ、少々麻酔の量が多かったですかね? 心臓が止まらなければいいのですが」
「貴方はっ……!」
伯爵の軽い調子に頭に血が上る。レイヴンが手に持っていた銃を取ろうとしたが、伯爵に麻酔銃を向けられて体が固まった。
「おっと、変な気は起こさない方がいいですよ、王女。確かに、そこの小汚いカラスの処理をするのは骨が折れますが……」
カラス。空を中心に盗みを働く空賊の蔑称だ。
伯爵は蔑んだ目でレイヴンを見たあと、メイドの首に腕を回し、手に持っていた麻酔銃を投げ捨てた。
だがすぐに懐から別の銃を出し、メイドの頭に突き付ける。
「メイド一人ぐらいなら簡単です」
「うっ……」
「言っておきますが、こちらの銃は本物ですよ。何なら撃って見せましょうか?」
伯爵は銃の安全装置を外し、指に力を入れる。メイドは怯えたように銃を横目で見ている。
「ベイン様……」
「アニス、これは償いなんだ。私の事を三度も裏切ろうとしたのだから」
伯爵の指にぐっと力が入る。私は銃へと伸ばしていた手を上げ、静かに伯爵を呼んだ。
「ウォルフス伯爵……もう逆らわないわ。だから、彼女を離してあげて」
「さすがはアナスタシア王女、慈悲深くていらっしゃる」
伯爵はにこりと笑うと、メイド――アニスから銃を下ろした。
「では王女、私の元へ。アニスはそこのカラスを牢に」
「はい……」
「……ええ」
アニスと私はすれ違うようにして通り過ぎる。
私は伯爵の元へ行き、背中に銃口を突き付けられる。アニスはレイヴンの両肩を持ち、牢の中へと引きずって行った。
レイヴンの意識はもうほとんどないようで、されるがままの姿が痛々しい。早く病院に連れて行ってあげたいけど……。
「王女、申し訳ないのですが、そこに落ちている錠を拾って下さい」
この男がいなければすぐにでも病院に行くのに……まぁその前にいなかったらこんな事にはなってないんだけどね……。
嫌みったらしくもこの状況でまだ丁寧な態度を崩さない伯爵に腹を立てつつも、私は言う通りに錠を拾って伯爵に差し出す。
だが伯爵は首を振った。
「ああ、私にではなく、これで牢の鍵を閉め直して下さい」
「え、でもまだ彼女が……」
牢の中にはまだレイヴンと一緒にアニスがいる。
伯爵は何でもないというように二コリと笑った。
「一緒に閉じ込めておきましょう。いいな? アニス」
「……わかりました」
「では鍵を」
伯爵はアニスから牢の鍵を受け取ると、私に鍵を閉め直すように言う。
従わない訳にはいかず、私は渋々牢の鍵を閉めた。
レイヴンとアニス。二人を助けたいのに何故私は二人を閉じ込めているんだろう。それもこれも全てこの性悪な伯爵のせい……。
ありったけの恨みを込めて伯爵を睨む。
「おや。そんな顔をしなくても、事が済めば二人はここからだしますから」
伯爵は睨まれていることに気付いたものの、気に留めた様子も見せない。
そうしてまるでエスコートをするように私の手を取ると微笑んだ。
「それでは行きましょうか、王女」
「……ええ、」
私は後ろ髪を引かれつつも、地下室を後にしたのだった。
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