第28話 痴話喧嘩

「……こんなことになるとは」


 私は柔らかいクッションに身を委ねながら嘆く。

 クッションは私の体程の大きさがあり、とても柔らかい。それがいくつも置かれて重なり合っている。

 このおかげで私は怪我することなく上から下まで落ちた訳だが、だからと言って無事と言う訳ではない。


「だって紛うことなく捕まってるし……」


 左右と後ろは石壁、目の前は鉄格子。上は……何メートルあるんだろう……クッションがあるとは言え無事だったわけだから、そこまで高くはないだろうけど……。

 壁に凹みや出っ張りもないし、登れる高さではない。

 はぁと深い溜息をついた。


「ウィスは無事かしら……」


 落ちる寸前見えたのは、数人の男に抑えつけられるウィスだ。

 私とウィスを別々に捕えるということは、これは罠だったのだろうか。美術館に床が落ちる仕掛けがあるのもおかしい。

 ふかふかのクッションに埋もれ、ううむと唸る。

 

 すると、どこかからコツコツと人が歩いてくる音が聞こえた。

 まさか、伯爵……!?

 慌ててクッションから起き上がり周りを見渡すが、武器になりそうなものは何もない。だが足音はどんどん近付いてくる。焦った私は身近にあったテディベアを鷲掴むと鉄格子に近付く。


 そして足音の人物が姿を現した瞬間、鉄格子のすき間からテディベアと手をねじ込み顔面にテディベアアタックをくらわした。


「おりゃあ!」

「ぐわっ!」


 そしてよろける人物の胸ぐらを掴み、夢中で揺する。


「私をここから出しなさいよー!」

「うわ、やめっアナ、落ち着け! 俺だ!」

「え……」


 呼ばれた名前に揺する手を止める。

 揺すられた事で気持ち悪くなったのだろう、うっぷと手で口を押さえているその人は伯爵ではない。


「レイヴン!」


 黒の髪に金の瞳の、レイヴン・バッキンガムだ。


「よぉ、相変わらず強いな、アナは」


 へらりと笑ってはいるが、まだ少し気持ち悪そうなレイヴン。だがそんな事を気にしている場合ではない。


「どうしてここに……!」


 驚き聞くと、酔いが治まったらしいレイヴンは少々呆れ顔で返してきた。


「そっちこそ。俺は気をつけろって言ったのに、何で敵地で捕まっちまってるんだよ」

「うっ」


 正にその通り過ぎて二の句が告げないでいると、レイヴンは言い淀む私にあーあと溜息をついた。その態度に少しカチンとくる。


 確かに、レイヴンの忠告を無視してここに来てしまったことにはなるだろう。

 でもそれはいつ、何故襲われるのかわからないから、少しでも早く事を解決しようと思ってのことだ。

 それなのにあほの子を見るような目で見られるのはとても心外だっ! そもそも!


「……そもそも! レイヴンがあんな曖昧な事しか言ってくれなかったからでしょう!  なんで気をつければいいのかとか、どう気をつければいいのか分かってたら、わざわざここに調べに来なかったわよっ!」


 激情にまかせて言い返せば、レイヴンもむっとした顔をしてすぐに反論してきた。


「俺のせいかよっ! 折角危険を顧みず忠告しに行ってやったのに……」

「行ってやった? 私は頼んでませんけど!」

「んだとっ!」

「そっちこそ、何しに来たのよ!」


 人に言うくせに自分はどうなんだと聞けば、レイヴンは少々言いにくそうにしながら答えた。


「俺はっ……千鳥が……」

「千鳥……?」


 レイヴンの口から出てきた名前に、心臓がどきりとする。


「……昨日、サティバ一味を捕まえに行くっつーファルコンにたまたま会って、乗りかかった船だからちょこっと手助けしてやったんだよ。そん時に千鳥がアナの様子がおかしかったって教えてくれて」


 漫画でも、王女を攫った空賊を捕まえに行くファルコンの目の前にレイヴンが現れ、ファルコンの手助けをするのだ。


 その時に千鳥を助けるレイヴンのシーンがあるのだけど……ここまで漫画と同じなのだ、それもきっとあったのだろう。

 レイヴンが千鳥を好きになる流れができ上がってきていて、もう嫉妬なんてしないと決めたのに胸が締め付けられた。


 ……というか、昨日部屋で会った時私にあんな態度をとっておいて、やっぱり千鳥の事が気になるんじゃない。

 むっとする私に気付かず、レイヴンは話を続ける。


「なんかアナが妙に怯えてたとかで……リードに話したら飛行船の時と同じようになんか一服盛られたんじゃねぇかって言うもんだから、いてもたってもいらんなくて。なんとかウォルフスの尻尾を掴めねぇかと探ってたら、この美術館には見取り図にはない部屋があることに気付いて、何かあんじゃねぇかと思って来てみたら……」


 レイヴンは私を真っ直ぐに見つめて、髪に手を伸ばした。


「アナがここにいたんだ」


 さらりと髪を滑るレイヴンの手。見つめる瞳。

 いつもの私なら心の中で祭りを開催しているところだが、今の私にそんなのは効かない。


「ふーん」

「なっ!」


 まるで無反応、気のない返事にレイヴンはショックを受けたらしい。一瞬ぐらりとよろけたが、足をふんじばってすぐに体勢を整えた。


「なんっだよそれっ!」

「なにってなによ!」


 鉄格子越しにお互い睨み合う。だがレイヴンは何かに気付いたように、ははーんとしたり顔をした。腹立つ。


「……もしかして、嫉妬か?」

「はぁ? 嫉妬? 誰が、誰に!」


 言われた言葉にかっと顔が熱くなった。図星だ。いや図星じゃない。私別にレイヴンの事好きじゃないしっ! 好きなのはあの子だしっ!


「昨日も俺が千鳥の事を好きなんだろとか言ってたし、今だって千鳥の名前出したから嫉妬してんだろ」

「してませんし! それを言うならレイヴンでしょう!」

「何で俺が!」


 今度はレイヴンの顔が赤くなる番だ。反論したところで、昨日の事は忘れてないから!


「私に好きな人がいるって言ったら怒ってたじゃない!」

「怒って、なんて……」


 すぐに私に言い返そうとしたレイヴンだが、その言葉は尻すぼみになっていく。


「レイヴン?」

「……怒ったって言ったら、どうなんだ?」

「え……」

「アナに好きな奴がいるって知って、めちゃくちゃ腹が立った。相手が分かってたら何するかわかんねぇぐらいに」


 鉄格子の間から、レイヴンの手がそっと伸びて私の頬に触れる。するりと撫でられた感触にびくりとするが、レイヴンはその反応さえも見逃さないというようにじっと私を見つめる。


「だって、俺はずっとアナを――」


 と、急にレイヴンは言葉を切った。


「レイヴ、むぐっ」

「静かに」


 突然途切れた言葉に不思議に思い名前を呼ぼうとすると、急にレイヴンの手で口を押さえられた。

 素早く発せられた言葉に耳を澄ますと、コツコツと階段を下りる音が聞こえてくる。上から誰かが下りてきているのだ。もしかしたら今度は伯爵かも知れない。


 レイヴンは懐から銃を取り出すと、薄暗い通路の先へと銃口を向けた。

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