第23話 再会はすれ違う

 突然、横から出てきた手に私は捕まり、どこかの部屋へと連れ込まれる。

 暗い、怖い!


「離して――むぐっ」

「おっと、」


 叫び出そうとするが、すぐに手で口を覆われてしまう。

 怖くて怖くて、とにかく私はがむしゃらに暴れた。背中にある体を引きはがそうと身を捩り、腕を掴み、足で相手の脛を思いっきり蹴った。


「いでっ! アナ、落ち付け! 俺だよ、レイヴンだっ!」

「え……」


 私が暴れるのをやめると、やっと彼は私の口から手をどけ、私を離した。

 振り返って見た相手は確かにあのレイヴンだ。ただ髪の色が茶色に変わり、服装は王城の警護をしている兵士の格好だ。

 レイヴンは痛そうに足を撫でている。


「いってー……やっぱりアナは一筋縄じゃいかねぇな、こんなに強けりゃ安心だ」


 にっと太陽のように笑うレイヴンを見て、私の肩からすっと力が抜ける。まるで憑きものが落ちたかのような気持ちだ。

 呆ける私に、レイヴンが不思議そうに聞いてきた。


「あんなに急いでどこに行こうとしてたんだ?」

「どこに……」


 聞かれて私も不思議に思う。私はどこに行こうとしてたんだろう。何が怖かったんだろう。


「……わかんない」

「わかんないって……」


 レイヴンが困惑した表情で私を見る。

 でもわかんないものはわかんないのだ。全てが怖くて、逃げて、誰かに助けて欲しくて。誰に?


「……あの子に、助けて欲しくて、」

「あの子?」

「……私の事はいいのよ! それより、何でレイヴンがここにいるの? それからそこに倒れてる人誰!」


 そう、不思議なのはそこだ。空賊であるレイヴンがなんで王城にいるのか。そして怖いのは、レイヴンの傍に男が倒れている事だ。倒れている男は侍従と同じ格好をしている。

 レイヴンはああと思い出したようにして言った。


「こいつ、アナをつけてて怪しかったからふんじばって吐かせたら、サティバ――アナを攫った空賊の仲間だって言うから、一発入れて気絶させといた」


 どうやらこの男が私を攫う予定だった相手らしい。レイヴンのおかげで私が攫われる危機は難を逃れたようだ。


「そうだったの……ありがとう、レイヴン」

「おう」


 にっと笑うレイヴンの茶色の髪が揺れる。そこも気になるポイントの一つだ。


「服もだけど……その髪、カツラ?」


 私の質問にレイヴンは得意気にして、顎と腰に手を当てポーズをとって見せた。


「中々似合うだろ? これならバレずに城に潜入出来るだろうって、リードが用意したんだ」

「ふふ、そうね。良く似合ってる」


 前世から含め、黒髪のレイヴンしか知らないから中々新鮮だ。それに王城兵士用の紺の服も帽子も、きっと城にいる誰よりも似合っているだろう。

 顔とスタイルがいいとこれだから……。ってあら、これうちの兵士の服と布地まで同じだ。リードはどうやってこれを入手して……というか元々用意してたのかな?


 レイヴンの服があまりにも出来が良くて、ついつい服をあれこれと触ってしまう。

 すると頭上から視線を感じる。見上げるとレイヴンが嬉しそうに笑っていた。


「……何か嬉しそうね?」

「アナが近くにいるのが、嬉しくて」


 恥ずかし気もなくそんな事を言うものだから、私の顔にぼっと熱が集まる。私は慌ててレイヴンから離れた。


「こ、これはっ、服が良く出来てたから、つい……」

「うん、」


 しどろもどろになる私を、レイヴンはにこにこと見つめる。


「もう、何っ!」


 半ば怒りながら言ったのに、レイヴンはまだ笑って頷いた。


「うーん、一昨日会った時は敬語だったけど、アナはやっぱりそんままの方がいいな」

「これはっ、貴方がここにいることにびっくりしてしまったから……」

「うんうん、やっぱいいな。すげー可愛い」


 可愛い!

 言われると思ってなかった言葉に私の頭はショートしそうになる。

 前世の頃から、元々恋愛ごとには慣れてなくて疎いのに、レイヴンからそんな事言われたら……!


「何を言ってっ……!」


 自分でも顔が赤くなってるのがわかるぐらいに熱い。隠すように下を向けば、突然レイヴンに抱きしめられた。


「あー! やっぱ我慢できねぇ!」

「ひゃあ!」


 ぎゅうとレイヴンの腕の中に閉じ込められて、咄嗟に抵抗しようと腕に力を入れようとした。でも出来ない。

 聞こえる彼の心臓の音が、どきどきと早鐘を打っているから。私を抱きしめる腕が力強くて、でも優しいから。

 それに、囁く彼の声が。


「アナ……」


 切なくて、胸が締め付けられそうだから。


「レイヴン?」


 名前を呼べば、彼の腕が私を逃がすまいとするようによりきつくなる。

 勘違いしてしまいそうだ。これじゃあまるで、レイヴンが私の事を好きみたい。

 レイヴンの腕の中が暖かくて優しくて、何だか懐かしくて安心するから。そんな事あるわけないのに。そう、あるわけない。だってレイヴンが好きなのは……。


「やめてっ!」

「な……」


 力強く抱きしめられていたはずなのに、私が抵抗して突き離せば彼は簡単によろけて私を離した。

 驚きと悲しみがないまぜになったような顔をするレイヴンに胸が痛んだが、それでも私は鋭く彼を睨んだ。


「貴方が好きなのは千鳥でしょう?」


 急に出てきた千鳥の名前にレイヴンは一瞬呆気にとられたような顔をしたけど、すぐに私に反論してきた。


「な、んでそんな事になんだよ! そんな事一言も言ってねぇだろっ」

「言ってなくても、私にはわかるの!」

「んなむちゃくちゃな……」


 レイヴンは苛立ったように帽子をとり、頭をぐしゃぐしゃに掻き上げた。そのせいでカツラがずれ、カツラの下の黒髪が見える。黒髪に、金の瞳。ぱっと頭に浮かんだのは、あの男の子だ。

 そうだよ、それに今朝確信した通り、私が好きなのはあの子なんだから。

 ふん、と私は腕を組んでそっぽを向く。


「それに、私にも心に決めた人が……いっ!」


 言いかけて、驚きで声が上がる。突然レイヴンが私の腕を掴み、壁へと押さえつけたのだ。


「なにをっ……」


 文句を言ってやろうと思ったのに、声が詰まる。

 私を見るレイヴンの瞳がまるで捕食者のようにぎらついていて、背筋がぞくりとする。


「誰だ、そいつ」


 低く囁くような声色。初めて聞く声と瞳に、レイヴンの事を怖いと思った。言ったら相手は無事じゃすまなさそうな雰囲気に、絶対に言うものかとぎゅっと唇を噛みしめる。

 その私の行為にもレイヴンはイラついたのかも知れない。拘束を強くし、先ほどよりも距離を縮めた。


「城の奴か? 貴族か?」

「…………」

「まさか、あのアナにべったりな執事か、カイト・ウォリックか……いや、オウル・リーズか?」

「そんなんじゃ……!」


 出てきた名前に思わず否定の声が上がる。

 庇うような態度だったからだろうか。レイヴンは眉をしかめ、押さえつけていた私の腕を引いてまた抱きしめた。


「どうせなら、このまま攫ってっ……」


 囁く声は、低く掠れて、何故だか泣いているようにも聞こえた。


「レイヴン……?」

「アナ、俺は……」


 悲しそうに眉を下げるレイヴンが何かを言おうとした時、ばたばたと廊下を走る音が近付いて来た。


「こっちから物音が!」


 きっと私を探しているんだろう。レイヴンもそれに気付いたようで、一つため息をつき私から離れる。


「レイヴン……」

「……ベイン・ウォルフスには気をつけろ」

「え……どういう、」


 真剣な声色で告げられた名前に困惑する。

 何でウォルフス伯爵の名前を? 気をつけるって……?

 でもレイヴンはそれ以上は言わず、私の頬を撫でた。


「腕、悪かった……じゃあな、」


 レイヴンは寂しそうに笑うと、名残惜しそうに手を髪に滑らせる。そして窓から出て行ってしまった。


「なんなのよ……」


 残された部屋で私は一人呟く。

 あんな声で、あんな顔で、まるでさも私が愛おしいみたいに……そんな事、あるわけないのに。


「……でも、」


 もし、もし本当にそうだとしたら?

 この世界は現実で、全てが漫画の通りに進むわけじゃない。だとしたら、もしかしたらレイヴンの気持ちだって……。


 考えただけで、顔が熱くなり、胸が詰まった。立っていられなくて、ずるずると座り込む。

 するとすぐ近くに男が倒れていて、今の今まで彼の存在を忘れていたことに気付く。

 レイヴンに手酷くやられたんだろう。さっきまで割と近くで騒いでいたはずなのに、男はぴくりとも動かずに倒れている。


「……貴方も、災難だったわね」


 聞こえてはいないだろうが、自分を攫おうとした男に同情の言葉を投げかけ、私は膝を抱えて頭を埋める。

 隣の部屋からウィスが私を探す声が聞こえる。きっと次はこの部屋に入ってくることだろう。

 それまでは、こうしていよう。


 そして数十秒後には、ウィスに泣きながら抱きしめられるのだった。

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