第22話 素敵なプレゼント
「ウィロー大臣、お待たせしてしまってごめんなさい」
「これはアナスタシア王女、とんでもございません。今しがた、こちらに着いたばかりですよ」
恰幅の良い大臣は朗らかに笑って私に礼をする。着いたばかりと言うにはカップの紅茶が半分程減っているのを見るに、少し待たせてしまったようだ。
これは反省しなければ。ウィロー大臣は優しいからなぁ。
お腹の重そうな大臣に椅子を進め、私もテーブルを挟んで向かいに座る。
「じゃあ早速始めましょうか。新しい孤児院の建設はどうなっているのかしら」
「それはもう順調ですよ。こちらに現在の進行の程を記載しております」
「ありがとう。近々視察にも行かなくてはね」
進行計画書と照らし合わせながら、現在の進行度合いを確認する。こういう公務も、もうすっかりと慣れたものだ。
王の子供である私や兄達は、何も優雅に遊んで暮らしているわけではない。幼い時分より一般的な教育を受けるだけでなく、内政にも少なからず携わってきている。
一番上の兄は全般的な政務で、二番目の兄はその補佐。私は孤児院や教育など、福祉の面で携わってきていて、ウィロー大臣は昔から私のことをサポートしてくれているのだ。
太った優しいおじさんで、彼のお腹は子供達に絶大な人気を誇っている。あと彼が趣味で焼くパンがすごく美味しくて、孤児院の子たちからパンおじさんという素敵なあだ名まで付けられているのだ。
そんな心優しいウィロー大臣だから、私に起こった悲劇にとても心を痛めているようだ。
大臣は心配そうに口を開いた。
「王女が精力的に動いて下さるのはとても有難い事です。……ですが、此度は御身が危なかったというのに、もう公務をなさって大丈夫なのですか? 私は王女が攫われたと耳にした時、心配で心配で……」
「いいのよ、怪我もなく無事に帰れたんだもの。それに、私よりもウォルフス伯爵の方が今は大変だわ」
何と言っても撃たれたのだ。命に別状はないとはいえ、今は起き上がることも難しいかも知れない。
私が伯爵の名前を出せば、大臣はああと思い出したように懐から箱を出した。
「そうでした王女。これを」
「これは……?」
手のひらサイズの小さな木箱だ。
綺麗な装飾のされたその箱を大臣が開けると、すぐにふわりと花の香りが鼻腔を擽った。箱には乾燥された花が入っていて、色とりどりでとても綺麗だ。
「綺麗……ポプリね」
「ええ。こちらに来る前ウォルフス伯爵の領地に用事がありまして。その際にお見舞いをと窺ったら、快くお部屋に通して下さったんです。その時に王女のところに窺う予定だと話したら、これをと」
大臣から箱を受け取り、花をつまんでみる。紫色の小さな花は乾燥されて小さくなってしまっているが、それでも甘い香りがする。
「……良い香り」
「王女はきっとお疲れだろうから、これで少しでもお心が癒せたら、と言っていました」
自分の方が大変だろうに人の心配とは、伯爵も存外人が良いのかも知れない。こういう気遣いが、彼を令嬢の憧れナンバーワンにする一因なのだろう。
「伯爵の容体はどうだったの?」
「まだ痛みはあるとおっしゃってましたが、お元気そうでしたよ。自分のお体より、王女を危ない目に合わせて申し訳なかったと言って、落ち込んでいました」
「まぁ、そんな事を……。伯爵のところへは今度お見舞いに行こうと思っていたの」
「それは良い。きっと伯爵も喜ぶでしょう」
にこにこと大臣が嬉しそうにするので、私もつられて微笑む。
大臣は優しい人だから、きっと私が誰かに優しくするのも、優しくされているのも、嬉しいのだろう。
でもいつお見舞いに行こうか……今日で事件は解決するし、早速明日にでも……でも連日人が訪ねてくるのは今の状態では辛いかなぁ。そもそもウォルフス伯爵のお見舞いに、なんて言ったらウィスがなんて言うか……。
うーむと悩みながらポプリの箱を閉じようとすると、大臣にお待ちくださいと止められた。
「伯爵が言うにはこの花は香りの持続時間が短いらしく、私が王女に会っている間ぐらいしか持たないだろうとのことでした。ですからこの会議の間は箱を開けているのがよろしいかと」
「まぁ、そんなに短いの?」
「何でも特殊な花らしく……ですが香りが良いので、これをと」
もう一度匂いを嗅ぐと、とろけるような甘い香りが私を包んだ。確かに今まで嗅いだことのない匂いだし、特殊な花というのも頷ける。
今度伯爵のお見舞いに言ったときに何て花なのか聞いてみようかな。
そう思いながら私は大臣に頷いて、箱を開けたまま自分の近くに置いた。
そしてその後も、大臣との会議は順調に進んだのだった。
「――さて、今はこんなところかしら」
会議はつつがなく終わり、帰り際、大臣はテーブルの上に置いていたポプリを自分の懐にしまった。
「あら……」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、てっきり私へのプレゼントかと思っていたの」
これは恥ずかしい。貰える物だと思っていたから、少々驚いてしまった。
でも私のその考えは間違っていなかったようで、大臣はほほほと笑った。
「いえいえ、間違っておりませんよ。これは伯爵から王女への贈り物です」
「なら……」
「ただ先ほどもご説明した通り、これは香りの持続時間が短いのです。香りのしないポプリを王女にお渡しする訳にもいかないから、会議が終わったら返しに来て欲しいとの事でした」
「そうだったのね」
香りがしなくても色とりどりなポプリは綺麗で飾るのに良いかとも思ったけど、伯爵が返して欲しいというなら無理に受け取る事もない。
ポプリはそのまま大臣に引き取ってもらうことになった。
「それでは、私はこれで失礼致します」
「ええ、ありがとう」
部屋の前で大臣を見送り、この後は何も予定はないから部屋に戻ろうかとウィス達と話しながら歩く。
その時だった。
「あれは……!」
「姫様? どうかなさいましたか?」
「あそこ! あそこに銃を持った人が……!」
廊下の窓の先、向かいに見える部屋の影に隠れて、誰かが私を銃で狙っていたのだ。
私の言葉にすぐに千鳥とカイトは窓を見るが、どうやら見えづらいらしい。一向に人影を捕えられない。
「しょうがない、千鳥、俺達で行くぞ」
「はいっ!」
「ウィスティリア、姫の傍は任せた」
「勿論です」
千鳥とカイトは走り出し、すぐさま廊下の奥へと消えた。
きっと二人がすぐに賊を捕えてくれるだろう。でもまだ安心は出来ない。どこから狙われるか分からないし、早く逃げなきゃ……。
「姫様、大丈夫ですか? お体が震えて……」
「怖い……逃げなきゃ、殺される……」
「姫様……」
がたがたと震える私を、ウィスが心配そうに見る。
しょうがないの、だって凄く怖いの。私はまた死ぬの? 今度はどうなるの? 私は私でいられるの? 体が寒い、息が苦しいよ。
「姫様、ひとまずこちらの部屋で休みましょう」
ウィスが近くの部屋の扉を開け、荒い呼吸を繰り返す私を支えながら部屋へと促す。
でも私は怖くて怖くてしょうがなくて、咄嗟にウィスの手を振り払って部屋の中に入り扉の鍵を閉めた。
「姫様! どうしたのですか、開けて下さい!」
ウィスが外からどんどんと扉を叩く。
なんだろうこの音、凄く怖い。開けられないよ、無理だよ。怖いもの。いやだ、怖い、しにたくない、しにたくない、怖い。怖い!
両手で耳を塞ぎ、しゃがみこむ。こわい、こわい、助けて、助けて、誰か……!
しばらくそうしていると、いつの間にか音は聞こえなくなった。鍵を開けて、少しだけ扉から顔を出して外を覗く。そこには誰もいなくて、もしかしたらこの部屋の鍵でも取りに行ったのかも知れない。
だったら逃げなきゃ!
私は部屋から飛び出して廊下を走る。
逃げなきゃ、怖い何かが私を追ってくる。早く、行かなきゃ。怖いよ、死にたくないよ、怖い。助けて、誰か助けて。そうだ、あの子が、あの子がいるところに行けばきっと助けてくれる。黒い髪で、金色の瞳の――……あれ、違う。その顔は、レイヴン。
「きゃあ!」
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