第18話 空色にのまれた日

 生まれ変わった先が前世とは異なる世界ということは、その瞬間に気付いた。


 でも生まれた瞬間に全ての記憶があったわけじゃない。最初は違う世界だという違和感、実感のみだった。

 それが時が経つにつれ、どういうところが違うのかという具体的な記憶や、前世の私自身のこと、その生活や家族、友人、色んな記憶が少しずつ少しずつ思い出されていったのだ。


 何で私だけが前世の記憶を持っているのか、不思議に思うことはあっても嫌じゃなかった。

 私が私のまま、違う顔、違う世界で、違う人生を歩んでいるというのは何だか面白かったし、他の人より得な気がして、少しの優越感もあった。

 でもその気持ちは、八歳の誕生日に消え去った。


 その日は王女の誕生日ということで、城で大きなパーティーが開かれていた。

 その時、当時のファルコンの隊長が、自分の息子を連れて私に挨拶に来たのだ。

 私の前に跪くその子はとても綺麗な顔をしていた。白銀の髪がさらさらと揺れて、まるで昔読んでいた漫画のヒーローにそっくり。


 するりと出てきたその感想に、私の心臓は鷲掴みにされた。


「(漫画? 漫画ってどの漫画? 漫画って何? お話、本。私が好きだった、少女漫画。あれは、あの話には、ひ、飛竜が出てきて、それで、それで、この子の名前は――)」


 どくどくとうるさくなる心臓と、まとまらない思考。その子が口を開こうとするのを、私は叫び出して止めたくなった。でも喉がからからで声が出なくて、体は鉛のように動かない。

 別人であってほしい。祈るような気持ちでいたが、当然その声は届かない。

 

 その子は伏せられていた瞳を上にあげ、その空色の瞳に私を映して言った。


「カイト・ウォリックと申します。アナスタシア姫」


 その時、全ての事を思い出した。

 この世界は私が好きだった漫画の世界だということ、私はその漫画の登場人物だということ。漫画に描かれている全ての事を。


 その日から、私の世界は一変した。

 私は塞ぎ込むようになり、人と喋らず、食事もほとんど食べず、夜も眠らない。何もする気になれなかったのだ。

 ただひたすらに、窓辺の椅子に座って外を眺めているだけだった。


 この世界が、私が好きだった漫画の世界なんて、そんな事があり得るのだろうか?

 生まれ変わり、というのは信じられた。でも、漫画の世界に生まれ変わるなんて、そんなの到底信じられるものじゃなかった。


 この世界はきっと、紛い物に違いない。

 頭がおかしくなった私が作りだした幻想の世界で、きっと現実では今と同じように呆けて椅子に座ってるのだ。もしくは寝ている中見る夢。起きればいつもの日常が待っていて、私はこの世界のことなど綺麗さっぱり忘れてしまう。

 全てが幻想。全てが夢。私はこの世界で生きてなんていないし、父も母も兄達も、臣下も国民ももちろんあのカイト・ウォリックも全て、空虚な作り物なのだ。


 一日中、いえずっと、そんな事ばかりが頭を巡っていた。

 家族は悲しみ、心配し、医者にも診せられたが、私の心は変わらなかった。


 そうしてどれくらいが経っていたのだろうか。

 あの時期の記憶は混乱していてさだかじゃないけれど、部屋から見える誕生日の時には咲いていた花の木が、もうすっかり緑になっていたことは覚えている。


 そしてその事に気付いたのは、本当に偶然だった。


「……何だろう、あれ、」


 花がない、そう思った瞬間に、上空から何かが木に向かって落ちたのだ。

 誰かに見てきてもらおう。そう思って部屋の中を見回したけど、誰もいなくて。

 私は本当に久しぶりに、自分の意志で部屋から出たのだった。


「この辺り……」


 庭の隅の日の当らない一角。木々の生えるそこをがさがさと草をかき分けて奥に入る。


「あ……」


 そこには、怪我をした黒い羽の子供の飛竜と、傷だらけの真っ黒な髪をした男の子が倒れていた。


「なんで、こんなところに……」


 飛竜も男の子も、切り傷やあざでぼろぼろだった。

 誰か人を。そう思って駆け出そうとした足を、男の子に掴まれる。


「誰にも、言うなっ……! 少し、休んだら……すぐ、出てくからっ」


 力強い金の瞳に睨みつけられて、私の体はぎくりと固まる。

 でも息も絶え絶えに喋る男の子は本当につらそうで、私は放っておくことなど出来なかった。力のほとんど込められていないその子の手を振り切って、私は城へと走ったのだ。


 治療道具に水や、軽く食べられそうな果物。必要なものを全て揃えて男の子のところに戻ると、彼は気を失っていた。

 飛竜は私から男の子を守るように前に出てきて、翼を広げて威嚇してくる。

 正直凄く怖かった。子供の飛竜といっても私より体は大きかったし、鋭い爪もくちばしも持ってる。

 でも男の子を放っておくことも、何か事情があるのであろうその子の言うことを無視して、誰かを呼ぶこともしたくなかった。


「……大丈夫、私は貴方達を助けたいだけなの。だから――」


 近付く私に、飛竜は怯えて飛びかかって来た。咄嗟に腕を出すと、鋭い飛竜の爪が私の腕を切りつけた。


「いっ!」


 深くはないものの、切りつけられた腕からは血が流れた。痛い。怖い。でも……。

 男の子に視線を移す。彼は気を失ってピクリとも動かない。飛竜を見る。ぼろぼろの体で、男の子を必死に守ろうとしている。

 こんな彼らを、見捨てられない。


「お願い……」


 威嚇する飛竜に、そっと手を伸ばす。


「痛い事は何もしないから……」


 飛竜は警戒してまた飛びかかろうとするが、私は真っ直ぐに飛竜を見つめて語りかけた。

 飛竜は人間の感情に敏感だ。きっと私の気持ちをわかってくれる。そう思って少しずつ距離を詰める。


 ――どれぐらいそうしていただろうか。私には凄く長く感じたけど、実際は数分の短い間のことだろう。

 飛竜は翼を畳んで、ゆっくり瞬くと男の子の前にいた体を横へとずらし、座り込む。


「ありがとう……!」


 飛竜に気持ちが伝わったのだろう。お礼を言って直ぐに男の子の傍に座り、城から持ち出した消毒液や包帯を広げた。

 幸いどこかが折れているということは無さそうで、飛竜も男の子も傷だらけで疲れきっているようだったけど、軽傷だった。

 そうして応急処置を始めてしばらくして、男の子は目を覚ました。

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