第14話 執事と朝の語らい

 オウルと出かけたその夜、私はまた夢を見た。


 登場するのはやっぱり金の瞳の男の子で、幼い私が彼の前で泣いている。

 不意に、男の子が私の頭を撫でた。暖かくて、嬉しくて、私は目を閉じる。すると、男の子の手が頬に触れた。驚いて目を開ければ、目の前にはレイヴンがいる。いつの間にか、私も今の私になっていた。

 レイヴンは真っ直ぐに私を見つめ、そっと顔を寄せてくる。もう少しで唇が触れる寸前、レイヴンの瞳に映っている顔が見えた。


 私じゃない、あれは……千鳥――。


「っ!」


 ハッと目覚めれば、目の前にはレイヴンなんていない。あるのは天蓋ベッドの天井だ。安心して思わずほっと息を吐く。


 きっと、昼に千鳥とレイヴンの姿を見たからこんな夢を見てしまったのだろう。

 わかっていた。私はあの子がレイヴンなんじゃないかと思ってしまっている。あの子とレイヴンを重ねてしまっている。

 レイヴンはレイヴンで、あの子はあの子だ。なのにこんな、レイヴンに想われる千鳥を羨ましがるような夢……。


「うう……」


 漫画ではこれ以降、レイヴンと王女が会う話なんてない。王女はごく普通の脇役だし、王直属のファルコンとは違って空賊と王女では接点もないので当たり前だ。

 そもそも今回の事件だってレイヴンと千鳥を会わせるためのイベントみたいなもので、私はその舞台装置の一つに過ぎない。


 それなのに私は、レイヴンとあの子を重ねて、あんな、あんな夢を……!


「あー! レイヴンにも千鳥にもあの子にも申し訳ない!」


 自己嫌悪で苦しくて、思わずベッドでごろごろと暴れてしまう。

 するとばたばたと物音がして、勢い良く天蓋のカーテンが開かれた。


「姫様っ! どうかなされましたか!」

「ウィス……」


 きっと私の朝の支度をするために準備していたのだろう。開かれたカーテンからはキラキラとした朝日が差し込んできている。


「姫様?」


 心配そうにこちらを窺うウィスの顔を見ていたら、昨日のオウルのことを思い出した。


『なあ、姫さん、泣きたいときは泣けばいいんだ。そうすりゃスッキリする。やるべきことも見えてくるってもんさ』


 そう言ったオウルの言葉の意味が、今やっとわかった気がした。

 こういうことよね、オウル。悩んでばかりで自分の気持ちを押し殺していては、何も前に進まない。まずは、自分の気持ちを吐き出すことが大事なのよね。


「ウィス、私……うわああん!」

「ひ、姫様っ⁉」


 私はウィスに抱きつき、泣き言を言いながら夢のことを話した。泣きながらなので要領を得なかったが、ウィスはしっかりと聞いてくれたのだった。

 



「要約すると、」


 しばらくして私が落ち着いた頃、ぐずぐずになりながら私が話した取りとめのない内容を、ウィスは丁寧にまとめてくれた。


「一昨日姫様を助けた空賊の男が、姫様が昔から恋慕う憧れの君に良く似ていた。だけど彼は別人に違いないし、そもそも他の女性の事が好きなはず。それなのに姫様はその男と憧れの君を重ねてしまい、男と女性が仲良くなることに一抹の嫉妬を抱えている……そしてそれが物凄く申し訳ない、と……そう言う事でいいですか?」

「あってるけど……そんなはっきり言われるとへこむ……」

「現状の的確な把握は必要ですよ」

「うう……ぐうの音もでない……」


 正にウィスの言った通りだ。

 私は昔出会った男の子にずっと恋しているし、どうしてもレイヴンを重ねてしまっているし、どうしても、少なからず、本当にすこーしだけ、千鳥に嫉妬している。


 勝手に誰かに重ねてしまっているあの子にも、重ねられているレイヴンにも、この話とは何も関係ないはずの千鳥にも、みんなに自分勝手な気持ちを抱いてしまっていて、物凄く申し訳ない。


「はぁ……」


 自己嫌悪で長く深いため息をついて、隣で私と同じようにベッドに腰掛けてくれているウィスの肩にもたれた。


 ウィスは過保護で、私をよく甘やかそうとするから、いつもは私がしっかりしなきゃと思うけど、こういう時はその甘さに浸ってしまう。

 しばらくそうしていると、ウィスがぽつりと呟いた。


「……姫様は昔から、名も知らない男の事をずっと想っていますね」

「うん……だって、今の私がいるのは、その子のおかげだから」


 ウィスの言う通り、私は金の瞳の男の子の名前を知らない。どこに住んでいるのかも、何歳なのかも、あの子の情報は何一つ持っていないのだ。

 ただ、あの子の顔と、その優しさと暖かさだけはよく知っている。


「もし私が、」


 ふと、ウィスは言葉を切って、正面を見ていた顔をこちらに向けた。隣で見上げるウィスの顔は綺麗で、だけど悲しそうな色を湛えていた。


「私がそいつより先に姫様に会っていたら、」


 膝の上に置いていた手の上に、ウィスの手がそっと触れる。


「姫様は私の事を、想ってくれていましたか?」


 ぎゅっと力を込めて握られた手が熱い。ウィスの薄紫の瞳に見つめられて、心臓がどきりとする。

 だけど――……。


「ううん、違うと思う」


 私は首を振って否定した。


「あの子があの子だから、私はこんなにも、ずっと好きなんだと思う。ウィスと先に会ってたら、私を救ってくれたのはウィスかも知れないけど……好きになるのは、きっとあの子だよ」


 心にあるのは、ずっとあの男の子だけだった。年甲斐もなく、あの子が最後に言った、迎えに来る、という言葉をずっと信じている。

 もしかしたらあの子はとっくに忘れて誰かと一緒になっているかも知れない。でも、それでも、私はずっと覚えてる。叶わなくても良い。どうしようもなく好きになったのがあの子だけだから、しょうがないことなのだ。


 私の言葉を聞いて、ウィスは真剣な顔から相好を崩した。


「……なら、答えは決まっていますね」


 微笑むウィスに、私も笑って頷いた。


「うん」


 そう、私が好きなのはあの子なんだ。レイヴンじゃない。だから嫉妬する必要もないし、ぐちぐちと悩む必要もないのだ。

 すっきりとした頭と心に、私の気持ちもようやく落ち着く。

 これも全て、ウィスと、そしてここにはいないオウルのおかげだ。


「ありがとう、ウィス」


 ありがとう、オウル。

 オウルには心の中でお礼を言って、いつの間にか離れていたウィスの手を取った。そして、今度は私から握った。

 ウィスは嬉しいような、悲しいような、変な顔をしたけど、直ぐに誇らしげに笑った。


「当然のことをしたまでですよ。私は姫様の執事ですから」


 お互いくすくすと笑い合って、自然と手が離れる。でも寂しくない離れ方だった。

 そうしてすぐに、ウィスは気を取り直すように立ちあがる。


「さ、では朝の支度をしますか」


 私が起きてからもう結構な時間が経っている。ウィスが既に私の寝室にいたということは、もう起きなくてはいけない時間を過ぎていることだろう。

 だけど朝から泣いたり落ち込んだりしたせいで、まだ眠い。


「うーん、疲れたからもうちょっと寝たい……」


 ベッドに腰掛けていた体勢からぱたりと横になったが、直ぐにウィスによって引き起こされる。


「いけません。今日は約束があるのですよ」

「でもそれまでまだ時間あるし……」


 用事は昼頃だったはず。まだ今は朝と言っていい時間だし、もう少し寝ても大丈夫なはずだ。

 そう思って起こされた体をもう一度ベッドに沈めてシーツに包まるが、ウィスによって直ぐに引きはがされてしまった。


「起きて頂きます! 全く、姫様はいつもはしっかりされているのに、朝は寝汚いんですから……」

「寝汚いって……主に向かって酷い……」


 寝たままさめざめとわざとらしく落ち込んでみせれば、ウィスはため息をついた。


「仕方がありませんね」


 おや、ウィスが折れた。と、思ったのも束の間。なんとウィスはやれやれと言うように私のベッドの中に入って来たのだ。


「そんなに寝たいなら私も添い寝しますよ。時間になったら起こして差し上げます」

「ちょちょちょ! 入ってこなくていいから! 起きる! 起きるからぁ!」


 ウィスはよくこうやって驚くべき行動を起こすのだから、勘弁してほしい。

 慌てて起き上がれば、ウィスは可笑しそうに笑った。

 でも残念そうにしてるのも見逃してないからっ!

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