第13.5話 オウル・リーズは目を逸らす3
「オウル、急にどうしたの?」
露店通りを抜けて広場まで来て、俺は足を止める。姫さんは少し息切れしていて、激情のままに歩いてきた自分を恥じた。
俺というやつは姫さんの歩調を少しも考えていなかったのだ。
申し訳なく思いながら姫さんをベンチに座らせる。ここなら人も少ないし、普段通り喋ることもできるだろう。
「ううん、大丈夫。私が運動不足なだけ。それより、どうして急に……」
姫さんは不思議そうに俺を見上げた。
どうして急にあの場を立ち去ったのか。そんなの理由は決まってる。
「姫さんがあの場に居たくないって顔をしてたからな。今すぐここから逃げ出したいって、そんな顔してた」
「……私は、別に、」
姫さんは目を逸らして俯いた。やはり図星だったらしい。
姫さんは賢い。賢いが、どうにも自分の気持ちには鈍感だ。それに、姫さん自身が思っているより態度に出る。
きっと姫さんはまだ自分の気持ちには気づいていない。いや、気づいているかも知れないが、気づいていないフリをしている。
その原因は千鳥だろう。姫さんが誘拐された日もバッキンガムは千鳥を攫って逃げおおせたし、今だって楽し気に二人で話していた。バッキンガムが空賊だという理由も関係しているかも知れないが、千鳥の存在も大きいような気がした。
姫さんは昨日からバッキンガムを想って落ち込んでいたのか。
であれば、気晴らしにと姫さんを笑顔にさせるために誘った今日のデートは失敗だったと言えるだろう。
落ち込む原因そのものを姫さんに見せつけちまった。
「悪かった」
落ち込む姫さんに謝る。少しでも笑ってほしくて、俺はいつものようにその小さな頭を撫でた。だが顔を上げた姫さんの顔はまだ暗く、自分の不甲斐なさに罪悪感がこみ上げる。
「悪かったな」
余計な辛い思いをさせちまって。
だが姫さんは俺が謝る理由が思い至らないようで、不思議そうに首を傾げた。
「……え? 何が?」
さて、姫さんが自分の気持ちを認められるのはいつなのか。そしてその時が来たら、姫さんはどういう行動をとるのか。
俺には全くわからねえ。わからねえが、どんな答えだって、姫さんが出した答えなら、俺は全力でそれを助けよう。
姫さんには笑顔でいてほしいからな。
俺は気分を変えるようにニッと笑うと、姫さんの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「きゃっ、ちょっとオウル! ぐちゃぐちゃになっちゃうから!」
迷惑そうにしながらも、姫さんはつられて笑う。
俺にできる笑顔は、これぐらいが関の山だ。本心から姫さんを笑顔にできるのはもしかしたらあいつだけなのかも知れない。だから今は。
「なあ、姫さん、泣きたいときは泣けばいいんだ。そうすりゃスッキリする。やるべきことも見えてくるってもんさ」
姫さんは昨日から、泣きたいはずなのにまるで泣いていない。笑顔でいてほしいが、泣きたいときに泣くことも同じぐらい大事だ。
だけど姫さんは笑って否定した。
「もう、だから私は泣いてないって、昨日から言っているでしょう?」
昨日から心じゃ泣いてるくせに、どの口が言ってんだか。
だが姫さんが俺の前で泣けないってんなら、俺は頷くしかない。
「……ああ、そうだな」
「それより、」
もうこの話は終わりとばかりに、姫さんは俺をじとりと見た。
「この髪は直してくれるんでしょう?」
俺が撫でたせいでぐしゃぐしゃになったポニーテールが揺れる。姫さんに似合うだろうと買った髪紐も、情けなくへこたれていた。
まるで今の俺のように見えて、さっと姫さんの髪から髪紐を取る。さらりと姫さんの髪がいつものように戻った。
今の俺にはこの髪を梳く資格などない。
「あー……いや、後はもう帰るだけだから、髪は元に戻すか。人通りの少ないところを通って宿舎に戻ろう。そこからまた俺の飛竜で城に帰るか」
ポケットに髪紐を突っ込むと、姫さんも頷いた。少し寂しそうにも見えたが、俺に向き直ると笑顔を見せてくれる。
「今日はありがとう、オウル。服も髪も、城下も、とても楽しかった。私を、元気付かせてくれようとしたのよね?」
「……姫さんにはバレてたか」
俺が姫さんのことをお見通しと思っているように、どうやら姫さんにも俺のことはバレているらしい。
どうにもこうにも、俺ってやつは情けない。
「本当に、ありがとう」
だが姫さんが笑ってくれるなら、多少の情けなさは致し方ない。
今日は失敗しちまったが、さて、どこかで挽回しなきゃな。
城から飛び立ち、部下に姫さんの警護を任せると一度宿舎へと戻る。部屋に帰っていつもの制服へと着替えた。
今日は一日姫さんの警護が俺の仕事だ。着替え終わってまた城に戻ろうと机の上の鏡で身支度を整える。
すると、栞へと目が止まった。
「んん?」
今朝と位置が変わっている気がする。
そういえば姫さんがこの部屋で着替えたことを思い出し、まさか姫さんが手に取ったのかと考える。
「いや、まさかな」
だがそれはないと少し笑う。
この花を姫さんからもらったのは十年も前のことだ。姫さんは覚えていないだろう。
俺は栞を手に取る。この花を姫さんから貰った時はそりゃ嬉しかった。おずおずと差し出された花はどこにでも咲いているものだったが、俺にはこれ以上ないくらいの贈り物に思えた。
だが丁重に拝領したはいいものの、持ち帰ったファルコンは男所帯で、花を長持ちさせる方法なんて誰もしっちゃいなかった。
さてどうしたもんかと困っていると、給仕のおばちゃんが俺に言った。押し花にしてはどうかと。
俺は早速図書館に行き、押し花の本を借りて宿舎に帰った。そこには押し花を使った栞の作り方も載っていて、これだと思ったのだ。これならずっと持っていられる、と。
意気揚々と押し花の本なんて借りてきて、せっせと栞を作っている俺を見て、当時のファルコンの隊長――カイトの親父さんはそりゃ不審そうに俺を見ていた。
だが隊長は何も聞いてはこなかった。有難かったが、とは言え聞かれたところで俺は何も答えはしなかっただろう。
だってこの思い出は。
不器用な少女の不器用なお礼を知っているのは、俺だけでいいと思ったから。
例え姫さんが忘れちまっても、俺だけが覚えていればいいと。
「……なんてな、」
独り言ちて、栞を机へと戻す。先ほど広場で姫さんに言ったことを思い出した。
『なあ、姫さん、泣きたいときは泣けばいいんだ。そうすりゃスッキリする。やるべきことも見えてくるってもんさ』
あの時俺は泣けばいいと言った。泣けばいいとは言ったが、姫さんの背中を押すことはしなかった。
もっと他にも言えることはあったはずだ。姫さんはバッキンガムをどう思ってるのかとか、千鳥とバッキンガムは姫さんが想像しているような関係じゃないはずだ、とか、頑張れよ、俺は応援してる、だとか。
ストレートで不躾ではあるが、悩んでいる姫さんにはそういう言葉の方が幾分か良かったかも知れない。
だが俺が言ったのは、泣けばいい、だった。なんで背中を押してやらなかったのか。応援しなかったのか。
俺は考え付いた言葉をわざと口に出した。
「……娘を嫁にやるってのは、こんな気持ちなのか?」
頭を掻きながら口には出してみたが、その響きはどこか嘘っぽく、空回りして消えていった。
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