第13.5話 オウル・リーズは目を逸らす2

 そして今日、朝からお忍びデートに相応しい服を捜し歩き、一軒の露店でようやくそれを手に取った。


「この服をくれ。あと靴も見たいんだが」

「それならこれはどうだい?」


 店主が差し出したのは服に似合いの靴で、俺はその二つと、目に留まった髪紐を合わせて購入した。

 姫さんの瞳の色に似ている青い髪紐。良く似合うだろうと、知らず口元が緩んだ。

 だが目ざとい店主に見られ、からかうように笑われる。


「良い人へのプレゼントかい?」

「そんなんじゃねえよ」

「おや、随分楽しそうだからそうかと思ったけど」


 店主に悪気がないのはわかる。こんなの客に良く振る世間話の一環だ。だが俺と姫さんの仲を詮索されたようで、何となく気分は良くなかった。


「……釣りはいらねえよ」

「毎度!」


 多めに代金を渡せば、店主は威勢よく俺の背中へと声をかけた。

 俺にそんな声かけてくれなくなっていいんだぜ。勝手に思い込んで勝手に不機嫌になった詫びなんだからな。

 



「やっぱり姫さんは何を着ても似合うな」


 正直な感想をもらせば、姫さんは満更でもなさそうに笑った。

 服を確かめるようにくるくると回る姫さんはそりゃ可愛い。俺も嬉しくなって大満足で頷いた。


「勿論。姫さんの服を選ぶなんて光栄な役、頼まれたって誰にも譲らねえよ」

「全く、調子がいいんだから」


 姫さんはそう言うが、これは割と本心だ。とはいえ、そんなこと念を押して言いやしないがな。

 次に姫さんに靴を差し出せば、これも姫さんは大層喜んでくれた。ここまで喜んでくれるなら、プレゼントのしがいがあるってもんだ。


 最後に俺は姫さんの背中に回り、髪型を変えようと櫛を手に取る。さあやるかと意気込むが、その髪に触れる前に手がピタリと止まった。

 そういえばこうやって姫さんの髪に触れるのは初めてだと思い至る。普段気軽に頭を撫でることは多いが、それとはまた違う行為といえるだろう。

 窓から差し込む太陽の光で、姫さんのブロンドが淡く光る。

 どうにも触りあぐねていると、不思議に思った姫さんが俺を仰ぎ見た。


「オウル?」

「あ、ああ、いや……」


 言外にどうしたのかと問われるが、こっちもどうしたんだと自分に問いかけたい。

 女の髪を梳くのは別に初めてじゃない。抱いた女の髪を戯れに梳いたことだってある。だが、それとこれは全く意味が異なるような、そんな気がした。

 だがいつまでもこうして硬直しているわけにはいかない。俺は意を決して姫さんを見つめた。


「……王女殿下、御髪に触れても?」


 つい改まった言い方をすると、姫さんはどうしたんだと笑う。俺も誤魔化すように笑って答えた。


「俺は器用じゃないからな、変な風になっても怒るなよ?」


 そう言って笑って梳き始めるが、心は笑ってなんかいねえ。焦っているというか、妙に緊張しているというのが正しいか。中年のおじさんが情けないこった。


 そろそろと髪を梳くが、櫛は引っかかることなくするりと髪を通していく。

 さらさらで綺麗な髪だ。それに随分と無防備だ。安心しきって俺に身を預けている。姫さんをどうこうする気なんて勿論ないが、こりゃウィスティリアの心労は凄まじいだろうと、少し奴に同情する。

 姫さんはどうやら自分の魅力に頓着しないというか、気づいていない節があるからなぁ。


 やれやれと思っていると、何やら姫さんがうきうきとしていることに気づいた。鼻歌でも歌いだしそうなほどご機嫌だ。

 もしや今からのデートを楽しみにしてくれているのか。そう思い至り、思わず口元が綻ぶ。

 姫さんももう成人しちまって、こうやって俺に懐いてくれるのも一体いつまでか。そう考えると少し寂しいが、一緒にいられるうちは、せめて精一杯姫さんを笑顔にしたいと思った。

 



「美味しいっ!」


 肉串に噛り付いた姫さんは目をきらきらとさせて幸せそうに笑った。いいリアクションに店主も嬉しそうだ。


 姫さんの気晴らしにと提案したデートだったが、どうやら来て正解だったらしい。姫さんはにこにこと楽しそうで、先ほどから俺が結ったポニーテールが軽やかにゆらゆらと揺れている。


 しばらくそうやって姫さんを眺めていたが、姫さんが何やら店主の方をちらりと気にして、俺に顔を寄せてきた。俺の服を掴んで背伸びをする姿が何とも愛らしい。

 だがまあ眺めているわけにはいかないので、背をかがめて姫さんの口元に耳を寄せた。


「あのね、ちょっとお腹いっぱいになってしまったの。おじさんに悪いから、こっそり半分こしてくれない……?」


 小さな声が俺の耳をくすぐり、届いた言葉は何とも可愛らしいもので。

 店主に気を使ってるんだな、とか。まだまだ食べ歩きしたいんだな、とか。俺にも食べてほしいんだな、とか。この一言で色んな事が読み取れて、俺は思わず吹き出していた。


「くっ、ふははっ、ひーひっひっ!」

「ちょっ、なんで⁉」


 姫さんは突然笑い出した俺に驚き困惑している。その様も可愛らしくて、俺の笑いは中々止まらない。


「ちょっとオウル! もうやめて! 周りの人が見てるからっ」


 きょろときょろと周りを気にしながら顔を赤くする姫さんがあまりに愛らしい。


「くっくっ、いや、すまん。あんまりにもひめ、ああ、いや、貴方が可愛いもんで……」

「ええ? あの会話のどこが……別に私小食アピールはしてないわよ」

「しょ、小食アピール……! ひめさっ、これ以上、笑わせないでくれっ」

「もうっ! やめてってば!」


 小食アピールとは。

 別にそんなこと少しも思っちゃいなかったが、なるほどそう言われればそうも聞こえるかも知れない。

 だが先ほどまであんなにうまそうに肉串に噛り付き、丸々一本完食しておきながら、今更小食アピールもないだろう。というか姫さんの中では可愛いイコール小食なのか? いかん、笑いが収まらん。


 相変わらず笑う俺に、姫さんは業を煮やして俺の服を掴んで揺すり始める。ふらふらと揺れる身体に幸せを感じちまうんだから堪らない。

 だがいい加減やめろと顔を赤くする姫さんをこれ以上怒らせるのは得策ではない。何とか笑いを収めて姫さんに謝った。


「ん、ああ、くくっ……すまん。さっさと食べてここから離れるか」


 姫さんはほっとして肉串を差し出した。このまま受け取ってもいいが、いかんせん、もう少し姫さんを困らせたいという欲が湧く。

 食べさせてくれと口を開けると、姫さんは最初不思議そうにしたが、合点がいったようで肉を近づけてきた。

 なんだ慌てないのかと少し拍子抜けするが、まあ俺と姫さんの仲だとそんなもんかと大人しく食べようとする。

 だが姫さんは俺の口の中に肉を入れる前に、どこかを見てぴたりと止まった。


 一体どうしたのかと、姫さんの視線の先を探る。 

 人が多く判別がつかないでいると、視界に見知った姿を見つけた。千鳥だ。そして千鳥とともにいるのは、もしやあの姿はレイヴン・バッキンガムか?

 突然の指名手配犯に驚くが、ここで大捕り物の騒ぎを起こすわけにはいかねえ。何より今俺の隣には姫さんがいる。姫さんを危険にさらすわけには。


 そう思いながら隣の姫さんを見れば、姫さんはじっと二人を見たまま動かない。どうして姫さんがあの二人をそんなに気にするのかわからなくて、俺は姫さんの肩を叩いて声をかけた。


「どうかしたか?」


 ハッとして俺を見た姫さんのその顔に心底驚いた。

 顔を青く染め、先ほどまで笑顔だったその口は引き結ばれている。大きな青い瞳は動揺で揺れていた。

 その顔を見た瞬間、俺の中でもやもやしていたものの正体がわかった。姫さんが落ち込んでいた原因に何か思い至ることがあった気がしたが、これだったのだ。

 飛行船で姫さんを救出した時、姫さんは俺に言った。


『私は大丈夫。それより、カイトを止めてほしいの。レイヴンは私を助けてくれたのよ』


 その言葉を聞いた時、珍しいと思った。

 姫さんは俺達の仕事には口出ししない。そりゃ組織的に王命しか拝領しないではあるのだが、姫さんは俺達をプロと認め、その仕事には口を出したことがないのだ。

 だがあの時の姫さんは必死だった。俺がそれは無理だと断った時も、残念そうに頷いたが、認め切れてはいない様子だった。

 助けてもらったからと思っていたが、何かが引っかかっていたのだ。助けてもらった恩以上の何かがあるのではないかと。


 ただの勘だったが、長年培ってきた姫さんとの関係性がもたらした勘は、やはり当たっていたらしい。


 姫さんは、レイヴン・バッキンガムに好意を持っている。


 それに思い至れば、これ以上姫さんに千鳥とバッキンガムの姿を見せるわけにはいかなかった。


「食ってくれ!」


 姫さんから肉串をひったくり、近くにいた子供に押し付けると、俺は困惑する姫さんの肩を抱いて人込みを抜けた。

 去り際振り返ると、バッキンガムの金色の瞳と目が合った。獰猛なそれは俺を噛み殺さんとしている肉食獣のようにも見え、どうにも奴の気持ちを読みあぐねる。


 そんな目を俺に向けるなら、お前は千鳥と何をしていたんだ?

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