第13.5話 オウル・リーズは目を逸らす

「姫様に何かあったらどうするつもりだったのですかっ!」


 姫さんを城に連れ帰ると、そうそうにウィスティリアからの説教をくらった。

 烈火のごとく怒るこいつの気持ちは十分に理解できる。だが、いついかなる時でも姫さんには笑っててほしい。そう思う俺の気持ちも、きっとこいつなら理解できるだろう。


「そう怒るなよ、ウィス」

「貴方にその名で呼ばれたくありません」


 ぎりぎりと、怒りを噛み殺しながらそう返すウィスティリアに、俺は姫さんを指さして言った。


「ほれ、姫さんの姿を見てみろ。安い品ではあるが、良い物を見繕えたと思わんか?」


 ウィスティリアの後ろで奴を窘めていた姫さんは、突然話を振られてびくりと驚く。

 ウィスティリアは即座に俺の手を叩いた。


「姫様に向かって指を差さないでください!」

「わかったわかったから、ほら、よく見ろ」


 肩を掴んでぐるりと姫さんの方に反転させる。一度俺の部屋に戻って元の服は持ってきたが、まだ俺が渡した服から着替えてはいなかった。

 姫さんは何が何だか困惑していたが、俺に合わせるようにスカートの裾をちょいとつまんで首を傾げて見せた。


「ど、どうかしらウィス……可愛いと思わない?」


 姫さんは服のことを言ってるんだろう。ウィスティリアに見せるようにスカートを広げているが、奴は俺が姫さんに贈った服などにはそもそも眼中がない。今すぐにでも捨ててしまいたいとさえ思っていることだろう。

 だが、それを姫さんが気に入っていて、なおかつ自分に向かって可愛いかと、少し照れながら聞いてくるなら話は別だ。


 ウィスティリアは目の前にいるのが神だとでも言わんばかりに、膝から崩れ落ちて両手を組んだ。


「ああっ! 姫様、なんとお可愛らしいことでしょうか……! 姫様の白磁の肌に花の刺繍が良く映えます! シンプルな袖口からするりと伸びる美しい腕はさながら彫刻家が生涯かけて彫った至極の一品……いえっ! 姫様の美しさを彫刻で再現できるはずがありませんでした! 申し訳ありません、このウィスティリア面目次第もございません! どうかもう一度最初からやり直しを! ああ、姫様、なんとお美しい、姫様の」


 一体この口上をいつまで続けるつもりなのか。姫さんは顔を青くしてテーブルに手をついちまっている。

 だが俺はこの時を狙ってたからな。願ったり叶ったりってやつだ。


 俺の背中にあるバルコニーに向かってそろそろと後退する。いつものウィスティリアならすぐにバレちまうが、今奴の目には姫さんしか映ってねえ。これ幸いとバルコニーまで下がると、俺はすぐに相棒に乗って飛び立った。


「っ! オウル様! まだ話は終わってません!」


 さすがに飛竜が飛び立つ音には気づいたらしいウィスティリアがバルコニーに飛び出してくるが、時すでに遅し。俺はもう空の上だ。


「またな姫さん! じゃあなウィス!」


 別れの挨拶をすると、ウィスティリアはその名で呼ぶなと怒り、姫さんはまたね、と笑顔で手を振ってくれた。その笑顔にほっとする。

 だが、姫さんの胸の悲しみを取り除けたわけじゃねえことは、わかっていた。




 昨日はそりゃ綺麗な満月だった。

 姫さんの部屋の上空を巡回しながら、この明るさなら賊が侵入してもすぐに気づけるだろうと多少安堵した。


 昼間、姫さんが攫われたと一報が入ったとき、そりゃもう心配した。

 もし、怪我でもしていたら。もし、見つからなかったら。もし、もし、死んじまっていたら。考えたくねえことも考えなきゃいけねえのが俺達の仕事で、最悪の事態も想定しながら姫さんを捜索した。

 飛行船で姫さんの後ろ姿を見つけた時、その顔を見た時、心底良かったと思った。体に熱が戻ったような心地で、肩の力がようやく抜けた。もう二度と、こんなのは御免だと思った。


 だが心配していたのはもちろん俺だけじゃない。王も俺なんかじゃ想像もできないぐらい心配だったことだろう。

 だからこうして俺は姫さんの上空警護を任されている。他の場所にもファルコンの警護飛竜が飛んでいるし、姫さんの部屋の前ではウィスティリアとカイトが警護についている。


「今のところは異常なし、か」


 そう呟いたときだった。姫さんの部屋のカーテンが揺れた。静かに腰の銃に手をかける。何者かによってバルコニーに続く窓が開けられると、部屋からひょっこり現れたのは姫さんだった。


「っ、」


 賊かと思い急降下してバルコニーに行きそうだった体と、相棒の飛竜を慌てて止める。

 姫さんはバルコニーに出ると月を見上げた。どうやら月とは別方向にいる俺には気づいていないらしい。

 とりあえず姫さんで良かったとは思うが、いくら古い仲とはいえ、プライベートな場を盗み見るのは気が引ける。だが警護対象から目を離すわけにはいかない。


 どうしたもんかと姫さんを見ていると、姫さんが裸足であることに気が付いた。羽織もしておらず薄着だ。夜は冷える。このまま盗み見るより忠告ついでに部屋に返そうかと近づいた。

 その時、風に乗って姫さんのかすかな声が届いた。


「……会いたいな、」


 小さなその声は、しんとした夜に響く。

 姫さんは月を仰いだ。その顔は悲しみに濡れているように見える。

 まるで月にいる誰かを想っているような、儚げで、悲しい横顔は、月に照らされて美しくも見えた。ブロンドの髪がより一層輝きを増してきらきらと光る。

 柄にもねえが、このまま姫さんが月に行っちまうような気さえした。


 姫さんのとこに行くタイミングを逸していると、おもむろに姫さんが顔を両手で覆った。

 姫さんが泣いてる。

 そう思ったら、もうタイミングとかそんなのはどうでも良かった。

 とにかく姫さんの傍にいなくちゃなんねえ。その悲しみを晴らしてやりたいと、そう思うのは、特段変なことではないだろう。

 なんたって俺は姫さんをちみっこい赤ん坊の頃から知ってんだ。姫さんに笑顔で、幸せでいてほしい。そう思うのは、普通だ。姫さんを悲しませる奴はどこのどいつだと、怒りを感じるのくらい、普通なんだ。


 姫さんの前につくのと、姫さんが両手を顔からどけたのはほぼ同時だった。


「よお、姫さん」

「オウルっ⁉」


 まるで普通に挨拶をするように声をかけると、姫さんは俺に全く気付いていなかったようで、驚きに声を大きくする。俺は慌ててしぃ、とジェスチャーをした。


「こんなとこ誰かに見られたら変な誤解をされかねんっ!」


 主に姫さんの部屋の前にいるウィスティリアに、だ。

 上空で警護しているはずの俺が姫さんの部屋のバルコニーでこっそり姫さんと会ってるなんてとこ見られたら、夜這いだとかなんとか言って、すぐにでも発砲されるだろう。こんな真夜中にそんな騒ぎは御免だ。

 安心なことに、どうやら姫さんの声は部屋の外までは聞こえていなかったらしい。誰も入ってこない扉にほっとしながら、相棒と一緒にバルコニーに降りる。


「驚かせて悪かった。月の女神かと思って近づいたら姫さんだったもんでな」


 半分冗談、半分本気で言えば、姫さんはいつもの俺の軽口だと笑った。

 姫さんの目元に涙の跡はなく、その笑顔に安心するが、やはりいつもより沈んでいる気がする。

 さてその原因はなんだと考えて、思い至るようなそうでもないような、もやりとした気持ちが胸中を覆う。何かが引っかかる。


 考えながら姫さんと会話を続けていると、俺に警護をしてもらうのが申し訳ないと姫さんが謝ってきた。


「……面倒をかけてごめんなさい。貴方も忙しいのに」


 いくら王直属の部隊に所属しているとはいえ、俺は一介の兵士に過ぎない。それなのに姫さんはこうして俺達と対等の立場にあろうとする。いや、まるでそれが普通であるかのように振る舞う。

 はてさて、それが王女として良いことなのかどうかは、俺なんかにゃ到底図れないが、俺は姫さんのこういうとこを好ましいと思う。と、同時に、もう少し偉そうにしてくれてもいいのに、とも思うが。


「昼間も言ったろ。面倒をかけられるのが俺の仕事だ。それに、」


 気にするなの意味を込めて姫さんの頭を撫でて、俺は月を見上げた。この月を見上げて姫さんが何を想っていたのか、俺にはわからない。だが、出来ることなら俺は姫さんの憂いを晴らしたい。

 姫さんの幸せを守るのが、俺の仕事だ。


「姫さんと二人きりで月を見られるんだから、ご褒美みたいなもんだ。役得ってな?」


 軽口を叩けば、姫さんは笑う。だがやはり、先ほどの悲し気な姫さんが思い出されて、俺はほとんど無意識に姫さんの目じりを撫でていた。


「お、オウル?」


 姫さんが驚いたように俺の名前を呼ぶ。

 言わないでいようと思っていたが、ここまでしてしまっては誤魔化しはきかない。それにいい機会だ。姫さんが正直に理由を話してくれるかはわからないが、聞くだけは聞いてみよう。


「姫さん、泣いてたろ?」

「何のこと?」


 姫さんはやっぱり否定して、俺の手をどかした。

 さてどうやって素直にさせるかと考えて、ああ、そうだと思い出す。少しからかうような気持ちで俺はさっきの姫さんの真似をして、両手で顔を覆った。


「ほう、泣かないように、こうしてなかったか?」


 えーんえん、と泣きまねをすれば、姫さんは怒って俺の体をぽこぽこと殴る。残念だが全く痛くないし、指の隙間から見える姫さんは顔を真っ赤にしていて可愛い。いや、ぬいぐるみ的な意味でな? 決して加虐心を煽られたなんてことはない。決して!


「えーん、会いたいよぉ」

「オウルっ!」


 暗にここから見ていましたと伝えれば、姫さんはいよいよ俺に危害を加えてやろうか、みたいな顔をしだした。

 これはこれで可愛らしいが、さて姫さんを怒らせたいわけではない。どうするかと考えて、名案を思い付いた。


「姫さん、明日デートするか」


 俺に両手を取られてぽかんと口を開ける姫さんは、そりゃ可愛かった。

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