第11話 野花の思い出

 昔、ある出来事があって、今回のようにオウルが私の警護についてくれた時、私は彼にそのお礼をしようと思ったのだ。

 でもそれを思い付いたのは彼が帰ってしまう頃で、私は慌てて咲いていた花を摘んでオウルに差し出した。


『オウル、これあげる』


 そう言って差し出した花は確かに綺麗だったけど、これでお礼になるなんて、到底私も思っていなかった。

 差し出した後に、しまった、と思ったのだ。どうせなら、後日ちゃんとしたものを渡した方が良かった、と。


『え、と、やっぱり』


 そう言って引っ込めようとした私の手を、オウルは優しく握った。


『ほんとに貰っていいのか?』


 驚いているような、それでいて喜んでいるような、そんな表情と声色のオウルに、私は恐々頷いた。


『……こんなものでごめんなさい。でも私、オウルにありがとうって言いたくて、それで、』


 当時私は落ち込んでいた気持ちから浮上したばかりの頃で、それまでたくさん周りに迷惑をかけていたことを知っていた。

 オウルも心配をかけてしまった一人で、だからその時ごめんなさいの意味も込めて、オウルにお礼が言いたかったのだ。


 やっぱりやめた方が良かったか。

 そう思いながら情けなく俯けば、突然オウルが私の目の前で片膝をついた。驚いて顔をあげれば、オウルは恭しく頭を下げている。

 私は彼にそっと花を差し出すと、まるで高価な宝物を受け取るかのようにオウルは花を受け取った。


『有難く頂戴いたします。王女殿下』


 普段は砕けた喋り方なのに、この時ばかりは敬語を使ったオウルに私は驚きながらも、でも気恥ずかしい嬉しさを感じながら笑った。


『ありがとう、オウル』

『俺もありがとな、姫さん』


 普段のオウルに戻った彼はがしがしと私の頭を撫でると、かっこよくニッと笑ってくれたのだった。




「あの時の……」


 もう十年前の、何でもない花を押し花にしてまで、オウルはまだ持ってくれていたのだ。

 嬉しさと恥ずかしさで、何だか頬が熱くなる。

 熱を逃がすように頬に手を当てていると、コンコンと扉をノックされた。


「姫さん? 大丈夫か?」


 何も音が聞こえてこなかったから、はたまた着替えるだけの時間にしては長かったのか、オウルが心配そうに声をかけてきた。

 私は慌てて栞を机に戻す。


「大丈夫! すぐ着替えるからもう少し待っていて!」

「問題ないならいいんだ。ゆっくり着替えてくれ」


 聞こえなくなったオウルの声に私はほっと息を吐き、服へと手をかける。

 背後に感じる栞の存在は、私を妙に浮足立たせた。



「やっぱり姫さんは何を着ても似合うな」


 着替え終わった私を見て、オウルは感心したように顎に手を添えた。


「ありがとう、でも本当に可愛い服ね。オウルが選んだの?」


 オウルが用意したワンピースは簡素でシンプルながらも、裾に施された刺繍が華やかで可愛らしい。

 くるりと回って裾を翻す私を見て、オウルは満足そうに頷いた。


「勿論。姫さんの服を選ぶなんて光栄な役、頼まれたって誰にも譲らねえよ」

「全く、調子がいいんだから」


 そうは言うが、可愛い服をもらった上に褒められれば悪い気はしない。

 オウルはにこにこと服の裾を摘まむ私の足元にパンプスを置いた。


「靴も買っといた。歩くからこっちがいいだろう」


 それはヒールの無いぺたんこのもので、服に合わせるように花の刺繍が施されている。

 椅子に座って履き替えて、いつもと違う足元とその新鮮さに増々嬉しくなる。


「これも凄く可愛い! ありがとうっ」

「こんなに喜んでもらえるなら、朝市を走り回ったかいがあるってもんだ」

「ふふ、今朝急いで買ってきてくれたのね」

「まあな。ほら姫さん、次は髪だ」

「髪?」


 疑問符を浮かべると、オウルは棚から櫛を出して頷いた。


「髪型を変えるんだよ。この王都で姫さんを知らねえ奴なんていないだろうが……髪型や服装まで違えば、そうそう姫さんだとは気づかれないだろ」

「そういうものかしら?」

「案外そういうもんさ。あとは、堂々としてるこったな」

「堂々と、ねえ」


 私は案外式典や慰問に参加することが多く、その分人目に触れることは多い。王都では自慢でも驕りでもなく、私の顔を知っている人は多いだろう。

 果たしてこれで本当にばれないのかと少し不安になるが、ワクワクもしていたりする。


 昨日デートなんて言われた時にはただただ驚いたが、こうして普段と違う恰好をして、王女ではなく私として外に出るなんて久しぶりだ。

 それにウィスや兄達と城下で遊んだことはあっても、オウルとは初めてである。つい先ほど彼との懐かしいことを思い出したこともあって、浮かれていることは自覚していた。


 鼻歌でも歌いだしそうなところだったが、一向に動かないオウルを不思議に思い、後ろにいる彼を振り返って見上げた。

 櫛を取り出して私の後ろに回ったので、てっきりオウルが髪をアレンジしてくれると思ったのだが。


「オウル?」

「あ、ああ、いや……」


 見上げたオウルは何故か視線を彷徨わせ、歯切れ悪く口ごもる。やがて意を決したかのように言った。


「……王女殿下、御髪おぐしに触れても?」

「急に改まってどうしたの? それに、いつも私の頭を撫でてるじゃない」

「ああ、まあ、そうなんだけどよ、」


 何を言いたいのかわからないオウルに首を傾げるが、オウルは何事もなかったようにへらっと笑うと、いつものように軽口をたたいた。


「俺は器用じゃないからな、変な風になっても怒るなよ?」

「変な風はやめて!」


 オウルは笑って私の髪を櫛で梳かし始める。いつもはウィスにやってもらっているので、オウルにされるのはなんだかくすぐったい。

 ウィスの細く長い、しなやかな指とは違い、オウルの指は武骨で固い。でも慎重に、優しく髪を梳く手つきは、私の顔を知らずほころばせた。

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