第9話 真夜中の月見

 その夜、夢を見た。


 幼いころの私が、金の瞳の男の子と一緒にいる夢だ。夢と言うより、それは懐かしい思い出で。

 真っ黒の、子供の飛竜に跨った彼は、私をまっすぐに見つめて言った。


「アナ、お前が好きだ」


 突然の告白に、私は驚いて固まってしまう。

 でもそれは嫌だったからとかじゃなくて、ただ純粋に、驚いてしまっただけで、むしろ私も、彼のことを。

 だけど返事をする暇もなく、彼は飛竜と飛び立ってしまう。

 でも青い空の中、真っ黒の飛竜に乗った夜のような髪をした男の子は、私に向かって叫んだのだ。


「俺はお前を迎えに行く! 必ずだ!」

 



 ゆっくりと目を開ければ、辺りはまだ暗かった。

 起き上がってそっと天蓋のカーテンを開け、ベッドから立ち上がる。迷わずにバルコニーまでたどり着けたのは、カーテンの隙間から月の明かりが漏れていたからだ。

 窓を開けて、裸足であることも気にせず外に出る。


「きれい……」


 思わず独り言を零してしまうぐらいに、バルコニーから見る満月は綺麗だった。

 金色の、丸い月。それはどうしても先ほど夢で見た、思い出の男の子を連想させた。


 夢で見たのは彼との別れ際のシーンだ。

 一方的に告白をしてしまうと、彼は私の気持ちは聞かずに遠くに飛んで行ってしまった。

 でもあの時はそれでよかった。彼は急いでいたのでしょうがなかったし、それに、迎えに来ると言ってくれたから。返事はその時にしようと思っていた。

 でも、彼は結局その後一度も私の前に姿を現すことはなかった。


 いくら待っても来てくれないから、探そうとも思った。

 でも、私は彼の名前も何も知らなかったし、それに彼は追われているようだった。何か事情があるらしい彼を王女である私が探し出すのは、彼に迷惑をかけるような気がして、結局私は待ちぼうける道を選んだ。


「……会いたいな、」


 今まで何度、彼のことを想ってこの言葉を吐き出したことだろう。

 子供の頃の、たった一つの彼との約束を、いまだに信じて待っている私は、もしかしたらちょっと変なのかも知れない。いや、ちょっとじゃないか。かなり変かも。


 自嘲気味に笑って、空を仰ぐ。

 金色の月は確かにあの子を思い出させるが、でもやっぱり、あの子の瞳は月というより、太陽だと思った。

 静かに寄り添ってくれる月というより、派手で荒々しく、でも暖かくて元気にしてくれる、そんな太陽のような――。


『必ず迎えに行く!』


 不意に、昼間のレイヴンのことを思い出した。

 飛行船から落ちる中、レイヴンは私を見つめてそう叫んだ。

 あの時も思ったが、やっぱりレイヴンはあの子に似ている。夜のような髪の、太陽のような瞳のレイヴン。まさしく思い出のあの子にそっくりだ。迎えに行くという言葉だって……。


 そこまで考えて、やっぱり私は首を振った。

 あり得ない。だって私は脇役だ。漫画にだってこの後数回出るぐらいで、それもレイヴンとの絡みだって、それこそ今回の一回限りのことだ。

 対してレイヴンは漫画の三番手で、カイトと、主人公である千鳥をめぐって三角関係になるのだから。

 レイヴンは、千鳥のことを好きになるのだから。


 何故だが、ずきりと胸が痛んだ。鼻の奥が微かにつんっとして、でもその理由は考えないようにして、気持ちを落ち着かせるためにそっと両手で自分の顔を覆った。

 夜中に目が覚めたからといって、月なんて見てるからセンチメンタルな気分になるのだ。

 多少雰囲気に酔っていたかもしれないと心の中で自身を笑い、気持ちを切り替えるようにぱっと両手を離した。


「よお、姫さん」

「オウルっ⁉」


 突然目の前に現れた人物に、私は驚いて素っ頓狂な声を上げる。オウルは慌てたようにしぃっと口に指をあてた。


「こんなとこ誰かに見られたら変な誤解をされかねんっ!」

「ご、ごめんなさい……でも驚いて」


 オウルは飛竜とともにバルコニーに降りると、その背からひょいと飛び降りた。


「驚かせて悪かった。月の女神かと思って近づいたら姫さんだったもんでな」

「もう、何言ってるの?」


 オウルの冗談に笑って返すと、彼も朗らかに笑う。

 オウルの気安さが、私は好きだ。

 オウルは千鳥の仲間ということもあり、漫画の主要キャラである。でも私がまだ赤ん坊の頃からファルコンにいるオウルとは、両親共々親交が深く、まるで親戚の叔父さんのような、歳の離れた友人のような、そんな関係なのだ。


「今夜は月が綺麗だな。姫さんは月見かい?」

「そんなところ。オウルは……もしかして、私の警護を?」


 城の上空を飛竜で飛ぶのは警備のものだけだ。必然、オウルもそうなのだろうと察しがつく。

 だがファルコンは特務部隊で、一般的な警備を行うことはほぼない。とすればオウルがここにいる理由は、私が攫われたことと関係があるのだろう。


「ああ、王命でな。まだ姫さんを攫おうとした賊は捕まってないし、何があるかわからんからな」

「……面倒をかけてごめんなさい。貴方も忙しいのに」


 想像通りの言葉に、私は申し訳なさで頭を下げる。だけど彼は昼間もそうしてくれたように、笑って私の頭をがしがしと撫でた。


「昼間も言ったろ。面倒をかけられるのが俺の仕事だ。それに、」


 言葉を区切り、オウルは月を見上げる。雲一つない空に大きな満月は、文句なしに美しい。

 横目で私を見ると、オウルはニッと笑った。


「姫さんと二人きりで月を見られるんだから、ご褒美みたいなもんだ。役得ってな?」

「ふふ、相変わらずね」


 オウルの軽口に、私は笑う。するとオウルは私に近づくと、すっと目元を優しく撫でた。


「お、オウル?」


 流石に驚いて言葉に詰まってしまうが、オウルは真剣なまなざしでついっと目じりを撫でた。


「姫さん、泣いてたろ?」


 言われた言葉に、少しどきりとする。確かに、泣きそうにはなったかも、知れない。でもそれは、かも、の話で、泣いてはいない。


「何のこと?」


 オウルの手を私から離し、何を言っているか分らないと首を傾げて見せた。

 オウルは宙に浮いた手を自身の腰に置くと、まるでからかうように笑った。


「ほう。泣かないように、こうしてなかったか?」


 両手で顔を覆ってさっきの私を実演しながら、えーんえん、とオウルは泣きまねをする。


「ちょっとっ! いつから見てたのよっ!」


 私は羞恥で顔を赤くして、オウルの体をぼこぼこと殴った。

 ああ、恥ずかしい! センチメンタルに浸っていたところを見られていたなんて!


「えーん、会いたいよお」

「オウルっ!」


 これはいよいよ鈍器で頭を殴って記憶を消すか、そう思った時だった。

 オウルはぱっと顔から手を離し、彼を殴る私の両手を取った。


「姫さん、明日デートするか」


 突然のことに、私はぽかんと口を開けたのだった。

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