第8話 報告はカモミールティーとともに

「ウォルフス伯爵が撃たれた?」


 城に戻ったあと、夕食も食べお風呂にも入り、部屋で落ち着いたところでウィスから聞いたのは驚くべき内容だった。


「はい。姫様に言われた通り確認したところ、護衛とメイドには死傷者も重傷者いませんでした。……ただ一人、ウォルフス伯爵を除いては」

「どうして……いえ、それより、伯爵は無事なの?」

「肩を撃たれたようですが、襲われたのが伯爵領の近くだったため、そのまま領内に入り治療を受けたようです。意識もはっきりしており容体は安定しているようですね」

「そう……」


 無事だと聞き胸を撫で下ろす。でも何故伯爵だけが撃たれて……。

 私の疑問を解決するように、ウィスがお茶を差し出しながら付け加えた。


「姫様をかばっての事のようですよ」

「私を?」

「その場にいた者の話によれば、怪我をするから皆に動くなと命じた上で、自分は姫様を空賊に渡さんとしたようです」

「伯爵がそんなことを……」


 そういえば、空賊の男が乗り込んで来てもなお、伯爵は朦朧とする私を支えてくれていた。まさか賊に歯向かってまで私を守ろうとしてくれていたとは、全く知らなかった。

 これはすぐにでもお見舞いに言ってお礼を申し上げなければ。

 そう思ったのだが、ウィスは私とは全く違う考えのようで不機嫌そうに眉を顰めた。


「今回怪我をした者が少なかったのは伯爵の英断だと、他の貴族連中や大臣達は伯爵を褒めそやしているようですね。それに、姫様をかばわんとしたのも素晴らしい、と」

「……何だか棘のある言い方ね」

「私からしてみれば、姫様を賊に奪われた時点で大罪ですよ。こんな事なら、あの時何が何でもついて行っていれば……」


 今回のセレモニーへの出席は、私の執事であるウィスも同行予定だったのだ。

 だけど今日の朝、飛行船でやって来た伯爵はウィスを置いて行ってはどうかと言った。私をもてなすために用意した食材やメイド、安全のための護衛達で、飛行船がもう重量オーバーなのだと。

 勿論、そんな事は事実ではない。

 だが以前からウィスは伯爵を毛嫌いしていたし、伯爵もウィスを好きではなさそうなのは分かっていた。だから引きさがろうとしないウィスを宥めて、私が一人で飛行船へと乗ったのだった。


 今朝の事がいまだに腹立たしいのだろう。ウィスは口惜しそうに唇を噛みしめた。


「ウィスは本当に、伯爵が苦手なのね」

「ええ、嫌いです。あの男は絶対、姫様に良からぬ想いを抱いているに違いありません」


 きっぱりと断言するウィスに、少々頭が痛くなる。


 私の執事であるウィスティリア・ロビウムは優秀な執事だが、過保護で私を持ち上げ過ぎるところがある。私の周りに寄ってくる男は全て私を狙っていると言わんばかりに敵視するのだ。

 自分が周りの女性達に狙われているとも知らずに私の心配ばかりするものだから、その鈍感っぷりには呆れてしまう。


 ウィスは美しいかんばせを歪ませて伯爵がどうのこうのと文句を言っている。

 流石に私をかばって撃たれた人の文句をこれ以上言わせる訳にはいかないと、ウィスの話を遮った。


「それで、お父様は何て?」


 まだ伯爵について言い足りなかったのか、ウィスは少し不満そうな顔をしたが、直ぐに居住まいを正した。


「姫様を賊に奪われたのは許し難いことですが、被害の少なさや伯爵自身が怪我をした事を考慮して、何もお咎めは下さないと。それより賊の捕縛を優先する、とのことでした」

「当然ね」


 一時は賊の手に渡ったものの、王女は怪我なく帰って来たのだ。後は犯人である空賊の逮捕を念頭に置くに限るだろう。

 一通りの報告を受けて、私はようやく落ち着いてお茶を一口飲んだ。ふわりと薫る匂いと味に、思わず口元が綻ぶ。


「……ハーブティー」

「はい、カモミールティーです」


 カモミールティーには、リラックス効果や安眠効果がある。ウィスが私を気遣い、選んでくれたんだろう。体だけではなく、心までほかほかと温かくなる。


「ありがとう、ウィス」


 ウィスの気持ちが嬉しくてお礼を言えば、彼は微笑んで頷いた。


「今日はお疲れでしょうから、ゆっくりお休み下さい」


 ウィスの心遣いに、ええ、と頷く。

 今日の疲れをとるのは勿論のこと、明日以降のためにも英気をしっかりと養わなければならない。

 なぜなら、今回の事件はこれで終わりではないのだから。


 この後、次の日か、二日後だったか、日付は定かではないが、また王女である私は攫われるのが漫画のストーリーである。

 同一グループの犯行で、動機も同様、身代金目的であるのだが、その犯人の捕縛と、王女の救出をレイヴンと千鳥が協力して行うのだ。

 レイヴンが協力してくれるのは千鳥への興味と成り行き上であり、私とまた接することはない。なのでレイヴンに会えないのが少々残念ではあるが、千鳥が私を助けに来てくれるというシチュエーションは大いに満足である。

 

 これ以降は王女に活躍はないので、しっかりその幸福を堪能しなければ! そしてそのためにはしっかりとした休養も大事!

 先の飛行船の時のように気を失ってしまっては、大事な救出シーンでまたもや寝こける危険性がある。

 レイヴンとリードに助けてもらうシーンを体験できないのは本当に残念だった……。一体私はどんな風に助けられたんだろう……。


 その姿を想像しようとしたとき、不意に、レイヴンに頭を撫でられたことや、手を握られたこと、頬に触れられたことが思い出された。

 レイヴンの手は大きくて、優しくて、暖かかった。そして、私のことを見つめる金色の瞳は、眩しく、熱を感じた。


 私は自身の指でそっと頬に触れる。あの時の熱は当然ながらもう感じない。でも目を閉じれば、まるでたった今起こった出来事であるように鮮明にその熱さを思い出せた。

 あの時、レイヴンは何かを言いかけていた。何を言おうとしていたのだろう。何を、私に伝えたかったのだろう。

 もしかして、もしかするの? レイヴンはあの時の男の子なんじゃ――。


「姫様? どうかされたのですか?」

「っ!」


 私は体をびくつかせて目を開ける。目の前には不思議そうにこちらを見ているウィスがいて、慌てて首を振った。


「な、なんでもないの! 本当に、何でもっ」

「……なら、良いのですが……」


 どこか納得言ってなさそうなウィスを後目に、私は自分を落ち着かせようとカモミールティーを飲む。まだ暖かいそれは私を再度ほっとさせてくれたが、心臓の鼓動は先ほどより確実に早かった。

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