第7.5話 リード・ブレイズは面倒が嫌い

「素敵な女性でしたね」


 レイヴンがファルコンの女を地上に降ろしたのを見届け、周囲に誰もいないことを確認して彼と合流した。

 先ほどまでファルコンの女を攫っていたのだ。きっとその仲間が探していることを考え、飛竜は先に帰し、王都からもう少し離れるまではと歩いて森の中を進む。

 周囲はもう茜色に染まっていた。


 そうしてアジトへと帰路につく途中、レイヴンがファルコンの女と楽し気に話していたことを思い出し、からかうつもりで言葉を投げた。

 するとレイヴンは破顔して、そうだろうと頷く。


「そりゃアナだからなっ! お前がそう言う気持ちもわかる。だけどもし、お前も好きだってんならそこはしっかり話し合って――」

「いや、そっちじゃなくて」


 当然のようにアナスタシア王女の話を始めたレイヴンに俺は呆れ交じりで言葉を遮る。

 放っておくとこいつは永遠に王女の話をするからな。

 するとレイヴンは不思議そうに首を傾げ、ああ、と思い出したように声を上げた。


「千鳥のことか!」

「そうですよ。全く、貴方は本当、一も二もなく王女王女と……」

「悪い悪い、素敵な女性っていうから、アナのことかと思ってな。なんだリード、お前千鳥に興味があるのか? 間取り持ってやろうか」


 にこにこと屈託なく笑う目の前の男に、ため息交じりに首を振った。

 からかうつもりが逆にからかわれてしまうのは、あまり面白くない。


「俺じゃなくて、レイヴンが彼女に興味があるのかと思ってましたが」

「俺? なに言ってんだ、そんなんじゃねぇよ。確かに千鳥は面白くて良い奴みたいだけど、俺は……」


 そこでレイヴンは言葉を切り、何かに想いを馳せるように空を見た。生憎森の中では木々に邪魔をされて、俺達の焦がれる空はよく見えない。

 とはいえ、今レイヴンの目に映っているのは空でも木でもないことは理解している。


「……良かったじゃないですが、念願叶って王女と会えて」

「そうなんだけど、な」


 ふっ、とレイヴンから漏れる息に、彼の心中を察した。



 レイヴンとは長い付き合いだ。出会って十年近くなるが、出会った頃から彼は王女に会いたいと言っていた。

 何故だと聞いたが、レイヴンは詳しい理由は語らなかった。ただ、一度会ったことがあり、その時彼女に助けられたからまた会いたいのだと言った。

 王女に会って助けてもらうなんてどんな状況だと気にはなったが、その会いたい気持ちに確かな恋心を感じて、それ以上の追及はしなかった。

 馬に蹴られるのはごめんだ。


 ただレイヴンは会いたいとは言いつつも、会いに行こうとはしなかった。

 勿論、王女なんておいそれと会えるものではないし、俺たちは平民どころか犯罪者だ。会えるわけがない。

 でも王女は公務に積極的に参加していて、公の場にはよく出てきていた。レイヴンはそんな王女の姿を遠巻きに眺めるだけで、近づこうとはしなかった。

 今はこうして名が売れてしまっているが、昔はレイヴンの顔も名前も誰も知らなかった。一般人に紛れてもっと近くで見ることも、お互い顔のわかる距離に行くこともできたのに、決して近づこうとはしなかった。


 俺は思った。面倒くさいやつだな、と。というか本人に言った。そうすると奴は、


「ちゃんと迎えに行けるまで、会うわけにはいかねぇんだよ……」


 それにもっとかっこよくなってからじゃねぇと、なんて言うレイヴンに、俺は心底面倒臭いと思った。だからなるべくこいつの王女関連には関わりたくないと思ったのだ。


 だがしかし、王女への気持ちを俺にさらけ出したからなのか、王女のいる場に俺を連れて行くようになった。

 どこそこで王女が慰問すると聞きつけては俺を連れて遠くから姿を見守り、セレモニーに参加すると聞けば俺を引っ張って行き、王女の生誕祭には、城のバルコニーから観衆に手を振る王女を遠くから眺め、瞳を潤ませていた。


 良く言えば追っかけ、悪く言えばストーカーだ。


 もしかしたら王女と会ったことがあるなんてこいつの妄想なんじゃないか――そう思い始めていた時だ。


「アナスタシア……!」


 たまたま女を飛竜に乗せているサティバをみかけ、明らかに攫ってきたのだろうその姿にレイヴンが黙っているわけもなく、女を救出した。

 そして腕に抱くその顔を見た時、レイヴンは心底驚いた様子だった。


 勿論、俺も驚いた。自分の国の王女が攫われていて、それをたまたま救出するなんて、驚き以外のなにものでもないだろう。

 だがレイヴンの驚きと言ったら、俺の比ではなかった。


「なんで、アナスタシアが……」


 驚きに目を見開くレイヴンは、はっとするとすぐに王女の口元に耳を寄せた。微かな吐息を認めたのだろう。ほっと息を吐くと、その存在を確かめるようにきつく体を抱きしめる。


「レイヴン、あまり勝手をするものでは――」


 意識がないのを良いことに何を、と思ったが、その瞳の厳しさに口を噤んだ。


「――サティバの野郎、ぶっ殺してやる」


 低く吐き捨てられた言葉に俺は思った。ああ、面倒くさい、と。


 そして近くに隠していた飛行船に乗り換えた後も、レイヴンは王女にべったりだった。王女に膝枕をし、その体に自身のコートをかけると、優しく、愛しさを隠さない様子で王女の頭をあやすように撫でていた。

 見ているだけで砂でも吐きそうだったが、王女の悲鳴でその甘ったるい空間は瞬時に崩れる。


「ひゃあああ!」


 叫んで震える王女は、酷く怯えている様子だった。無理もない、俺達のことを自分を攫った空賊だと思っているのだろう。

 空賊なのは間違いないが、攫ったと思われるのは困る。王女誘拐なんて濡れ衣は被りたくないし、民衆に人気の高い王女を攫ったとなれば、俺達への民衆の支持もどれぐらい下がるか、考えたくもない。

 義賊なんて人気商売には支持が必要不可欠だ。


 知り合いなのだから、誤解を解いてくれよ。


 その気持ちを乗せてレイヴンを見るが、奴はおろおろと狼狽える様子で全く役に立ちそうにない。しょうがなく俺はレイヴンの前へと出る。


「仕方がありませんよ、レイヴン。あんなことがあったんですから……怯えているのでしょう」


 怖がらせぬようにと自己紹介をし、簡単に弁明をする。すると王女は信じてくれたようで少し落ち着いた様子を見せる。だがすぐにハッとして、開口一番掴みかかる勢いで尋ねてきた。


「あの、みんなは! 飛行船に乗っていた他の者は大丈夫なのですか!」


 驚いた。まさか最初に出る言葉がそれだとは。


 レイヴンが王女を好きなことは知っていたし、そのことに関して、特に何とも思っていなかった。

 だが俺は、貴族や王族が好きではなかった。耳障りの良い言葉を並べて、裏では私腹を肥やす。

 レイヴンの好きな王女も、果たして裏ではどうだか。そんなふうに思っていた。


 だが、これは――……。


「俺達が見つけたのは空賊に捕まっている貴方だけでした。周りには空賊だけで、他の飛竜や飛行船は、誰も」

「そんな……」


 言葉に詰まる彼女は、心から皆のことを心配しているように見えた。

 今日の王女の予定といえば、美術館の開館セレモニーだ。勿論今日もそれを見に行く予定でレイヴンが調べていたのだが、参加する有力者といえば王女とウォルフス伯ぐらいなもので、飛行船に乗っていたのも恐らくその二人以外はメイドや護衛ぐらいだろう。


 まさかそんな下々の心配を、王女が?


 信じられない気持ちで王女を見やれば、震える彼女をレイヴンが慰めていた。

 王女の手をレイヴンが握り、言葉をかける。すると王女の体からは徐々に震えが消え、落ち着きを取り戻していく。

 やがて王女はこくりと頷いた。


「ありがとう……レイヴン、」


 潤む瞳は涙を堪えてのものなのだろう。透き通る青い瞳は海のように揺らめき、レイヴンを見上げて緩くほほ笑んだ。

 俺でさえ、その姿にしばし見惚れてしまったほどだ。直接その瞳を向けられたレイヴンがじっとしていられるわけはなかった。


「っ……!」


 愛しい人に名を呼ばれ、見つめられ、微笑まれ、レイヴンは堪らなくなったのだろう。立ち上がり誤魔化すように彼女の頭を撫でると、王女から顔が見えないようにそっぽを向く。王女は不思議そうに見上げるが、レイヴンの顔は見えないようだった。


 だがレイヴン、俺からはその横顔がばっちり見えるぞ。顔を真っ赤にさせて、必死でにやけないように口元を抑えている相棒がいっそ可哀そうになる。


 俺はやれやれと溜息をついた。


「王女、この男は気にしないでやって下さい」

「はあ、」


 良くわかっていない様子の王女を見て、少し笑いそうになる。


 おいレイヴン、お前、王女から忘れられてるんじゃないのか? とか、わかってはいたが、そう簡単にはいかなさそうな恋だな。とか、言いたいことは色々あったが、とりあえずは、前よりも、がんばれ、とレイヴンのことを心の中で応援した。


 お前の好きな奴、良い奴そうじゃん、と。


 まあ、めんどくさいことには変わりないが。

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