第3話 漫画に初登場

 少女漫画「この空の中で」は、主人公の女の子が高校卒業の日の朝に別世界にトリップしてしまうところから始まる。

 見たことのない飛竜という生き物や、聞いたことのない街や国を見て自分がいた世界とは違う世界に来てしまったのだと悟った主人公は、元の世界に帰る手掛かりを探すために奮闘する、というお話。


 少女漫画というだけあって色んなイケメンキャラが登場するし、もちろん主人公とキャラ達の恋愛模様も楽しい。

 それだけじゃなく、主人公が元の世界に帰る手掛かりを探すために所属する組織で関わる事件も面白い。飛竜もかっこ良くて可愛いし、私が大好きで愛読していた漫画だ。


 レイヴン・バッキンガムはその漫画に登場するメインキャラクターの一人で、主人公を巡ってメインヒーローの男の子と三角関係になるのだ。


 だが悲しいかな、メインキャラと言ってもそこは二番手。一番手のキャラに良いとこどりばっかりされて、主人公の気持ちもメインヒーローにいきがちだ。

 良くある横恋慕的な立ち位置なんだけど、かっこよくて優しくて、主人公に一途なその性格が読者に人気が高かったりする。


 とまぁここまで話せば後はお察しの通り、この世界がそもそもその漫画の世界だったりする。

 でも主人公は私じゃない。私はこの国で生まれたただの王女であり、漫画には出てくるけど脇役だ。

 

 主人公の女の子はまだ会ったこと無いのだけど……でもまぁこの話の流れならば、きっともうすぐ会えることだろう。

 今まで漫画のストーリーに出くわしたことはないけれど、ついに来たのだ。まさか既に漫画が始まっていたとは!


 私は止まらぬ震えのまま、心の中で喜び、レイヴンは困惑したままだ。一定の距離を開けたお互いの混乱は冷めやらぬなか、後ろから第二勢力が現れた。


「仕方がありませんよ、レイヴン。あんなことがあったんですから……怯えているのでしょう」

「リード……」


 これまた整った顔立ちの、知的な雰囲気を持つ灰色の髪の青年。彼の事も、もちろん私は知っている。

 彼はリード・ブレイズ。レイヴンの右腕的存在だ。


 うーん、かっこいいなぁ……。

 リードは私に近付くと、怖がらせぬようにとゆっくりした動作で片膝をつき目線を合わせてきた。


「お初にお目にかかります、アナスタシア王女。俺はリード、あの男はレイヴンと申します。貴方が空賊に捕えられているところを発見し、保護させて頂きました。俺達の飛行船で王都までお送りいたします」


 ちらりと窓を見れば、向こうは空一色。確かに飛行船のようだ。ひとまずは落ち着こうと一息吐くが、それと同時に気を失う前の事が思い出された。

 そうだ、そうだった。飛行船を空賊に襲われて……それでっ!


「あの、みんなは! 飛行船に乗っていた他の者は大丈夫なのですか!」


 ウォルフス伯爵や、メイド、護衛達は……!

 リードは私の勢いに一瞬驚いたものの、直ぐに申し訳なさそうに首を振った。


「俺達が見つけたのは空賊に捕まっている貴方だけでした。周りには空賊だけで、他の飛竜や飛行船は、誰も」

「そんな……」


 意識が無くなる前の悲鳴や銃声が頭の中に木霊する。

 この後の話の流れはおおよそ知ってはいるものの、やはりそこは漫画と現実の違いがあり、多少の齟齬が発生するものだ。


 それに漫画は主人公の周りや関係するものしか語られないが、現実ではそれ以外の場所でも時間は進み、人々は生きている。

 私が分かるのは漫画に描かれていることだけで、それ以外のことは全く分からない。分からないことは楽しいことだが……恐怖でもある。


 もし、誰かが怪我をしていたら? 怪我ならまだいい。もし、私のせいで誰かが命を落としてしまっていたら……?

 今度は言いようのない恐怖で、体が小刻みに震えた。


「大丈夫だ」

「え……」


 いつの間にこんなに近くに来たのだろう。レイヴンは私の隣にどかりと座って、固く握られた両手にそっとその手を乗せた。


「飛行船が落ちた形跡はなかったし、アナを攫った奴らには返り血一つなかった。だから、きっと大丈夫だ」


 優しい声と、私の両手を包み込む暖かい手。じわりじわりと彼の熱が伝わって、冷たかった指先から体温が戻って行く。

 涙が落ちそうなのをぐっと堪えて、私はかわりにこくりと頷いた。


「ありがとう……レイヴン、」

「っ……!」


 落ち着いた安心感からか、軽く笑みが零れてするりとお礼の言葉が口からでる。

 するとレイヴンの手はすぐにぱっと離れ、私の頭をぐじゃぐしゃと撫でると立ち上がり、そのまま壁に体を預けてしまった。


 な、何故急に立つ……?

 不思議に思い見上げるが、レイヴンの顔は良く見えない。リードはやれやれと溜息をついた。


「王女、この男は気にしないでやって下さい」

「はあ、」


 曖昧に返事をして、もう一度レイヴンを見上げる。相変わらず表情は分からないが、隣に居てくれるだけで安心する気がした。

 それに、漫画で知っているせいだろうか。なんだか懐かしいような――……。


「王女、お辛いでしょうが……何があったか話して頂けますか?」


 リードの声にハッとして、改めて彼に向き直る。そう、やれることはしなければ。


「ええ、もちろんです」


 ――とは言ったものの、話せることは以外と少なかった。

 美術館の開館式のためにウォルフス伯爵と飛行船で伯爵領に向かっていたこと。空賊が襲ってきたこと。私が話せるのは、本当にそれだけだった。


「すいません、これぐらいしか話せなくて……」


 あまりの情報の少なさに、私は恐縮して頭を下げる。リードは慌てて止めたが、それでも不思議そうにした。


「謝ることではありませんよ。ですが……捕まる前に気を失ったんですか?」

「ええ……体調が悪かったのか、直前に飲んでいたワインのせいかは分かりませんが……酷く眠くて」

「眠い、ですか……」


 顎に手を当て、考え込むように沈黙するリード。邪魔してはいけないと、私も黙って考え込むことにした。


 私が空賊に捕まってレイヴン達が助けてくれたのなら、この話は二巻辺りだろう。レイヴンと主人公が初めて会う話であり、王女……私が初めて登場する話でもある。

 とはいえ王女は脇役なので、今後も時々出てくるだけで話に深くは関わらないのだけど。


 今回の話としては、身代金目的で王女が誘拐され、主人公が所属する組織が王女を救出するために出動し、そしてたまたま王女を救出していたレイヴン達に出会う。それで主人公とレイヴンは出会って、レイヴンは彼女の事を好きになる……。


 ちらりとレイヴンを見上げれば、丁度彼もこちらを見ていたようで、金の瞳とぱちりと目があう。すると彼はみるみる嬉しそうに微笑んで、そのまますとんと腰を下ろした。


「な、何でしょう……」


 急に縮まった距離に思わず体が引けてしまう。だがレイヴンは気にしていないのか、ずいっと顔を寄せると、そのままそっと私の手を握った。

 ひょえっ! 嘘だろさっきはそれどころじゃなかったけど手が綺麗指が長いっ!


「なぁ、アナ、俺――」


 真剣な顔でレイヴンが何かを言おうとした時――操縦室から切羽詰まった声があがった。

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