2019年

さて、さすが the Mission from God、神の啓示ではじまったプロジェクだけあって、しばらくして、ぴったりの物件が見つかり、一気にプロジェクトは動意をみせる。お菓子屋だった一軒建ての店舗で道路に面していて、道路から4メートルくらいテラスのスペースがあって2階建てのこぢんまりした物件。晴れた日にはテラスでゆっくりできる!


地下鉄の出口からは3分。周りは事務所が多いので夜の騒音の問題もあまりないだろう。外観はちょっと色を変えるくらいでそのまま使えるようなデザイン。もちろん、アイリッシュなので緑の外装にして、中は、マルの妄想どおり、木の長いカウンターと奥の小ステージを。トシがこつこつ設計していく。


しんいちと言えば、そういえば昔、特攻野郎AチームというTVシリーズがあって、やたらハンサムでモテモテのやつが「なんでも調達屋」で資金から武器から車から、任務に必要なものを揃えてしまうというのを思い出して、なんでも調達屋の役割にひとりでニンマリしていた。パブができた暁にはあいつみたいに自分も結構モテるのではないかなあと。


ここで紙面の都合上、時間をかなり早送り。マルの妄想にすぎなかったパブがある年の7月にやっとオープンすることになる。ちょっと誤算はあった。ちょっとした誤算はいつでも起こる。


ワーキング・ホリデーの外人を募集したら、結局、パブ初日に雇えたのは、フランス人の男と、髭もじゃのオーストラリア人。金髪美女ではなかったが、マルはまんざらでもない様子。フランス人は実家の稼業が飲食でバーガーに特殊なフランス料理ソースを提案したりと予期せぬ貢献をしてくれたし、オージーくんは図体がでかくて威圧感あるが、とてもいいヤツだった。


店は順調に門出、近所の在住の外国人や海外大好き日本人の常連も来てくれるようになって、ゆっくりとながら売上も積み上がっていった。桜のシーズンと、残暑が残る8月から涼しくなる10月末くらいの2つの集客ピークがあることもわかってきた。京都への外国人訪問パターンとぴったり連動していた。わざわざ検索して来てくれる客もいたし、たまたま前を通ってふらりとはいってくる客もいた。共通していたのは、みんな店に入るとほっとした表情になって、天気がよければテラス席が人気だったこと。


ちょっとしたトラブル、予期せぬハプニング、予測からおおはずれの結果、なども多々あったが、木のカウンターが少しづつ年季がはいっていくのといっしょに、店としての味が出てきた。


そんな店の隠し味として活躍してくれたのが、マル家の愛犬ソース。茶色の雑種犬だが、やたら人間に対して愛想がいい。時々、「PUB犬」として連れてくると、それが conversation piece 、話の種となって、会話が始まる。家にも同じような色のレトリーバーがいるんだとか、子供の頃飼っていた犬に似ているとか。ソースが店の前のテラスに気だるそうに寝転んでいると、なぜか前を通る客がはいってきた。Pubきっての営業マンであった。


ある木曜日の午後3時、20代かとみえるオーストラリアの若夫婦が、客一人いないパブにはいってくると、冷えたギネスを所望。ちょうど店番をしていたナガト(日本人が店番することも時にはあった)が話かけると、結婚したてでハネムーンでの京都旅行だという。ちょうど店内は、マルがこだわって自腹で買ったレコードのジュークボックスがあるのだが、そこから古い1930年代のスローなビックバンドジャズが流れていた。


ほろ酔いの二人は、そのジャズにあわせてゆっくりと踊りはじめた。きちんとしたダンスというよりも、チークダンスと時折ゆっくりとまわったりサイドに動いたりの、ゆるーいスローダンス。片手をつないだ新婦がくるりと回ると、それを笑顔で新郎がみている。ナガトがそれをビデオをとったので、後でみんながみるところとなったのだが、マルは「これなんだよ、これ。この空間を俺は提供したかったんだよ」と感涙。


もちろん、いい話ばかりの毎日ではない。けんか騒ぎになりそうになったこともあったし、無銭飲食被害もあった。それでも、かなりの多くの京都訪問外人客のちょっとした憩いの場になれたのは確かだろう。彼らは京都が与える東洋の神秘を堪能しながらも、普段遣いのパブと同じ落ち着ける場所にたどりつけて、ほっとした顔をしていた。「パブ難民を救済できた」とマルは、皆の前でどや顔であった。


救済といえば、こんなこともあった。ある夏の、大型台風が関西を直撃した週末。既に風をともなう雨で傘が役たたずになりはじめていた夕方、ビニールのレインコートを着てるもののびしょ濡れになったおばさんが店の入り口で聞いてくる。東欧だかあちらのほうのアクセントの英語で、今晩開いているか?食事はできるか?と。何人なのかときくと20人と。もちろん、開いていて、バーフードはふんだんにあることを伝えるとじゃあお願いと。多分、ほかが台風で店を締めていて、ホテルの近所の我がパブにお声がかかったということか。


食材を準備して、待った。ワーホリのベルギー人とオランダ人は台風で家に帰れなくなると問題だから(1人は自転車で通ってきていたし)、そこで返して、待つ。午後7時、まだ来ない。しかたないので、マルたちは飲み始める。8時、まだこない。「マルさん、あれガセでしたかね。台風も結構はげしくなってきたし」「まあまあ、飲んで待ってよう」


9時すぎ、横殴りの強風雨の中、彼らはやってきた。びしょ濡れになりながら20人。話してみると、ロシアからだという。あのおばさんはツアーガイドのロシア人だった。年齢の幅は20代から70歳くらいとあったが、今回は日本で3週間旅行中だという。どちらかというと静かな、上品なグループだった。でも、さすがロシア人、酒量はなかなか。


一通り食事が終わったところで、マルが、カラオケでも歌ってもらおうかと。おばさんに話すと、私達は歌なんてそんなと拒絶するので、なにか歌ってもらいたい曲あればと聞くと、はずかしげになにかをくちずさむ。よく聞くと、昭和の歌姫ピーナッツの「恋のバカンス」だった。知ってますよと、マルとナガトがデュエットで歌うことに。


なんと、こういうのは国によって曲は異なるもののけっこうある話で、恋のバカンスがロシアでもカバーされてヒット曲だった。気持ち悪く日本人オヤジ2人が歌うのに大歓声、踊りだすのもでてきた。これが、ロシア人のパーティボタンを押してしまったらしく、そこからが大カラオケ大会となる。


YouTubeで検索したロシア語の歌を踊りながら歌いまくる、踊りまくる。ナガトは曲の検索を手伝ったが、ロシア語の入力はおばさん担当。数曲、なぜか不思議な文字で表示される曲があったので、これはどこの?と聞くと、やっとわかったのは、彼らはロシア在住のユダヤ教のロシア人グループで、それはヘブライ語だったということ。どうりで裕福そうで上品な感じだったとへんになっとくしたナガトだったが、ロシアン・ナイト、大いに盛り上がって、ビア・サーバーが空っぽになるまで酒も出て、皆が外へ出てホテルと向かった頃は、激しかった嵐も峠を越して小雨になっていた。


将来、何十年も先に、歴史を書く人が振り返ると、この平成の終わりの頃の時期に、日本でインバウンド・ブームというのが起きたと、背景は為替がドル円で100円くらいと比較的安定した時期で、30年デフレが続いた日本の物価が相対的に訪問者からすると安かったこと、そして、政府が2020年オリンピックを誘致して積極的に外国人訪問客の受け入れを進めていたからとか記述するのかもしれない(オリンピックが幻とならないことを節に祈るが)。インバウンドの現場にいた者たちからしたら、とくにパブやバーは、2019年ワールドカップ・ラグビー開催という「神風」が吹いたことを書いてほしいと思うだろう。

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