ユア・アイリッシュ・パブ インバウンド繁盛記

@KenTakii

2018年 はじまり

「しんちゃん、それ、大きな間違い。外人はさ、1年、暗~い空の街で、毎日嫌々働きながら、今年の3週間の休暇はどこへ行こうかなとそれだけをおもって生きてるわけよ。で、タイのビーチとかに行くんだけど、今年は、職場のダニエル夫婦が行ったらえらくよかったという日本に行ってみようかとなるわけ。でもね、休暇でくるから、スシ、テンプラ、サケ、イザカヤ、だけじゃだめなんだよ」。


白あご髭と鼻髭をたくわえた初老のおやじが、中年後期の髪がちょと薄くなりかけてきた男にむかって、諭すように言う。


「でもマルさん、やっぱ京都来たら、寺まわったり、京懐石みたいの食ったり、日本酒飲んだり、でしょ。アイリッシュ・パブにはやつら来ないでしょ」。ぬるくなってきた瓶ビールをくっと飲みほして、中年のほうが聞く。


「しんいち、お前、何年海外住んできたの。俺、30年。お前も20年とかだろ。わかってやれよ、やつらのやりたいことを。休暇でくるんだぞ。時差とかもあるし、平日の午後とか飲みたくなったら、やつらはパブをさがすんだよ」。


これが、それから3年近くにわたる、壮大な、京都アイリッシュ・パブ・プロジェクトの始まりだった。




マルは、美大出身のイラストレーターくずれの広告宣伝マン。大手広告代理店勤務のとき駐在したメルボルンでブロンドの奥さんと出会い、いろいろあって、会社を独立。流れ着いたシンガポールで、奥さんと始めた小さな広告代理店は最初は客もつかず鳴かず飛ばすだったが、アジア危機の後、2000年代にはいってから、日系企業でシンガポールで事業展開したいクライエントを捉えて、ビジネスは上向きに。奥さんロシェルが書く英語のコピーライトにマルのイラストがけっこう受けて、商売は繁盛した。そんな彼もシンガポールで還暦を迎え、いろいろあって(ここらへん省略)、2018年から日本にもどってきた。


しんいちは、マルのシンガポールでのアマチュア・バンド仲間。多国籍混合大編成のブルース・ブラザーズ・コピー・バンドを3年ほど一緒にやっていた。しんいちは、ゼネコンの海外駐在を繰返して、若い頃は南米にもいたし、ヨーロッパにもいたが、今は、シンガポールで早5年。日本に頻繁に出張する仕事があって、日本に帰ったマルとはバンド活動を懐かしみながら飲むのが出張のお決まりとなって半年。そんなある日、マルの口からでてきたのがこのパブのアイデアだった。


マルの頭の中では、映画ブルース・ブラザーズでジョン・ベルーシ扮するジェイクが神の啓示?を受けて「バンド再結成!」と叫んだみたいに、「パブ開店!」が新たな神からのミッションになってしまったようで、さっそく、しんいちはバンドの元メンバーにひとりひとり協力を打診する旅を開始。といっても映画ほどドラマチックではなくて、SNSで「京都パブ」というスレッドたてただけだが。


「パブっていうのはな、」ほろ酔いのマルの講釈が始まる。


「必ず、1階にあって、ちょっとしたテラスとか、あるいは前の石畳の道に、天気がいい日にゃ、テーブルと椅子がだせないと行けない。これ絶対。アイリッシュ・パブの原則みたいなもん」


まだまだ続く。「ビールも生が最低でも3種類か5種類くらいあって、ギネスはマスト。重厚なきれいに磨かれた木の長いカウンターがあって、店の奥にはスポーツ中継の大型TV、そこにはゆったりできるソファもあって、そして週末夜にはそこでちょっとしたライブ演奏ができるようにドラムセットとアンプを置く。マルの頭のなかで、妄想のように、パブの姿が膨らんでいく。


元バンド仲間も、結構単純に、いいねいいね、と盛り上がり、マルと仲がいい京都出身のシェフが場所探しを、場所がきまった暁には店内内装設計を建築士のトシが、店番として白羽の矢がたったのはバーテン経験もある寿司職人ナガト、資金動員物資動員はよろず屋のしんいちがと担当が決まっていく。


あまり意味のない情報だが、バンドでは、マルがベース、トシがドラム、ナガトがギター、しんいちはトランペットだった。その他、オージーとシンガポール人のツイン・ボーカル、ポーランド人のリードギター、フランス人のサックス、マレー人のトロンボーン、中国人のキーボードと結構多国籍なバンドだった。


マルはシンガポールで一時期、日本食レストランの一角を仕切って、Little Barというのを経営していたことがあった。そのときのバーテンがナガト。そのバーはその後オーストラリアの飲食グループに買収されている。


さらに意味のない情報としては、トシはマルの美大の同級生で、バンドを組んで40年。トシは酔ってくると、壊れてしまったレコードみたいに、何度も何度も、マルと始めて出会った日のことを語る。


美大はいって、まじめに勉強しようと思って、親にも不良みたいのとは付き合うなよと言われていたある日、授業前の教室に入ってきた髪の毛を金髪にそめたカウボーイブーツのあやしい奴が教壇にたって言ったんだよ。「おい、ここにハマダっていうやついないか?こっちはドラマーをさがしている。ドラムできるやつがいるって聞いてきた。いたら、放課後軽音研の部室に来い」と。その場では身を隠したが、結局、午後に部室に行く。以来、ずっと40年いっしょにバンドやってるんよ、とトシ。周りはあまりにも何度も何度も聞いた話なので、それってそれぞれの息子を若き日の役者としてつかって映像化してYouTubeでも載せてえな、と。


トシも建築士として、アフリカやアジアでビル設計したりするなかで、外人の奥さんと2度結婚、いまはまた独身。外人好きの2人ではあるが、かなり酔っぱらった時に、しんいちが聞いたことがあった。



「やっぱり若い頃から金髪一筋だったんですか?」


マルがろれつの回らない声で応える。


「あたりまえよ。俺はね、15のときにロミオとジュリエットのオリビア・ハッセーをみてね、なんてかわいい娘なんだろうと恋に落ちたわけよ。それからずっとさ」


「あれ、オリビア・ハッセーってブロンドでしたっけ。黒髪だったような」


「いいのいいの、そういう細かいことは。以来、海外にでて、かわいい娘と付き合ってかっこいい車のるのが夢で、それ一筋で、もう還暦突破よ」



金髪好きのマルのインバウンド・パブ理論は、一応、理路整然としていた。


外人は休暇で日本にやってくる、もちろん、寺や神社にも行くし、スシ・サケ・テンプラも食べるし、おもてなしたっぷりの日本人には感激するのも全面否定するものではない。しかし、しかしながら、時差もあって朝起きて遅い朝食たべて、昼過ぎにちょっと冷たいビールでも飲みながらのんびりしたいなと思って、ホテルのフロントに聞くと、それでしたら、ホテルのカフェテリアか、お店はまだ開いていないから缶ビールを買ってお飲みになったらといわれる。休暇なので、毎日のように観光名所のノルマをこなすのはめんどくさくなってくる。それで、平日の午後2時とか3時に生ビールをゆっくり飲みたくてしょうがなくなってくる。開いている店があれば、それもアイリッシュ・パブがあれば、遠くても、タクシーに乗ってでも行くはずである。


マル理論はそこだけでとまらない。海外に住んだことのない日本人経営者だと、それじゃ留学経験のあって英語がしゃべれる日本人の女の子をお店でやとって英語対応にしよう、とか考える。マルは、「お店は金髪の娘にきまってるでしょ」


「ワーキング・ホリディできている、オーストラリアの娘を雇うんだよ。それしかない。それで外人おやじは、ほっとして店にはいってくるよ。でもこれって人種的なあれがどうのではなくて、ほっとした気持ちにさせるセッティングというか、おやじも1人で旅してたりしたら、話もしたくなるし、それで、どこから来たの、日本にはどのくらいと話がはずんだりするだろ?それでパイントのビールと、いつも食べ慣れてる味のバーガーやフィシュアンドチップがでてきたら、これはやつらにとって天国よ」


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