花冠の緑

5


 僕が迷っている間に、幼馴染たち四人は簡単に自分の性別を決めてしまったいた。うち二人は生き方すらも。

 急がなくても良い。言い切れる優しさはとても眩しくて。

 かといって、急かされても決断することなんてできない。

「できねぇなら別にいいんじゃね?」

 そう言って、君は視線を彼方に飛ばす。空の向こう、星の彼方。

 決断を先延ばしにしても良い。そう言う彼女はやっぱりとても強くて、僕には絶対に真似できない。


 1


「性別は二十四節までに決めること。決まっていない人は先生に相談してください。ではまた明日」

 僕の悩みも知らず、学校の終礼に残酷にもそう告げた先生はツカツカと踵を鳴らしながら教室から去っていった。

 隣の席に座っているオルスはつまらなそうにしていたが、先生がいなくなると同時に立ち上がる。

「また飛ぶ訓練?」

 僕が問えば、彼は頷く。

 十六節の時に性別と生き方を決定したのは同期の中でも最速だ。それはもう何かを誓うという段階の話ではなく、正に己への裁定そのものだった。

「飛ぶ。飛んでくる」

「いってらっしゃい」

 僕はそうとだけ言葉を漏らしてオルスを見送った。


 肩を落とす。オルスのようには生きられない。明確な目的も無ければ確固たる意志もない。形質を選択するのはまだ猶予があるから別に構わないとしても、性別の成形はもうすぐだ。決めなくてはならない。けど先生に相談できるような悩みでもない。

 翼で飛び立つと宣言してしまえる強さを僕は持たない。


「ネルケ。どうしたんだい」

 俯いて座っている僕を、背の高いラザロが覗き込んでくる。

 不意の言葉に鼓動が高鳴る。

 驚きだけではない。

 ラザロの顔を見ると胸がときめく。

「いや、なんでもないよ。ラザロ、今日はいいの?」

 彼は同期の中でも優秀で、手候補の一人だ。毎日勉強浸りで、僕らのように遊んでいる暇はあまりない。

 それに、この島は五節後には嵐に呑み込まれる──らしい。何やら偉い人が法則性を見つけたらしいのだが、詳しいことはよくわからない。わからないけれど、今まで外したことがないらしいので信用せざるを得ない。

 だから、彼はもっぱら先立っての引っ越し準備もある。移住先の島でスムーズに手の仲間入りするための特別措置だ。


「あぁ、いいんだ。今日はファリソさん──受け入れ先の人とは連絡が付けられない日でね。そういうわけで暇なのさ」

 彼の白い髪が風でさわさわと揺れる。O型特有の高い身長が、僕の机の上にお尻を乗せて微笑んでいる。組まれた脚は歩くたびにもつれないかと心配なるほど長く、今は視線の先でゆらゆらと揺れている。その赤い瞳はまっすぐに僕を射抜いて、串刺しにしている。

「そ、そうなんだ。アウラとコトリは?」

 もう二人の幼馴染の名前を出す。

 ラザロを正視し続けるのは難しい。だからこうやって、必ず誤魔化す。二人きりになると混乱してしまう。


「アウラは定期検診」

「角、だもんね」

 彼女もすごい。普通なら、と言うと失礼だが、僕みたいな凡人なら絶対にできない選択をした。

「コトリはオルスと一緒に料理番だよ。材料調達に二人で仲良く歩いていた」

「そっか」

 オルス、飛ぶって言ってなかったっけ。コトリの形質は当然まだ決まっていない。もしかして一人だけ飛んでいくつもりなのかもしれない。


 五人組の中で僕とコトリは凡人組だ。二人でそう呼んでいる。

 限られた人数、優秀な人材にしか許されない手の形質候補であるラザロを筆頭に、たった十六節で性別と形質を決めたオルスと、その直後に最もリスクの高い生き方を選んだアウラ。

 他の三人の早過ぎる進展に比べて、僕ら二人の歩みは平凡だ。


 知り合ったのは十節頃だった気がする。

 同期の中では珍しく有意名という理由で仲良くなっていった。それ以外に共通点は無い。びっくりするくらい違いが大きい。けれど、いつの間にか仲良くなっていったからか、全員同じ寮に割り当てられた。同じ場所で食事をして、同じ屋根の下で睡眠する。そういう仲。少しだけ特別な仲。幼なじみ。

 困ったことに、その中でも僕はちょっとした、しかし致命的な違いがある。


「そういえば、性別は決めたかい?」

 帰り道を歩く僕らの背中を夕陽が淡く照らしている。夜闇はまだほんの少し遠く、それでも確実にひたりひたりとやってくる。焦らされるような気持ちを背負ったまま僕とラザロは帰途を歩く。大柄なラザロはやっぱり普通の人より大股で、意識をしていないと僕を置いていってしまうらしい。

 焦っているのは僕だけだ。みんなは、彼は違う。

「──まだ。決めてないよ」

 決められない。

 決められるわけがない。

「そうなんだ。ボクはてっきり、ネルケなら男を選ぶと思ってた」


 正しい。

 僕は僕のことを男だと思っているし、性別を選ぶなら男が良いと思っている。でも僕が男を選べない理由がある。

 好きな相手が男性なのだ。


 はっきり言ってしまえば異常だ。

 確かに男女が番いにならなければいけない理由は無い。でも、男女の組み合わせが一般的で、普遍的で、当たり前なのだ。

 でも僕はその当たり前の中に入れない。男だと自認しているのに、男が好き。それはおかしい。


「何か理由があるのかい?」

 決めない理由。もちろんある。あるけれど、言えない。言ったらラザロに嫌われるかもしれない。そう考えたら口に出すなんてとてもできない。だから、

「うん、まぁ、どうしようかな」

 口を濁す。なんとなく人見知りをしている時のアウラみたいな言葉遣いになる。

「悩みなら聞くよ?」

 聞かれても、困る。だけどラザロは純粋な好意でこの言葉を発している。

 無碍にしたくない。彼と話していたい。でもこの感情は知られたくない。

「ら、ラザロはどうして男にしたの?」

 だから、質問を返して場を保たせる。少しでも長く二人きりの時間を満喫したい。寮に帰ればみんながいる。二人きりになるのは難しい。大人になったらなおさらだ。特にラザロが「大人」になるのは早い。仕事こそまだ始めていないけれどその準備はもう始まっている。この一瞬は永くは続かない。


「ボクは、とても単純な理由だよ」

「どんな?」

 何でも良い。彼の声が聞きたい。

「手の仕事を見た時、もし胸が大きくなったら邪魔になるだろうな、と思って」

 それで男になることにした、と彼は言う。

「じゃ、邪魔?」

「うん。それだけだよ。他に大きな意味はないさ。もちろん女になる選択肢も考えたけれど、自分がO型だと考えたら大きくなるリスクも当然高い」

 それだけだよ、と再び声がこぼれ落ちる。

 特に誰かが好きだとか、そういう理由じゃないんだ。

 少しほっとする自分が嫌だ。打算ばかりじゃないか。


「誰かが好きならその人に合わせても良かったけれど、生憎とそういう感覚も相手もまだ解らないままだから。そういう理由で男にしたのさ」

「じゃあ、特に好きな人もいないの?」

 まぁ、と言いながら彼は髪を掻きながら頷く。珍しく曖昧な物言いに少しだけ肌が粟立つ。

 居る、のだろうか。いてもおかしくはない。普通なら女性だろう。アウラとコトリの顔が脳裏に浮かぶ。もしかしたら別期かもしれない。はたまた、もう成人した大人の女性だったりするかも。彼なら十分有り得る。でも大人の女性がまだ二十四節にも満たない子どもを相手にするだろうか。いや、この場合大事なのはラザロの気持ちのほうであって、相手がどう考えているではなくて、

「ネルケ?」

「え?」

「難しい顔してたよ。どうしたの?」

「あ、ごめんごめん。なんでもない」

 なんでもないわけではない。けれど聞く勇気なんて僕にはない。

 彼の肩を追いかけるだけで精一杯だ。


 2


 寮の前まで来ると、オルスとコトリがいつも通り喚き合っているのが聞こえる。

「だからよぉ、言ったよな!? お前さぁ、こっちの話聞いてた!?」

「キャベツの千切りだろ。今やったろ」

「作りすぎなんだよお前さぁ! 目を離した隙に一玉全部千切りになってるとは誰も思わねぇだろ普通さぁ!」

「余ったら明日食えばいいだろ」

「良くねぇんだよ普通の人間はキャベツの千切りだけ食って生きてけるわけじゃねぇのよおわかりになって!?」


 またいつものだ。オルスの無頓着さは筋金入りなので、食事当番はいつもコトリが組まされている。コトリの悩みは良く分かるけど、僕は彼と組まされたら発狂する。僕が寮長に目をつけられなくてよかった。

 以前、一度だけ組んだ時に大喧嘩になったから、それ以降は避けてもらっているのだとは思う。


「ただいまー」

「ただいま」

 ラザロと二人で声を合わせて寮の暖簾をくぐっていく。


「切っちまったものはしょうがないだろ。困ったらオレが食うから」

「良くねぇのよ。アンタ独りで生活してんじゃねぇんだぞおいこら」

 そう言い合いを続けながら、コトリは次々に料理を仕上げていく。オルスが手早く単純作業の下準備。それをコトリが片っ端から火にかけたり煮込んだり味をつけたりだ。綺麗な役割分担ができている。


「今日は飛ぶんじゃなかったの?」

 部屋を横切りながら聞く。ラザロは二人のやり取りを聞いてにこにこしている。

「飛んだ。二人で買い物してきた」

「このバカタレが速すぎて追いつくのも一苦労だっての」

「だから市場の入り口で待ってろって言ったろ」

「アンタに食べ物の目利きが出来るとは思えないから追っかけてったんだよなぁ」

 コトリはまだ形質を決めあぐねている。性別はとっくの昔に決まっているから、僕よりも遥かに先を歩いてはいるのだけれど。

 そもそも、既に形質を決めているラザロとオルスとアウラが同期の中でも変わり者なのだ。


 居間を抜けて、自室で荷物を解きながら大声でキッチンにいる二人に問いかける。

「それで、今日はどうするの? 全部キャベツじゃないよね?」

 料理上手なコトリのことだ、オルスのフォローだってできるはず。彼女がキッチンに立った日は必ず「当たり」の日になる。相方があのオルスであっても、だ。

「残念ながらスープの具はキャベツだぜ」

 コトリが呆れたように言う。彼女のことだから、上手いこと収まるべき所に収めるだろう。そこに様々な苦労が挟まるのは想像に難くないけれど。


「そうだ。ネルケー、今日は魚煮てんだけど、ネルケのレシピ借りてるからなー」

 また勝手に男部屋に入り込んで。多分個人用の【図書館】を見たんだろう。ロックも掛けていないし、友達に見られて困る内容は入っていないから良いけれど。

 居間に戻ってきて、コトリの背中を睨みつけてみる。

「あのね、ネルケ。女の子に決めたんだから男部屋に入っちゃだめだよ」

「うっせぇなぁ、男も女も大して差はねぇだろ。つーかネルケはまだどっちでもないだろー」

 いやだから。

「部屋が男と女で分かれてるんだから、女の子は入っちゃだめだよ」

 めんどくせぇなぁ、と頭をがりがり掻きながら背中で応じるコトリ。

 そういえばどうして彼女は女性を選んだのだろうか。

 区別があるのだから当然意味もあって、つまりきちんと理由があるのだ。

 分ける理由、選ぶ理由。彼女の理由が少し気になる。


「じゃあ今日から女部屋に来いよ。もしくはレシピをアップしろ」

「えぇ、だめだよ。これは将来、お店を開く時に使うんだから」

「そんならこっそり教えてくれよ。料理上手いんだし」

 手早く調味料を入れながら、こちらを見向きもせずに喋るコトリ。

「具体的なヤツがダメでも、コツくらいあんだろー」

 そうではなく、技術を教えるのが駄目というのもあるのだけれど、僕はやっぱり男なのだ。だから、女部屋には入りたくない。


 どう説明したものかと悩んでいると、

「まぁまぁ、良いじゃないか。解らないほうが盗み甲斐があるだろう?」

 ぬっと部屋から出てきたラザロが助け舟を出してくれた。

「教えてもらうほうが早いだろ。ほらお前もなんか言えよオルス」

「オレは栄養摂取ができて腹が膨れれば良いけど、ネルケもコトリもそうじゃない。そういう話だろ」

「そうじゃねぇよ。何聞いてたんだよ。加勢してくれって言ってんの」

 慣れたやり取りだ。ちょっとズレたオルスに、半ば諦め半分で呆れるコトリ。その光景をにこにこと眺めているラザロ。


 3


「おうガキどもー、俺様のお帰りだぞー」

 肺の機能が陸人とは違うために出る、少し濁った声。

「おかえりなさい、ヒヴルさん」

「寮長、聞いてくれよ。まーたオルスがやらかした」

 ぼやくコトリを宥めるように、

「あっはっは、いつものことじゃねぇか。気にすんな気にすんな」

 それより、と言いながら手荷物を掲げて見せる寮長。むわっとした魚の匂いが部屋に広がる。今日の取り分だろう。養魚網やなあみの特権と言っていい。

「雑魚だが出汁くらいには使えるだろ。ネルケ、コトリ。なんか案があったら勝手に使っていいからな」

「保冷庫に入れておきます。二人とも、期待してるよ」

 ヒヴル寮長から自然に荷物を受け取り、立ち去るラザロ。こういう思いやりと行動がスマートだといつも思う。


「あら、まだアウラ帰ってきてねぇのか」

 部屋着に着替えた寮長が居間を見渡して意外そうな顔をする。

 それもそうだろう、アウラはほとんどの時間を居間での読書にあてる。家にいつもいるはずの人間が見当たらないなければ、心配するのは道理だ。

「検診。先に食っててくれとさ」

 かぁー、と額を抑えながらわざとらしく大げさに体を曲げるヒヴル寮長。

「オルスには言ってあるのに、俺にはなんの連絡も無しかい──って来てたわ。連絡来てたわ。すまんすまん」

 ちなみに全員に見える形で送信されていた。僕は自分のことでいっぱいいっぱいだったから、これっぽっちも気づかなかった。


「寮長。海で通知は切るなよ。前から言ってるだろ」

「オルスぅ、お前遠羽と違って俺ら浜鰭はそこまで遠出しねぇの。大丈夫だって」

「あのな、」

 言いかけたオルスをコトリが片手で制して、

「はいはい、口じゃなくて手を動かしてくれ。アンタは盛り付けしろ。均等にな」

 不承不承の態度を隠さず、しかしオルスは忠実に料理番の仕事をこなしていく。


 夕飯には、あらゆる皿の上にキャベツが盛り込まれていた。

 パンに魚とキャベツが挟んである。夕飯なのにお昼みたいだ。

 苦肉の策だったんだろうな、と少しだけ同情。


「ただいまー」

 食後、いつものようにめいめいに家の中散っていた僕らのの耳に、アウラの高い声が遠くから響く。今日はなんだか元気がないみたいだ。

「おかえり」

 男部屋にいても居間での会話は筒抜けで、だいたいみんながどこにいるかは解る。

 応答の主はオルス。検診で遅くなるアウラを出迎えるのはいつも彼だ。

 僕は隣のラザロをちらと見るが、彼は手元の端末と向かい合って、なにやら作業をしているようだ。ヒヴル寮長は一番下のベッドでもう寝ている。食後すぐ寝ると太ると聞いたことがある。実際寮長は小太りだ。真似はしたくない。


「スープ温め直すから」

「あ、ごめん。ありがとう。でもいいよ、私のために薪使うのちょっと勿体無い」

「検診、異常は無かった?」

「うん。いつも通り。私は本読んでるだけ」

「にしては、少し疲れてるだろ。どうした」

「あー、っとね。ファリソさん──ラザロのお父さん候補の人から連絡あって」

「良い機会だろ」

「オルスはなんとも思わない?」

「すぐ会える。嵐が来る前に船は出すんだ。大丈夫」

「ごめん。言い方が悪かった。私が嫌だから、その」

「毎日連絡する」

「うん、判った」


 オルスもアウラもよく通る声なのに、家の中で堂々とこんなやり取りをする。この二人がなんとなくいい感じなのはみんな知っている。

 妬ましいとは思わないが、羨ましいとは常々感じる。


 保冷庫に新しく入った魚の調理方法を調べる作業になんとなく嫌気がさして、再びラザロに目を向ける。彼はやっぱりじっと端末を眺めたままだ。

 ラザロが好きなのはアウラじゃないのかな。だとしたらコトリかもしれない。


「どうかした?」

 彼の真っ赤な瞳と僕のぼんやりした目が合う。

「また考えごと?」

「あ、うん」

 二人とも小声だ。ヒヴル寮長を起こさないように、オルスとアウラの邪魔をしないように。


「最近多いね、考え事」

「あっちの二人やラザロみたいな理由があったら楽なんだけど」

 僕が普通だったら、こんなこと悩まない。

 なのに。

「選択肢はたくさんあるよ。選ばないで無性を選ぶ人だっているんだ。心配しなくても大丈夫さ」

 無性。それは何か違う。

 僕は男だ。そう信じている。

 でも。


「無性はほら、あんまりこう、普通じゃないというか」

「ボクは好きだよ、ネルケのそういうところ」

 いきなり好きと言われてびっくりする。心臓が口から飛び出るかと思った。

「な、なにが」

 自分でも解るくらいに狼狽えた声が出る。

「普通であろうとするところ」

 普通、と言われても。

 僕は僕自身がそうでないことを知っている。だから、ラザロの言い分は間違いだ。


4


「ネルケ、ちょっと良いか」

 声こそ小さいがずかずかと男部屋に入ってくるコトリ。もし誰かが着替えてる途中だったらどうするつもりだったんだ。

「コトリ、いきなり入ってこないでよ」

「良いだろ、別に。ちょっと前まで一緒に風呂入ってた仲じゃねぇか」

 それはそうだが、今のコトリは女の子だ。昔とは違う。

「外の空気吸うからお前も来てくれよ。料理のネタくれ」

「いいけど、」

 借りてくぞ、と言いながら僕の手を引っ張るコトリ。ラザロは後ろで小さく行ってらっしゃい、とだけ呟く。

 オルスはハンモックで本を読んでいて、視線だけが投げかけられた。

 僕の意志は尊重されないのか。まったくもう。


 僕の両手を踏み台に、家の屋上へと乗り移るコトリ。僕は彼女に引っ張られて家の壁をよじ登る。

 夜空には点々と星々が散りばめられていて、呂色ろいろの布に絵の具を零したみたいだ。


「ったくよぉ、家のなかでいちゃつきやがって。聞いてる身にもなれってんだよ」

 オルスとアウラのことだ。

「まぁ、あの二人は昔からずっと仲良いいもんね」

「最近は特に目に余る。ネルケもそう思わねぇ?」

「僕はあんまり」

「そうかい」

 ぷいと街並みに視線を移したコトリ。もしかしたら彼女には思うところが色々あるのかもしれない。


 【母】以外の建造物は静まり返って、島中が真っ暗な闇に包まれている。市街地はぽつぽつと家の灯りがあるけれど、夜の帳を押し返すほどではない。


「良いよなぁ、乳繰り合う相手が居てさ」

「コトリも好きな人に合わせて女の子を選んだんじゃないの?」

 前々から思っていた疑問をぶつけてみる。

「はぁ?」

 鳩が豆を投げつけられたかのような顔でコトリは応じる。


「違った?」

「アウラと一緒にすんな。女の方が形が綺麗だから女になったんだよ」

「そうなんだ」

 知らなかった。


「服の種類がそもそも違うだろ。色々着飾るなら絶対女の方が得だって」

「着飾らなくても可愛いと思うんだけどなぁ」

 幼なじみの贔屓目はどうしても入ってしまうだろうが、コトリの顔は綺麗な造形を

していると思う。


「そうじゃねぇんだってば。こういうのは自分の気持の問題でな。自分の満足が一番大事なんだよ。価値の基準を他人に預けるような生き方はしたくねぇな」

 ぐさりと言葉が心に刺さる。


「誰かが好きだとかそういう外側の部分と自分の性別、関係無いだろ。つかやっぱりネルケ悩んでたんだな」

 そりゃそうか、と言うコトリとその背後に広がる暗闇にようやく目を向ける。

 目と目が合う。彼女は最初からずっとこちらを見ていた。けれど僕は今、ようやく彼女を見た。


「自分の気持ちは外側なんかじゃないよ」

「あたしにとっては他人をどう思うかは外側ってだけで、ネルケもそう考えろなんて言えねぇよ」


 でさ、と彼女は続ける。

「誰とは聞かねぇけど、そいつのことそんなに大事か?」

 うん、まぁ、とても。

 無言で頷く。

「人生二百節あるんだぞ? 心変わりするなんてザラだぞ? そりゃ、今の気持ちをないがしろにしていいとは言わねぇけどさ、自分の中にある性別を選んだほうが後悔少ないんじゃねぇ?」

「なんで僕の中に決まった性別なんて在ると思ってるの」

「だって、人数の多い男部屋にわざわざいるじゃねぇか」

 自分の中で性別は決まってるんだろ、と続ける彼女。


「だからよぉ、そいつのためじゃなくて自分のために自分のこと決めたら?」

「そうじゃない」

 そうじゃないんだ。ちょっとだけど大きく違う。

「僕は普通が良いんだ。男なのに男が好きなんて、普通じゃない」

 だから、性別が決められない。

 この先ラザロに好かれなくても、きっと別の男を好きになる。男なのに、だ。


 そこかぁ、と困ったように音を漏らす彼女。

 誰だって困るだろう、こんなことを言われたら。

「あたしさぁ、そういう意味ではすげぇ普通でしょ。I型の女で男が好き。だから、全然悩みの辛さとか解んねぇのよ。もうさっぱりでさ」

「コトリが羨ましいよ。僕だって普通が良かったのに」

「けどさ、友達だろ? 全然違う立場だけどさ。話を聞くくらいならできるし。正直話なんて聞かなくても良いと思うんだよな。聞いても解んねぇし」

「じゃあ何のためにいるの」

「いるだけで良くねぇか?」

 いるだけで良い?


「難しい話は解んねぇ。ほら、結局どこまで行ってもあたしとネルケは全然違う人間だろ。だから個人的な、なんていうの、苦悩? そういうのはやっぱ根っこの部分で理解できないと思ってる。でもいいだろ」

 友達なんだから、と彼女はどこか遠くを眼差して。ここではない場所を見つめて。

 それはとても羨ましくて。

 僕はいつも自分のことばかりだから、どうしようもなく憧れてしまって。

 だって、今じゃない場所を見据えるなんて大人びた行いなんてできない。


「傍に居させろよ。友達だろ。解決策出すなんてすげぇことできなくてもさ、ただ横で一緒に悩むだけで良いなら、いくらでも付き合ってやるよ」

 だからさ、と呼吸を一息つく彼女。細くて白い喉が息を求めて伸び上がる。

「だからさ、二人で自分にとっての普通ってやつを探そうぜ」

 【母】からの遠い灯りにほんのりと照らされた彼女はそういって、にかりと笑う。

 やっぱり、彼女は月のように美しい。


6


 月が空の真ん中を通り過ぎるくらいまで喋りこんだあと、窓からするりと部屋へと戻る。月明かりだけが差し込んでいる。薄暗がりの中をさまよわず寝床へ向かう。

 もうみんな寝てしまったろう。そう思って音を立てないように動く。うっかり彼らを踏んだら大惨事だ。

 そろりそろりと部屋の中を歩いていると、

「おかえり」

 ラザロの小さな声が響く。思わず小さく声を上げそうになる。びっくりした。

 鼓動の鳴動が収まってから、

「ごめん、起こしちゃった?」

 言葉を返す。

「いや、おやすみの挨拶をしようと思って」

「それでこんな時間まで起きてたの?」

 律儀なのか、それとも心配してくれているのか。

「うん。オルスも物案じてたよ」

「迷惑かけちゃったね。ごめん」

「まさか。誰もそう思ってなんかいないさ」

「本当に?」

「もちろん。それじゃあ、おやすみ」

「──うん。おやすみ」


7


 朝食は済ませて、みんなで一緒に学校へと向かう。オルスだけは毎朝の日課として飛んで登校するが、他の四人は徒歩だ。

「だめだ、やっぱ眠い。帰って寝る」

「駄目だよコトリちゃん、起きて起きて」

 むりだーと叫ぶコトリを引きずるように、手をつないで歩くアウラ。

「ごめんねアウラ。今朝は寝坊しちゃって、」

「あ、良いの、気にしないで。ほら、私も料理の練習したかったから。ラザロ君にも手伝ってもらえたから、大丈夫」

 それより、と振り向く彼女。額には大きな角。既に人生を決意した証。

「コトリちゃん、昨日のこと教えてくれないんだよ。ちょっと羨ましい」

 羨ましい?


「二人だけの秘密って何?」

 あぁ、そんなことか。

「内緒。二人だけの秘密」

 えぇー、と不満げな声を上げるアウラ。しかし表情はほころんで、機嫌良さげだ。

「そういえば何を話していたのか聞かずに寝てしまったし、気になるな」

「ラザロにも内緒。ほら、コトリ。手を貸して。アウラだけが引っ張ってったんじゃ朝礼に遅れちゃうよ」

「背中貸してくれネルケ。お前身長あるんだしいいだろ。あたしはそこで寝る。学校着いたら起こしてくれ」

「自分で歩かなきゃだめだよコトリ」

 うげー、と不思議な悲鳴を上げながらよろよろと歩くコトリ。

「まぁそうだよなぁ」

 ため息をつきながら、引っ張られていた手をつなぎ直し、自力で歩き始めるコトリと僕ら。ラザロは僕より背が高くて脚が長いから、少し遊んでいるだけですぐ置いていかれてしまう。


「仕方ねぇ、行くかぁ」

 その言葉を合図に、僕らは一緒に歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青の星 くろかわ @krkw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る