蝋の翼を捨て行く胸中

「サルヴァ。起きているか? 私だ。エッカートだ」

 

 惰眠を貪る俺を、現実に引きずり戻すようにドアを叩く音が聞こえた。それにしてもいつの間にか眠ってしまっていたのだな。

 バイコヌールに乗船する以前は寝覚めには自信があった。しかしアストラ体になってからというのも、どういう訳かひどく睡魔に襲われる事が多くなってしまった。しかもそれだけではなく、眠りにつく直後の記憶が朧げで、決まって誰かに叩き起こされる。まあ大抵その誰かってのはノアなんだが。

 今日のモーニングコールは異星人か。それも地下組織で反乱を企てている張本人だ。早急に脳を動かさなくてはな。隙を見せ、万が一にでも俺がこの星の者ではない事を気づかれてしまうようなことがあってはならない。


「あぁ。エッカートか。すまないが少し待ってくれ、今起きたところだ」


「大丈夫だ。昨日は大変な一日だったろうからね。準備ができたら出てきてくれ。僕は広場の方で朝食を摂ってくるよ。君の分も用意しておこうか?」


「至れり尽くせりだな。しかしまあ、遠慮しとくよ。朝は食べない主義でね」

 

 というよりこの星の食べ物など口に入れてたまるか。

 それにヘルメット越しに食い物など食べれるわけもない。


「それじゃあ僕は外のベンチで待っていることにするよ」 


「そうしてくれ。すぐに行く」


 さて、アイツの面の皮を剥いで、真実を語らせる時が来た。


「ノア。俺はアストラ体にならなければ探偵にでもなっていたのかな。働くより寝る方が好きってのが、また探偵らしくていいじゃないか」


 —どういうことですか?


「エッカートのことだよ。アイツは何か隠している。それを突き止めてやるのさ」


 —なるほど、そういうことでしたか。しかし程々にしてくださいよ


「分かっているさ。この星の運命を左右するような事はしないよ。昨日お前が言っていたんだろ。少しばかり任務より俺の欲求を優先させるだけだ。計画に支障が出ない程度になさあ。カメレオンを起動してくれ」


 —了解


 そう言って俺は再び光に包まれ、アーリア人の外見を手に入れた。

 意気揚々と部屋を出て外へ向った俺は、この後起こる悲劇を知るよしもなかったのだ。


「すまない。エッカート。待たせてしまったな」


「君が仲間になってくれるかどうかの瀬戸際なんだ。少し待つぐらいどうって事ないさ」


「その件だがな…… 実はまだ考えがまとまっていないんだ。聞きたいことも山ほどある」


「もちろんかまわないよ。少し歩きながら話そうじゃないか」


 そう言って俺とエッカートは歩き出した。広場を抜け、居住区を歩く間、ひっきりなしに話しかけてくるアーリア人共のせいでまともな会話はできなかったが。


「おい。エッカート。これは何だ? 昨日より酷くなっているぞ」


「君を歓迎しているんだよ。僕と一緒に歩いている君を見て、彼らは君が仲間になってくれたと勘違いしたのかもしれないね」


「そのために俺を外に連れ出したのか?」


「まあ、それもあるが。昨日の続きをしたくてね。本部や街では中々話しづらかったんだ人目のつかないところへ行きたかったし、僕は歩くのが好きなんだ。自分でも予想だにしない考えを閃いたりするんだよ。歩を進めることにより世界はゆっくりと、しかし確実に動き出す。その微動の中で脳に酸素が行き渡り、思考は高速に回転を始める」


 そう言われて気づいた。ふと辺りを見渡すと、先程まで俺たちを囲うようにいたアーリア人が跡形もなく消えていた。


「驚いた。いつの間にか随分歩かされていたみたいだな」


 そこは広場や居住区とは違いとても寂しい場所だった。

 あるのは砂と石、瓦礫の山とそりたつ壁、この先に逃げる場所はないのだと、最後通告を突きつけられている様にさえ感じた。


「ここまでくれば誰にも話を聞かれる事はないだろう。さあ君の思いを聞かせてくれ」


「それならこちらにも好都合だ。俺の話をする前に、お前の本性を聞かせてくれ。あいつらは身勝手な正義感にご乱心のようだが、お前はそうじゃないだろ? どんな御大層な計画があれ、この反乱がうまくいくことはない。それに気づいているのに奴らを扇動しているのはなぜだ? このまま見殺しにでもするつもりか? それともあいつらには話していない内密の計画でもあるのか?」


「昨日の会話でそこまで気づいていたのかい? 

 やはり自分の意志で本を捨てるものは特別と言うことか。

 別に裏の計画があるわけでも彼らを反乱にかこつけて殺したいわけでもないんだ。ただね、サルヴァここはもう限界なんだ。反乱の意思がこの地に根付くまで、ここストールとは荒れ果てていた。僕たちは知らなかったんだよ。真の自由とは不自由の中にしか存在し得ないのだと言うことをね。

 本から逃れるようにこの地に来た僕らは浮かれていた、ここでは本を捨て自由に生きることができるんだってね。望んだ仕事をすることもできるし、自分の選んだ最愛の相手と愛を育むこともできる。しかしね、そんな平和は長く続きはしなかったんだよ」


「当ててやろうか? 自由という大義名分に溺れた、奴らの欲望を抑え込むことができなくなったんだろ?」


「やれやれ、君はつくづく侮れないな。

 その通りだ。だから僕たちはストールで生きて行くために法を作った。

 しかしね、地下で産み出した法も上の世界の本も同じなんだって僕は気づいたんだ。真の自由なんてものは存在せず、必ず集団ができればその舵を取るものが必要になる。そしてそこには必ずと言っていいほど権力側の意志が介在するんだ。

 地下では地下の、商人には商人の、そして罪人には罪人の流儀ってものがある。そこには必ず統治する強者と統治を受ける弱者が存在するんだ。

 結局問題は強者の残酷性では無く、弱者の数なのさ」


「それが奴らを反乱思想に染め上げ、犬死させる言い訳か?」


「そうだよ。この地に王国を築いてしまえば必ずここにも弱者が生まれてしまう。

その者達はどこへ逃げればいい? 

どこに救いを求めればいい? 地下の先は行き止まりだ。ここが最後のエデンでなければいけないんだよ。だからね。

僕たちは弱者であり続けなくてはいけない」


「なるほど。上の連中は自分達を締め付けているという共通認識を植え付けることによりここを安寧の地と見せかけることに成功したって訳か」


「そこまでは良かったんだけどね」


「思想が伝播し過ぎたんだろ。風船が永遠に膨らみ続けることができないように、自らが虐げられてきたという復讐心をいつまでも抑え続けておく事はできない。ガスは集まった時点で爆発する事が決まっているんだよ」


「その通りだ。ストールとはすでに臨界点に達している。この地に満ちた復讐心というガスは、どこかで発散させなければ自爆してしまう。人を導くというのは、本当に難しい事だよ。僕はね、今でも迷っているんだ……」


 エッカートの話を遮るように爆発音が地下を包んだ。轟音が鳴り響き体の芯までこの地が震えているのが伝わってきた。


「何事だ!?」


「サルヴァ! 君は街の住人の安全を確認してくれないか? 僕は本部へ戻って現状を確認してくる」


 そう言ってエッカートは爆発音のした方へ走っていた。


「ノア! 一体何が起こっているんだ? 現状を把握できるか?」

 

 —地上の映像を確認しています。どうやら今の爆発音は上が発生源のようです。地上の数カ所から煙が上がっているのが確認できますが、それ以上の情報は分かりかねます。


「そろそろ潮時だな。エッカートの謎は解けた。余興の時間は終わりだ。任務に戻るぞ。人目につかない場所に居るから、光学迷彩を起動してここからずらかろう。それから地下を出たら少し寄りたい場所がある。遠征艇を街の近くまで移動しておいてくれ」


 —了解。

 —カメレオンを解除して光学迷彩を起動します。


 再び俺は光に包まれた。アーリア人の外見が粒子のように散乱し、俺は慣れ親しんだ重厚なスーツ姿に戻った。

 さて、またあの長い階段に行かないといけないのか、それも今度は登りだ、この重たいスーツを着て。

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