第81話 報いと終焉

 



「あっはははははは! 御覧なさい皆! ついに、ついに私たちはやったのよ! 曦儡宮様の降臨に成功したのよぉおおお!」




 ゲートの置かれた実験室に、枢機卿の笑い声が響き渡った。


 そして郁成夫妻や信者たちは、画面に表示された異形を前に笑顔を、またある者は涙を流して手を打ち鳴らす。


 さらには絶叫にも等しい歓声をあげ、空間は歓喜の渦に包まれた。




「さあ、どんどん呼びましょう。ここを真の世界へと変えるために!」


「ついに、ついに我々も真の世界へと至れるのですねッ!」


「そうよミスター郁成! アフリカの支部ではすでに曦儡宮様による真世界化が実行されたとこのこと。本部でも曦儡宮様による“選別”が始まっているわ!」


「私たち、やり遂げたのですねぇええ!」


「イエス、イエスよミセス郁成あぁぁぁぁあッ!」


『うおぉぉおおおおおおッ!』




 異様な熱気が辺りを包み込む。


 おそらくこの状況を目にして、世界の誰よりも狂喜しているのは彼女たちだろう。




 ◆◆◆




 一方で、事情を知らぬ一般の人々は恐れていた。




『ご、ご覧くださいみなさん。街が……消えています。突如として現れた謎の物体により、一つの街が完全に消滅したのです』




 キャスターが震える手で原稿を握りしめ、鎮痛な面持ちで告げる。




『現在、世界各地に未確認の生物が出現し、人類を攻撃しています。日本に現れた個体は今のところ沈黙しているようですが、時間の問題かもしれません。これは、一体何なのでしょうか。世界の終わりだとでも言うのでしょうか!』




 当然、そこは原稿に書かれていない内容だ。


 だが言わずにはいられない。


 ネットでも同様に、世界各地の化け物の映像が拡散、共有され、議論が行われていた。


 宇宙からの侵略者だ。


 地底人が現れたのだ。


 異世界から呼び出された悪魔に違いない。


 いや、戒世教の言う通り曦儡宮という神が存在したのだ――


 日屋見剛誠の会見により発覚した戒世教の悪事が吹き飛ぶほどの、さらなる混乱。


 もっとも、それは戒世教の望んだことではない。


 彼らはただただ、獣のように“力”を求め、すがりつくだけ。


 制御はおろか、対話の術すら持たない。




 ◆◆◆




『おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃぁぁあああっ!』




 出現から数分後、動きを見せなかった巨大な赤子は、突如として泣き始めた。


 けたたましい音が光乃宮市全体に響き渡り、窓をビリビリと震わせる。




「あーあ、泣いちゃった」


「声がおっきいけど、赤ちゃんそっくりだね」




 令愛の言う通り、あれは異空間から来た生物であるはずなのに、見た目も人間に似ていて、泣き声も赤子そっくりだ。


 まるで模倣したかのように。




「どうして紫色なのかしら……」


「そういえば、ユメミの親が持ってた肉は緑色だった!」


「それはあれじゃない? おへそ」




 依里花が指さした先にある、異形の腹部から伸びるへその緒。


 そこだけは紫色ではなく、緑色をしている。




「へその緒の一部を千切って使ってたのね」


「それが痛くて泣いてたりして」


「どうなんだろう。夢実ちゃん、あいつがなんて言ってるかわかる?」


「いやいや、そんなもんわかるわけあらへんやろ!」




 関西人の性か、先ほどまで驚き呆然としていた大地が急に突っ込む。


 しかし夢実はそれが当たり前であるかのように、依里花の疑問に答えた。




「お母さん、どこって言ってるみたい」


「いやわかるんかい!」


「翻訳スキル覚えてもらったからね」


「あ、さっき言ってたやつ。それって外国語以外もわかるの!?」




 驚く令愛に、依里花は自らの推察を語る。




「界魚の壊疽に巻き込まれた人向けのスキルなわけだし。ほら、あそこって色んな世界が混ざり合ってたじゃん?」


「ネムシアみたいに、違うセカイの人間とソウグウする可能性もある」


「そういうこと。だから異次元の生命体であるあいつらとも話せるんじゃないかと思って、スキルポイントに余裕がある夢実ちゃんに覚えてもらったの」




 加えて、曦儡宮が日本語を理解していた、という部分も『対話が可能なのではないか』と予測するに至った一つの理由である。


 おそらく人類と遭遇した当初は、言語を理解していなかったはずだ。


 しかし繰り返し生贄を捧げ、やり取りをするうちに、曦儡宮は日本語――というよりは、人間の言語を理解していった。


 つまり、高い知性を有しているということである。




「ではこちらの呼びかけも向こうに伝わるのか?」


「試してみないとわからないわね、妹さん」


「真恋で構わん。夢実さんとは長い付き合いになるだろうからな」


「私のことはお義姉さんって呼んでくれていいのよ」


「姉さんと被る」


「ふふっ、恥ずかしがらなくていいのに」


「……いいから試してくれ」




 思わず頭を抱える真恋。


 どうやら夢実と真恋とだと、夢実の方が一枚上手になるらしい。


 くすくす笑う彼女は、そのおどけた表情のまま、窓越しに異形に向けて語りかける。




「こんにちはーっ!」




 すかさず大地が「聞こえるわけあらへんやろ」と突っ込んだ。


 もちろん夢実もそれで聞こえるとは思っていなかったが――異形は体の向きを変え、開いた瞳でこちらを凝視した。




「通じちゃったみたい……」




 どうしよう、と言わんばかりの目で依里花を見つめる夢実。


 だが依里花は満足げだ。


 怖気づく必要はない。


 いざとなれば斬り殺せる相手だし、何より相手からは悪意を感じない。


 うまくやれば穏便に、残酷に、事を終えることができよう。




 ◆◆◆




 戒世教の拠点では、あらかじめ作られていた装置を使って、“曦儡宮”との対話が測られていた。


 装置というのは、特殊な超音波を発して相手に干渉するというものだが――もちろん、通じるはずがない。


 採取された緑の肉片を使い、その特性から相手のコミュニケーション手段を探ったらしいのだが、へその緒からそれが判明するわけもなく。


 枢機卿が来日するということで、それに間に合わせる形ででっちあげられた・・・・・・・・代物なのだから。




「曦儡宮様、なかなか返事してくださいませんね」


「焦ることはありませんミスター郁成。神と人の時の流れは異なるもの、我々にとっての十分は曦儡宮様にとっての一秒にも満たないのかもしれませんよ」


「なるほど、さすが深い……枢機卿ともなると、やはり我々とは異なる次元に思考を置かれているのですね」


「ふふ、瀬田口が死んだ今、あなたがたが次の大司教になるのかもしれないのですよ? 感激している場合ではないでしょう」


「私たちが大司教に!?」


「やったわね、あなた!」


「ああ、16年もかけて娘を育てた甲斐があった……!」




 手を握りあい、涙を流す郁成夫妻。


 だがそのとき、“曦儡宮”が動きを見せる。




「レイラ様! 曦儡宮様に動きがありました!」




 研究員の一人から報告があると、レイラは表情を引き締めモニターに視線を向けた。




「私たちの声が届いたのですか?」


「いえ――どうやら贄たちのいる病院の方を見ているようです」




 それを聞いて、レイラは笑みを浮かべた。




「なるほど、まずは真の世界を作り出すために邪魔な存在を消してくださるのですね」




 ◆◆◆




『だあぁぁ、だぁう?』




 夢実の声を聞いて泣き声をぴたりと止めた異形は、首をかしげながら話しかけてきた。


 依里花は隣の夢実に尋ねる。




「何て言ってるの?」


「あなたはだあれ、って言ってるみたい。私は夢実っていうの、えっと……あなたは今、どんな状況なのかわかってる?」




 本格的に対話が始まると、依里花は口を挟まずに夢実に任せることにした。




『わかんない。ママといっしょにいたら、きゅうに知らないばしょにいた』


「ママとはぐれちゃったのね。安心して、私たちはあなたを元の場所に戻したいと思ってるの」


『ほんとうに? ぼく、どうしてこんなばしょにいるの?』


「悪い人間たちが、あなたを利用するために呼び出したみたい。私たちはそれを止めたくって……あ、そうだ、人間ってわかる?」


『わかる。ぼくたちを元に進化した生き物』


「へ……?」




 思わず固まる夢実。


 何かとんでもないことを言われた気がしたが、ひとまず今は深く考えないことにした。




「わかるならよかったわ。あなたたちは、戒世教っていう悪い人たちが作ったゲートを通って、この世界に来たみたいなの」


『ゲート……穴みたいなもの? ぼくらの力のまねっこ?』


「自分の意思で通ったわけじゃないなら、そうなのかもしれないわ」


『ひどい……どうして……ママ、さびしいよ、ママ……びえぇぇええええんっ!』




 再び泣き始める異形。


 あまりの音量に、依里花は思わず顔をしかめた。


 異形の真下あたりでは、その音の振動で窓が割れていた。


 夢実は依里花に相談する。




「あの子、母親とはぐれて寂しがってるみたい」


「話は通じそう?」


「それは大丈夫、悪い子じゃないみたいだから。でもここからどうしたらいい?」


「あの緑の肉片があのへその緒なら、転移能力を持ってる可能性が高い。だから――」




 すると、依里花が話している途中に、空中の異形の姿が消えた。


 かと思うと、病院の真ん前に現れる。


 屋内のどこかで『いやぁぁぁあああっ!』という叫び声が聞こえた。


 この大きさだ、怯えるのも仕方ない。


 依里花も窓に赤子の顔がドアップで現れたものだから、おもわずびくっと体を震わせた。




『かえる方法、おしえて。ぼくの力では穴が開かない。ママのところにかえれない』


「え、えっと、方法だけど……」


「戒世教が使ったゲートを奪ったあと改造して、向こうと繋げるつもり」


「え、それできるの?」


「機械工作のスキルをマックスまで上げれば行けるでしょ。誰にやってもらうかは後で決める」


「わかった。戒世教が作ったゲートをまずは奪うんだって、それを改造してあなたたちの世界と繋げるの」




 相手はまるで子供のような話し口調だったが、見た目ほど知能は低くないらしい。


 夢実の言葉も、はっきりと意味を理解しているようだ。




『……ぼくにはできない』


「だから私たちがやるわ」


『ママのところにかえれる?』


「もちろん! その間にお願いしたいことがあるって言ってもらっていい?」


「えっと……その間に、お願いしたいことがあるの」


『なに? できることならやる』




 ◆◆◆




 レイラたちは、病院に張り付く曦儡宮の姿を、固唾を呑んで見守っていた。


 なぜ殺さないのか。


 神と人の時間の流れが違うからなのか。


 だがあの姿は、まるで誰かと言葉を交わしているようではないか――そんな不安が湧き上がる。


 元より、彼らは自分たちが追い詰められている自覚があった。


 それをレイラの存在や、曦儡宮の召喚、そして真の世界へ至る希望で埋め合わせている状態。


 そのため、多少の“予定外”で絶望がヒビからにじみ出てくる程度には、精神的に不安定であった。


 さらに次の瞬間、“曦儡宮”が姿を消す。




「また転移した――どこへ向かったが探しなさい!」


「は、はいっ!」




 レイラの声にも、最初ほどの余裕はない。


 研究員は冷や汗を額に浮かべながら、光乃宮市に設置された様々なカメラをハックして“曦儡宮”の姿を探す。




「曦儡宮様、どこにもいません!」


「そんなわけないわ、私たちを見捨てるわけが!」


「レイラ様、欧州本部から連絡が」


「こんな時に何よ!」


「欧州に召喚された曦儡宮様の元に、日本で召喚された曦儡宮様が現れたとのことです」


「本部に転移したっていうの!? そう……そういうこと」


「何を意味するかわかるのですか、レイラ様」


「当然よミスター郁成。本部には数多の聖遺物が置かれており、教皇様もおられるわ。曦儡宮様はその神聖さに引き寄せられたのよ!」


「なるほど、やはり教皇様は素晴らしい……!」




 郁成夫妻のみならず、拍手喝采でレイラを称える。


 彼女はその音を浴びて悦に浸っている様子であった。


 だが、そんな心地よい空間を信者の大声が遮る。




「レイラ様ッ!」


「うるさいわね」


「申し訳ございません! しかし大変なことが」


「どうしたの、ついに曦儡宮様と教皇様が出会ったのかしら」


「教皇様と二柱の曦儡宮様が接触した後――」




 信者は顔を青くしながら、震えた声で言った。




「殺害されたとのことです」




 同時に、本部から送られてきた画像が表示される。


 そこには、上半身を“転移”させられ、下半身だけになり絶命した教皇の姿があった。




「……は?」




 レイラは口を開いたまま固まる。




 ◆◆◆




 赤子の異形は、日本から欧州本部へと転移したあと、スパゲッティの怪物に声をかけた。


 偶然にも、二人は顔見知りだったらしく、スパゲッティは赤子を見た途端に人々への攻撃を止める。




『落ち着いて、落ち着いて』




 赤子が“声”で語りかける一方、スパゲッティは触手の形を変えてコミュニケーションを取っているようだった。


 ただし、それは文字を形で現すだとか、そんな単純なものではなく、法則性を一切感じさせない形状である。


 だが見ている人々は、なぜか脳内に情報が流れ込んでくる感覚を覚えていた――もっとも、翻訳スキルが無ければその情報は、ただの無意味な羅列に過ぎないのだが。




『ぼくもさいしょはびっくりしたけど、だいじょうぶ』


『ぼくたちを帰したいって人を知ってるよ』




 帰れる――そう聞いて、スパゲッティはひときわ大きな動きを見せた。


 どうやら嬉しかったらしい。




『そのかわりにお願いしたいことがあるって』


『ぼくたちをここに連れてきた、戒世教っていう悪い人たちがいて』


『そこの偉い人たちを、消して・・・ほしいんだってさ』


これ・・の仲間らしいんだけど』




 赤子の真下に、絶命した教皇の上半身がべちゃりと落ちる。




『消さないと、またぼくたちをこっち・・・に引きずり出そうとするって』


『もちろんその人たちもがんばって戦ってるんだけど』


『戒世教は世界中にいるから、その人たちの力だけじゃむずかしいみたい』




 スパゲッティが動く。


 おそらく交渉が成立したのだろう、赤子は触手の端っこをつかむと、転移して一緒にどこかへと消えた。


 次の向かう先は、あの樹木が生えたアフリカだ。




 ◆◆◆




 こうして、赤子は世界中に呼び出された仲間たちに声をかけていった。




『ああ、怖いなあ……私が身じろぐだけで儚い人類は壊れてしまう。驚いただけなのに、くしゃみをしただけなのに、街が一つ消えてしまったよ。怖いなあ、怖いなあ……』




 やはり誰もが“怯えて”いたようで、矮小な生命である人類を消してしまったことに罪悪感を抱いている者もいた。


 そんな彼らは赤子が声をかけることで多少の落ち着きを取り戻したらしい。




『属性確認。深度計測。一定値以上、座標、共有』




 忠実に依里花からの頼み事をこなしながら合流する。




『呼びかけましょう。呼びかけましょう。せめもの情けとして。聞こえますか人類、聞こえますか可愛らしい人類。今から、あなたがたは死にますよ』




 それ以上は無関係な一般市民を巻き込むことはなく――最終的に、赤子に連れられて光乃宮市に集結した。




『ニンゲン、オソイ。トマッテイル。カワイソウ』




 その頃には、世界中の戒世教の幹部は謎の光に貫かれて、蒸発して息絶えていた。


 自らが呼び出した“神”によって、音もなく殺され、静かに組織は崩壊したのである。


 日本支部の人間を除いて。




 ◆◆◆




 赤子が光乃宮市を去ったあと、依里花たちは病院を出た。


 記者たちも上空に現れた怪物に夢中になっているようで、自由に外出することができた。




「これ、本当に状況は良くなってるのかしら……」




 麗花の用意したバスでレイラたちのいる拠点に移動する途中、空を見上げながら芦乃が言った。


 赤子が連れてきた怪物たちが、光乃宮市の上空に集結している。


 紫色の巨大な赤子、青い幹の樹木、スパゲッティ、まばたきすると姿が消える目の怪物に、彗星のような光の帯と、音叉を思わせるV字型の金属生命体。


 共通点など微塵もない、あまりに特徴的な外見をしており、見ただけでコミュニケーションを取ることは不可能だと断定してしまいそうになる。


 実際のところは、ちゃんと意思があり、割と話も通じる方なのだが。




『ニンゲン、オソイ。トマッテイルヨウニミエル』


「光の人が、私たちの移動が遅いって言ってる」


「人間にしては早い方って伝えておいて」


「わかった。私たちなりに頑張って急いでま―す!」




 バスの中から夢実がそう答えると、音叉の怪物が言う。




『急かしてはいけませんよ、人間は可愛らしい生き物。私たちとは違うのです』


「あの銀色の人の声は、あたしたちも聞こえるんだよね……」




 音叉に関しては、曦儡宮同様に日本語を理解しているらしい。


 令愛だけでなく、この場にいる全員が聞き取ることができた。




『可愛らしい人類。あなたがたを寵愛するために必要なのです。声が――音が――リィィィン――』


「ふわぁぁ……ナンカ、この音聞いてるとアタシも眠くなる」




 脳に直に響いてくるような心地よい振動。


 どうやら有効的な怪物のようだが、しかし依里花は実はああいうのが一番危険なのではないか、と感じていた。


 今は敵対していないので大丈夫だが、この振動を強めれば人の脳を破壊してい殺害することもできるだろう。




『数値計測。危険度設定。許容値超過。危険。人間、危険』




 次に音を鳴らしたのは、目の怪物。


 ビー、ビー、という電子音めいた声を発しており、その意味を理解できるのは夢実だけである。




『おや、私たちを殺せる人間がいるのですか? ですが敵意はありません、やはり可愛らしいではないですか』


『ぼくたちは帰れればそれでいい。よけないことはしない。ママに会いたい』


『そうですね、均衡を壊すのはあまりよくないことですから』




 怪物たちの会話を聞きながら、依里花たちは戒世教の生き残りが潜む建物の前までやってきた。


 何の変哲もない、とある会社の倉庫だ。


 前回のブラッドシープの拠点同様に、この地下にゲートのある施設が存在している。




 ◆◆◆




 レイラの元に、次々と飛び込んでくる戒世教幹部の訃報。


 もはや希望で埋め尽くすのは無理な量の絶望であった。




「レイラ様、これはどういうことなのでしょう」




 夢実の父がレイラにすがりつく。




「ああ……そうですね……ミスター郁成。これは……これは……」




 彼女は両手で顔を覆い、“言い訳”を考える。




「教えてくださいレイラ様ぁ!」




 夢実の母がレイラにしがみつく。




「ミセス郁成……はは、ええ、そうですね……教えましょう……教えて差し上げましょう!」




 彼女は半ばやけになりながら、郁成夫妻を振り払い、両手を広げて天に向かって叫ぶ。




「私こそが曦儡宮様に選ばれた、教皇になるにふさわしい存在! そういうことなのですね、曦儡宮さ――」




 その視線の先――天井のさらに向こうから、一本のナイフが放たれた。


 刃はレイラの眉間を刺し貫く。


 戒世教の最後の幹部――枢機卿レイラは、顔に壊れた笑みを貼り付けたまま、後ろに倒れ絶命した。


 頭部から溢れ出る血が、じわりと床に広がる。


 郁成夫妻や残された信者が、呆然と赤い液体を眺めていると、突如として部屋が大きく揺れた。


 天井で爆発が起き、無数の瓦礫が落ちてきたのだ。




「う、うわぁぁぁあああっ!」




 郁成夫妻は抱き合い、ガタガタと体を震わせる。


 信者たちは慌てふためき、無様に逃げ惑う。


 そして開いた穴から、依里花たちが現れる。


 その背後には、ゲートから呼び出された“神々”の姿もあった。




「ゲート、傷つかなかったかな」




 着地した芦乃が心配そうに言うと、依里花が答える。




「場所はずらしたから大丈夫でしょ」


「しかし倉金先輩、もうちょい丁寧に降りた方がええんやないか?」


「ギィに教えてもらったけど、地下にたどり着く手順が面倒くさいんだよね」


「アタシも覚えるの大変だった」


「だから壊したほうが早いっていうか」




 すでに勝利が確定した状況だ。


 依里花は余裕たっぷりに島川やギィと言葉を交わす。


 一方、郁成夫妻は現れた人影の中に夢実を見つけ、視線を向けた。




「夢実……」




 許しを乞うような、情けない表情。


 てっきり憎しみに満ちた眼差しで睨まれると思っていたから、夢実は拍子抜けしていた。


 だが、むしろ憎まれていた方がマシだったかもしれない。




「助けてくれ、夢実」


「そう、お願い、見逃して。私たち悪気はなかったのよ」




 向けられた言葉は、あろうことか命乞い。


 信仰も矜持も何もない、あまりに情けない両親の姿。




「悪気もなくあんなことをしていたの?」




 夢実は心から失望した。


 そしてそんな失望にさらに油を注ぐように、母は隠し持っていた緑の肉片を取り出す。




「ただ信仰に真っ直ぐ向き合っただけなのぉおおお!」




 刹那、夢実の髪の色が変わった。


 そして力が放たれるより早く、ネムシアが魔法を放つ。


 最もランクの低い風の攻撃魔法、ウインド――だがそれゆえに、発動までのスピードが早い。


 さながら銃の早打ちのように放たれた風の刃は、肉を握りしめる母の腕を切り落とした。




「愚か者めが、二度も同じ手を食うと思ったか」


「邪魔をするな悪魔めぇぇええッ!」


「ふ、そなたの方が悪魔のような形相をしておるぞ。それに邪魔をするつもりはない。お主らのとどめを刺すのは娘なのだから、な」




 再び夢実に戻る。




「リアライズ」




 彼女は自身の武器を呼び出した。


 依里花のものと形状の似た、白銀のナイフ。


 現実を正す刃、リアライズ。


 それを手に、夢実は両親に向かって走る。




「思い知りなさい、あなたたちが何をやったのか、その罪を――!」




 そして目の前でナイフを振り上げた。


 だが――途端に腕が重くなる。


 思い出される十五年分の記憶。


 不甲斐なかった。


 なぜ自分は、依里花のように全てを引き裂けないのか。


 しかし彼女と夢実は違う。


 たとえ偽りだったとしても、確かに存在した“白”が、依里花のように純粋な“黒”になることを許さない。




「嘘じゃないの……あなたを愛したことは、嘘じゃなかったのぉ!」


「夢実、私たちは本気でお前のことを娘として愛して――」




 そんな夢実の迷いを見抜いて、逃げ道を切り開こうとする郁成夫妻。


 邪悪の化身のような存在だ。


 見かねた依里花は、夢実を背中から抱きしめた。




「情けなくてごめん」


「そういう夢実ちゃんだから、私のこと助けてくれたんでしょ? だから今度は、私が助けるよ」


「もう十分に助けられてるのに」


「何度でも助けるって。家族だもん」




 そっと腕に手を添えて。


 夢実の心を、黒に引き寄せる。




「愛してるんだ。本当に、本気で、家族として――」


「あ、ぎっ」




 振り下ろされる刃。


 その一太刀にて、二人の首が落ちた。


 体も倒れ、切断面から大量の血が噴き出す。




「私も、嘘だとは思えないの」




 汚れた噴水を見ながら、夢実は語る。




「十五年も一緒にすごしてきた家族だもん」




 割り切ろうと思った。


 割り切った、と口にしたこともあった。


 しかし、こびりついた想い出は、それを許してくれない。


 彼女には、彼女なりの解決法が必要だった。




「だから、私の両親は、誘拐されたあの日に死んだんだって思うことにした。死んで、戒世教に別の人間と入れ替えられたんだよ」


「そうかもね」




 でなければ、“良い親”を装い、疑われずに十年以上過ごし続けることなんてできない。


 それが事実かどうかはさておき――夢実がそう思い込むことに、問題は無いだろう。


 死体を前に立ち尽くす夢実。


 それを見て、赤子が声をかける。




『ママを殺したんだね』


「ええ、殺した。あなたはママと仲良しなんでしょう?」


『うん、仲良しだよ。ママはいつもやさしいよ』


「そのママを大事にしてあげてね」


『わかった……かなしいね、人間は』


「そうでもないよ。私を愛してくれる家族は、ここにいるから」




 夢実は依里花に指を絡め、赤子に向かってほほえみかけた。




『人間って、むずかしいね』




 赤子は困った様子でそう言った。




 ◆◆◆




 戒世教の始末が終わったところで、巳剣と会衣、そして緋芦が三人がかりでゲートの改造に取り掛かる。


 怪物たちは倉庫の中にぎゅうぎゅう詰めの状態で、その様子を眺めていた。




『ニンゲン。ヤハリオソイ。トマッテイル』


『それはあなたが早すぎるだけですよ。さあ、共に応援しましょう。がんばりなさい、がんばりなさい、可愛らしい人類よ』




 音叉から響く優しい音色。


 巳剣は思わず頭を抱えた。




「応援が頭の中に響いてくるうぅぅ……!」


「不思議と会衣にやる気が湧いてくるのが、逆に怖い」


「負けじと私も応援するね。頑張れ会衣! ふれふれ会衣ー!」


「緋芦……会衣、順当にやる気が出てきた!」




 身を寄せ合いながら、仲睦まじく作業を行う会衣と緋芦。


 巳剣は羨ましそうに目を細める。




「独り身が少なすぎて肩が狭くなってきたわ」




 そうぼやく彼女の背後から、依里花が言った。




「島川くんとかいいんじゃない?」


「雑にくっつけようとすんな!」




 悪い相手ではないとは思ったのだが、どうやら巳剣は大地に興味が無いらしい。


 彼女は軽くため息をついたあと、再び工具を手に作業に戻る。




「っていうかほんと不気味よねこの力」


「どんな感じなの?」


「知るはずのない知識が頭の中に湧いてくるのよ、まるで世界の外側から誰かが流し込んでるような気分」


「無から生まれるわけもないし、“システム”に溜め込まれてるんだろうね。今まで滅びてきた、何億、何兆、何京もの世界の知識が」


「途方もなさすぎるわ……ああもう、考えるのはやめ! 作業に集中しないと!」




 依里花としても、赤子たちをあまり待たせるのは悪いと思っている。


 邪魔になってはいけないので、ゲートから離れた場所で完成を待つことにした。




 ◆◆◆




 改造が完了したのは、およそ三時間後のことだった。


 設計図なども無しにゼロからスタートしてこの早さなのだから、やはりスキルというものは恐ろしい。


 そのせいか、完成させたというのに、巳剣はゲートを見上げながら釈然としない表情をしている。


 まあ、隣で会衣と緋芦がいちゃついているのも、その表情の原因かもしれないが。




『ありがとう、にんげん』




 赤子が言った。


 不思議と、その声は夢実だけでなく全員に聞こえた。


 音叉から少しだけ日本語を教わったのだろう。


 続けて、その音叉が語りかけてくる。




『“彼”のことは残念でしたが、界魚に取り込まれるよりは幸せだったと思いますよ。礼を言います』


「曦儡宮はともかく、界魚のことも知ってるの?」




 てっきり、界魚に呑み込まれたのは光乃宮学園だけと思っていたのだが。


 異次元でも似たような経験があるのだろうか。




『ニンゲン。オソイ。ワレワレハヒカリノカナタモミトオセル』


『みんなが見えるわけじゃない。でもぼくらにはみえるよ、だってあれは――』




 再び、夢実にしかわからない言葉で声が発される。


 それに反応し、音叉が日本語で言った。




『どちらが幸せなのでしょう。知っていること、知らないこと。あなたがたはどう思われますか?』


「界魚の話、なのよね」


『その在り方についてです』


「もったいぶるね。何か知ってるの?」


『イマサラハナスイミハナイ。カイギョハスデニサッタ。コノセカイヲキオクシタ。ニドトクライツカナイ』


『ですがこうして可愛らしい人類と言葉を交わす機会はありませんから』


『オマエノシュミダ』


『その通りです。たとえばあれが、豪華客船だとしたらどうでしょう』




 突拍子もない話だ。


 だが、そもそも界魚自体がそういう存在なのだから、受け入れるか受け入れられないか、の問題でしかない。


 依里花は音叉に問いかける。




「人工的に作られたものだってこと?」


『壊疽によって苦しむ人々を見て楽しむための移動型シアターです』


「最悪じゃん」


『ですが考えようによってはそちらの方が良いかと。なにせ、魚と呼ぶのならば――』




 そのとき、不思議と音叉が不敵に微笑んだような気がした。




『界魚は一匹だけではない。星の数よりも多く、海を泳いでいる』




 それは最悪の光景。


 一匹だけでも傷すら付けられない化物が、数え切れないほど存在しているなどと、とても信じられない――というか信じたくない。




「ゾクっとした」


『でしょうね。ですから私たちは何も言わずに去りましょう。願わくば、二度と異なる時空が交わらぬよう――』


「終わったら全て壊すつもりだと思うわ。そうよね、依里花」


「もちろん」


『ソレハイイ。ハヤイホウガイイ』


『ぼくももう、ママと離れ離れになりたくないよ』




 すると巳剣が「準備できたわよー!」と声をあげた。


 危険なので、依里花たちはゲートから離れる。


 大量の電力を消耗してゲートが起動し、バチバチと火花をほとばしらせる。


 やがて生じたエネルギーにより空間が引き裂かれ、門が生じた。


 怪物たちは、まるでそこに吸い込まれるように消えていく。


 全員が通り抜けたあと、ゲートを停止させると、裂け目は自然と消えていった。


 先ほどまであんなに騒がしかった空間に、一気に静寂が訪れる。




「消えちゃった」




 令愛が気の抜けた声でそう言った。


 依里花もそれに乗っかる。




「消えちゃったねえ」


「ギィ……これでオワリ?」




 ギィがそう言うと、夢実は部屋の端っこに寄せられた両親の亡骸を見てつぶやいた。




「うん……全部終わったわ。何もかも」



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