第80話 いわゆる異世界転移
病院に戻ると、羊子の家族が彼女を迎えた。
対面して再会を迎える一家――羊子も割り切ったのか、素直に喜んでいるようだ。
その様子を見ていた依里花の後ろから、ずしりと重い感触がのしかかる。
彼女の帰りを待っていた夢実だった。
ギィも令愛もいなかったので、一人置いていかれて少々ご機嫌斜めのようだ。
その場でじゃれあい、埋め合わせをする依里花。
だが、彼女にはまだやるべきことがある。
羊子の体の状態について。
病院に戻るまでの間に本人と話し合い、全てを家族に明かすと決めた。
しかし、
◆◆◆
当然、羊子の家族は簡単には受け入れてくれなかった。
目の前で娘は生きているのに、その肉体が化物で、依里花が死ねば彼女も死ぬ――と言われても信じられないだろう。
しかし、実際に羊子は体を変形させることができる。
触手に変わるその腕を見せたとき、彼女の家族は一瞬とはいえ怯えた。
その反応に、彼女は少なからずショックを受けたようだった。
だが思ったより、恐怖の度合いは小さい。
これも事前に“作戦会議”と称して話し合ったことではあるのだけれど――羊子の体について話すのは、再会の直後が良いと思う、と依里花は提案した。
再会の感動が、人の体ではないという衝撃を和らげてくれるはずだ、と。
そして見事にその考えは的中した。
羊子の家族は言った、『どんな体であろうと生きていてくれるだけで十分』と。
生きる喜びに比べれば、肉体の状態など些細なことだ。
そう思えるほどに、再会の喜びは至福であり至上。
羊子のほうも、どんな体でも家族として受け入れるという言葉に救われ、笑顔を浮かべ、涙を流す。
依里花の役目はここまでだ。
自分とは縁のない暖かな家族の空間を離れ、待合室に置かれたテレビを見つめる麗花の元へと向かった。
◆◆◆
「おつかれさま」
「そちらこそ。さすがに驚くね、見知った死人が生きて現れると」
「ブラッドシープ――言われてみればそのままの名称だが、事前に話してくれてもよかったのではないか」
麗花の隣に寄り添う真恋が、少し不満げに言った。
「令愛たちにも言ったけど、確証が持ててなかったんだって」
「まあいいじゃないか真恋、結果オーライというやつさ」
「麗花は姉さんに甘いな」
「将来のお義姉さんだからね、好感度は稼いでおくに越したことはない」
「そういうの、本人の前で言うんだ」
「良い関係を築けていると思うからこそのジョークだよ」
ははは、と変わらぬ調子で笑う麗花。
しかし彼女がテレビを見ていた理由を、依里花は知っている。
「軽いんだね。そろそろ父親の会見なんでしょ」
「ああ。でも、私が送った情報を精査するために若干遅れているらしい」
「すごい量だったそうだな」
「だから戒世教にクリティカルなダメージを与えられそうな部分だけを抜粋するつもりみたいだよ。もちろんメディアに送る資料の方は全部網羅するらしいけど――とはいえ、全局が報じてくれるってわけではないだろうね」
「あれだけの大ニュースなのに?」
「おおかた、名簿の中に新聞社の社長の名前でも入っていたんだろう」
「当たりぃー」
見事的中させた真恋だが、別に嬉しそうではなかった。
「しばらくテレビは同じニュースばっかり流してそう」
「そうしてくれるとありがたいよね、私たちとすれば」
「大量の情報を流したのだ、いくらでもネタは出てくるだろう。後は勝手に戒世教が潰れてくれる」
「その混乱の間に、私たちは大富豪になってたりしてね?」
「言っておくけど、あの金塊はそう簡単には換金できないよ。まずどのルートから手に入れたものかもわからないからね」
「そっかぁ。ちなみに今どこに持ってるの?」
「スマホの中」
麗花は依里花にスマホの画面を向ける。
すると中からぬるっと金塊が頭を出した。
依里花は人差し指でそれを突付いて、画面の中に戻す。
「うわ、重い」
「本物だからね」
「でも戒世教が持ってたってことは、どうにかして換金してたってことじゃないの?」
「その換金ルートも今回の騒動で潰れるだろう」
「あ、そっか」
「まあ心配しなくても、私がどうにかしてみるよ。これもいい社会経験だ」
「悪い社会経験の間違いではないか?」
「私たちが悪人にならない限りは良いものなんだよ」
真理っぽいような、都合がいいようなことを言う麗花。
真恋は「敵わないな」と肩をすくめて苦笑した。
そうしている間に、ついに伸びていた会議が始まる。
「座る?」
「いや、私はいい」
「私も麗花と同じだ」
「そっか」
依里花は近くの椅子に座る。
すると、引き寄せられるように令愛と夢実がその両脇を挟んだ。
「もしかして待ち受けてた?」
「だってさすがにあの会話には入れないんだもん。ねえ、夢実さん」
「そうね、大人の会話って感じがして少し寂しかったわ」
「そんなに賢そうに見えたかなぁ……」
「ホントは欲にまみれてた」
ギィが背後から首に腕を絡める。
依里花は少しだけ苦しかった。
「ギィも見てきたんでしょ、あれ」
「うん、すごい量。あれさえあれば、一生お金には困らない」
「大量の金塊かぁ、あたしは持て余しちゃいそう」
「まあ、私は依里花さえいれば幸せだから」
そう言って、ぴとりと依里花にくっつく夢実。
それも間違いなく事実ではあるのだが、しかしお金があれば安心して一緒に暮らせる――とも依里花は思う。
なにせ、もう両親はいないも同然なのだ。
能力を使えばお金を稼ぐのは簡単かもしれないが、備えがあるに越したことはない。
『まず最初に、この会見を開くに至った経緯を――』
そうしている間に、ついに剛誠が話し始めていた。
自然と全員の視線が画面に向き、口を閉ざす。
過去から今まで、光乃宮市で行われてきた戒世教の蛮行。
その全てが、明かされるときが来たのだ。
光乃宮市のあらゆる行政、産業を牛耳り、信者が市民に紛れ込んでいたこと。
そして権力を利用し、犯罪の隠蔽、粛清、拷問、殺人などを行っていたこと。
剛誠の口から語られたのは、これまでも多くのメディアで情報が明かされてきたが、そのどれよりも生々しく、かつ邪悪な、非現実的とも思えるような話ばかりだった。
加えて、そのほぼ全てに証拠が付随している。
想像を絶する――とはまさにこのことか。
その会見を見た人間の多くが、一度その話を聞いただけでは、現実に起きた出来事だと信じることはできなかっただろう。
だが、現に学園と遊園地が消失し、多すぎる死者が出ている。
事実なのだと、そう認識するに連れて、非現実感が失せ、恐怖や嫌悪感がこみ上げてくる。
何もかもを知る依里花たちですら、聞いていて気分が悪くなるような内容なのだ。
何も知らなかった人々は、さぞショックを受けていることだろう。
実際、同じ待合室でそれを見ていた病院のスタッフや患者たちは、青ざめた顔で画面を凝視していた。
そしてそんな中で起きる――日屋見剛誠の銃殺事件。
いわばそれは、
決定的に、彼の語った内容が全て事実なのだと証明するかの如く、全国区の生放送で日屋見グループのトップが殺害される様子が放送された。
直後、画面がスタジオに切り替わり、キャスターやコメンテーターの呆然とした表情が映し出された。
一緒に待合室までしんと静まり返る。
依里花はふと、麗花の方を見た。
隣の真恋は慰めようと手を握っているようだが――当の麗花は、動じる様子が無い。
まるで、最初からこうなると知っていたかのように。
「うちの妹は安泰だねえ」
そう思うのは何度目だろうか。
さすがの依里花も、麗花の芯の太さには驚かされる。
社長令嬢という肩書は伊達ではない、と言ったところだろうか。
他の社長令嬢を知らないので、あれがスタンダードなのかは依里花には判断しかねるが――まあ、おそらく普通ではないのだろう、とは思っている。
麗花が戒世教側についていた可能性を考えると寒気がする。
その点においては、無自覚とはいえ一目惚れさせた真恋のファインプレーと言えるかもしれない。
◆◆◆
日屋見剛誠の会見と死をきっかけに、世の中は大きく動きはじめた。
戒世教との繋がりがあると名指しで挙げられた政治家、官僚、大企業の社長、芸能人などに記者が殺到する。
中には戒世教に大金を積んで暗殺を頼んだ者や、会社の金を不正に戒世教に流していた者までいたため、警察も動くこととなった。
もっとも、当の警察内部にも戒世教の信者が混ざっており、指揮系統は相当混乱していたようだが。
また、光乃宮市の腐敗っぷりもさらに詳細に表に出てしまったため、見切りを付けて脱出しようとする市民もさらに増えたのだという。
当然、市長と戒世教との繋がりも明るみに出たため、市役所を取り囲んでいたデモ隊は暴走。
ついには警備の人間を押しのけ、市長の執務室に突入した。
だが、市長はそこにはいなかった。
もはや全ては終わりだと何もかもを諦め、秘密裏に役所から脱出した後、自らの罪を自白して警察に自首していたのである。
市長に限った話ではなく、罪を自白する信者は次々と現れた。
これに関しては、信者同士のコミュニティに『大司教様が天罰を受けて死んだ』という情報が流れたことが大きい。
そういった戒世教内部の情報網に関するデータも瀬田口邸で得られた中に含まれており、それを依里花たちが利用した形である。
死体の画像もセットとなれば、信じるしかないだろう。
一方で郁成夫妻や枢機卿レイラは、それに対抗する形で曦儡宮の新たな力の存在、それによって真の世界にさらに近づいた、と喧伝した。
「なかなか折れないわね、あいつら」
夢実は依里花のスマホに映し出された文章を見ながら、冷めた目で言い放つ。
剛誠の会見が終わってから数時間――病院の待合室は、すっかり依里花たちにとっての集会所のようになっていた。
慌ただしく動く病院のスタッフの邪魔にならず、外に待機しているマスコミの目に映らない場所、ということで都合が良かったのである。
周囲から見れば、ひたすらスマホを弄り続ける彼女たちの姿は『呆れた若者』のように映っていたかもしれない。
少なくとも、戒世教と情報戦を繰り広げているとは微塵も思わないだろう。
「私としては、別に折れてくれなくてもいいんだけどね」
「最後通牒。ギシシ」
「これでも戒世教に残ろうとする人は、運命を共にしてもらうしかない――そういうこと、だよね」
「と言っても、直に邪魔をしてこなければ手を出すつもりは無いよ。あくまで私の目的は戒世教を潰すことだから、さしあたっては夢実ちゃんの両親と枢機卿ってやつを排除しないと」
「……そのときは」
「わかってるよ、夢実ちゃん」
目線で通じ合う依里花と夢実。
夢実はもはや、自分の両親のことを完全に諦めていた。
失ったんじゃない。
本当はとっくの昔に死んでいたのだ、と。
「ギィ、枢機卿たちの現状はどう?」
「別の拠点に到着して、何かの準備をはじめた」
ギィが言うと、夢実――いや、ネムシアが反応する。
「ついに到着したのか。ここまで小さいアジトを転々としておったのは、カモフラージュのためだったのかのう」
「あるいは、信者たちを引き止めるために会いに行っていた――だったりしてね」
麗花の言葉に、ネムシアは「なるほど」と手を叩いた。
真恋がギィに尋ねる。
「だが準備を始めたということは、現在の拠点が本命である可能性が高いのだろう?」
「だと思う。ブラッドシープがいたとこずっと広くて大きい」
「まだそんな場所が残っていたのね」
芦乃が言うと、会衣と緋芦は呆れた様子で口を開いた。
「会衣が思うに、戒世教はお金持ちすぎる」
「どこからそんな大金を持ってきてたんだろうねー?」
その疑問に答えたのは、絹織であった。
「海外支部からもかなりのお金が流れてたんじゃないかな。本部はヨーロッパだって話だし」
「よーろっぱ、か。海を隔てた先にも無数の国があるとは、この世界は広いのだなあ」
「海外と言えばぁ、さっき気になるニュースを見かけたのよねぇ」
一時的に家族の元を離れ、待合室に来ていた羊子。
彼女は依里花にスマホの画面を見せた。
数週間も意識が無かったため、その間に起きた出来事を調べるためにニュースを調べていた――そこに速報と書かれた記事があった。
「『アフリカ南部で都市が消滅? ネットで奇妙な目撃情報相次ぐ』。うわ、おっきいクレーター。これ合成じゃないの?」
「軽く調べてみたんだけどぉ、近辺の人たちは本当に混乱してるみたいでぇ。あと中にはこんな画像もあったわぁ」
羊子が見せた画像は、クレーターのど真ん中に立つ、空色の幹に青白い葉がついた、異様な大きさの樹木だった。
一見して合成にしか見えないが――依里花は気づく。
「絹織さん……いや日屋見さんでもいいんだけどさ、戒世教にアフリカ支部があったかどうか知ってる?」
「私は知らないかも。麗花ちゃんはどう?」
「あるよ。歴史は浅いけれど、日屋見グループが現地の開発に協力したとき、ついでに布教して拠点を作っていたはずだ」
「じゃあそれだ」
「ゲートの技術がもう海外に渡ったの? 早すぎないかな」
令愛の疑問はもっともだ。
しかし、依里花たちは以前から指摘していた。
「あいつらが作ってるゲートは、元々ある技術を拡張したに過ぎない。あんまり考えたくないけど、方法さえ確立されてしまえば簡単だったんだろうね」
「あ……依里花ちゃん、テレビ見て」
いつの間にか戻っていた夢実が、テレビを指さす。
アフリカでの事件が報じられるか――と思われたが、先に流れた映像は戒世教の本部があるというヨーロッパの某国のものであった。
『ご覧ください、空中に謎の物体が浮かんでいます。まるで植物の蔓を絡め合わせたような、赤い物体です!』
「スパゲティの怪物みたいやな」
大地がそんなことを言うせいで、依里花はそれがスパゲティにしか見えなくなった。
だが実際のところ、それはそんなに甘っちょろいものじゃない。
ニュースでは現地に派遣されている記者が、怪物と数百メートルの距離まで近づいてレポートしているが――次の瞬間、その触手のうち一本が彼の真後ろに接近した。
『お、おい、後ろ、後ろっ!』
『は……? う、うわぁぁああああっ!』
そしてさらに小さな触手を無数に伸ばすと、記者の体を絡め取り連れ去ってしまう。
スタジオのアナウンサーは、必死にレポーターの名前を連呼し、加えてカメラマンに逃げるよう伝えた。
だが必死の呼びかけも虚しく、カメラマンもスパゲティモンスターに食われてしまった。
「いやはや、今日のテレビは刺激的な映像ばかり流すんだねえ」
皮肉っぽく麗花が言う。
笑えないジョークであった。
すると、スマホをいじっていた羊子が、再び依里花に画面を見せる。
「倉金さん、他の場所にも形の違う化物が現れてるみたいよぉ」
令愛や夢実も依里花にぐいっと顔を近づけ、その画面を食い入るように見つめた。
「モンゴル、アメリカ、オーストラリアまで……」
「いくらなんでも呼び出しすぎだよ! 意思疎通なんてできないんでしょ!?」
「アフリカの方は土地ごと吹っ飛んでるからね。戒世教の施設も壊滅してるはずだし、ただの自爆でしかない」
「でも、あいつらはこれでも喜んでるんでしょうね」
そのあいつらには、夢実の両親も含まれているのだろう。
力を欲する。
形は問わない。
自分たちが制御できるかどうかも。
「夢実ちゃん、将来の夢ってある?」
「依里花ちゃんのお嫁さん」
突然の問いにも動じず、夢実はまっすぐに依里花を見つめて言った。
依里花の頬がぽっと赤らむ。
「……ありがと。それ以外は無い?」
「無いかな」
「そっか、なら問題ないかな。覚えてほしいスキルがあるんだけど」
「依里花ちゃんが望むようにしていいよ。好きなように」
妙に色気のある言い方をされて、さらに依里花が赤くなった。
彼女は誤魔化すように立ち上がると、窓際に移動してスマホを操作する。
「曦儡宮とも会話自体は出来たし、たぶんこれで……」
するとそんな依里花の視線の先にあるブラインド――その隙間の向こうの景色に変化が生じる。
何もない青い空に、突如として紫色の巨大な物体が浮かび上がったのだ。
彼女はブラインドを開き、
「ねえギィ、“向こう”の様子はどう?」
「何か機械が動いて、バチバチ言ってる」
そう言って、彼女は依里花の隣に並ぶ。
「グゥ……もっと盛大に爆発したり、輪っかの中から出てくるのかと思ってた」
「要するに、いきなりあそこに出現したんだ。あっさり開いたねえ、日本のゲートも」
他の面々も
光乃宮市の空中に浮かぶ、紫色の巨大な赤子。
透明の膜に覆われ、まるで胎児のように丸まって浮遊するそいつは、曦儡宮とは似ても似つかない異形だった。
「現場は大喜びなんだろうけど……かわいそうに。あんな子供が、大人の都合で知らない場所に連れてこられるなんて」
見た目通りの赤ちゃんなのかはわからない。
しかしはっきり言えることがある。
あれは神様なんかじゃない。
もちろん曦儡宮でもなく――異次元から連れてこられた、ただのデカくて強い、人とは異なる生命体なのだ。
そしてアフリカで都市が1個消えたことや、ヨーロッパで人が襲われたことから察するに、“彼ら”は今、混乱の最中にあるのだろう。
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