第79話 諦めるべきものなど無い

 



 芦乃はとある用事で、絹織と千尋を探していた。


 だが彼女が見つけたのは、病院のベンチで退屈そうにスマホをいじる千尋一人だけだった。


 足音が近づいてくると、千尋は顔をあげる。




「あれ、芦乃一人なのね。妹さんと絹織の姪っ子は?」


「緋芦は両親と一緒にいるわ。会衣ちゃんは依里花ちゃんと一緒にどこかに出かけたみたいよ」


「出かけた? このマスコミの包囲網の中を?」




 芦乃からしてみれば、千尋が一人な方がずっと不思議だったのだが、ひとまず彼女の疑問に答えることとする。




「出ようと思えばいくらでも出られるのよ、能力とかそういうの使ってね」


「ああ……超能力だか魔法だかを使えるんだっけ。って、そんなもん使ってまでどこに行ったのよ」


「戒世教絡みみたいだけど。拠点の居場所がわかったから、そこを潰してくるつもりみたい」




 千尋が顔をしかめる。




「潰すって……戦うってことよね」


「相当なことが起きない限りは平気だよ、もっとおっかない化物相手に戦ってきたのよ? 今さら人間相手でそこまで手こずることは無いと思う」


「一度は自分の目で見たけど、そんな世界があるなんて未だに現実感が湧かないわね……」


「それ言ったらあたしが生きてる時点で、じゃない?」


「……何も言い返せないわ」


「ところで千尋はどうして一人なの? 絹織とずっと一緒だったじゃない」




 芦乃がそう尋ねると、千尋の頬がぷくっと膨れた。




「喧嘩でもした?」


「違うわ。絹織なら、依里花ちゃんから頼まれごとされたとかで、院内のどこかで調べ物してるみたい」


「院内にいるのにわざわざ千尋と別行動を?」


「勝手に病院のネット回線借りてるとか、パソコンもどっかから日屋見グループの関係者に持ってきてもらったとかで、あんまり大っぴらにできるものじゃないらしくて」


「また何でそんなことを……いや、依里花ちゃんから頼まれたってことは」


「外に出かけたっていうのと関係してるのかもね」


「そういう話なら、私や真恋ちゃんを頼ればよかったのに。どうして絹織だったのかしら」


「さあ? 私にはわかんなーい」




 千尋は退屈そうに足をばたつかせた。


 どうやら一人で置いていかれたことで、少し不機嫌なようだ。


 そんな彼女の様子を見て、芦乃は微笑む。




「6年経ってもほんとに仲いいわね。変わってるものばっかりだから、見てると安心するわ」


「つい最近まで大喧嘩してた。私のせいで」


「自分のせいって言えるってことは、もう完全に仲直りしたんでしょう?」


「まあね。でも、かなりギリギリだったわ」


「やっと最近になって付き合いはじめた、みたいなこと言ってたけど……もしかして私が死んだことも関係してる?」


「はっきりそうだと言える証拠は無いわ。ただ、何となく――二人で幸せになっていいのかなって、そういう空気みたいなのはあったかもしれないわね」


「ごめんなさい」


「死んだ人間が謝らないの。いや、そういう話の流れにしたのは私なんだけども。って死んだ人間が謝るって何よ……自分で言ってて混乱してきたわ」


「あははは」




 元死人とは思えないほど能天気に芦乃は笑う。


 千尋もさすがに呆れ顔である。




「当人はこの調子だもんなあ……とりあえず、あれに関しては、良い年した大人が自分たちの関係も明確にできずにふわふわしてたのが悪いのよ」


「でも、改めて家族や友達と再会して思うのよね。自分が思っている以上に、あたしが死んだことは、周囲に大きな影響を与えてたんだなって」




 あまりに無自覚な発言に、千尋はじとーっとした眼差しを向ける。




「当たり前じゃない。あんた友達多いんだから」


「あたしが死んだ頃は、ちょうど自分の無力さに打ちひしがれてた時期だったから」


「相手が悪かったのよ。まあ、今後はせいぜい自分のことを好きでいてくれる人にまっすぐに向き合うことね」


「そうするつもり」




 以前の芦乃は、どこか自己犠牲的な部分があった。


 確かに善人なのだけれど、だからこその危うさがあるというか――千尋の考察では、緋芦がやたらとシスコンに育ったのは、そんな姉を見て“どこかに行ってしまいそう”という漠然とした不安を抱いていたからではないかと思っている。


 そんな彼女が、身近な特定の“誰か”のために生きるとはっきり断言した。


 それは芦乃が自分で思っている以上に大きな変化であった。


 千尋は“善い”変化だと感じ、思わず微笑む。


 だが――そこでふと思い出した。




「そういえば絹織こと探してる様子だったけど、何の用事だったの?」




 芦乃も千尋に指摘されて思い出したようだ。




「あ、そうだった。千尋と絹織の二人・・を探してたんだけどさ、実は大学時代の友達がお見舞いに来てるの」


「大学時代ってことは……」


「もちろん千尋と絹織も知ってる人だよ。あたしが生き返ったって聞いて事実を確かめるために来たんだって」


「そりゃそうでしょうね」




 芦乃の若くしての死を多くの人が悲しんだ。


 それが蘇ったとなれば、生じる驚きは以前の悲しみの比ではないだろう。




「そういうことなら、私だけでも行きましょうか」


「絹織、みんなが帰るまでに間に合うかな」


「間に合わなかったらそのときはそのときよ」


「ふふっ、ふてくされてる」


「私は大人だからそんなことじゃすねたりしませーん」




 そう言って唇を尖らせながら、千尋は立ち上がる。


 思わず噴き出すように笑う芦乃。


 そして、二人が友人たちの元へ向かおうとしたところで――




「あ、いたいた。ちーひろっ」




 その背後から駆け寄ってきた絹織が、千尋の体にぎゅっと抱きつく。


 隣に立つ芦乃は、千尋のその表情の変化をリアルタイムで目撃していた。


 少し不機嫌そうなふくれっ面が、絹織の体温を感じた瞬間に熱されたチョコのようにとろけ、頬にさっと赤みがさした笑顔へと変わる。




「意外と、早かったわね」




 しかし声はあくまで平静を装う。


 装いきれてないが。


 デレデレなのは絹織にも伝わっているだろうに、千尋なりのプライドなのだろうか。




「依里花ちゃんに探してほしいって頼まれた人、私も以前からチェックはしてたからさ。連絡先を調べるだけで済んだおかげで、そんなに時間はかからなかったの」


「ふーん……」


「誰の連絡先だったの?」


「明治羊子って人の家族だって。もし光乃宮までその人を探しに来てるなら、直に連絡を取って話したいんだとか」




 それは芦乃も聞いた覚えのある名前だった。




「明治……確か保健室の先生だったはず」


「教師ってことは戒世教の信者だったんでしょう? 依里花ちゃんたちと敵対して死んだんじゃないの」




 首を振り、芦乃は千尋の言葉を否定する。




「むしろ逆だったみたいよ。一階で死んだって聞いたけど……」


「何か家族に向けた言葉でも残してたのかな。何で調べるか理由までは教えてもらってないんだよね」


「まあ、絹織の仕事は終わったんでしょう? ならそれでいいじゃない。人を待たせてるんだから、早く行きましょう」


「へ? 誰か待ってるの?」


「芦乃が生き返ったって知って、大学の頃の友達が来てるそうよ」




 絹織は抱きつく腕を解くと、千尋の隣に並ぶ。


 自然と指を絡める二人。


 芦乃はその仲の良さにほっこりと頬を緩め、三人で並んで友人たちの元へと向かった。




 ◆◆◆




「これがトルネードスティングやッ!」




 大地が突き出した槍から、渦巻く力場が放たれる。


 前方から迫るブラッドシープの群れはずたずたに切り裂かれ、触れることなく広い廊下に倒れた。


 だがすぐに後続がやってくる。


 今度は人間のようだ。


 銃を手にした彼らは角から姿を現すと、一斉に依里花たちに向けて発砲した。




「リフレクションシールド!」




 すかさず令愛が前に出て、防壁を展開する。


 放たれた銃弾はことごとく弾かれ、まるで逆再生するように引き金を引いた本人に命中する。


 次々と倒れる戒世教の私兵たち。


 その光景を見て、依里花は令愛に声をかける。




「人間相手だけど平気?」


「母親以上に思い入れのある人が出てこなければ大丈夫」




 その頼もしいブラックジョーク混じりの返事に、依里花は背筋にぞくりとしたものを感じる。


 あー、好きだなぁ……なんて思いつつ、敵の第三陣に向けてリコシェダガーを投げ放った。


 五本のナイフは壁に当たると反射し、さらに加速する。


 それを幾度となく繰り返し、ブラッドシープも人間も容赦なく切り刻んだ。




 ここは戒世教の地下研究施設。


 入り口は一般企業も入るビルのエレベーター。


 特定の順番でボタンを押すと、存在しないはずの地下階に行くことができる――という都市伝説めいた方法でたどり着くことができる場所だ。


 真正面から堂々と侵入したので、当然のように依里花たちは銃弾とブラッドシープの大歓迎を受けたというわけである。




「銃が出てきたときはどうなるかと思ったけど、その程度なら問題ないのね」


「会衣と巳剣さんも、スキルを覚えれば同じぐらい戦えるようになる?」


「なると思うよ。レベルも大差無いし、試しにステータスだけあげとく?」


「うーん……」




 死体を踏み越え、前に進みながら会衣は悩み唸る。


 すると巳剣が言った。




「身体能力まであげちゃうと、日常生活に戻れない気がするのよね」


「今さらだと思うけどな。パーティに入った時点でかなり体は軽くなってるんだからさ」


「そうなのよねぇ……」


「便利に使えば生きて行くのが楽になる気もする、と会衣は思ってしまう」


「わかるわ、その下心」


「下心って言われるのは心外だな。私なんかはこの力をフル活用するつもりで人生計画立ててるけど。ね、令愛」


「それで幸せになれるんなら、あったほうがいいよねっ」




 与えられた異能に対して前向きな依里花と令愛。


 この力のおかげで“変えられた”ものはあまりに多い。


 一方で巳剣や会衣にとっては、未だにそれは“未知”の能力だ。


 抵抗感があるのは、慣れの問題なのかもしれない。




「欲に素直なんやなあ……言うて俺も、一度この身のこなしを味わってしもうたからなあ。今さら手放すっちゅうんも考えもんや」


「貰えるものは貰っちゃっていいと思うよ。巳剣さんも牛沢さんもさ」


「そうねぇ……」


「会衣は、もう少し考えておく」




 敵の本拠地だというのに、呑気なものである。


 だが実際、依里花たちを倒すだけの力はここに存在しない。


 郁成夫妻が使っていた肉片が出てくるのなら依里花も多少は警戒しただろうが、現状、それも姿を現さないのだ。


 どうやらあの二人は、夢実の両親ということで戒世教内でかなりの地位を手に入れているらしい。


 そして同時に、あの肉片が大量生産されておらず、それなりに貴重なものということもわかった。


 やがて五人は、他よりも大きな扉の前にたどり着く。


 ここまでも何度か襲われはしたが、もはや信者もブラッドシープも打ち止めなのか、あたりはすっかり静かになっていた。




「ギィが言うには、この先が実験室みたいだね」


「この先に行けば、私たちが指名された理由がわかるのね」


「たぶん」




 巳剣はジト目で依里花を見る。




「こんな物騒な場所に連れてきた割には言動が曖昧なのよね。何か企んでない?」


「この期に及んで倉金先輩がそんなことするわけあらへんやろ」


「そうだよぉ。依里花は仲間にはすっごく優しいんだよ?」


「ええ、身内以外に容赦ないことはよーく知ってるわ」


「会衣もそろそろ知りたい。どうして会衣たちが集められたのか」


「期待させて肩透かしってのも嫌だから、あと少し待ってよ。“見れば”わかることなの」




 そして、依里花は扉に手を伸ばした。


 だが、触ってもうんともすんとも言わない。


 傍らの壁にはカードリーダーらしきものが設置されている。


 カードキーを持つ人間でなければ入れないようになっているようだ。


 依里花はその厳重な扉を軽く切断すると、残骸を蹴飛ばして部屋に侵入した。


 すると鉄パイプのようなものを持った男が依里花に襲いかかる。




「うおぉぉおおおおっ! 僕は、僕は化物から女神を守るんだぁぁああッ!」




 彼女はその顔を見て、ふいに瀬田口親子を思い出した。


 なので反射的に足が前に出る。


 鉄パイプが振り下ろされる前に、足裏で腹を蹴飛ばす。


 ズドォッ! とまるで砲撃でも受けたように瀬田口透は吹き飛ばされ、背中からカプセルに激突した。




「がふっ……ぐ、ぶっ……」




 その口からどろりとした血が溢れ出す。


 内臓でも潰れたのだろうか。




「なんやあいつ、戒世教の信者か?」


「たぶんこの施設を任されてる幹部。ギィが言うには、お兄さんが生贄に殺されて、お父さんは裏切り者らしいよ」


「依里花、それって……」


「令愛の想像通り。たぶん瀬田口ファミリーの次男だろうね」




 丁と異なり、垢抜けた感じはしない。


 彼のように女を弄んで遊ぶタイプではないのだろう。


 だがねっとりとした“執着”めいたものを、その一挙手一投足から感じる。


 依里花が部屋の奥にあるカプセル――その中に浮かぶブラッドシープに歩み寄ると、倒れていた透は声を上げた。




「やめろぉおお……! やめて、くれ。僕から……女神を、奪うなぁ……!」




 彼は口から血を流しながら、這いずるようにしてカプセルに近づこうとする。




「女神、か。これが誰なのか知ってるの?」


「女神だ。僕に、力を……地位を……生きる価値を与えてくれた、女神……」


「倉金先輩、たぶんこいつ話が通じるタイプやないぞ」


「うん、今のでわかった。この状態の人間を女神とか呼ぶ時点で頭おかしいからね」




 依里花はドリーマーを握り、振りかぶる。


 すると透は必死に叫ぶ。




「やめてくれぇぇええっ! わかってる、わかってるんだ、もう終わりだって! ブラッドシープに残された時間はあとわずかだッ!」


「何それ」


「曦儡宮様に与えられた力は、使えば使うほどに……減っていく。ごふっ、げほっ、だから……そいつは、放っておくだけで、活動を停止する……」


「ああ、そっか。島川優也が与えた力は有限だから」


「何でそこで兄貴の名前が出てくるんや!?」


「まあ、見ててよ」


「だからせめて、自然な死を――頼む、やめてくれ、僕から女神を奪わないでくれぇぇえええっ!」




 透の言葉など、最初から依里花の心に届いていない。


 いや、むしろ届いているからこそ、感情は温度を失い凍りつく。


 彼がブラッドシープを育てた張本人だというのなら、多くの人間を苦しめた元凶なのだから。


 そして依里花はドリーマーでカプセルを薙ぎ払い、強化ガラスごとブラッドシープの本体を引き裂いた。


 ガラスが割れ、飛び散る音が鳴り響き、内側に満ちた液体と共に、分断された肉片が外に溢れ出る。




「ああぁ……あぁ、うわぁぁぁあああああ……っ!」




 嘆く透。


 相変わらず依里花の意図が読めない令愛たち。


 そして当の依里花はというと、床に落ちた肉片の前にしゃがみ込み、手をかざした。




「リザレクション」


「なっ――なんで生き返らせてんのよ!」




 思わず巳剣が声をあげた。


 一方、令愛は自分のスマホを取り出し、画面を見る。


 リザレクションはパーティメンバーにしか使えない。


 つまり、依里花は“調教”のスキルでブラッドシープを仲間に加えていたのである。


 そしてパーティ一覧に記された名前は、“ブラッドシープ”ではなく――




「明治羊子……明治先生!?」




 一階で死んだはずの、養護教諭の名であった。


 令愛がその言葉を発すると、依里花と透以外の全員の視線が彼女に集中する。




「どういうこっちゃ。あの化物が明治先生ってことなんか!?」


「なんであんな姿になってんのよ!」


「もしかして……体から飛び出していったかもしれない、って会衣は思う。でもでも、生きてる理由が……」


「私も正直、どういう状態かはわかんないんだよね」




 リザレクションにより、肉片は再び一つに戻る。


 そして依里花がヒーリングを使うと、ブラッドシープは明治羊子の姿へと変わっていった。




「女神……」




 透がぼそりとそうつぶやく。


 依里花は内心イラっとしたが、どうせ後で殺すつもりなので無視することにした。


 問題は目の前の羊子だ。


 裸だったので、スマホから制服を取り出して体にかける。


 依里花は最初にブラッドシープを見たとき、わずかな既視感を覚えていた。


 だがその正体が何なのか、なかなか答えを出せないでいたのだ。


 それもそのはず、いくら依里花でも体内から引きずり出された羊子の内臓の一部と似ている――なんてすぐに思い出せるはずがない。


 おそらく彼女は、間違いなく一度死んでいる。


 いや――ひょっとするとあの引きずり出された内臓の状態で生きていた可能性もあるが、もはやその時点で普通ではない。


 その後、島川優也の一部として取り込まれ、そして1階が崩落する際、彼によって生き延びさせられたのだろう。


 ただし、界魚の壊疽として。




「おはよう、先生」




 緊張した面持ちで声をかける依里花。


 すると羊子の目が開き、彼女を見つめた。


 数秒の沈黙――そして羊子は声を発する。




「悪夢の続きでも見てるのかしらぁ」




 依里花はほっと息を吐き出した。


 同時に、そこまで羊子に思い入れがあった自分に驚く。


 この世から邪魔な存在が消えて、心に余裕が出てきた証拠だろうか。




「悪夢なら終わったよ。その外側に先生はいる」


「……詩的すぎてわからないわぁ」




 そう言って、体を起こす羊子。


 渡された制服で体を隠しながら――ではあったが、周囲の視線に気づき、さっと頬が赤らむ。




「まずは着替えてきてもいいかしらぁ」


「どうぞ」




 羊子は後ずさり、カプセルの裏側へと消えていく。


 彼女の姿が見えなくなると、真っ先に大地が声をあげた。




「先生……い、生きとったんか!?」


「やったね、依里花!」


「うーん……」




 死んだはずの羊子が蘇った――それは喜ぶべきことであるはずなのに、依里花は浮かない表情だ。




「まだ何か問題があるっていうの?」


「先生が生きてた、会衣はそれだけで十分嬉しい」


「たぶん先生も気づいてると思うんだけど――」




 羊子が聞いてることを前提に、依里花は語る。




「島川優也に取り込まれた時点で、先生は間違いなく死んでた。それが今、こうして生きてるのは、1階が崩壊するとき、正気に戻った島川優也が助けたからだと思う」


「俺と同じようにっちゅうことやな」


「うん、でも島川くんの場合は、物理的に庇われたことで助かった。けど先生は違って――島川優也に残った界魚の力を、死体だった先生に注いだことで生き延びてる」


「それって……つまり、ゾンビと一緒ってことじゃない」




 巳剣の言葉に、依里花は深くうなずいた。


 それを聞いた会衣はスカートをぎゅっと握り、令愛がごくりとつばを飲み込む。




「だから賭けだったんだよね。私の“調教”スキルでパーティに入れることで、先生を生き返らせることができる。要は井上さんと同じ仕組み。でも先生の場合は、“人間を再現したもの”ではなくて、界魚の壊疽そのものだから――」


「化物の体ってことよねぇ」




 着替え終えた羊子が再び姿を現す。


 パツパツの制服を纏うその姿は、なんだか怪しげな雰囲気を醸し出していた。




「サイズどうにかならなかったのぉ?」


「着ることまで考えてなかったんで。やっぱり先生自身もわかるんだね、人間の体じゃないって」


「そりゃあねぇ、こんなことできるんだものぉ」




 そう言って、羊子は自らの腕をぬるりと赤い――内臓を思わせる触手へと変える。


 いや、実際に内臓と同じものなのだろう。


 血の匂いが周囲に広がり、どろりとした赤い液体が滴り落ちる。




「……んー」




 だがそれを見せた羊子は、なぜか釈然としない顔をしていた。




「何か不満でもあったの?」


「思ったよりみんな怯えないのねぇ」


「ギィで見てるから、かなぁ」


「先生より自由に体を変えるやつがおるからのう」


「それに、2階以降もそれぐらいでビビるほど甘い場所じゃなかったもの」


「むしろ先生のそれはぬるっとしててかわいい」




 次々と出てくる反論に、彼女は落ち込むべきか、喜ぶべきか、複雑な心境であった。


 同時に、自分が死んだあと、生徒たちがさらなる苦難と向き合ってきたことを知る。




「さっきから話を聞いてたけどぉ、ここはもう外なのねぇ」


「うん。先生はここで目を覚ますまでのこと、覚えてないんだね」


「一番はっきり覚えてるのは、死んだときのことよぉ。すっごく痛かったものぉ。でもその後も何となく……ずっと苦しかったのは覚えてるわねぇ」




 そもそも脳が存在してない状態だったのだから、ぼんやりとでも覚えているだけ奇跡のようなものだろう。




「それなりに満足して死んだつもりだったんだけどぉ、まさかこんな形でまた生きることになるなんてぇ」


「兄貴はそれを望まなかったっちゅうわけや」


「……優也くんが、ねぇ」




 あまり納得していない様子で、羊子は目を細めた。


 大地はさらに語気を強めて彼女に語りかける。




「そんだけ恩を感じ取ったんやろ」


「でも救えなかったわぁ」


「戒世教相手に一人でようやった方やわ。こうして外に出てみると余計にそう感じるわ。この施設を見てみい、これが光乃宮市の地下にあるっちゅうんやから笑ってまうわな」


「お金持ちなのねぇ」


「権力も、金もあって、あいつらは好き放題しとった。その暴力から、少しでも守ろうとする意思を持った時点で、先生は立派なんや」


「実感が……無いのよねぇ、そんな人間だったって」




 仮定がどうであれ、羊子は誰も守れなかった。


 その結果は消えない。


 優也が彼女を守ろうとしたという事実は、多少の救いをもたらしたかもしれない。


 しかし、犠牲になった生徒はそれだけではないのだから。


 ギィが七瀬朝魅の抜け殻だと知ったら、羊子はどう思うだろう。


 すると今度は令愛が口を開いた。




「先生は誰かのことばっかり言ってるけど、自分はどうなんです? 死にたくない、幸せになりたいって思うんじゃないですか?」


「私はぁ……」


「会衣は生き延びたおかげで、今すっごく幸せ」


「私も同じよ。むしろ以前よりも、生きてるだけで幸せなんだって強く思えるようになったわ」




 巳剣は胸に手を当て、自慢気に言った。


 すると羊子が「家族……かぁ」と寂しげにつぶやく。




「確かに会えたら嬉しい人はいるわぁ。でもわたしは人間じゃないのよねぇ。体も、心も、きっと」


「そんなの気の持ちようですよっ!」


「会衣の大切な人も先生と似たような状態。でも、普通に人として生きてる」


「違うのよぉ、そうじゃないのぉ。本能……みたいなものって言えばいいのかしらぁ」




 再び彼女は自らの腕を触手へと変える。


 その視線は、地面を這いずる透に向けられた。




「女神は……本当に女神だったんだ。はは……やはり女神は、どのような姿でも美しい。お願いだ……僕を救ってくれ……」


「自分とは違う冷たい何かが語りかけてくるのよぉ、殺せ、殺せって」




 そして眼差しから温度が消えた。


 触手は鞭のようにしなり、フォンッ! と空を切る音を鳴らしながら透を狙う。


 すると、依里花がすかさず間に割り込んだ。


 触手を傷つけぬよう、打撃で弾いて透の殺害を阻止する。




「ほら、そうやって誰かが止めてくれないと、わたしは人を殺しちゃうのよぉ」




 だらん、と触手を垂らしながら悲しげに告げる羊子。


 何も言えない令愛たち。


 一方で、依里花は透の前に立つと――ドリーマーでその脳天を刺し貫いた。




「えっ……?」




 冷酷を気取っていた羊子の表情が崩れる。




「あ、あの、その人……」




 目の前で人が死んで焦っているらしい。


 先ほどまでは自分が殺そうとしていたというのに。


 対する依里花は、ずるりとナイフを引き抜くと、変わらぬ調子で羊子に言い放つ。




「駄目だよ先生、こいつ先生に殺されたら満足して死んじゃうタイプだから」




 あたかも人を殺すのが当たり前であるかのように。


 そして大地や巳剣、会衣も多少は驚いている様子だったが、依里花の行為に違和感は抱いていないようだった。


 令愛に至っては、軽く微笑んですらいる。


 依里花は内心ほくそ笑んでいた。


 これまでの積み上げが、彼女の今の立ち位置を作っている。


 戒世教相手ならば、人を殺めることすらも仕方のないこと――そんな共通認識のおかげで、最初に集堂を殺したときの“過ち”や“後悔”が薄れていくような気がしていたからだ。


 それに加えて、羊子の仮面を砕くこともできたのだから、一石二鳥と言えよう。




「先生が持ってる殺意は、化物だからとかじゃないよ」


「でもぉ」


「意識が戻る前のことを、薄っすら覚えてるんだと思う。こいつ、先生の体を切ったり再生させたりして、兵器として利用してたんだから」


「そう……なのぉ?」


「で、その兵器にされてたときの先生は、ずっと『さびしい』とか『苦しい』って言ってた」


「わたしがそんなこと……」


「それが本音ってことだよ。先生は死にたくなかったし、最後に満足した気になってたのも、それっぽい理由づけして諦めた・・・だけ」




 そう言うと、依里花はスマホを取り出しなにやら操作しはじめた。


 そして準備を終えると、それを羊子に投げ渡す。




「これ、なぁに?」


「孤独だって嫌だった。だから寂しいって繰り返してた。本当は、家族にだってまた会いたかっただろうに」




 画面に表示された名前は、羊子の母親のものだった。


 絹織に調べてもらったものだ。


 ついでに、『娘さんに関する大事なお知らせがあるから、通話が来たら必ず出てくれ』とも伝えてある。


 なのでビデオ通話の発信音はすぐに途切れた。


 羊子の母の顔がそこに表示される。


 向こうにも、娘の姿が映し出されているはずだ。




『よ、羊子、なの?』




 不安そうに語りかける母。


 羊子は何も言えずに固まっていた。


 いくら戒世教に抗う養護教諭だったとしても、明治羊子は20代の普通の女性でもある。




『本当に羊子なのか。本当の本当に生きてるんだなっ!?』




 続けて父の声が聞こえた。


 その頃には羊子の涙腺はとっくに緩んで、唇が震えている。




『生きてるなら早く連絡してくれよ……ほんと』




 最後に兄の顔が映し出される。


 実家を出てから一年以上会っていないが、羊子が心配で、仕事をほっぽりだして光乃宮まで駆けつけているらしい。


 長らく浸っていた非日常。


 そこで作り上げられた、明治羊子という立派な人間の偶像。


 それが、久しく感じていなかった日常の暖かさを前に、溶かされていった。




「お母さん……お父さん……お兄ちゃぁん……っ」




 羊子は膝から崩れ落ちて、涙を流した。


 誰かのためでなく、自分のための涙を。




「先生はずば抜けていい人なんだろうけど、別に特別な人間じゃないんだよ。変に自己犠牲ぶったこと言わないでさ、どんな形であれ生きてること、素直に喜んでいいと思う」




 依里花の言葉に、羊子は手のひらで雫を拭いながら、何度もうなずいた。


 死ぬのは怖かった。


 もっと、生きてやりたいことがあった。


 確かに救えなかった命もあるけれど――救おうとした羊子を、一体誰が責めるというのか。


 そんなものは、自責の念だけだ。


 だから自分で生きたいと思ったのなら、羊子は今の自分の命の形も受け入れられる。




「説得のためにあたしたちを連れてきたんだね」




 令愛が依里花の隣に並ぶと、こつんと肩を触れ合わせた。


 続けて、巳剣が少し不満げに言う。




「なら早く言ってくれればよかったのに」


「まあまあ、倉金先輩にも何か理由があったんやろ」




 もう終わったことだ、だから依里花は全てを話すことにした。




「ブラッドシープが先生だって確定してたわけじゃなかったし。それに、先生の意識がああやって戻るかわかんなかったから。最悪、蘇生させてもただの意思のない化物のままって可能性もあったし」


「……先に言われてその結果だったら、会衣、かなりショックだったかも」


「だからギリギリまで言わなかったの」




 芦乃とはまた異なる生き方をしている。


 そして、彼女以上に界魚の壊疽に近い生存方法だった。


 例えば、調教スキルを使ってゾンビを蘇生させたとしても、それはただのゾンビでしかない。


 ゾンビになる前の人間が蘇るわけではないのだ。


 こうして羊子が、中身はどうあれ人の形を保っていられるのは――おそらく、島川優也の祈りが込められていたからだろう。


 彼女は涙をぼろぼろ流しながら、家族との会話を続けている。


 依里花たちは温かい目でその様子を眺めていた。




「ぎょうさん犠牲は出てしもうたけど、一人でも救われると、俺らまで救われた気分になるな」


「先生が死んだときの光景は今も忘れられないもの」


「会衣も夢に見たことある」


「もうそういうのもなくなるかもね」




 そのとき、依里花のスマホが震えた。




「日屋見さんからだ」




 瀬田口の家を調べている麗花からのメッセージを続けて受信する。




『瀬田口の持っていたデータは無事に回収できた』


『戒世教と繋がってた財界や政界の名簿もあったから、すでに会見を開く予定の父様に送ってある』


『おそらく会見の前には各メディアに送信されるはずだから、今日の午後には一気に広がると思う』




 麗花の父親による会見はあと少しで始まるはずだ。


 元から彼が持っていた情報に加え、瀬田口の持つ情報も積み重なれば、戒世教は社会的に二度と立ち直れない大きなダメージを受けるだろう。


 そうなれば、あとは物理的に潰せば終わる。


 少なくとも日本支部に関しては、ということにはなるが。




『ところでこんなものを見つけたんだけど』




 今度は、画像付きのメッセージが送られてくる。


 そこには――金庫の天井まで積み重ねられた、黄金の塊が写されていた。




『おそらく瀬田口の、あるいは戒世教の隠し財産。どうする?』




 依里花は即答する。




『ぜんぶもらう』




 今の彼女は欲望に素直であった。



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