第78話 会議らしい会議

 



 警察による事情聴取を終えたあと、依里花たちは人の少ない待合室に集まった。


 院内は相変わらず騒がしく、なぜか屯する彼女たちへのスタッフの視線は厳しい。


 まあ、彼らからしてみれば、依里花たちは疫病神のようなものだろう。


 なにせ、ただでさえメディアが殺到して面倒くさい上に、この短期間で殺人が二件も発生しているのだから。


 その対応でてんやわんやである。


 挙句の果てには、失踪していた人間や、死んだはずの人間まで混ざっており――すでに深夜と呼べる時間だというのに、仕事は終わる様子が無い。


 もっとも、依里花にもちゃんと自覚はある。


 なにせ、学園の二階で大木を倒してから、休憩を挟んだとはいえ限りなくノンストップに動き続けている。


 真恋とけじめをつけ、腐敗した曦儡宮を倒し、界魚の牙を破壊し、外への脱出して、大地と絹織を救出し、そして両親との決着。


 基本的に楽しいことばかりあったので、今のところ疲れたという感覚はないが、そろそろ頭がパンクしそうな感覚があった。


 その今にも絡まりそうな糸を解くためにも、こうして集まって、情報を整理する必要があったのだ。




「それにしても、せっかく脱出したっていうのにぜんぜん落ち着かないわね」




 巳剣が愚痴っぽく言った。


 それに依里花が反応する。




「そうは言うけど、巳剣さんに関してはかなり顔つきが変わったよ」


「そう見える?」


「会衣が思うに、家族と再会できて安心してるんだと思う」


「うん、柔らかくなってるもんね」




 そう指摘され、巳剣は両手で自分の頬をむにむにと弄くる。




「そりゃあね……あんな腐った死体が歩き回ってるところから出られたんだもの、安心ぐらいするわ。でも、そんな私ですら浮足立ってるわよ。倉金さんとか日屋見さんは家族のこととか大変みたいだし、そうもいかないんじゃない?」


「私はある程度は予想してたからなぁ」


「私も、覚悟はしていたよ」


「肝が据わってるわねえ。でもまだ何かあるから、こうやってみんなを呼びつけたわけでしょ?」




 すると赤羽が不安そうに口を開いた。




「僕としては、妻と娘が巻き込まれることだけは避けたいな」




 彼は一人でここに来ている。


 娘は妻と一緒に別の場所で待っているようだ。


 妻の立場になってみると、自分の夫と娘が同時に事件に巻き込まれ、長い間生死不明だったのだ。


 残された妻は不安でしょうがなかっただろうし、再会したばかりの今、一人きりにするのはあまりに酷だということで娘を残してきたのだろう。


 本当なら赤羽もすぐに戻りたいはずで――だからそわそわしているのだと思われる。




「戒世教との関係で言えば赤羽さんは部外者に近いし、無理して戦ってもらおうとは思ってない。奥さんと娘さんを守ることに専念してもらって構わないし、力が必要ならスキルも割り振っておくよ」


「ありがとう。ただ、僕が戦わなかったとしても、どうせ戒世教は無差別に狙ってくるんだろう?」


「そうだねぇ……」


「防ぐためには、先手を打って潰す必要があるわね」


「お姉ちゃんもまた戦うの?」




 勇ましく拳を握る芦乃を、緋芦は心細そうに見つめた。


 芦乃は妹の頭を軽く撫でる。




「もちろん戦うわ、緋芦の安全を守るために」


「会衣は?」


「もちろん会衣ちゃんのことも守るわよ。そのためには戒世教を徹底的に潰さないと」




 彼女は以前よりも戦うことに前向きになっているように思える。


 敵が化物ではなく、人間であるにもかかわらず、だ。


 絹織や千尋が巻き込まれたこと、そして連城の死が、少なからず彼女に影響を与えているんだろう。




「その参考になるかはわからないけど――」




 いつもより表情の暗い麗花が話題を切り出す。


 つい先ほど母親を失ったばかりだ、依里花も無理なら休んでいていいと伝えたのだが、麗花は首を横に振った。


 自分にも責任はある、と言わんばかりの険しい表情で。


 真恋はそんな彼女の精神状態を案じてか、常に隣に寄り添い、その手を握っていた。




「私たちがここに来る前に遭遇した例の爆発、あれは戒世教の実験が失敗したものらしい」


「てっきり瀬田口が自爆してくれたのかと思ってた」


「私も依里花先輩と同じくそう思っていたんだけどね」


「それが違うとなると、あいつら何やってんだろ」


「連絡先を知っているのは私だけだ、動きがあれば知らせてくるだろう」


「ならいいんだけど……で、その実験って何なの?」


「どうやら、私たちが倒した曦儡宮に変わる新たな神を、“ゲート”とやらを開いて呼び出そうとしているようだ」


「新たな神ねぇ……懲りないなぁ」




 そう言って、依里花は軽くため息をつく。


 すると、ギィと夢実が同時に彼女のほうを見た。




「グゥ……それってまさか」


「私の親が持ってたあの肉片かもしれない」


「その可能性が高いね」


「あたしも依里花から軽く説明は聞いたけど、確か空間に穴をあける力があるんだっけ。それって、具体的にどういうことをしてくるの?」




 令愛が依里花に尋ねる。


 だが、彼女もそこまで詳しく能力を理解したわけではなかった。




「自分の周囲数メートルに穴を空けて、そこを別の場所と繋げてるんだと思う」




 現状、射程に関してはまだ推測の域を出ない。


 だが、夢実の両親が遠くに逃げたあと、遠隔から攻撃を仕掛けてこないことから、穴を空ける場所は数メートル――あるいは“視認できる範囲”ではないかと、依里花は考えていた。




「繋がるのは異空間とかじゃなくて、別の場所なんだね」


「さっき警察の人から聞いたんだけどさ」




 そこですかさず、手帳を手にした絹織が話に入り込んでくる。


 当然、彼女の隣には千尋が立っており、当たり前のように腕を絡めている。


 二人は事件を乗り越えようやく平和な日常を取り戻した――かのように思えたが、先ほどまで警察に根掘り葉掘り色々と聞かれて大変だったようだ。


 連城の死を目の前で見た唯一の人間なので仕方のないことなのだが。




「病院の外で、切り取られた人間の内臓が見つかったって騒ぎになってるらしいよ。それも関係してる?」




 代わりと言っては何だが、記者らしくちゃっかりと情報も仕入れてきたらしい。


 それを聞いた途端に、夢実の髪色が金色に変わった。




「十中八九、我のハラワタであろうな」


「うわ、金髪になった!?」




 のけぞりながら驚く千尋。


 彼女に先を越されたので絹織は声を出せなかったが、同じく驚いている様子だ。




「初めて見たわけではないが、やはり驚きはするな」




 腕を組み、目を細める真恋。


 一度見たといっても、界魚の牙と対面したあの時だけだ。


 ほぼ初めて見る現象と言ってもいいだろう。


 しかも当然、絹織や千尋は完全に初めて目撃する。




「ね、ねえ絹織あれ何? どうなってるの!?」


「落ち着いて千尋、たぶん何かしらの超常現象だよ」


「何の説明にもなってないわよぉ!」


「我も仕組みはよくわかっておらぬのだ、驚くのも仕方のないことよ。知らぬ人間もおるようだから自己紹介しておこう、我が名はネムシア・アドラーク。今は亡きアドラシア王国の女王で、今は夢実の肉体の中に魂だけが居候しておる」


「ど、どうも……ってアドラシア王国って何!? 地球上の国?」


「そこも気になるけど、さっきハラワタ取られたって言ってたよね……」


「モツ抜かれて何で生きてるのよ!?」


「まあまあ、二人とも落ち着いて」




 自身も困惑しながらも、芦乃は友人二人をなだめた。


 そして千尋の疑問にネムシアが答える。




「見た目が変わる二重人格とでも思ってもらえばよい。当然、この会話も夢実は聞いておるぞ」


「不思議なこともあるのね……」


「世の中は広いよ」




 驚きを通り越して、感心する絹織と千尋。


 思わず芦乃は苦笑いした。




「あはは……要はその新しい神様の力を使って、ネムシアちゃんの体内に穴を空けて、内臓の一部を切り取って外に捨てたってことね」


「おそらくそうであろうな」


「聞いてるだけで会衣もお腹が痛い」


「えっぐぅ……」




 思わず腹を押さえる会衣と巳剣。




「じゃあ夢実さんの親御さんも、その穴を使って外に逃げたんだね」


「攻撃を別の場所に飛ばして避けたりもしてたし、意外と器用なんだよねあれ」




 令愛と依里花の言葉を聞き、大地は眉をひそめた。




「ただの肉片でそないなことまでできるんか」


「曦儡宮よりも戦う力には長けてそうだ。初撃で頭をくり抜かれれば、為す術もなく即死だろうな」




 真恋はパーティのリーダーだ。


 同じ立場の依里花も含めて、この二人が攻撃を受けることは絶対に避けなければならなかった。




「加えて、ほんの一片だけでそのような力が使えるということは、麗花の言う“ゲート”が完成すれば――」


「より強力な敵になるかもしれない、だね」


「でも、今のところはシッパイしてる」




 だから爆発は起きた。


 しかし依里花は、あまり楽観視していない様子だった。




「依里花、何か気になることがあるの?」




 ネムシアは夢実の姿に戻ると、依里花にそう尋ねた。




「あの規模の爆発、死人だって出たかもしれない。強引に実験を進めてまで完成に近づけようとする行動力っていうの? ああいうの不気味だなと思って」


「意見が合うね、依里花先輩」


「日屋見さんもそう思う?」


「どうやら彼らは、学園で行われた儀式からゲートを開く方法に関するデータを得たようだからね」


「結果的に失敗に終わったとはいえ、前例にはなっちゃったのかぁ。しかも、曦儡宮の一部を切り取って道具として利用する方法は、儀式のずっと前から確立されてたんだよね。夢実ちゃんの両親が使ってたあの肉片も同じ方法を使ったんだと思う」


「つまり……どゆこと?」




 こてん、と令愛が首をかしげる。


 答えたのは真恋だった。




「肉片を採取する程度の微小なゲートなら以前から開けた。今行われているのは、ゼロからゲートを開く実験ではない。“向こう”から何らかの生物を連れ込める広さまで、拡張・・させるための実験だ」


「そうそう。だからさ、私たちが思ってるより簡単に開けちゃうんじゃないかなと思って」


「あー……しかもあいつら、ゲートってやつだけに集中してるわけじゃないもんね」


「絹織さんの言う通りや。こんだけ追い詰められとるのに、並行してブラッドシープなんて代物まで作っとる。人員に余裕があるのかもしれへんな」


「はえー……ってことは、急いで止めないといけないんじゃないの!?」




 慌てる令愛。


 しかし、当の依里花はあまり焦っているようには見えない。




「まあ、できれば止めたいけど、一応は曦儡宮と同じスケールの相手なわけでしょ? 能力のタネさえわかれば、倒せないことは無いかなって」


「目の前で神様が殺されたとあれば、たまったものではないだろうね。それを利用して戒世教の崩壊を狙ってみてもいいかもしれない」


「なら、出てきた神様みたいな何かを倒したら解決するってこと、かな?」




 夢実の提案も間違いではない。


 しかし依里花は顎に手を当て、「んー」と悩んでみせた。




「エリカ、まだ何かモンダイがある?」


「別に同情するってわけでもないんだけど、曦儡宮も人間の味を知るまでは、あんな悪趣味な生き物じゃなかったわけじゃん?」


「そうね。あいつの場合は何十年も人間と接してきたから日本語だってわかってたし、人間の魂の味も知ってたんだもの」




 芦乃がそう言うと、ギィは不満げにぷくーっと頬を膨らませた。


 曦儡宮の一部として良いように使われていた彼女としては、あまり納得できない話だろう。




「もちろんあいつは死ぬべきだったと思う。あんだけ生贄を食べといて殺さない理由が無いし」




 しかし依里花がそう言った途端に、ギィの頬はしぼんで「ギシシ」と笑顔を浮かべた。




「でも今度の相手は違う。曦儡宮みたいに戒世教と何年も接触してきたわけでもないだろうし――」


「仮に召喚されたとしても、戒世教に従う理由が無いな。いや、それ以前に言葉が通じないだろうから意思疎通の方法があるかもわからない」




 依里花はそう語る真恋を指差し、「そうそう、それそれ」と頷く。




「だから急に呼び出した怪物を、戒世教はどうするつもりなんだろう、と思って」


「それを操るためのブラッドシープやったりせんか?」


「あれが操れるのはせいぜい人間ぐらいだよ。界魚本体なら出来たかもしれないけど……」


「呼び出すだけ呼び出して、暴れさせるのが目的かもね」




 麗花の言葉に「うーん」と依里花は首をかしげる。




「そううまくいくかなぁ。戒世教の連中さ、やってることは大げさで、犠牲者だっていっぱい出すくせに、目指す先が曖昧なんだよね。真の世界とか、ゲートの先にいる未確認生物とか」


「そういやファンタジーランドでも、私のこと簡単に曦儡宮って信じてたなぁ」


「緋芦の件もそうだし、三階でも先生たちはそこを真の世界だって信じ込んでた。会衣から見たら馬鹿らしいぐらいに」


「信者が共有してる実体のない妄想みたいなものを追っかけてるから、そうなるのかなって私は思ってる。そういうわけだから、ゲートの実験が始まったからって、焦って急ぐことは無いかも」


「ならこれからどうするの?」




 令愛の問いに、依里花は即答した。




「休む」




 おふざけはなく、至極真面目な表情で。




「へ?」


「とりあえずみんな休もう。せっかく外に出られたのに、忙しくてろくに睡眠も取れてないし。もう日付変わって何時間も経ってるよ? あとちょっとで明るくなっちゃうって。そうなる前に寝て、これからのことはその後考えてもいいんじゃないかなって」


「えらい呑気な発想やな」


「こんなときに休んでいいのか、とか思って無理されたら困るから。ちなみに、夢実ちゃんの両親の動きはギィが追ってくれてるから、何か動きがあれば情報は勝手に入ってくるし――あ、ちなみに今はあいつらどうしてるの?」


「ドッカの小屋に逃げ込んでる。たぶん戒世教のアジトの一つ」


「他に信者らしき姿は?」


「ナイ、本当に隠れ家ってカンジ」


「隠れ家かぁ……普通の人間はそんな場所確保してないよね。あの肉片やブラッドシープを持たされてるし、意外と戒世教の中枢と近かったりしてね。隠れ家には他に誰かいる?」


「イナイ。連絡は取り合ってて、今は待機中。たぶんアタシたちの追跡を警戒してる」


「じゃあ安心するまで動かないか、明日以降に期待だね。そういうわけで寝よ寝よ。久しぶりに柔らかいベッドで寝てさ、んで起きて大切な人と一緒に過ごすの。そうしたら頭もすっきりして気分爽快。みんなそうしたいから脱出したんじゃん?」




 依里花の目からみて、この場にいる全員が疲労しているのは明白だった。


 彼女自身も、両親の死を目の当たりにして興奮で目を血走らせたこともあって、まるで眠気を通り越したときのような、妙にハイな状態にある。


 眠気は感じていないが、正常な判断力を取り戻すためにも寝て休んだほうがいい――そう判断した。




「確かに戒世教の存在は不穏だけど、こっちは界魚を撃退してるんだよ? しょせんあいつらは人間。ビビることないって。ね?」




 奴らを放置して休んでしまっていいのか、そう考える人もいるだろう。


 しかし、どのみち枢機卿とやらの居場所もわかっておらず、そして裏切ったはずの瀬田口たちも大きな動きを見せていない。


 焦って前に進むより、立ち止まって戦況が変化するのも重要である。


 まあ、ほとんどの復讐を終えた依里花が、かなり気楽に構えている――という可能性も否定はできないが。




 ◆◆◆




 メディアの目をかいくぐって外に出るのは難しいとのことで、患者の家族たちも病院で休めることになった。


 それに生存者やその家族の家にもマスコミが殺到しているらしく、帰ったとしても安心して過ごせる環境ではないとのことだ。


 元々、光乃宮市から脱出する患者が多かったせいで、ベッド自体はかなり空いていた。


 久しぶりの、綺麗な空気の中での睡眠は、思いの外快適で――依里花は両脇を夢実とギィに固められていたが、それでもぐっすりと眠ることができた。


 ちなみに令愛は父親と一緒に過ごしたらしい。


 そして翌朝、依里花は麗花に起こされ目を覚ました。


 ぼやけた視界で時計を見ると、時刻は午前10時。


 寝た時間が遅かったのでまだ体はだるい。


 体を揺らされなければ、昼過ぎまで寝ていただろう。




「おはよ……どうしたの、日屋見さん」




 依里花が上体を起こすと、夢実とギィも眠そうに目を開く。




「瀬田口から連絡が来た。一緒に話した方がいいと思ってね」




 その言葉に、依里花の目が一気に覚める。


 “楽しそう”と言わんばかりに笑った彼女は、麗花と二人で部屋を出た。




 ◆◆◆




「無差別に人を襲うというのも考えものですね」




 SFチックなカプセルの並ぶ薄暗い部屋で、ローブを纏った妙齢の女が言った。




「まったく、僕の女神をあんなふうに使うなんて罰当たりもいいところですよ」




 もう一人、女の隣に立つ白衣姿の小柄な男は、倒れ伏す戒世教信者の群れを見てそう吐き捨てる。


 前髪が長く、目はほとんど見えないが、その眼差しに憎悪をにじませているだろうことは想像に難くない。


 信者の体には無数の穴があいており、さらに耳からはブラッドシープの亡骸と思われる肉の塊がでろりと溢れ出ていた。




「ですがあの凶暴性は使い道があります。よくやりましたね、トオル」


「レイラ様から褒めていただけるとは、これも全て女神のおかげです」




 トオルと呼ばれた男は、愛おしそうにカプセルを撫でる。


 中には液体が満ちており、そこに肉の塊が浮かんでいる。


 ブラッドシープ――その本体・・である。


 手で触れるだけでは我慢できなくなったのか、やがてトオルは頬ずりをしながら、血走った目でブラッドシープを見つめる。




「はあぁぁ……見てくださいよ、この色っぽい大腸の曲線。胃袋の脈動。そして心臓の血管の浮き上がり方! こんなにも美しいものが、他にあるでしょうか。いえ、ありません! 存在しません! 存在するわけがないのです! 醜い人間という存在を超越した、まさに女神! それこそがブラッドシープなのですからッ!」


「あなたは本当にそれが好きなのですね」


「はい、愛しています。曦儡宮様の力も流れ込んでいる、まさに完全なる存在……これが、僕の手に巡り巡ってきたことは、まさに運命。僕がこの世に生まれてきた意味そのものと言っても過言ではない……!」


「ですがあなたに残酷なことを言わなければなりません」




 トオルはゆっくりとレイラの方に視線を移すと、声を震わせた。




「やめてください」


「理解しているのですね」


「まだ全てのデータが集まったわけではないのです」


「しかしその兆候は出ています。残念ながら、ブラッドシープは曦儡宮様の本体ではない。おそらくは死の直前にその力を注ぎ込まれた、いわば電池のような存在」


「違います、女神です! 女神は女神なんです!」


「いずれ――力を使い果たし、その生を終える」




 レイラがそう告げると、トオルの唇が震えはじめた。


 やがてカチカチと歯を鳴らし始め、頬をつうっと涙がこぼれ落ちる。


 そしてカプセルを抱きしめる力を強め、さらに顔をぐりぐりと押し付けた。




「おぉぉおおおっ! 曦儡宮様、なぜなのですかぁ! なぜ私に女神を与えておいて、奪おうとするのですか!」


「それが曦儡宮様の選択ならば従うしかありません。瀬田口裏切り者たちも知らない拠点に移動しましょう」


「そのつもりはありません。私は、女神と共にここで命を終えます」


「ですが、それでは真の世界に到達することは――」


「それでもいいっ!」




 トオルは頑としてこの場を離れようとはしない。


 レイラはため息をついた。




「愚かな。贄に殺されたという兄や、裏切り者の父の後を追いますか」


「私は彼らとは違います。己の夢を完遂させて逝きたいのです。たとえ、真の世界にたどり着けずとも」


「……それが同じだというのに。いいでしょう、あなたはここに残るといい。二人とも、ついてきてください」




 彼女がそう言い放った先には、中年の男女の姿があった。


 郁成夫妻だ。


 二人はレイラを見ながら、まるで子供のように目をキラキラと輝かせている。




「は、はい、どこへでもついていきますっ!」


「夢のようだわ……直に枢機卿様に認められるなんて……!」




 レイラ――それは欧州本部から来日した、枢機卿本人である。


 実質的な戒世教のナンバー2と言われる権力者であった。


 彼女は滅多なことが無ければ日本支部に来ることはない。


 一端の信者に過ぎなかった郁成夫妻にとっては、まさに雲の上の存在だったわけだ。


 レイラの後ろをついていく彼らの姿は、まさに犬そのもの。


 信仰のために娘もプライドも捨てた、その成れの果てとも呼ぶべき姿。


 ならばプライドを捨てなければ無様にならないのか――と、そういう話にはならない。




「うおぉぉお……女神、女神いぃぃ……どうか最後に……君の花をたくさん咲かせようねぇ。いやっ、いやだっ、最後なんて嫌だ! もっと子供を増やそうよぉ! なんだったら僕のお腹を使ったっていいからさぁああ!」




 女々しく泣きわめくトオルもまた、別の意味で終わって・・・・いた。


 だが、そもそもここは戒世教の秘密施設。


 あの狂ったカルト教団の信者しかいないのだ。


 まともな人間などいるはずもない。


 命からがら“実験室”から逃げ出し、物陰に隠れて肩を上下させる瀬田口博もまた、そのうちの一人であった。




「まさか、あのようなものをすでに……神の力? いや、何が神なのだ? 誰が神で……ああ、わからない。神を理解しようとすること自体が、愚かだったのだろうか……」




 依里花に脅されたあと、博は部下たちに命じ、戒世教の拠点を潰して回った。


 実際、すでに数百人の信者が殺害されており、彼らの“浄化”はうまくいきつつあった。


 だが今回はそうはいかなかったのだ。


 ブラッドシープの本体が存在するその研究拠点には、偶然にも枢機卿のレイラが訪れていた。


 彼女を殺せば、きっと魂は完全に浄化される。


 そう信じて、裏切った信者たちは、ブラッドシープを寄生させた信者を壁にして、彼女に銃を向けた。


 しかし――無数に放たれた銃弾は、一発も彼女を掠めることはなかった。


 空間に開いた穴に飲み込まれ、そして逆に彼らに命中したのである。


 無論、ブラッドシープ部隊も一瞬にして体中を穴だらけにされて全滅。


 真っ先に隠れた博も無傷では済まず、腹部から血を流しながら苦しげな表情を浮かべていた。


 彼は震える手でスマホを取り出すと、日屋見麗花からの返事が来ていないか確認する。


 大司祭である彼と、日屋見夫妻は長年の親交があった。


 もちろんその娘もその中に含まれており、博にとっては“神”と連絡を取るための唯一の手段となっている。


 そしてついに、向こうから反応があった。


 しかも音声通話で。




「神よ、助けてくださいっ!」




 第一声で彼は泣きついた。


 すると依里花が返事をする。




『そうだ、私が神である』




 明らかにふざけている。


 だが、その声すらも今の博にとっては救いであった。




「ああぁ……神よ。今、私は浄化のために戒世教のアジトに潜入しております。しかし、枢機卿のレイラが邪悪なる力を使い、我々の同志を皆殺しにしてしまったのです」




 それを聞く依里花は、『本当に今も信じ込んでいるんだ』と逆に驚いていた。


 そして咳払いをすると、わざとらしく声を作る。




『レイラ、それが枢機卿の名前か。特徴を話せ』


「はい。長い栗色の髪をした、ローブ姿の中年の女でして。今、まさにこの研究拠点から出ようとしています」


『次に向かう先はどこだ』


「わかりません……」


『ふん、女は一人か?』


「いえ、郁成夢実の両親を連れて行くようです」


『そうか、ならば問題はない』


「行き先がわかるのですか?」


『神だからな』


「さすがだ……」


『……んふっ』




 思わず笑いそうになるのを、すんでのところで我慢する。




『と、ところでお前は今、どこでどうしている』


「同志を全員失い、一人で施設の中に隠れております。どうか助けていただけないでしょうか」


『よかろう、では私の言う通りにしろ』


「は、はいっ!」


『連絡を取っているのはスマホか?』


「そうです」


『そのスマホに戒世教の機密データは入っているか?』


「いえ、ここには。機密情報の類はデータ化せずに保存しておりますから」


『ならば自宅か、詳しい場所を教える』


「ですがなぜ今……」


『神を疑うのか』


「い、いえそうでは! 一階の廊下の突き当りに棚があります。そこに置かれた花瓶の下に隠し扉のスイッチがあり、開いた扉の先に金庫が置かれています」


『金庫の暗証番号は?』


「それは――」




 言われるがまま、番号を答える博。


 それで神が自分を救ってくれるとすっかり信じているようだ。




「これでよろしかったでしょうか」


『ああ、十分だ』


「では――」


『ところで瀬田口、貴様はなぜ救いを求める?』


「命の危険が迫っているからです」


『言ったはずだ、お前たちは救いようのないほどに汚れていると。たとえ浄化されようとも、この世に生きていていい存在ではない。せいぜい、地獄に堕ちないようにするのがやっとだ』


「で、ですが……まだ浄化しきれていないと」


『だから神に救いを求めると?』


「お、お願い、します。今も足音が近づいてきてるんです! ここはブラッドシープの本体がある施設。おそらく寄生された人間が私を探して――ひっ」




 どうやら見つかってしまったらしい。


 引きつった声をあげたあと、彼は立ち上がり、廊下を走りはじめる。




「お願いします神よ、助けていただければ何だってします。浄化のためにさらに多くの信者を殺しても構わない!」


『さらに多く? 違うだろう、お前自身はまだほとんど誰も殺していないはず』


「あ――」




 言葉を失う博。


 そう、彼はあたかも新たな神の前で反省し、心を入れ替えたかのようなことを言っていたが、自らの手で実行したわけではない。


 歳も歳なので仕方ないと言えば仕方ない。


 だが、依里花がそこで妥協する必要が無いのである。




「指示を出しておりました。より効率的に浄化を行い、この世から汚れた魂を消す役には立っていたはずです!」


『自らの手で殺さずして何が浄化か。この期に及んで他人に指示できる立場だと思っていたのか』


「申し訳ありませんっ! しかし、しかし私はもう捕まりそうで――嫌なのです! 地獄に落ちることだけはぁ! 神よ、神よお願いします、ブラッドシープに捕まるま――うわぁぁああっ!」




 ついにブラッドシープが博の肩を掴んだ。


 彼は倒れて床に顔を強打する。


 その痛みで手からスマホが離れ、遠くに転がっていった。




「神様あぁあ! お願いします、まだ死にたくない。偽の世界になど逝きたくないぃぃいい!」




 神に届くよう、なるべく大きな声で叫ぶ博。


 ブラッドシープはそんな彼に馬乗りになると、体に食らいつく。




「があぁああっ! や、やめろぉっ! 私は、私はまだぁぁああっ!」


『ふっ、ふふふ……あはははっ……』




 すると、スマホから笑い声が響きはじめた。


 決して大きな声ではなかったが、はっきりと博の耳にまで届いている。




「なぜぇ……救いを……神よ、その素晴らしい力で、私を、お救いくださいぃぃ……!」




 彼は端末に向かって手を伸ばし、縋るように声を絞り出した。


 対する依里花は――




『神なんているわけないじゃんばぁぁぁああかっ!』




 伸ばされた腕を切り落とす勢いで、全力の罵声を浴びせた。


 博は思わず「は……?」と目を見開いた。




『罪の浄化? 人を殺してんなもんできるわけないじゃん。戒世教を潰すのが面倒くさいから共倒れになってもらおうと思っただけ。あんたはただ、孫ぐらいの年齢差がある子供の作り話を勝手に信じ込んで、仲間を殺して回ってたんだよ』




 頭が理解を拒む。


 食われる痛み以上に、心がごっそりと削れていく。




『どうあっても、あんたが犯した罪は消えないんだよ。そのままブラッドシープに食い殺されて、地獄に落ちて、息子と一緒に永遠に苦しめばいい』


「そ……そんな……あぎゃっ、ぎ……そんなあぁあ!」




 廊下に悲痛な叫び声と、ぐちゅ、ぐちゅ、という咀嚼音が響く。




『あ、そうだ。あんたがくれた機密情報は私たちが上手に利用するから安心してね』




 依里花は最後にそう言い残すと、一方的に通話を打ち切った。


 残ったものは、あらゆる後ろ盾を失い無力になった老人と、それを食らう化物だけ。




「何なんだ……信仰に捧げてきた私の人生はっ、一体、何のために――うわぁぁぁああああっ!」




 さらに多くのブラッドシープが現れ、彼の体を貪り食う。


 数秒後には断末魔が消え、さらに数分後には咀嚼音すら消えた。


 残ったものは、乱雑に食い散らかされた男の死体だけだった。




 ◆◆◆




 通話を終えると、麗花が「ふっ」と微笑む。




「案外、切り捨てるのは早かったな」


「利用できるとはいえ、生きてるのも嫌だったんだよね」




 依里花は借りていた端末を彼女に返すと、「ふぅ」と息を吐き出した。




「まあ、でも最後は楽しかったからよしとしよう」


「瀬田口の家はどうする?」


「日屋見さんの方が詳しいよね」


「場所はわかるが、家に入る方法がな」


「あ、そっか。じゃあギィについていってもらったらどうかな」




 いつの間にか隣に立ち、顛末を見守っていたギィ。


 依里花は彼女の背後に回ると、その体に抱きついた。


 ギィは自然と、自分のお腹あたりに当てられた依里花の手に自らの手を重ねる。




「アタシ?」


「うん、ギィならだいたいなんでもできる」


「頼られてる?」


「めちゃくちゃ」


「ギシシシッ、ならガンバル」




 実際、依里花のギィの信頼度はかなり高い。


 物を頼めば必ず要求以上の結果を残してくれる。


 しかもそれなりの残酷さも持ち合わせていて、綺麗事や善意に染まっていない“汚さ”が見えるところも好きだった。




「彼女が付いてきてくれるなら百人力だね。ではさっそく向かおう」




 麗花としても、過去の実績からギィの力量は買っている。


 あの自由に形を変えられる体があれば、鍵ぐらいなら簡単に突破できるだろう。




「見つからずに外に出られる?」


「生身での移動なら問題は無いさ」




 彼女たちの身体能力は、人間のそれを遥かに越えている。


 非戦闘員と行動を共にする場合はかなり動きが制限されるが、麗花とギィならあっという間に瀬田口の家にたどり着くだろう。




「そういやそうだな。じゃあギィ、出発する前に例の施設の場所とか教えてもらってもいい?」


「わかった。アタシの分身がしっかり覚えてる」




 ギィの睡眠中も、彼女の分身は郁成夫妻の監視を続けている。


 つまり、瀬田口が死んだあのブラッドシープの本体があるという拠点――その場所はもちろん、現在枢機卿と彼らが向かっている別の拠点の場所もわかるわけだ。


 依里花はギィから話を聞いたあと、共に戒世教の拠点へ向かうメンバーに声をかけた。




 ◆◆◆




 揃った人間は依里花を含めて五人。


 仰木令愛、島川大地、牛沢会衣、そして巳剣冬である。


 顔を合わせるなり、首を傾げる大地。




「何で俺らなんや?」


「懐かしい面子ね」


「会衣が思うに、最初に保健室にいた人間」




 そう、ここに集められたのは、一階で保健室に身を寄せ合った人間ばかりである。




「だから夢実さんじゃなくてあたしだったんだ」




 おはようの挨拶をしようと思った直後、連れてこられた令愛。


 そんな彼女に、依里花は微妙に不安そうな顔を向ける。




「ふふっ、もしかしてあたしが嫉妬してるとか思ってる?」


「別にそういうわけじゃないけど……」


「確かに、ただ“好きだから”みたいな理由で呼ばれたわけじゃなかったのはちょっとがっかりしたけどー」


「してたの!?」


「ははっ、ウソウソ。でも単純に依里花と一緒に行動できるのは嬉しいなっ」


「良かった……でも言っとくけど、そんなに気分がいい場所ではないよ? さっき話したけど、ブラッドシープの“本体”ってのがある場所らしいから」


「化物を見るのには慣れたわ」


「会衣も平気にはなってる、むしろ空気が綺麗すぎて違和感があるぐらい」


「あの学校はどこにいても腐った臭いがしよったからな。慣れるのも考えもんや」




 依里花も似たようなことを考えていた。


 もちろん、こっちの空気の方が遥かに過ごしやすいのだが、しばらくは違和感を覚えることになるだろう。




「でもさ、保健室にいた人を集める理由って何かあるの?」


「うーん、一応ね。見つけた施設ってのは、大した大きさじゃないんだ。ブラッドシープが警備はしてるみたいなんだけど、制圧自体は私一人でも十分できる程度。だから牛沢さんと巳剣さんを連れてっても大丈夫じゃないかと思ったんだけど」


「戦えないのに何で――とは思ってたわ。配慮してくれてたのね」


「っちゅうことは、俺らも戦力として呼ばれたわけじゃないんやろ?」


「結局、会衣たちが集められた理由がわからない」


「行けばわかるよ。たぶん」




 依里花は少し自信がなさそうだ。


 行ってもわからない可能性がある、ということだろうか。


 しかし無意味に集められたわけではないことはわかる。


 集められた面々は、ひとまず依里花に従い、共に拠点へ向かうことにした。



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