第73話 落ち着いて話す時間がほしい
バスの到着後、戒世教に拉致されていた人々は市外に向かうこととなった。
とはいえ、彼らは光乃宮の市民ばかり。
あくまで市内での安全が確保できるまでの苦肉の策に過ぎない。
宿泊先の確保などは日屋見さんがグループ会社に任せたそうだが、まだ全員分の部屋が見つかったわけではないようだ。
もっとも、それは残った依里花たちが不安がっても意味のないこと。
戦う力を持つ人間が、できるだけ早く戒世教を潰せば全ての問題は解決するのだから。
また、人々を運ぶバスとは別に、麗花はマイクロバスを施設の前まで寄越していた。
そこには麗花本人も乗っている。
車を降り、依里花たちの前に姿を現した彼女は、まず周囲の景色を見回した。
「見事に森の中だね、しかも市の所有地と来た。誰も気づかないわけだ」
「さらに地下にあるんだもん。すごい念の入れ用だと思わない?」
そう言って唇を尖らせる依里花。
地元の地下に、あんな巨大な、しかも人を殺すための施設がひっそりと存在していたのだ。
別に光乃宮にさほど愛着があるわけではないが、文句の一つぐらいは言いたくなる。
「それだけダーティなことに使われていたんだろう。後の調査は警察か自衛隊に任せようじゃないか」
「警察も呼んであるのっ!?」
警戒する絹織。
だが麗花は首を振って否定する。
「私の独断とはいえ、あれだけのバスを動かしてるんだ、嫌でも気づかれるさ」
「加えて、日屋見グループのご令嬢だものね。ご両親は行方不明のようだし、注目を浴びてるわ」
麗花たちが到着するまでの間に、芦乃は絹織たちから光乃宮の現状をある程度は聞いていた。
もちろんそこには日屋見グループの現状も含まれる。
「生き残りの一人でもあるし、今だって勝手に病院から飛び出してきている。ひょっとすると、メディアの方が先に嗅ぎつけたりしてね」
「学校でも取り囲まれそうになったけど、あの数の記者の相手をするのめんどくさそうだなぁ……あ、絹織さんのこと言ってるわけじゃないよ?」
「気を遣わないでいいって依里花ちゃん。全国紙の記者が面倒なのは事実だもん」
罵倒されたことを根に持っているのか、絹織も依里花に同調する。
「ま、積もる話はたくさんあるだろうけど、車に乗ってからにしないかい。早く病院に戻らないと、騒ぎは大きくなる一方さ」
そう麗花に促され、全員でバスに乗り込む。
それぞれ関係にある人間同士で固まって座ると、病院に向けて出発した。
ようやく柔らかい椅子に座ってリラックスできたからか、各々の表情が緩む。
「今は車の揺れですら懐かしく感じるなぁ……初めて乗るバスなのに」
過ぎゆく外の景色をみながら、しみじみとつぶやく依里花。
隣で彼女にへばりつくギィは、首を傾げる。
「ナツカシイ?」
「犬塚さんが同じこと感じてない?」
「もう反応なくなったからわからない」
「ほぼ死んでるじゃん」
「利用したくなったらまた刺激して起こす。でも――確かに、カラダはこの揺れを覚えてる気がする」
「七瀬さんの方?」
「かもしれない」
「……状況が落ち着いたらさ、七瀬さんのご両親にも会いに行ってみる?」
「それは、わからない」
ギィの表情が曇る。
彼女はわずかにうつむきながら語った。
「アタシの中に家族という概念は無い。だから、そう呼べる人間は今のところ――エリカだけだと思ってる」
「家族かぁ……私も家族とは縁遠い生活を送ってきたし、ギィからそう言ってもらえるのは嬉しいな」
「マリンは?」
「最近やっと和解したばっかりだから、家族としてはギィの方がお姉さんかも」
「アタシが、お姉さん……ギシシっ」
「ふふっ」
二人が笑いあうと、互いを包む空気は幾分か軽くなる。
「そういうワケで――家族の前で犬塚海珠のフリをするのも、七瀬朝魅の家族に会うのも、アタシ自身が望むことではない」
「そうだねえ」
「でも、モヤモヤはする。キレイに精算して、整理するためなら、会ったほうがいいカモ、とは思う」
「七瀬さんはもう死んでるから、死の経緯を話すだけで済むかなーと思うけど、問題は犬塚さんの方だよね」
「イヌヅカは家族と一緒に暮らしてる」
「そう、それ」
「デモ、お世辞にも家庭環境はよくない」
「そうなの?」
「父親はあまり家に帰らない。母親は家に帰らない娘にイライラしている」
「犬塚さん、遊び回ってたもんねええ」
「ダカラ、離れるのは楽。家を出ていくと言えばいい」
要するに、家族と縁を切って依里花と一緒に暮らす、と言っているのだ。
依里花も責任は取るつもりでいる。
だから、笑顔で返事をした。
「じゃあそうしてもらおっかな。私もどうせあの家は出るつもりだし」
「フタリグラシ!?」
ギィは前のめりになって、依里花にぐぃっと顔を近づける。
「それは夢実ちゃん次第」
「ユメミ……ソッカ、親が戒世教の信者」
「令愛はお父さんがいるから、さすがに一緒に暮らすとはいかないだろうけど。夢実ちゃんはねえ……」
「家を出られるようセットクする?」
「私もできることをしたいとは思ってる。だけど、ほら、言ってみれば夢実ちゃんは親に騙されてたわけだから」
「エリカが親を殴る?」
「……私が殴らなくても、夢実ちゃんが殴るかも」
ギィは、きょとんとした表情で依里花を見た。
外見からしても、夢実はいかにもか弱い女の子、といった雰囲気なのだが――どうやら中身はそうでもないらしく。
「まだユメミがどういう人間か、アタシはわかってない」
「いじめられてた私と仲良くしてくれた時点で、かなりの変わり者だからね」
夢実自身は家族との仲も悪くなかったはずなのに、二人で逃げようという依里花の言葉に乗ってくれた。
もし大木たちが暴力的な手段で阻止していなければ、駆け落ちは成立していただろう。
見た目から抱いたイメージとの不一致に「うーん」と唸るギィと、それをみて笑う依里花。
すると、そんな彼女の横に島川亮がやってきて、肩を叩いた。
「あ、島川くんのお父さん」
「話に割り込んですまんな。改めて礼を言いたいと思ったんや」
「それなら、助けを呼んだ島川くんが一番偉いって言いましたよね」
「それでも言わへんわけにはいかんやろ。それに助けてもらっただけやない、傷も治してもらったやないか」
亮は大地のほうを見た。
腕が一本、脚が二本も無くなってしまえば、日常生活はかなり不便になる。
彼にも将来の夢なんかがあるわけで、そのほとんどを諦めなければならない。
どんな形であれ生きていてくれてよかった――そう思ったのも本音ではあるが、仮に目を覚ましたとしても、大地の未来はどうなるのか。
そう心配していたのは事実だ。
依里花はそれらの問題を、一瞬で解決してくれた。
「ほんまに何度も頭を下げても足りひんぐらい感謝しとる。ありがとな」
深々と頭を下げる亮。
大人の男性にこんなお礼を言われることはなかったので、どう返したものか――悩んで、困って、頬を掻く依里花。
「ど、どうも」
ヒーリングなんて簡単に使える魔法だし、そこまで感謝されても、という思いもある。
すると後ろの方に座る芦乃が言った。
「依里花ちゃんは感覚が麻痺してるのよ。当たり前みたいにヒーリングを使うけど、学校の外じゃあれってかなりのインチキなんだから」
「それぐらいわかってるよぅ」
「治癒魔法を当たり前に使わんと立ち向かえへんぐらい、戦ってた化物が強かったってことやな」
大地の言葉に、芦乃は「うんうん」とうなずく。
「大地から少し聞いたわ、過酷な環境だったのよね……」
久美子はそう言うが――いや、確かに1階はかなり危険だった。
2階、3階とあがっていくうちに、依里花自身が強くなっていったこともあり、ずいぶんと余裕が出てきたように感じられたが。
「まあ。中にいた人間の大半は化物に変えられてたんで」
「想像もつかんわ。生きてここにおることが奇跡っちゅうこと以外、何もわからん」
確かに奇跡ではある、と依里花は思う。
界魚の接触と曦儡宮の降臨が同時であったことや、その核に夢実が選ばれたこと。
幾重にも偶然が積み上がって、あの復讐は成立したのだから。
しかしそういった中で起きた一連の流れを、どう説明したものか。
能力を手に入れたことや、ギィが曦儡宮から独立した流れ、二重人格のネムシア、起きた出来事を単体で説明することすら、何も知らない人相手では骨が折れそうである。
「一番わかんないのは、芦乃が生きてることだよね」
「同感だわ。軽く説明は聞いたけど、あれじゃわかんないわよ」
絹織と千尋の言う通り、そこに関しても仕組みは非常に複雑で入り組んでいる。
施設にいるときに、芦乃なりに説明はしたようだが――まだまだ絹織たちは理解できていないようだ。
そこで、彼女は改めて二人に解説する。
「つまり――名札の力で変身するキャストっていう化物がいて、緋芦がそれの親玉にされてたの。そして緋芦が持っていたあたしのペンダントが名札と同じ役目を果たしたせいで、あたしの体が再生されてしまったのよ。そこにファンタジーランドをさまよう地縛霊になっていた私の魂が入って――」
絹織と千尋は頭を抱える。
「やっぱわかんない」
「地縛霊とか、体が再生とか、オカルトすぎて理解が間に合わないわ」
「実際、オカルトなことが起きてるからこれ以上は説明できないのよね……」
終いには芦乃も困り顔である。
「依里花ちゃん、うまい言い回しは無い?」
「何で私が……」
「だって依里花ちゃんが生き残らせてくれたんじゃない」
「そういえばそうだった」
最後の命を繋いだだけではあるが、当事者であることに間違いはない。
だが、依里花もまた、うまく説明できる自信が無かった。
「私たちの力を使っても、傷や病気を治すことはできても、過去に死んだ人間は蘇らない。井上さんが生きてるのは……とりあえず、奇跡が起きたって思っておけばいいんじゃないかな」
「要は、人間と違う形で命を繋ぐ存在、ということね」
「うーん、ぜんぜんわかんない!」
「芦乃が生き返って良かった、ぐらいの認識にしておきましょう」
「人が生き返ってるんだよ? 千尋はそれでいいの!?」
「それで困ることは無いんだから……いいと思うしかないわ」
「うぅむ、そうなんだけど……でも千尋も無事だったし、奇跡の一言でまとめるしかないのかぁ……」
記者としての性分か、絹織はまだ納得できていない様子。
しかししばらく「うーん」と唸っているうちに諦めがついたらしく、
「まあ、それでいっか」
理解を放棄し、『やったー芦乃が生きてるー!』で割り切ることにした。
「別に理解しなくても、幸せなもんは幸せだしぃ」
「ふふ、そうね。それだけで十分なのよ」
千尋は絹織に寄り添う。
二人は手を重ねて、指を絡めあった。
肌から感じるこそばゆさに、お互いに目を合わせ、頬を赤らめ微笑み合う。
「ほんと相変わらず仲いいわね」
芦乃はそんな二人の様子を、微笑ましく眺めていた。
「実は最近まで喧嘩してたんだけどね」
「そうなの?」
「……私が原因よ」
千尋は反省した様子で、目を細める。
「結局、あれ何だったの?」
絹織がいくつか予想を立てはしたが、まだ千尋の口から、なぜあのような態度を取ったのか答えを聞いていなかった。
千尋は己の情けなさに、話すことを少しためらったが、語ることが懺悔にもなる――と自ら口を開く。
「実家に帰ったとき、絹織の話になったの。そのときの私の顔が……すごく、恋をしてたというか……母親から見て、はっきり絹織のことが好きってわかったらしいのね」
「あー……」
「で、そのときのお母さんの顔がさ。反射的なものなんだろうけど、すごく軽蔑っていうか、ドン引きしてて」
「それがやだったの?」
「いいえ、別に私はどうでもいいのよ。でも、親と仲のいい絹織も、同じ目に合ってるのかと思うと、私のせいで絹織を不幸にしてるんじゃないかと思って」
至極真面目な話なのだが、それを聞いた絹織は「ふふっ」と笑った。
当然、千尋は驚く。
「何で笑ったのよ」
「想像してる通り――というか、私も同じことあったなと思って」
「あったの!? そ、それでどうしたのよ!」
「別に、千尋のこと好きなのは悪いことじゃないからそのまま」
「そのまま!?」
「堂々としてるよ。意外となんとかなるもんだって」
「……悩んだ私がバカみたいだわ」
「実際バカなの」
絹織は顔を近づけ、こつんとお互いに額を触れ合わせた。
「どんだけ私が傷ついたと思ってるんだか」
「ごめんなさい」
「その分だけ甘えるから」
そう甘えたような声で言うと、千尋の頬がさっと赤く染まった。
「それご褒美、じゃない?」
絹織は「そうかもね」照れくさそうに笑う。
二人の間に、甘ったるい空気が流れる。
「えらい暑いのう……」
大地は手でぱたぱたと顔を扇いだ。
一方、ギィは絹織と千尋のやり取りを見て、じっと依里花に視線を向ける。
「アタシもあれぐらいしたい」
「もうやってない?」
「まだ足りない」
「めちゃくちゃ体とか絡められてる気がするけどなぁ」
ギィはよく、スライムの体を生かして依里花に絡みついてくる。
その絡みっぷりは、絹織たちの比ではない。
「チガウ、体だけじゃない。ココロも体も絡め合いたい」
「まだキスもしてないんだけど……」
「ならキスする」
「あとでね」
「アトデ。言質、取った」
言質を取られた依里花だが、『まあいいか』の精神で平静をたもっていた。
ギィからは肉食獣にも似た凶暴性を感じる。
おそらく、拒んだどころで遅かれ遠かれ食べられるので、それなら自分で制御できるうちにしておきたいと思ったのだ。
しかし、あたかも冷静に物事を判断しているように見えるが、緊張に心臓はバクバク高鳴っていた。
もちろんギィはそれに気づいていて、そういう初心っぽいところも魅力的だなあ――と潤む瞳を依里花に向け、歯を見せて「ギシシ」と笑う。
一方、いちゃつく絹織と千尋を見ていた芦乃は、ある事実に気づいた。
「もしかして絹織と千尋って……」
「ん?」
「何よ」
「最近付き合い始めたの?」
眉をひそめ、訝しむような顔で芦乃はそう問いかける。
すると絹織と千尋は、ちょっと不機嫌そうに答えた。
『悪い?』
それは一種の八つ当たりである。
30も過ぎて、お互いに好き同士とわかった上で同棲しているくせに、色々と言い訳を重ねて明確に恋人という関係になろうとしない痛い恋愛をしているのだと。
なので、つい強めの圧が出てしまっただけだ。
凶悪な化物と戦ってきた芦乃も、これには気圧され、
「い、いや、別に悪くないわ……ただ、とっくに付き合ってると思ってたから。何なら、高校の時点で」
そう言いながら、軽くのけぞった。
◆◆◆
バスは病院付近まで到着する。
千尋が働いていたのとは別の場所だが、建物の周辺はすでに大勢の人々に囲まれていた。
「うわ、すごい人だかり」
「依里花先輩たちを撮りに来たんだろうね。どうしようか、このまま近づくと囲まれそうだけど」
「避ける方法ってある?」
「病院には連絡を入れてあるから、守ってもらいながら入るしかないかな」
学校の時点で依里花はうんざりしていたのだが、今はそれ以上だ。
依里花たちの脱出は、外から見ると突然の出来事だったはずなので、集まるのが遅れたのだろう。
しかし、どうせこのマイクロバスに載っていることもじきにバレる。
結局は、降りて院内を目指すしかないのだろう。
するとそのとき、大地が何かに気づき病院の入口付近を指差す。
「なあ、あの人だかりができてるとこ、真ん中に誰かおらへんか?」
依里花たち生存者を撮るために集まっているのか――と思われたが、人混みの中心にいるのは初老の男女だ。
「……私の父と母みたいだね」
麗花がため息交じりに言った。
「行方をくらましていた日屋見夫妻が現れたから騒がしかったんだ」
絹織は記者の性か、窓越しにスマホで日屋見剛誠と愛美を撮影しようとしている。
「今ここにいるってことは、日屋見さんに会いに来たのかもね」
「おそらく依里花先輩の言う通りだよ。うちの両親は、それなりに私のことを愛してくれていたからね」
娘を愛することと、戒世教の信者の両立。
特に剛誠は、麗花が自分の娘ではないことを知りながらも、本当の娘と変わらぬ愛情を注いだ。
それは彼らの親としての情の深さを現すと同時に、戒世教的価値観に骨の髄まで浸っている、という証明でもある。
だからこそ麗花は、両親のことを複雑な心境で見つめているのである。
停止したバスの中から、病院の様子を観察する一行――しかし次の瞬間、さらなる異変が起きる。
そう遠くない場所から爆発音が響き、少し遅れて爆風がビリビリと窓を震わせたのである。
「なんやなんや、今度は何が起きたんや!?」
亮は立ち上がると、病院とは逆方向の窓に目を向ける。
「エリカ、あそこケムリがあがってる」
ギィが指さす先には、確かに灰色の煙が黙々とあがっている。
ちょうど高層のビルが存在するあたりだ。
「爆発みたいな音だったわ」
「というか、本当に爆発したんじゃないの、あれ」
煙の中にはオレンジ色の火も見える。
当然、日屋見夫妻に群がっていた記者たちも反応し、一斉にそちらにカメラを向ける。
その間に、夫妻は病院の中に逃げ込んだようだった。
「落ち着かないねえ」
一難去ってまた一難、とはこのことを言うのだろうか。
依里花は背もたれに体を預けながら、軽くため息をつく。
そんな彼女を労るように、ギィがしなだれかかる。
さながら甘える猫のように。
というか、頭から実際に猫耳が生えている。
どこで仕入れた知識なんだか――と思いながら、ギィの頭を軽く撫でる。
気持ちよさそうに「んにゃ」と目を細める彼女の姿を見ていると、思わず依里花の頬が緩んだ。
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